九十一 始まりの日を明るく過ごしたいから
年明けの朝、窓の外を見ると雪は降っておらず雲の隙間から光が差し込んでいた。
新しい年が始まったんだ。
この世界の初日の出は見ておきたかったな……
でも昨日はとてもそんな余裕なんてなかった。
自分の覚悟を示すとは言え初めて自分からレイにキスをしてしまったからだ……
レイは嬉しそうだったし間違ったタイミングではなかったと思うけれど、彼女と会うのが恥ずかしい。思わず枕に顔をうずくめる……
駄目だ。駄目だ。駄目だ。
ここで避けていたら成長はない。
堂々として主導権は握らせないぞ!
コン。コン。コン。
「カズヤ……起きてる?」
早速攻めてきたか。
まだ主導権は取戻せる。
「起きてるぞ? 入れよ』
ドアを開けてレイが入ってくると何やら様子がおかしい。
恥ずかしそうというか気まずそうにモジモジとしている。
「――あのね……昨日はありがとう。今日は君にお願いがあるんだ」
まずい!
これは初詣デートとかのお誘いだ。
この世界に初詣という風習があるか知らないがレイのペースに持って行かれる。
「内容次第だな」
「実は今日大きなパーティーがあるんだ」
パーティへのお誘いか?
「そのパーティーになんでいきなり俺が参加していいのか?」
「というかカズヤじゃないと駄目なんだよ! 他の人に頼めないから恥を忍んでお願いしにきたんじゃないか!」
レイが目に涙を浮かべこちらを見つめてくる。
これ以上はただのイジメだな……
「悪かったよ。どうせ今日は暇だしどこにでもついていくよ」
「本当! よかったぁ……セーフティハウスで行われるパーティの準備に人手が足りなかったからカズヤじゃないと間に合わないと思ってたんだけど助かるよ」
「セーフティハウスのパーティー……? セーフティハウスってセレス大統領とクレスター家とフロント重工が共同出資して設立したとかいうあれか?」
セーフティハウスは家を持たない人や魔族が冬を越せるために作られた施設とは聞いたことがあるけどパーティーまでやるのか。
「よく知ってるね。まぁあの施設はそもそも長期の職業訓練を受ける者の宿泊施設として利用されてるけど、冬季は立地が立地だから、好んであの場所に住む人はそこまでいないんだよ」
それでも公営住宅に比べたら環境はかなりいいよ、とレイは補足する。
――というかデートのお誘いではなかったのかよ……
どちらにせよレイに主導権は完全に握られたわけだ。
「それで、パーティーには何人ほど参加する予定なんだ?」
「うーん……昨年は七百人くらいだったかな?」
「は? 山にあるセーフティハウスに七百人も住んでるよか?」
「そんなにはいないよ。低収入向けの公営住宅に住んでる人々も含めてだ。送迎は役所で魔法を使える職員がやってくれるけど」
何人送迎するのかわからないけど役所の職員も新年早々に大変だなぁ……
「それで君に手伝ってほしいのは野菜の皮むきとカット。必要最低限のものは前日仕込んであるんだけど多めに確保しておきたいんだって」
「まぁもしものためというだけなら……でも俺は自炊なんてしたことないし戦力にならないぞ?」
まぁカレーと簡単なものは作れるけどシェフに求められる技術なんてあるわけがない。
「なぁ素人が厨房に入るより会場設営とか荷物運びとかの方がよくないか?」
「大丈夫。大丈夫。指示通り動けば問題ない。それに強力な助っ人が二人もいるから三人でやればすぐ終わるよ!」
レイが呼ぶ料理ができそうな助っ人……
フレイアさんとセイレーン先輩、もしくはスカーレットか?
でもその面子なら俺である必要はない。
なんだかとても嫌な予感がしてきた……
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
セーフティハウスはクレスター邸からニキロメートルほど離れた山頂にあった。
外観はくすんだレンガ調の外壁に深緑の屋根と絶妙に景観に配慮されたデザインとなっていた。
全部で三棟あるようだけれど、ぱっと見て一棟に五十戸くらいの部屋があるように見えるので百五十世帯は住むことができるのか。
まぁ真冬にこんな山頂に好き好んで来る人はそんなにいなさそうだけど……
他にも研修用と思われる建物がいくつかあったり大きな多目的ホールもあったがどれもこれも景観に配慮することは忘れられていなかった。
しかしまぁこんな山の頂にこんなに建てたもんだ。
というか三者合同出資とはいえよくここまで出資できたもんだ。
「カズヤ! 厨房は多目的ホールの中にあるよ。案内するね」
レイに手を引かれ多目的ホールに入ると暖房がよく効いておりとても暖かった。
「はい。これに着替えて」
コック帽やコック服等を一通り渡され厨房の傍にある更衣室で着替えてくる。
よし! 足手まといにならないように頑張るぞ!
