九
新之助さんのキラメキお侍さんパワーで客寄せもはかどり、仕込みをしたぶんは意外と早く捌きおわった。私の店が人気なのだと勘違いしている新之助さんは、自らに隠されし真の力、必殺奥さまキラーの技に気づいていない。今まで、イケメン扱いされてこなかったのだろうか。
まだ日は昇っている時間だ。私たちは、船に乗りこみ、金龍山浅草寺へと向かった。時間があるのなら、歩いて向かっても良かったのだが、いかんせん午後からの行動である。それに、浅草寺をのんびり見て回っていたら、意外と時間が潰れるものだ。
本堂の他にも、沢山の御堂があって、境内のなかは中々に広い。一つ一つお参りをしているだけでも、結構に時間が潰れるのだが、私が楽しみにしているのは仲見世だ。雷門から入って真っ直ぐ、仲見世通りが続いている。楊枝屋が一番多いのには、さすが江戸時代だと感心するが。
江戸時代の歯ブラシは楊枝だ。つまり、楊枝は必需品である。どこそこの店の楊枝は、よく汚れが取れるなんて言って、誰も彼もが楊枝にはこだわりを持っている。房楊枝なんて言って、片方の端が房状になったもので、砂やら塩やら香やら混ざった歯磨き粉でゴシゴシと磨くのだ。
「浅草寺の話は聞いた事がありましたが、すごい人ですねぇ」
「観光の人やら近所の人やら、いろんな人たちが来てますからね」
浅草寺を行き交う大勢の人たちに、新之助さんは目を丸くしてキョロキョロと辺りを見回している。完全に田舎者丸出しだが、ほほえましいものだ。それに、前世では浅草寺に来たことが無かった私も、最初はこんな反応だった。
映画館や遊園地のような娯楽施設の無い江戸にとっては、ここがレジャースポットのような場所で、若者からお年寄りまで、幅広い年代の人達が訪れる。
「新之助さん、浅草寺に来たら、浅草餅は食べておかないといけませんよ!」
「へえ、有名なものなんですか?」
「浅草寺のお土産代表ですよ。餡子でお餅をくるんだもので、とっても美味しいんですよ」
ちなみにこれ、前世でも雑誌で目にしたことがあるお餅だ。つまり、江戸時代から300年以上続くことになる老舗のお餅である。
浅草餅を買って、立ち食いはやったことがないという良家のお侍さんな新之助さんに合わせて、境内の外れまで行って、石に腰掛ける。少し道を外れて裏手のほうへ来るだけで、驚くほどに人が居なくなる。
箱に入った浅草餅を二人で食べる。一箱に小さな浅草餅が十五つ入っているのだ。もう一箱購入したが、これはお父さんとお母さんへのお土産だ。お父さんは、あまり甘いものは好まないようなので、ちょっと一つつまむくらいだろうが、お母さんはこの甘い浅草餅が大好きだ。一人でペロリと平らげるだろう。
「美味しいですねえ」
「新之助さんは、甘いものはお好きですか?」
「ええ」
それだったら、そのうち美味しい茶店にも一緒に行ってみよう。
仲見世見物で時間を過ごしたからだろう、そろそろ日が傾いてきた。少し薄暗くなった境内に、セミの声が鳴き響く。他に人はいない。二人っきりだ。もしかしてこれは、デートというやつではないだろうか。
前世では、女子校に通っていたことので、出会いもなく、恋愛とは丸っきり無縁で過ごしてきた私だ。いくら月代頭のお侍さん相手とはいえ、一度意識し始めると、ちょっとドギマギする。そんなことを考えていたら、新之助さんと目があった。なんだか気恥ずかしくなって、視線をそらす。
「……あれ?あそこに、お爺さんが」
フラフラと、苦しそうに歩いて来るお爺さんが居た。顔面蒼白で、胸を押さえて、今にも倒れそうだ。驚いて、私と新之助さんは立ち上がり、お爺さんのほうへ走って向かう。
「お爺さん、大丈夫ですか!?」
「大変だ、お医者様のところへ……」
「いや、大丈夫だ。いつものことだから、放っておいてくれ……うぅっ」
慌てる私たちに、お爺さんは息絶え絶えに、首を振る。頑ななお爺さんの態度に、困りつつも、放っておけるはずもない。お爺さんの背をなで、顔に浮かぶ脂汗を拭いては、水を汲んで来て飲ませてやったりした。
カラスも鳴きはじめたころ、ようやく落ち着いたお爺さんは、背筋をシャンと伸ばして私たちに頭を下げた。頑固そうな顔立ちで、立ち振る舞いはまるで武芸者のようだ。
「迷惑をかけたな。礼を言う」
「いえ、心配して勝手にやったのは、私たちのほうですから」
「最近は、心の臓の病が、めっきり悪くなってなぁ」
顔色は未だすぐれない。いつものことだと言っていたし、今まで何度も発作で倒れたのだろう。そのたびに、今回のような様子で人気のないところへ向かって、苦しんできたのだろうか。
人に弱みを見せるのが嫌いなお爺さんなのかもしれない。ほんの少し、お父さんに似ていると思った。お父さんも人に弱みを見せるのが嫌いで、怪我をしても病気をしても、その苦しみを表に出さない。
「それでは、失礼する」
「待ってください、また倒れたら大変です! 送って行きます」
「いや、それには構わぬ」
「こちらが構います」
新之助さんと顔を見合わせ、頷き合う。お爺さんが心配な気持ちは一緒だ。どうせ乗りかかった船、お節介も過ぎるだろうが、気になるものは気になる。
歩き出すお爺さんに、無理やり着いて行く。お爺さんはため息を吐いて呆れた様子だったが、その顔は、少し嬉しそうだった。




