マッサと、空から来るもの
「上……?」
ブルーとボルドンにつられて、マッサは、上を見た。
ガーベラ隊長もディールも、タータさんもフレイオも、小さな子供たちも、みんな、上を見た。
まるで、いかだという希望の光を失ってしまった、マッサたちの気持ちのように、空一面に、灰色の雲がどんよりと垂れこめている。
耳を澄ましてみても、音なんて聞こえないし、いくら目を見開いても、別に、変わったものは、なにも――
「ん?」
四本の手をおでこにかざし、目を細めて空を見上げていたタータさんが、もっと目を細くして、呟いた。
「あれは……何、でしょう?」
「あれ……?」
タータさんが長い腕で指さした先を、マッサも、目を糸のように細くして、よーく見た。
別に、何も、変わったものは見えない。
ただ、灰色の雲が、ゆっくり、ゆっくり、風の流れにのって動いているだけだ。
――いや、待てよ?
気のせいだろうか? 今、ちらっと……何かが……
『なにか、くる。』
マッサの足元にぴったりくっついて、ブルーが呟いた。
やっぱり、確かに、そうだ。
見間違いじゃない。
灰色の雲の中に、たったひとつ、小さな小さな、黒い点がみえる。
最初に気づいたときには、けし粒くらいの大きさ。
それが、だんだん、ごま粒くらいの大きさに、そして、豆粒くらいの大きさに見えてきた。
「くそっ、化け物鳥が、来やがったか!?」
「いや! 待て……あれは……」
叫ぶディールを、ガーベラ隊長が手で止める。
化け物鳥なら、一羽じゃなく、何羽も集まって、群れをなして飛んでくるはずだ。
それに、あれは――あの黒い点は、化け物鳥よりも、ずっと大きい。
その証拠に、ぐんぐん、こっちに向かってくるにつれて、その大きさは、親指くらいになり、手のひらくらいになり、さらに、もっと、もっと、もっと――
「おふねだ。」
小さな子供たちのうちのだれかが、そう呟いた。
「くろい、おふねが、そらから、おりてくる!」
「でぇーっかい、くろいおふねが、そらから、おりてくる!」
「あれは……」
フレイオが、目と口をぽかんと開けて、今までに見せたことのないような顔をして、言った。
「信じられない。あれほど巨大な船を、空中に浮かせるなんて……いったい、どれほどの魔法使いが……」
その呟きを聞いて、マッサは、はっとした。
着陸したら、砂浜全部を埋めてしまいそうな、巨大な黒い船。
そんな船が、まるで海の上を進むようにゆうゆうと、空を飛んでくるのだ。
こんな、とんでもない魔法を使いこなすことができるなんて――
まさか、あの空飛ぶ船に乗っているのは、大魔王なんじゃないのか!?
そんなマッサのとなりで、
『いい、おと!』
うっとりしたような顔で、ブルーが言った。
『グルルルルル。』
ボルドンも、ブルーとおなじような顔で、喉を鳴らした。
その頃になって、ようやく、マッサたちの耳にも、かすかな音が聞こえるようになった。
「音楽……?」
マッサは、顔をしかめて、両方の耳に、全神経を集中した。
空飛ぶ船のほうから、ものすごく美しい音楽が聞こえてくる。
透きとおった水のように美しく、気持ちよく、優しい音楽だ。
さらに、空飛ぶ船が、もっともっと近づいてくると、船体の細かい部分まで、はっきりと見えるようになってきた。
遠くからでは真っ黒に見えた船体には、金と、銀の線で、美しい花や植物の絵がびっしりと描かれていた。
ところどころで、きらきらと光っているのは、色とりどりの宝石だ。
船体からずらりと並んで突き出した、船を漕ぎ進めるためのオールは、全部、透明な水晶でできている。
あまりの美しさに、マッサは思わず、怖い気持ちを忘れて、見とれてしまった。
「下がりましょう、王子、下がりましょう!」