何事も経験と士気を上げ意気揚々と更衣室を出た。
「おい、帽子がずれて髪の毛が出てんぞ! やる気あんのか!」
「す、すみません。すぐに直します!」
いきなりの罵声に驚きすぐに帽子の位置を直し髪の毛が出てないか確認する。
助っ人と言われ油断していた。今からプロがいる厨房に入るん……あれ?
「アド、いやクオーツ先輩なんでここに? それにマルスさんまで……」
「ん? レイに聞いてなかったか? お前以外にも助っ人を呼んだと」
――なるほど……
そういうことか。
この二人がいるなら残りは俺だよな……
でも……
「レイ! なんでクオーツ先輩とマルスさんが助っ人だと説明しなかった?」
「だってそう言ったら君が断ってた可能性があったじゃん。それにこれもいい修行だよ? じゃあ僕は他に仕事があるから頑張って!」
野菜の皮むきとカットだけとはいえ、世界最高峰の剣士二人が揃っているなら普通のことはしない。包丁も武器なのだから……
「さて、さっさと終らせるぞ。ただ厨房に入る前は光魔法で身を綺麗にしておけよ」
マルスさんに光魔法で殺菌する方法をもらい、いよいよ厨房に入った。
中はかなり広く熱気と怒号で戦場のようだった。
俺たちの作業場所は洗浄済の野菜が山盛り積んである厨房の隅にあるスペースだ。
「あの……俺は簡単な料理しか作ったことがないんですけど大丈夫なんでしょうか?」
「――おい、カズヤ……お前は前世の記憶が戻ったんだからやり方はマルスから習ってるはずだろ……?」
「クオーツさん。実は前世の英雄はこの世界の言語と常識をメーティスに詰め込まれて料理はさせてなかったんです……」
「あのなぁ……せめて基本くらいは教えておけよ……仕方ない見本を見せるから見て覚えろ。じゃあマルス頼むぞ」
マルスさんはカゴの中から一本の人参を取り出す。
「ゆっくりやるからよく見ててくれよ?」
そういうと人参を目の位置から落とした。
鼻の頭付近まで落ちてくる前にヘタを切る
唇付近で包丁を使い人参を超高速回転させ皮を剥く。
顎の付近で指示された形に均等に切る。
最後にヘタと皮と切られた人参を分ける。
全てが空中で行われた作業。時間にして五秒。
これがマルスさんの言うゆっくりらしい……
「あの……見えることは見えましたけど、これをいきなりやれって流石に無茶なのはマルスさんもわかってますよね……?」
「――僕を倒した君ならできると思ったんだけどなぁ……クオーツさんがやれと言ったから見せたけど分業した方が良さそうだな」
マルスさんまだ俺に負けたことを根に持ってたのか……
「それなら俺はヘタ取りと皮むきをやる。カズヤは中間工程。マルスは仕上げ。どう切るかは俺が指示する。これで文句ないな?」
「まぁ簡単に切るくらいなら」
「元はといえば僕のせいだから責任を持って仕上げるよ」
簡単に切るくらいと言ってしまったが肝心なことを忘れていた。これも全部空中でやるんだよな……?
「一応確認なんですけど、切った野菜はどうやってマルスさんに渡すんですか?」
「見本を見せてやるから見てな」
クオーツ先輩が人参のヘタをとり皮を剥く。
素早く包丁の刃を人参に通したあと、包丁の腹で人参をマルスさんの方に押し出す。
最後にマルスさんが指示された形に切って仕上げる。
なるほどそうやればいいのか。
いや、あまりにも当然のようにしてるからツッコミすら入れられなかったけど……
なんで切られた人参がそのままの形を保って送り出されてるんだよ!
