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【書籍化】庭師と騎士のないしょ話 真夜中のお茶会は恋の秘密を添えて【3月発売】  作者: 雨傘ヒョウゴ
3章 風に揺れる

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20杯目

 


 なぜこんなことになっているのか。


「君の話はとても勉強になるな。参考になる、ありがたい」


 ディモルは青色の瞳をきらきらさせるものだから、アゼリアはただ口元を引きつらせた。いつもはかぶっているフードはない。椅子に座って並ぶのはいつものことなはずなのに、真っ白いペンキで塗られた鉄の椅子は、ひどくお尻が冷えてくるような気がする。


「……やっぱり、寒いんじゃないか? 中に入った方がいいんじゃ」

「まったく、問題ありません!」


 木枯らしが吹いている。大きな白いパラソルは日差しから守ってくれるものの、風にはてんで無防備だった。時期さえ異なれば濃い緑のガーデンが楽しめるだろうが、周囲ではすっかり体を細くした樹木が両手を広げていて、アーチには薔薇のつるがひっそりとかかっている程度だ。さすがに他の客の姿もまばらで、レンガ造りの館の中は窓から大層繁盛している姿が見える。


 アゼリアの鼻の頭は、どんどん真っ赤になっていく。しかし事の発端である、マフラーがもふもふと首を温めていて、ひどく憎い。横掛け鞄の中から顔を飛び出したルピナスの視線が、とにかく痛くてたまらなかった。室内にあるティールームの席は余っているけれど、そんなところまでほいほい向かってしまえば、逃げ場もないのだ。せめて背後の確保はしたかった。


「い、いえ。私の方こそ、ご無理をいいましてすみません」

「いやいや、外で飲むお茶の美味しさは、よくわかっているつもりだから」


 柔らかく瞳を細めてディモルは、何かを見比べているようにも思えた。

 もしかすると、小屋から眺める庭の風景を、思い出してくれているのだろうか。そんなわけない。なんていったって、彼は夜の記憶をなくしてしまうのだから。すぐに恥ずかしくなった。いつもアゼリアは、ディモルを前にすると、勘違いしてしまう。それが恥ずかしくて、嫌で、嫌でたまらなかった。


「君のことは、気になっていたんだ。また会えて嬉しいよ」


 だからこんな言葉を吐き出す彼にはため息ばかりしか出てこなかった。



 ***




 マフラーをなくしてしまったことに気づいてはいたけれど、一体どこでなくなってしまったのかわからなくて、なくしてしまったものはしょうがない、とすっかり諦めていた。

 あの日、アゼリアは確かに顔半分を隠すように、ぐるりとマフラーを巻いていたはずなのに、茶屋にやって来たディモルにびっくりして、外してしまったこと思い出した。落としたマフラーはまた来るだろうと店主が保管してくれていたようだが、いつまで経っても姿を現さない、と世間話の一つとしてディモルにこぼしていたらしい。もちろん、ディモルを避けていたからだ。


 それを親切にも、街で見覚えのあるローブ姿を見かけたディモルは声をかけたという流れだ。ディモルに会うわけにはいかない、と思っていたのに、以前と同じローブを着て来てしまったのは失敗だった。とは言え、まさかディモルが一瞬きりしか顔を合わせてもいないアゼリアのことを覚えているなんて思わなかったのだから仕方がない。彼の目の前で落とし物をしなければ、呼び止められることもなければ、記憶に残ることだってなかっただろうに。


 あくまでも親切での声掛けだとわかっていた。店に行くのかい、それなら僕も用があるし、一緒に行こう、ときらびやかな笑みを断ることもできず、気持ちとしてはつながれた首輪をひっぱられるように、アゼリアはとぼとぼと彼の隣を歩いた。彼女の黒い二本のおさげさえもうなだれていて、ルピナスの叫び声はもはやきんきんと響き渡って、わけがわからない。


 店に入ると、店主は眼鏡をずらしてアゼリアとディモルの顔を見比べたが、彼もアゼリアが“影”であることにはうっすらと気がついている節がある。深くまで互いに事情を探らないことはいつものことなので、ちくりと嫌味を言うくらいで、さっさと用件は終わらせた。店に卸した茶葉の在庫は、とっくになくなってしまっていたらしい。次はもっと多くしてくれ、というのが彼の毎度の台詞だ。


 ディモルは、アゼリアと店主のやりとりを、じっと見下ろしていた。ひどく気まずい思いだったが、それではと鞄の紐を握りしめて、失礼ながらもさっさと逃げ出そうとしたとき、「ちょっと待ってくれないか」 呼び止められた。