ガーベラ隊長が慌てて叫び、マッサも、マッサと同じように空飛ぶ船に見とれていたみんなも、はっと気づいて、慌てて、走って後ろに下がった。
このまま、ぼんやりと立っていては、空飛ぶ船が着陸するときに、下敷きになって、つぶされてしまうかもしれない。
でも、そうはならなかった。
巨大な黒い空飛ぶ船は、砂浜に着陸することはなく、地面から、マッサの背の高さくらいのところに、ふわっと浮かんだままで止まった。
そして、声がきこえてきた。
「マッサファール? そこに、いるの?」
その声をきいた瞬間、マッサは、二つの目玉が転がり落ちちゃうんじゃないかというくらい、大きく目を見開いた。
マッサは、その声をきいたことがあった。
いや、正確に言えば、耳できくのは、今が初めてだ。
でも、心の中で、何度も、その声をきいたことがあった。
だから、マッサには、はっきりと分かった。
それが、誰の声なのか。
「お……お、お……」
ふらふらと後ずさって、ずっと高いところにある船の甲板を何とか見ようとしながら、マッサは叫んだ。
「お母さん!?」
見上げたみんなの視線の先で、船べりに白い手が置かれ、とても美しく、賢そうな、優しそうな女の人が、こっちを見おろした。
「マッサファール! やっと、会えたわね。再びこの目であなたの顔を見ることができるなんて、こんなに嬉しい日はないわ!」
その瞬間の気持ちを、何と言葉で言ったらいいのか、マッサには分からなかった。
ただ、両目から、びっくりするくらい、ぶわっと涙があふれてきて、前が見えなくなった。
でも、どうしても、お母さんの顔をしっかり見たいから、必死に両手で目をこすった。
『おかあさん!? マッサの、おかあさん? マッサの、おかあさん!?』
興奮して、マッサのまわりをぴょんぴょん跳ねまわるブルーに、
「そうだ、ブルー。あの方が、王子の母上だ。」
ガーベラ隊長はうなずいて、それから、マッサのお母さんに向かって膝をつき、頭を下げた。
「アイナファール姫さま! 無事に、魔女たちの城で、大魔王の魔法が解かれたのですね。晴れて自由の身となられたお姿を拝見し、我ら一同、感激の至りです。
翼の騎士団《銀のタカ》隊隊長ガーベラ、一同を代表し、お喜びを申し上げます!」
あらたまった挨拶をのべた隊長の後ろで、ディールも慌てて、かしこまって頭を下げる。
「まあ。」
アイナファール姫は、にっこりと笑った。
「翼の騎士団の、勇敢な戦士たち。あなたがたが、マッサのお友達なのですね。あなたがたのような、頼もしいお友達がたくさんいて、息子は幸せです。私の息子によくしてくださって、本当にありがとう。」
『フフン! ぼくたち、マッサのともだち! なかま!』
『ウオオオオーン!』
ブルーが、胸を張って言い、ボルドンが、そうそう、というように、元気よく吠えた。
「ええ、もちろん、知っていますとも。」
アイナファール姫は、マッサ、ブルー、ガーベラ隊長、ディール、タータさん、フレイオ、ボルドンを順番に見て、大きくうなずいた。
「魔女たちの城で、大魔王の魔法を解いてもらったときに、母上から――つまり、マッサのおばあさまから、予言のことを聞きました。『王子と、七人の仲間』ですね。」
泣いていたマッサも、みんなも、一瞬、えっ? という顔になった。
予言に出てくる『王子』というのは、もちろん、マッサのことだ。
それから、ブルー、ガーベラ隊長、ディール、タータさん、フレイオ、ボルドン……
ということは、どこから、どう数えても、まだ『王子と、六人の仲間』しか、いないのでは――
その瞬間、
「あああああああっ!?」
稲妻が光るように、答えがひらめいて、マッサは、涙が全部吹っ飛んでしまうくらいの大声をあげた。
「分かったぞ! 『王子と、七人の仲間』! ――七人目の仲間っていうのは、お母さんのことだったんだ!」