「クオーツ先輩……人参って普通切ったらバラけますよね?」
「そりゃチンタラしてたらな。でも今のお前には関係ない悩みだな。指示されたことを無心にやれ。剣と同じことだ」
やっぱりレイはこうなるのわかってて黙ってたな。
「カズヤくん。大変かもしれないけど僕たちが頑張れば美味しい料理ができてお客様は明るい新年を迎えられるんだよ? それにレイならこれくらい余裕でやるけど止めとくかい?」
うぅ……父も兄も妹もこの一家やっぱりおかしいよ。
そんなこと言われたらやるしかないじゃないか……
「やりますよ! 是非やらせてください」
結局、新年からクレスター家のペースに乗せられて調理という名の修行をやることになった。
始めは慣れなくてゆっくりだったけど慣れていくうちに三人の動きはシンクロしていき予定していたスケジュールより早く終った。
全ての作業が終わり更衣室で休んでいるとレイが飲み物を持ってやってきた。
「今日はありがとう。お疲れ様」
「本当にお疲れだよ。一対一で戦っているだけではわからないあの人たちの異常さがよーくわかったよ。わかっていたつもりではあったけど強くなるには全てが修行なんだよな……」
レイからグラスを受け取りグイッと飲み干す。
レモンと蜂蜜を混ぜたミネラルウォーターか。
疲れている身体に酸味と甘さがよく染みる。
「まぁそれはそうだね。それよりパーティーがそろそろ始まるよ? 一年の始まりくらいは暗いことを忘れてパーッと楽しもう?」
「そうだな……お前が集めた人たちとも話をしてみたいしな。それよりお前の隣にある大量の紙袋は?」
レイの隣に茶色の紙袋があって沢山の丸まった紙がはみ出てるのが見えた。
「あぁこれね。これは子どもたちが僕に絵を描いてプレゼントしてくれたんだ。後は大人たちからは手紙とかかな?」
「愛されてんだな……」
「でも中には与えられたことで束縛されると感じる人たちもいるみたいで……そういう人たちからは前借りって形にしてガラクタでもなんでもくれるものをもらってるよ」
この気持ちはよく分かる。
俺の今の力の大半は神に導かれ与えられたものだ。
簡単に与えられたものは簡単に奪われてしまう恐怖がある。
相手が圧倒的な存在であればあるほどその可能性はある。
その恐怖を乗り切るには少しでも有益だと認識させて対等な関係を目指すか、奪われても信じられる強い自分を見つけるしかない。
俺はどちらかというと劣等感が強いから後者を目指しているけど、生き抜くことを重視するなら前者なのだろう。
「――また暗いこと考えてるのかい? せめて今日くらいは……」
「わかってるよ。みんなでパーッとだろ?」
「行こう! みんなが待っている」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その後、パーティでは老若男女さまざまな人や魔族と話した。
その話の中で破壊の悪魔の話題は何度も出たがどれも悲惨な内容で聞き手に回ることしかできなかった。
けれどそんな人や魔族たちも楽しんでくれていたようで何だか苦労が報われたような気がした。
パーティーの途中でフレイアさんを目撃したけど忙しそうだったので話かけなかった。
ちなみにクオーツ先輩、もといアドルさんは各国への挨拶周りがあるからと言ってすぐに帰ってしまった。本来はお前も連れて行きたいが計画が終わるまではやめておくと俺に言い残して。
「カズヤ食べてるかい?」
山盛りの肉を頬張り話しかけてくる。
「――あのなぁ……今日は普段はあんまり食えない人や魔族にお腹いっぱい食べてもらう日だろ……」
「僕らの食べる量は想定済みさ。それに僕らが遠慮してるとみんなも遠慮するだろ?」
子どもたちがレイが肉を頬張る姿をじっと見ている。
やっぱりレイがガツガツ食うから食べにくい雰囲気なってるじゃないか……
「よーし! お肉は沢山あるからお姉ちゃんと一緒に食べようか! 料理は沢山あるから君たちの家族がお腹いっぱい食べてもなくならないぞ!」
そういうと笑顔の子どもたちに囲まれてレイはお肉を取りに行った。
とても俺にはできない行動だ……
「――やっぱりレイはいい子だろ? 流石は自慢の妹だ。何か迷いがあるようだから人気のない場所で少し話そうか」
マルスさんがシャンパングラスを片手に話しかけてくる。
会場をあとにして人気のない部屋に移動する。
「あいつはやっぱり光の中にいるべきですよ。俺にはあんなことできない」
子どもたちに笑顔で肉を取り分けるレイを思い出し話を切り出す。
「カズヤくん。君はこれから最愛のレイと極限まで憎しみ合わなければいけない。それも裏切りなどわかやすい理由もなく。そしてレイといればいるほど憎しむ理由がなくなってしまう」
「今日もまたあいつの愛しいところを見つけました。でも、だからこそあいつが島のために一人で死ねる覚悟が憎たらしい」
「自慢じゃないけど僕はよく妹のことを溺愛しすぎるとよく言われる。でも君も大概だな……」
シャンパンを飲み干し上機嫌になる。
「――マルスさん何杯飲んだんですか? それはそうとレイは自分のことを『愛を抱いた悪魔』でいたいと言いました。まるで悪魔の宿命から逃れられないことを前提のように……」
「レイは悪魔の宿命を身を持って経験している。しかもその宿命はいつ再発するか分からない状況だったから無理はないだろう。それで君はどうなりたいんだい?」
レイがこんな望みを持つ根源は悪魔の宿命のせいだ。
それならば……
「『宿命を斬り裂く英雄』になりたいです」
「そう思うならもしものとき二人が死ぬという君が創造した未来も斬り割くしかないね」
俺が『未来の創造』の力を使ってるのは知ってたか。
「そうですね。やっぱり神が定めた宿命も自分が定めた未来も超えていくしかないですよね!」
「モヤモヤが消えたなら会場に戻ろうか。僕はまだ飲み足りないないんだよ」
「お酒は飲めませんけど最後まで付き合いますよ」
始まりの日を明るく過ごしたいから。




