マッサ、困る
「お母さん。」
甲板の真ん中に立って、あたりを見回し、首をかしげながら、マッサは言った。
「この船、帆を張るためのマストが、一本もないみたいだけど……?」
「ええ、そうよ。」
アイナファール姫はうなずいた。
「だって、この船は、風の力で進む船ではないのだもの。この船は、私の魔法の力で動いているの。ほら、見ていてね。」
アイナファール姫は、船のへさきのほうへ進み出ると、大きく両手を広げて、何かを持ち上げるように、ゆったりと腕を動かした。
すると、ふわあっと、巨大な船が浮き上がる感触があった。
「うわあっ! とんだ! とんだ!」
「すごい、すごい、すごい! あたしたち、とんでる!」
「ぼくたち、とぶふねにのってるんだ!」
子供たちは、大はしゃぎで、
「こら、危ねえって! 船べりから、身を乗りだすな! 落ちたら、死んじまうんだぞ! こら! そんなふうに、体を、乗りだすなっての!」
と、ディールが大慌てで、みんなに注意して回っている。
船は、だいたい建物の三階か四階くらいの高さまで上昇すると、へさきを前にして、ぐんぐんと風を切って進みはじめた。
マッサは、船べりをしっかりつかんで、落ちないように注意しながら、下を見おろした。
水晶でできた、何十本ものオールが、船体に開いた穴から、ずらりと並んで突き出している。
その、何十本ものオールが、水を漕ぐみたいに、ぐうん、ぐうんと一斉に動いて、空気を漕いでいる。
全部のオールの動きが、ぴったりとそろっていて、まるで、ものすごくチームワークのいい水夫たちが、掛け声に合わせて漕いでいるみたいだ。
「お母さん、あのオール、誰が漕いでるの?」
「誰も、漕いでいる人はいないわ。全部、私の魔法の力で動いているのよ。」
「お母さんって、すごいなあ。」
マッサは、心の底から感心して言った。
マッサは、自分が空を飛ぶことしかできないけど、お母さんは、こんな巨大な船を空中に浮かばせたり、好きなように動かしたりすることまでできるんだ。
マッサが、お母さんと話していると、子供たちが、なんとなく、そばに集まってきた。
「おうじさまのおかあさん、きれいね。」
チッチが言った。
「あたしのおかあちゃんは、おうじさまのおかあさんとちがって、そんなに、びじんじゃないわ。でも、つくるおりょうりは、せかいいち、おいしいの。」
「まあ。」
アイナファール姫は、にっこり笑った。
「じゃあ、あなたのお母さまに会ったら、お料理を習ってみたいわ。私、お料理は、そんなに得意じゃないの。」
「そう? じゃあ、あたし、おかあちゃんに、おりょうり、おしえてくれるように、たのんであげるね!」
「ええ、ぜひ、お願いね。」
「ぼくのおかあちゃんは、ぼくがねるときに、いつも、おはなししてくれるんだよ!」
タックが言った。
「おかあちゃんは、りょうしのしごとでつかれてるけど、ちょっとだけ、ぼくに、おはなししてくれるの。それで、ぎゅーってだっこしたり、あたまをなでてくれる。」
「まあ。」
アイナファール姫は、また、にっこり笑った。
「優しいお母さまね。きっと、あなたのことが大好きだから、そんなふうになさるのね。」
「ぼくも、おかあちゃんのこと、だいすき。」
タックは、えへへと笑って、急に、アイナファール姫にしがみついた。
「わあ、いいにおい! なんか、おはなみたいな、いいにおいがする!」
「まあ、そう?」
「あたしも、あたしも、ぎゅーってする!」
「ぼくも、ぼくも!」
「あたしも!」
たちまち、アイナファール姫のまわりには、子供たちがぎゅーっと集まって、まるで、子供たちのかたまりみたいになった。
「ほら、ほら、みんな、もう離れて、離れて!」
マッサは、慌ててそう言いながら、ひとりずつ、両肩を持って、子供たちをはなしていった。
「お母さんは、今、この大きな船を、動かしてるさいちゅうなんだから! みんなが、ぎゅーってしたら、お母さんが、船を動かすのに、集中できないよ!」
マッサは、口ではそう言ったけど、本当の理由は、なんだか、自分のお母さんがとられそうになっている気がして、ちょっと嫌だったからだ。
チッチとタックは、最後まで、マッサのお母さんにくっついていたけど、
「もう、チッチとタックも、離れて、離れて!」
と、マッサに言われて、しぶしぶ、
「はぁーい。」
「わかったぁ。」
と、マッサのお母さんから離れた。
そこへ、ちょうど、ディールが、
「おい、子供たち、集まれーっ!」
と、号令をかけた。
「いいか、大魔王の島に着いたら、お前たちは、この船に残って、隠れとかなきゃならねえ。
だが、もし、この船が大魔王の手下に見つかっちまったら、戦いになる可能性もある!
