十八
伊作さんが帰ったあと、何度か怪しげな人たちが店の前をウロウロとしていたが、何か事件が起きるというようなことはなかった。夏なので、どうも時間感覚がズレてしまうが、そろそろ夕暮れだ。
まだ日は暑いくらいに差しているし、少しぐらい長い時間、屋台を開いていても良いのだが、命を狙われているかもしれないという時にそんな気にはなれない。
私にとっての命綱である新之助さんも、昨日の寝不足がたたって、何度かウトウトとしていた。さっさと帰るに限る。
「あーあ……。必殺技とか使えたらいいのになー」
「剣術の秘伝の話ですか?」
「いや、そういうのじゃないです……」
私が独り言を言うと、ちょっとワクワクした様子で新之助さんが食いついてきた。私が言っているのは、突然身体能力が凄まじく上がって強くなったりとか、魔法をバーンと放てるようになったりとか、そういうファンタジックな話である。
せっかく、未来から過去へタイムスリップな転生を遂げたのだから、目からビームくらい出せるようになってみたかったものだ。ごくごく平凡なまま死んで、ごくごく平凡なまま生まれ変わってしまった。
ちょっと黄昏ていると、遠くから、女の人が必死に走ってくるのが見えた。黒の着物で、頭には、ほっかむりをしている。近くに来るにつれて、厚化粧が汗で崩れているのが見えて、ビクッとする。
怖い形相をしているのも相まって、かなり迫力がある。女の人は私たちを見つけると、こちらへ寄ってきて、私の肩に掴みかかってきた。
「追われてるんだ! 助けておくれ!」
「えっ、ええっ!?」
「早く! アイツ等が、来ちまう!」
遠くから、男の人たちが来るのも見える。屋台と私、そして新之助さんで、どうにか死角をつくり、女の人を隠れさせた。しばらくすると、町人の男の人が三人やってきて、うさんくさそうに私たちを見た。
どう考えても、バレていると思うが、かかわってしまったものは仕方がない。私は頑張って営業スマイルを浮かべた。
「いらっしゃいませ」
「ここに女が来ただろう?」
「はぁ……、確かに見かけましたが、先ほど、舟に乗ってどこかへ行きましたよ」
私は同意を求めるように新之助さんを見る。嘘はあまり得意なほうではないので、内心冷や汗ダラッダラだ。新之助さんは、何気ないふうに頷き返してくれた。
「確かに私も、女性が舟に乗ってどこかへ行くのを見ました。何かあったのですか?」
「あの女は、とんでもない悪女だ。……隠し立てをしたら、お前たちも道ずれになると覚悟しておけよ」
成人男性三人からギロリと睨まれて、思わず肩がはねた。新之助さん、お爺さんの一件で命を狙われる前に、この人たちに世の中から抹消されてしまうかもしれません。心臓がバクバクと音を立てて、顔が引きつるのを感じる。
多分、顔色も悪くなっていると思う。やはり私に嘘は無理だった。明らかに危険すぎる案件に首を突っ込んでしまった。
「そのように脅されても、私たちは何も存じ上げませんので、困ってしまいます。睨むのはお止めください」
新之助さんが、腕を私の前に伸ばし、さりげなく私を隠してくれる。いつもと同じ、おっとりほやほやな笑みで、修羅場を潜り抜けてきただけあって、こういう対応はさすがだと尊敬する。
新之助さんに後光が差して見えるようだ。新之助さんの月代も、いつもよりも輝いているような気がしてくる。
男の人たちは面倒臭そうに舌打ちをし、さっさと去って行った。追求する気もあまりなかったようだ。男の人たちの姿が完全に見えなくなったあと、私は屋台の壁と壁の間に隠れていた女の人のほうを振り向いた。
顔もかなり厚化粧だが、首もとは真っ白になるまでお化粧が塗られていて迫力がある。釣り目がちで、シュッとした輪郭で、いかにも気が強そうに見える女の人だ。
「はぁ……。助かったよ、ありがとう」
「い、いえ……。一体何があったんですか?」
「おや、聞きたいかい?」
女の人はニヤリと楽しげに口元をゆがめる。嫌な予感がして、私は首を横に、思いっきり振った。ここで変に事情を知って、完全に事件に巻き込まれるなんてことになったら、たまったものじゃない。
女の人はクツクツと笑い、煙草入れからキセルを取り出して、鉛筆回しのような要領でクルリと回す。さっきまで追いかけられていたというのに、この肝の座り具合は何なのだろうか。私のほうがガクガクブルブルしている。
「向島にある白木屋という料亭をしっているかい? あそこの若旦那と、お知り合いになる機会に恵まれてねぇ」
おかしい、私は首を横に振ったはずだ。このお姉さんは、どうして、事情を話し始めているのか。話したかったのか。
向島と言えば長閑な田畑が広がる水郷的な風景の場所だ。隅田川東岸沿いの墨堤は桜の名所としても有名で、春になると大勢の人で賑わう。もちろん、私も足を運ぶ。
この界隈には料亭も多い。風景が綺麗だからこそ、それを愛して足を運ぶ風流人のために多く存在するようになったのだろう。
「若旦那には何度かご贔屓にしてもらっていたのだけれど、どうやら出来ちまったようでねぇ」
女の人は、自分のお腹を撫ぜた。女の人の見た目と、話す内容から察するに、おそらく水商売のお姉さんだ。確か、こういう格好をした人が、夜鷹だった気がする。
どうやら白木屋の若旦那の子供が出来たと思っているらしいが、色んな人たちを相手にしているはずなのに、確証はあるのだろうか。私は思わず首をかしげると、女の人は鼻で笑った。
「アタシは白木屋の若旦那に惚れていて、他の客をほとんどとっていなかった。時期も合う。だから、この子は白木屋の若旦那の子さ。……そういう事に決めているのさ。せっかくの金ヅル、逃がすわけがないだろう?」
「も、もしかして、それで白木屋さんを揺すったりとか……」
「うふふ、金を揺すりすぎたみたいでねぇ。このザマさ」
こっ、この人、さっきの男の人たちが言っていたように、悪女だ! やっぱり、関わってはならない案件だったらしい。思わず頭を抱えた。
そういえば、新之助さんが、さっきから何も喋っていない。ふと横を見てみると、顔を赤くしてオロオロしていた。……男性三人と対峙していたときは、格好良かったのにね。