「よければ、ひとつ、お茶なんてどうだろう。近くにうまい茶を出す店があるらしいんだ」




 ***




 ディモルの誘いの言葉に、アゼリアは不自然に体を固くした。かちんこちんになって、重たいフードをかぶったまま彼を見上げる。ディモルはアゼリアの瞳を恐れないから、隠す必要がないことはありがたいことだが、彼と瞳を合わせると頭の中がひどくぼんやりとしてしまう。


 アゼリアの様子に、「もちろん無理にとは言わないけど、よければ一緒にどうかな。僕一人では行きづらくて」と、言った彼が次の瞬間、にっこり微笑んだのはなぜだろう、と考えていると、ぼんやりとしている間に、アゼリアはこくこくと頷いて、首で返事をしてしまっていたらしい。しまった、と困惑したものの、こっちだよと長い指で道をさす彼に、今更無理です、なんて言う勇気なんて、もっと持ち合わせてはいなかった。


 一体なぜ、彼はアゼリアをお茶に誘ったのか。


 聞いてみれば簡単なことで、すっかり体から力が抜けてしまった。なんでも、彼が好意を持っている女性は、お茶が好きなのだと。だから、茶葉を卸しているアゼリアならば、より美味しい淹れ方を教えてくれるのではないか、と気になっていたらしい。


 好意を持っている、とははっきりとは言わなかったディモルだが、もごつきながら、言葉をごまかしている様は、ひどくわかりやすかった。恋人がいるのだと、以前の店主の会話できいたことだし、間違いはないだろう。夜の茶会には毎度のごとく手土産を持って来てくれる彼だが、相手もお茶が好きだというのなら、納得のラインナップだ。わざわざアゼリアを喜ばせるために彼が品を考えているというわけもない。


 そうわかると、ひどく気持ちが落ち着いた。本当のことを言うと、街で呼び止められたときも、アゼリアを、“アゼリア”だとわかって声をかけてきたのでは、と震え上がった気持ちと同時に、僅かな喜びもあったのだ。アゼリアにとって、ディモルは特別な存在だから、分不相応にも、ディモルにとっても特別でありたいと考える気持ちが、無意識のうちに、少しずつ膨らんでいたのかもしれない。


 あっさりと事実がわかって、まったくの勘違いだと何度目かの事実を叩きつけられると、逆に体が軽くなる。ディモルにとってアゼリアはただの影であり、通勤経路のショートカットの途中にいる話し相手で、記憶が消えてしまう彼にとっては日記の中のただの登場人物に過ぎない。


 そうアゼリアは思い込んでいるから、不自然に隠したフードをそっと脱いだ。どうせ顔を見られているのだ。いつまでも悪目立ちもしたくはない。真っ黒で、可愛げもない髪の色だ。互いに見つめ合うのはひどく奇妙だった。どれくらいたったかわからないが、店員が注文の品をテーブルに置いた。


 頭の上のパラソルが風になびいて、やっとこさ寒さが戻ってきたから、やっぱりマフラーで口元を隠した。そのあとで、飲食店であることを思い出して、おずおずと諦めて顔を出した。マフラーは膝の上に折りたたんでしまってしまった。


「あ……その、いきなり、こんな引き止めて悪かったね。あと、僕は純粋に君のファンなんだ。その気持ちも伝えたくて」

「それは、その、恐縮です」

「ああ、遅くなって申し訳ない。僕はディモル・ジューニョ。ディモルでいいよ」

「私はアゼリア……」


 言ったあとで、あっ、と口元を押さえた。ディモルでいい、という言葉は誰にでも言うのだな、とすっかり意識を飛ばしていたのだ。「アゼリアというんだね」 名乗らない、と言っていたくせに、あっさりと口に出してしまった。言ってしまったものは仕方がない、こくこくと頷いて、無言のままテーブルを見つめた。どうせ影として名乗るつもりなんて一切ないのだ。同じ名前であることなんて、彼がわかるわけがない。


「僕はあまりお客が少ない時間帯にしか行かないから、アゼリアとはまた会えるとは思わなかったな」

「私も、あまり、大勢の人がいるときは苦手なので……」


 もしかすると、出会うべくして出会ったのかもしれない。以前に会った時間とずらしたところで、意味がなかったということだ。何度目かのため息が出た。


 レースのテーブルクロスの上には、暖かな湯気がのぼっている。会話もないままに、はは、と互いにから笑いをして、出されたお茶をじっと目にした。緑色で、カップの表面には、ふわふわとした白い泡がある。あまり見ない色合いだ。お茶が美味しい店、と言っていたから、行きつけなのだろうか、とディモルを見ると、彼も目をまんまるにしていた。


