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十五

「そうか……。狐隠れの彦蔵は、逝っちまったのか……」


 相変わらず疲れた様子で店に現れた栄さんに、事の顛末を話すと、悔しそうな顔をした。目の前には、トマトスパゲティが置いてある。そして、その隣にもトマトスパゲティ。食べているのは新之助さんだ。珍しく、自分からトマトスパゲティを食べたがった。

 理由はもちろん、お爺さんだろう。実際のところ、トマトスパゲティが好物と言うわけではなかったのだろうとは思うが、私と新之助さんの頭の中ではトマトスパゲティを豪快にすするお爺さんが思い浮かぶ。


「それじゃあ、あの事件は、狐隠れの彦蔵の仕業だったのかもなぁ」

「あの事件?」

「お武家さまの屋敷に、盗人が入ったんだ。朝起きて、金が無ぇってんで大騒ぎよ。しかし、誰一人殺されちゃいなかった。しかも次の日、その金は戻されていた。何が目的だったのか、サッパリだったんだが、息子への忠告のつもりだったって考えると納得がいかねぇかい?」


 きっと、お爺さんの仕業だ。私も栄さんに同意して頷く。どんな盗みでも結局は悪いことには違いないと思うけれど、盗賊には盗賊の流儀があるんだろう。お爺さんは最後まで、それを貫き通したのだ。どこか武士道と似たような、そんな男の生き様を感じる。

 亡くなっているお爺さんを発見したとき、死体は二、三日経っていたようで、腐り始めていた。周りの住人は誰も気づいていなかった。部屋の中には、ほとんど物もなく、食器も一人分だけが置いてあることからも、人との付き合いの無さが感じられて寂しい気持ちになったのを覚えている。

 不思議なくらいに、お爺さんは安らかな死に顔だった。赤ちゃんのようにあどけない顔で、お爺さんが苦しいだけの最後じゃなかったことを物語っていて、それだけが唯一の救いだ。


「しかし、息子には、狐隠れの彦蔵の想いは伝わらなかったようだねぇ……」


 栄さんが、クシャクシャになった紙を袂から取り出した。今日のかわら版だ。内容は、お爺さんの息子がまた人殺しの泥棒をしたことが書かれていた。そもそも、お爺さんが亡くなっていることも全く知らないのだろう。

 親の心、子知らずという言葉もあるが、やるせない。新之助さんが眉をひそめ、拳を握りしめるのが見えた。


「栄吉さん、この盗賊を捕える手がかりは見つかったんですか?」

「ああ。次で仕舞いにする。いい加減、コイツにも、御縄についてもらうぜ。勝手なマネばっかりされたら困るんだ。お奈津ちゃんと新さんは、狐隠れの彦蔵への情もあるだろうし、俺を非難するかもしれねぇが……」


 息子が御縄についたらお爺さんはやっぱり悲しむだろうか。それとも、殺しをしたのだから当然だと怒るだろうか。両方のような気がする。おそらくは、鞭打ち獄門くらいにはなる罪状と思われる。

 これだけの人を殺したのだし、いくらお爺さんに情があるからと言って、栄さんを非難するような気持ちにはなれない。お爺さんはお爺さんだし、息子は息子だ。

 せめて、最後に、お爺さんの気持ちくらいは分かっていて欲しかったが、伝えようもない。


「この捕物、私も参加させていただくわけにはいかないでしょうか?」

「えっ、新さんが?」

「ご迷惑だったら、無理にとは言わないのですが……」


 新之助さんの突然の申し出に、栄さんは目をパチクリさせる。私も少し驚いたが、新之助さんの気持ちは痛いほど分かる。

 私は刀なんて使ったこともないし、とてもじゃないが、人を斬る覚悟もないから、盗賊を捕えに行くだなんて絶対に無理だ。

 だが、新之助さんは違う。先日のかたき討ちを見る限り、実は結構実力があるのだろう。人だって斬っている。お爺さんの気持ちを伝えることだって可能かもしれないのだ。そりゃあ、捕物に参加したくもなる。


「私はもう、天涯孤独の身です。父は亡くなりましたし、母は私を追い出しました。それでも、私は両親を想っています。想っていても良いのだと、お爺さんに教えていただいたように、感じます。お爺さんと話している瞬間は、まるで、亡くなった父と話しているようでした。……せめて私は、お爺さんの気持ちを、御子息に伝えたいのです」


 そう言った新之助さんの瞳は、眩しいぐらいに真っ直ぐだった。お爺さんは自分が死んで、泣いてくれる人は居ないように言っていたが、このように想ってくれている人がいることを気づいてから逝けただろうか。

 じっと目と目を合わせて見つめてくる新之助さんに、栄さんは居心地が悪そうに目を逸らして、水を飲んだ。あれだけ真っ直ぐで純粋な視線を向けられたら、そりゃあ居心地も悪くなるはずだ。栄さんは、乱暴に自分の頭を掻いたあと、ニヤリと笑った。


「ようござんしょう。どうせ、人手は足りねぇくれえだ。新さんの心意気、しかと受け取ったぜ」

「栄吉さん……! ありがとうございます!」

「礼を言うのは早ぇぜ、新さん。楽な仕事じゃねぇからな、根性出してもらうぜ」


 照れたように早口で言う栄さんに、新之助さんはいつもの、ほわほわおっとりスマイルで頷いた。ちょっと頼りなく見えるが、意志の強そうな瞳は本物だ。きっと、新之助さんなら大丈夫。かたき討ちの時のように、うまくやってくれるはずだ。

 私には何も出来ないのが悔しいけれど、この気持ちは新之助さんに託そう。私が新之助さんを見ていると、新之助さんはこちらへ振り向いて、任せてくれというような格好良い笑みをした。そして、トマトスパゲティが入っていた皿を軽く持ち上げる。


「お奈津さんの気持ちも、伝わってきました」

「……気を付けて行ってきてくださいね、新之助さん。また大怪我なんかしたら嫌ですからね」

「はい、行ってきます。お奈津さん」


 私は精一杯の笑顔を向けた。栄さんは、このやり取りがむず痒くなってきたのか、勢いよく立ち上がり、行くぞ新さん! と叫んで小走りで去っていく。新之助さんは私に礼をして、早歩きで追いかけて行った。

 二人が遠く小さくなったころ、空っぽになった皿二つに目を向ける。私には何も出来ないと思ったけれど、訂正しよう。料理に想いを込めることは出来る。私は料理に、新之助さんは刀に。どうかこの想いが伝わりますように。

 あとから、私も、トマトスパゲティを自分で食べてみた。いつもと同じ味付けのはずなのに、妙に酸っぱく感じられて、涙が溢れ出てきた。

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