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十六

 早朝に無事に帰ってきた新之助さんと河川敷へ来ると、いかつい浪人の男が怖い顔をしてうろついていた。ただごとでは無い様子に、私と新之助さんの間に緊張が走る。

 新之助さんが私を隠すように前に出ると、浪人はまるで蛇のように睨んできた。新之助さんは、ちょっとオロオロしている。そんな新之助さんの様子に、私もオロオロしてしまうと、浪人は舌打ちをしてどこかへ去って行った。

 ほっと一息吐いて、二人で屋台の準備を始める。昨晩の捕物で疲れているはずの新之助さんが、今日も私と一緒に屋台へ来てくれていることには大きな理由があった。私は最初、新之助さんはゆっくり休んでいて下さいと言ったのだが、断られたのだ。その断る理由が物騒だった。


「ほら、お奈津さん。危険だと言ったでしょう?」

「う、うーん……。さっきの男の人が、そうなんでしょうか?」

「さぁ、それは分かりませんけれど……。お爺さんの隠したお金が見つかるまで、油断してはなりませんよ」


 つい最近亡くなったお爺さん、通称狐隠れの彦蔵さんは盗賊だった。私たちは、ひょんなことから、亡くなったお爺さんの第一発見者となったのだが、それがよろしくなかったらしい。昨日、新之助さんは栄さんから忠告を受けた。

 今まで盗んできた沢山の金を隠し持っていたはずだが、その金が見つからないということで、騒ぎになっている。もしや私と新之助さんにお爺さんの金が渡ったのではないかと疑う者が出てきてもおかしくはない。

 狐隠れの彦蔵を知っている人々から命を狙われる可能性も出てくるから、気を付けて行動するように、ということだった。


「もしも狙うとしたら、私よりもお奈津さんのほうが狙いやすいのですから。絶対に一人で行動だけはしないでくださいね」

「わ、分かりました。できれば、新之助さんにも危険な目には遭って欲しくないのですが……」

「私は人を斬った身です。人を斬るということは、誰かから恨まれる可能性だってあるということです。今回の件がなくとも、いつ命を落とすかも分かりません。だから、覚悟は出来ているのですよ」


 その覚悟は私には分からない。江戸に転生して、もう十六年経とうと、やっぱり前世の影響はかなり大きい。江戸に馴染もうとしても、どうにも完全には馴染みきれなくて、私は私らしく生きようと諦めたのは十歳のころだった。開き直ったともいうが。

 刀を持っている人がいくら多いとはいえ、人殺しをしている人物が身近に居たわけではなかった。いや、もしかしたらお父さんは血まみれの過去がありそうな気がするが、私は何も知らないので、とりあえずノーカウントだ。ともかく、私にとっては、人殺しは恐ろしいという印象しかない。

 目の前で微笑む新之助さんも、人殺しだ。だけど、恐ろしいとは思えない。私にとって新之助さんは、悪い人どころか、すごく良い人だ。この事実が妙にややこしく感じられて、前世と江戸の価値観の違いに溜息を吐くしかない。


「新之助さん、私が前に言ったことを覚えていますか? 簡単に命を捨てるとか言ったら怒りますからね」

「はい。もちろん、心得ていますよ」

「すっごく強い敵が向かってきたら、逃げるのだって有りですからね! 格好悪くても、命が一番ですよ!」

「わかりました。逃げ足は自信があります」


 神妙な顔でそう言って、新之助さんは笑いはじめた。多分、私の言葉が不思議なものに思えたのだろう。現代感覚での忠告をこうして笑いつつも、それなりに聞いてくれる新之助さんは優しい。本当だったら、無礼だとか変人奇人だとか言われてもおかしくはないのだ。

 だからと言って、ちょっと笑いすぎではないだろうか。笑えば笑うほど、笑いの沼にハマっていくようで、新之助さんはお腹をかかえてプルプルしだした。若干涙目だ。

 ムカついたので、新之助さんの脇腹をつついて攻撃していると、川岸に舟が一艘止まるのが見えた。そこから女が一人降りてきて、この光景を見て固まった。

 それに気づいた新之助さんは、ハッと焦った顔をして、笑いを止めて凛々しい立ち姿に戻った。ついでに私も、何事もなかったかのように優雅に微笑んでみる。


「いらっしゃい、おとよ。朝からお仕事お疲れ様」

「……アンタ達は朝から何をやっているのよぅ。男が居ない私へのあてつけ?」


 おとよは深いため息を吐いた。いつぞや、倒れ伏す運命のお侍さんを探すと言っていたような気もしたが、やっぱり見つからなかったのだろう。水を出してやると、それを飲んで、またため息を吐いた。


「昨日は昨日で、男女の言い争う声を聞いたし、嫌になっちまうよ、もう!」

「男女の言い争う声?」

「そう! 多分あれ、夜鷹の女だよ! 客と揉めてたんじゃないかい?」


 夜鷹とは何だったか。一瞬、悩んだが、答えを思い出して、ちょっとドギマギする。夜鷹とは、街頭で商売する私娼さんのことだ。言い争う声が聞こえたということは、金で揉めたのか、それとも痴情のもつれか。どちらにしても、大人な世界な感じがする。おとよもやさぐれるわけだ。

 うんうん、と頷いて、ふと新之助さんを見ると、きょとんとした顔で目をパチクリさせていた。どうやら夜鷹が何のことか分かっていないらしい。二十歳でこの純粋さは貴重だ。

 今まで、よっぽど箱入りお坊ちゃまをしていたのかもしれない。おとよも、新之助さんの純粋さに気づいて、顔を赤らめて目をそらした。


「あ、あたし、夜鷹ってどんな人なのか分からなーい」


 ……そのブリっ子には無理があると思うよ、おとよ。

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