「……あの?」

「す、すまない。実のところ、知人の紹介で、僕も初めてで」


 なるほど、と互いにごくりと唾を飲んで、ゆっくりと手のひらを伸ばした。口にふくむと、甘い味わいと僅かな苦味がふわふわする。柔らかかった。飲んでなるほど、と理解した。


「おいしいグリーンティーですね。温めて飲んだのは初めてです」

「グリーンティー?」

「はい。紅茶の茶葉は乾燥して作りますが、これは蒸して作るんです。他にも差はありますが――――」


 饒舌に語ったところで、しまった、とアゼリアは唇を噛んだ。すっかり調子に乗ってしまっていた。

 恐る恐るディモルを見ると、意外なことにもきらきらと瞳を輝かせていた。勉強になる、とただの平民を相手にして、いや本当なら平民以下であるのだけれど、彼の発言は貴族としてあるまじきものだ。夜に会うアゼリアだけではなく、相変わらず、誰にでもそうなのだなと知ると、平等な人なのだと思った。


「それなら、これもわかるかな。最近、僕はとてもスパイシーで、ちょっと甘いようなハーブティーを飲んだのだけれど、何の種類か分からないのだ」


 日記に書かれていたのだろうか。それは、初めてディモルに淹れたお茶だ。

 覚えていた味を、忘れないうちにと彼が書き記してくれたことが嬉しかった。それはきっと、と嘘らしい枕詞をつけて、ゆっくりとアゼリアは告げた。


「フェンネルのハーブティーでしょうね。黄色い小さな花がいくつも集まった、背丈の高いハーブです。夏の開花の時期に花の束を折ってしまって、その中にある種を乾燥させたものをよく潰すと、甘くて、しびれるお茶になるんです。長期で保存はできますが、作りたては特に味わい深いですから」


 最初に彼が飲んで、びっくりしたときの顔を思い出して、ふふりと笑った。

 知らないうちに、両手を握りしめていたらしい。マフラーがちょこんと乗った膝ばかりを見つめていた。自分のことに必死で、すっかりディモルの様子を窺うこともできなかった。ルピナスは額に手のひらを置いて、諦めたように首を振っている。


 ひゅるりと冷たい風が、アゼリアの頬をなでた。


 長く外にいるつもりもなかった。寒さに弱いつもりもないとは言え、何分準備不足だ。ぶるりと震えると、ディモルは、「やっぱり、中に」 彼の言葉を遮ったのは、低い男性の声だ。「なんだ、ディモルじゃないか」「ストック?」


 彼の知り合いだろうか、と考えるよりも先に、アゼリアは勢いよくフードをかぶった。顔を見られることくらいなら構わないし、すでに見られた後だろうが、万一、瞳を見せるわけにはいかない。ストック、と呼ばれた赤髪の釣り眼がちな青年に、どうしてここに、とディモルは問いかけて、「どうしても何も、俺が教えた場所だろう」 とむんと胸をはっている。なるほど、人から教えてもらった、というのはこの人のことなのだろう。


 ひどく視線を感じた。「そっちの子は?」 どう返答すればいいのかわからない。ディモル以外には、まともに口が動かせなくなる自分が嫌になる。ディモルは答えながら、考えを模索しているような口調だった。「彼女はアゼリアと言って……どんな関係と言われると……うん」 そして頷く。「僕の師匠だな」「それは確実に違います!!」 さすがに突っ込んだ。


 まだ早かっただろうか、とわたわたするディモルに、まだも何もおかしいに決まっていると一通り叫んで、その様子をぼんやり見つめるストック相手に居心地の悪さを感じた。頃合いだった。


「あの、すみません、お時間、ありがとうございました!」


 もはや何に礼を言っているのかもわからず、お代をテーブルの上に差し出すと、ずずいとディモルに押しやられる。「いや、これは僕が誘ったから」「いやでも」「僕が」「私が」 意外と折れることのないディモルに困惑したのはアゼリアだった。軽やかな笑みで店員に片手を上げるディモルの背中を見て、本日何度目かのため息が出たとき、ディモルとの掛け合いを目つきの悪い青年が、じっと見ていたことを思い出した。


「仲がいいんだな」


 その言葉には首を横に振るしか、アゼリアには返答ができない。支払いを終わらせたディモルが、こちらに近づいてくる。アゼリアはぺこりと頭を下げた。ストックが、ディモルに片手を振っている。「でもあんたは、庭の中にすっこんどけよ」 こちらにも目を向けず、言葉が落とされた。聞き間違いとさえも思った。瞳を合わせぬままに見上げると、赤髪の青年はゆっくりとアゼリアに瞳を向けて、じっと、彼女を見下ろした。



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