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十二

 お爺さんが帰って行ったあと、何人もお客さんが来たが、来る人来る人、話題は盗賊のことだった。なんたって、お武家さまのお屋敷だけではなく、大店の主人のお屋敷もいくつも被害にあっているのである。

 私の店に来るお客さんは、ほとんどが町人だから、お武家さんと関わり合いはない。しかし、人によって多少の差はあれども、大店のほうとは多かれ少なかれ関わり合いがあったりするものだ。

 そろそろ店を終えようとしたころに、フラフラと疲れ切った様子の見知った男が一人やってきた。この騒ぎである、疲れ切っているのも当然だ。今回は、この異臭と汚さも大目にみよう。


「栄さん、大丈夫? 今、美味しいもの出すからね」


 料理を作り始めるより先に、お水とご飯を出してやると、おかずもないのにご飯をがっついて食べ始めた。もう店を終わろうとしていたので、材料も残り少ない。豆腐ハンバーグ用の豆腐をつみれの大きさに丸めて、醤油とみりんと砂糖と酒、さらに少量の唐辛子を混ぜ合わせたタレで香ばしく焼きあげる。

 ピリッとした刺激がご飯の良いおかずになるだろう。あっという間に、一杯のご飯を食べ終わった栄さんに二杯目のご飯をついでやり、一緒に豆腐つみれを出した。栄さんは嬉しそうな顔をして、豆腐つみれと一緒に二杯目のご飯を食べ始める。

 こうして嬉しそうな顔を見ることが仕事のやりがいというものだ。私の料理で、少しでもほっと一息ついてほしい。


「盗人の野郎、なかなか尻尾を出しやがらねぇ。あと一歩ってところなんだがなぁ。……そうそう、盗人を追っているときに、一つ思い出したことがあって、お奈津ちゃんと新さんに言いに来たんだ」

「思い出したこと?」

「昨日の爺さんだよ。唐柿蕎麦食ってた爺さん。あの爺さんのこと、思い出したんだよ」


 栄さんは真剣そうな顔をして、私たちのほうへと顔をぐっと詰め寄せた。すごい異臭に思わず目がしばしばして、ちょっと後ずさりしてしまう。栄さんは苦笑いして頭をかいて、私たちから顔を離す。新之助さんは微動だにしなかった。その根性を見習いたい。

 お爺さんの正体と言えば、きっと、お役人だろう。私と新之助さんは、そういう見解だ。お爺さんの口ぶりや眼差しからして、盗賊に対して妙に思い入れがあるようだった。若い頃は盗賊を追っていたに違いない。


「あの爺さん、狐隠れの彦蔵だぜぃ。間違いねぇ、もう話は聞かねぇし、引退しているようだが……」

「ど、どういうこと? その狐隠れの彦蔵っていうのは、二つ名?」

「……お奈津ちゃん、にぶいなぁ」

「あのお爺さん、有名な方だったんですか?」

「……新さんも、にぶかったか」


 はぁぁと深い溜息にを栄さんにつかれて、新之助さんと二人顔を見合わせて目をパチクリする。私たちはあくまで一般人だ。栄さんの業界では有名人なのかもしれないが、いきなり二つ名を言われても、何のことだかサッパリである。

 もしかして、あのお爺さん、実はすごい人だったのだろうか。歳をとって、心臓に病を患っても、あのシャンとした隙のない立ち振る舞い。ただものではない感じはする。


「狐隠れの彦蔵ってのは、盗人の間での二つ名さ。どれだけ追い詰めようとも、ドロンと狐のように、隠れて消えちまう。昔は随分と活躍した、大盗人の名前だよ」

「大盗人……!? あのお爺さんが、盗賊ってこと!?」

「そういうこった。まさか、こんなところで、見るたぁ思わなんだ」

「そんな……。盗賊だなんて、私たちは全く気付きませんでした」


 お役人さんだろう、という私たちの答えは丸っきり正反対に外れていたらしい。お爺さんが泥棒だなんて、全く想像にもしなかった。そんなことを言われると、またお爺さんが店に来たときに、どんな顔をしていいか分からなくなってしまう。

 勘当した息子のことを思うお爺さんは、悪人のようには見えなかった。人は見かけによらないとは言うけれど。


「狐隠れの彦蔵は、お奈津ちゃんのところのダンナと因縁がある。彦蔵がお奈津ちゃんはダンナの娘ってことに気づいているかは知らねぇが、気をつけるんだぜ」

「お父さんとお爺さんが? お爺さんからはお父さんのことは何も聞かれていないし、大丈夫だとは思うけれど……」


 栄さんとお父さんは仕事関係の知り合いだ。普段、傘張り職人をしているお父さんが、裏でどういう仕事をしているのかは私は知らない。栄さんが盗賊を追っているように、お父さんも盗賊を追っていたとしても不思議はないのだ。

 お父さんとお爺さんに因縁があると言われたら、そういう因縁しか思い浮かばない。まさかお父さんまで盗賊という斜め上な話があるはずはない。

 お爺さんは、息子さんのことを思い出して、私の店へ足を運んでくれたはずだ。あんな優しい目をしていたのに、恨みがどうこうで命を狙われているだとか、そんなことは考えたくもない。

 新之助さんも同じことを考えていたようで、難しい顔をしていたあと、私と目があって、苦笑いした。


「あの人は、お奈津さんやお父上殿の命を奪うようなことはしませんよ。それに、もしも何かあったとしても、お奈津さん達のことは私が守ります。命の恩人ですからね」

「ひぇえ、お侍さんは、くっさいセリフを平気で吐くなぁ。頼りになる用心棒がいて、よろしいこった」


 頼もしげでイケメンパワー全開な新之助さんに、栄さんは水を差して一人で大笑いした。江戸っ子は臭いセリフが苦手だ。粋を何よりも良しとする彼らにとっての美意識は、わだかまりがなくて、さらさらっとした自然なものが理想らしい。

 気取ったらダメなのだ。うまく冗談が言えなくとも、臭いセリフを言うよりは、ダジャレでも言ったほうがモテるし、かっこいい。そういう謎の価値観で世の中通っている。


「確かに臭いセリフでしたね。江戸の方々のように、軽く冗談めかして言えれば良いのでしょうけれど、なかなか」

「あっはっは、新さんは真面目だなぁ。そんなに深く考えずに、適当な洒落でも言っておきゃあ、いいんだよ。なんなら、秀句指南っつって、洒落を教えてくれる先生だっているぜ」

「ちょっと、栄さん! 変なことを新之助さんに教えるのはやめてよ。そんな洒落ばっかり言う新之助さん、私はいやだよ」


 新之助さんは、この真面目さが良いのだ。ダジャレばっかり言って、する事なす事全部茶化すような新之助さんなんて見たくない。

 みんな違って、みんな良い。現代に伝わる名言だ。新之助さんや、栄さんにも、ぜひ復唱してほしい。みんな違って、みんな良い。これ重要!

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