俺たちは、大魔王と戦うのに忙しくて、お前たちを守ってやる暇が、ねえかもしれねえ。
だから、お前たちが、自分で自分の身を守れるようになるために、今から、俺たちが、お前たちに、戦い方の特訓をする!」
「ええーっ!」
「わたしも、教えますよ。」
ディールの横で、タータさんも、にこにこしながら言った。
「ええーっ!」
「あの、すっごいパンチも、おしえてくれる?」
「つよそう! おしえて、おしえて!」
子供たちは、あっという間にディールとタータさんのまわりに集まって、戦い方の特訓をしはじめた。
もちろん、子供たちはみんな、体が小さくて、力も弱いから、まともに戦ったのでは、猿の海賊たちに勝つことはできない。
だから、特訓というのは、何人かでチームになって、ぐるぐる動いて敵を混乱させたり、何人かが注意を引きつけているあいだに、後ろから別の何人かが攻撃したりという、チームワークを工夫した戦い方の訓練だ。
「待て、待て、みんな。」
と、ガーベラ隊長が、特訓をしているみんなに、慌てて言った。
「練習は、できるだけ、甲板の真ん中あたりに集まってするように。
特に、全員が一気に片側の船べりに集まるのは、絶対にだめだ。
全員がいっせいに船の片側に寄ると、みんなの体重で、船が、そちら側に傾いてしまう。
そうなると、船がバランスを崩して、最悪の場合、転覆することもあるからな。」
「分かりましたぜ、隊長! おい、みんな、分かったか? 船のはしっこには、集まるんじゃねえぞ。」
ディールが言うと、子供たちはみんな、
「はーい!」
と、元気に返事をした。
何だか、ディールが、まるで、学校の先生みたいだ。
(そういえば……)
と、マッサは思った。
最初に会ったときも、ディールは、ぶつぶつ言いながらもマッサを案内してくれたし、『青いゆりかごの家』に暮らしているガッツたちとも、仲がいいみたいだった。
ディールは、しゃべり方が乱暴で、怖く見えるときもあるけど、実は、意外と、子供好きなのかもしれない。
マッサが、そんなことを考えているあいだに、ガーベラ隊長は、
「特に、ボルドン。きみは体が一番大きく、体重も重いのだから、急にあっちへ行ったり、こっちへ行ったりせず、いつも、甲板の真ん中あたりに、どっしり構えていてもらいたい。」
と、ボルドンにも注意をしていた。
『グオオオーン。』
頭の上にちょこんと乗ったブルーに通訳をしてもらって、隊長の言葉がよく分かったボルドンは、甲板の真ん中に、どっしりと座り込んだ。
「……あれ、フレイオは?」
ふと気づいて、マッサが見回すと、フレイオは、一人、みんなから離れて船べりに立ち、じっと海を見おろしていた。
「ねえ、フレイオ、どうしたの?」
マッサは、フレイオに近づいて、声をかけた。
「ガーベラ隊長が、あんまり、端っこに寄っちゃだめだって言ってたよ。みんな、できるだけ、真ん中にいたほうがいいんだって。」
でも、フレイオは、返事をしなかった。
マッサが声をかけたことにも気づいていないような様子で、じっと、海を見おろしている。
「フレイオ? ……ねえ、フレイオってば。」
とんとん、とマッサが軽く肩を叩くと、フレイオは、はっとした様子で、
「ああ。」
と言った。
まるで、たった今、声をかけられていたことに気づいた、というような様子だ。
でも、視線は、じっと海面に向けたままだった。
「どうしたの、フレイオ? ぼーっとして。」
「いえ。……ちょっと、海を見ていたんですよ。いつ、どこから、敵がやってくるか分かりませんから。」
「ああ、見張りっていうこと?」
「ええ。何しろ、ここは《惑いの海》と呼ばれているくらいですからね。飛ぶ船に乗っているからといって、油断はできません。いつ、どんなことが起こるか、警戒を――」
そこまで言って、フレイオが、急に言葉を切り、船べりをつかんで、身を乗りだした。
「ちょっと!? フレイオ、危ないよ! どうしたの?」
マッサがきくと、フレイオは、
「いや、今、何かが――」
と呟いて、首をかしげながら、体を起こした。
「マッサは、見ませんでしたか?」
「えっ。何を?」
「今、何か、巨大な黒いものが、すごい速さで、海の中を……この船の真下を、通っていったような――」
「えっ!?」
その、瞬間だ。
ドバアァァァン!!!
すさまじい波しぶきをあげて、何かが、海の中から、船をめがけて飛び上がってきた!




