38
セージが眠った後。
レイナは、かつてよくそうしていたように、彼の頭を撫でた。
それから、台所に戻って自分の分とトールの分のお茶を淹れて寛いでいる彼の元へ持っていく。
セージのこともだが、まずアルストレーナから手紙が来たことを話す。
すると、トールは当然その手紙を見せろと言ってきたのでレイナは手紙を渡ながら、学校からの便りのことも話した。
「返信は早めにってなってたから、もう送ったよ」
「そうか」
「それで、あの子は何に巻き込まれているの?」
手紙を読み進め、穏やかな笑みを浮かべるトールにレイナは訊ねる。
トールは、手紙を読みながら。
「お家騒動。その手助けをするよう頼まれた。
まぁ、用心棒ってやつだ」
「そう、ですか」
「とりあえず、アルストレーナがお世話になっている先生方とお友達に何か送ろう」
「え」
良いのだろうか?
「アルストレーナの友達用にはクッキーでも送るか。
もしそう言うのがダメなら送り返せって、手紙に書いとく。
あ、友達の一人は俺よりも歳上なのか」
そして、二日後。
アルストレーナへ荷物と手紙が送り届けられたのだった。
ついでに、適当なところまで父であるトールの仕事を書いておく。
嘘をつくよりも、少しだけ真実を混ぜたほうが後で話題にしやすいからだ。
たった二日しか経過していないというのに、セージの回復は凄まじかった。
エルフの妙薬のおかげかもしれない。
痛み止めがわりに使用していたと思われる、麻薬の後遺症や副作用も認められていない。
結局、セージはレイナに自分が彼女を母と認識しているということを言えずにいた。
その方が、良いのだとはわかっている。
けっして、セージやバジルのことが嫌いだから捨てたわけではなく、追い出されるしか無かったのだから。
それは、本当にどうしようもないことだったのだろうと、理解したくはなかったが理解するしかなかった。
「お客様に手伝わせちゃって、ごめんなさいね」
洗濯物を干しながら、レイナが言ってくる。
セージは微笑みながら応える。
「いいえ。自分のことは自分で出来るようおばあ様に仕込まれたんで。
台所に立つことを許してくださるなら、今日はせめてものお礼として俺が食事を作りますよ」
「あら、本当?
それでしたら、一緒に作りましょうか」
「え、良いんですか?」
「もちろんですよ、殿下」
少しだけ、セージの心が上向く。
母の隣に立って、料理が出来る。
それが、たまらなく嬉しい。
すでにここに来て二日だ。
焦る気持ちと、不安な気持ちから少しだけ目を逸らしたくて、最低だとわかっていながらこのぬるま湯のような仮初めの親子ごっこをしている。
楽しんでさえいた。
本当は許されないことなのに。
(俺は、育ての親の母さんを切り捨てようとしてるのに)
普通の感覚なら、これは親殺しだ。
それも、他人に依頼するという方法。
セージには、それだけの力がないから。
独りでなし得ることはできないと、理解してしまっているから。
だから、英雄の手を借りることにした。
育ての親を殺すという罪を実行してくれるよう、頼みにきた。
父の兄貴分であったダークエルフの戦士に、頼みにきた。
これも、残酷な願いだと自覚している。
育ての母であるリトは、本来の母であるレイナの妹であり、そして血の繋がりこそ無いものの、トールにとっても妹分なのだ。
何も悪いことはしていない、ただ、今後の醜聞とリトの将来のことを思って殺してくれと願ったのだ。
しかし、それは最悪な場合だ。
ひょっとしたら、最悪なことにはなっていないかもしれない。
叔父にあたるルベウスは、もしかしたらリトを丁重に扱っているかもしれない。
しかし、追い詰められすぎた鼠が猫に反撃するように、何をするのか全く予想がつかない。
だから、リトのことだけではなくルベウスのことも暗殺してもらわなければならない。
セージは、本人も理解している通り王の資質はなく器ではない。
そして、誰かの命を奪うということ、それを指示して平気でいられるほど精神が図太くもなかった。
むしろ怖くてたまらない。
このままでいたら、いつかこの苦しみも悩みすら麻痺してしまって感じなくなり家族のためとはいえ、国のためとはいえ命を数でしか見られなくなるようで、とても怖かった。
だから、この件が片付いたら教会に入って、祈りと慰霊のために生きようとも考えていた。
直接殺しはしなくても、誰かを殺す指示をだした人間に、他人に喜んでもらう菓子は作れないと思っているからだ。
せめて、もう少し力があったならと彼は思う。
せめて、もう少し強かったならと、彼は思う。
そしたら、まだ他の道があったのかもしれない。
そう、考えてしまうのだ。
洗濯物を干し終えたら、今度は掃除や薪割りを手伝う。
文系ではあるセージだが、祖母の指導の賜物で王子であるセージにも掃除と薪割りくらいなら出来た。
逆に言えば、それくらいしか出来ない。
家事なら努力の虚しさも、才能の皆無も感じずにいられるから。
レイナが、娘でありおそらくセージのもう一人の妹と思われる少女にお菓子を送ると言うので、彼も手伝った。
結果的にレイナよりも上手に作って見せると、彼女はとても喜んでくれた。
妹と思われるアルストレーナもきっと喜んで食べてくれる、嬉しそうに言ってくれた。
その言葉に、セージは泣きそうになった。
知らないなら、きっと美味しく食べてくれるだろう、と。
知らないから、きっと喜んで食べてくれるだろう、と。
そう、泣きそうになってしまった。
それから、さらに数日は賢者トゥオーフの助力もあり、トールとセージは情報をかき集め、準備をし、リト奪還の作戦を立てた。
基本は助ける、誰も殺さないというトールの言葉に、セージは従うことにする。
そして、出立の日。
セージは見送るレイナーー母に別れを告げる。
これがおそらく本当の最後になるだろうと思って、レイナは握手の代わりに大きくなった、身長もレイナより高くなってしまった息子を抱き締めた。
「元気で。もし良かったら、また遊びに来てください。
そして、アルストレーナに今度は沢山のお菓子を作ってほしいの」
そんな残酷な、守れるかわからないお願いをしてくる。
「でーーセージ、貴方のお菓子はとても美味しかった」
小さな母の体を抱きしめ返して、セージは小さく彼女にだけ聞こえるように言った。
「ありがとう。母さん。こうして会えて良かった。
また会えるかわからないから、いま言わせてほしい。
母さん、俺を産んでくれてありがとう」
持って産まれたこの黒で嫌な目にあったほうが多かった。
それでも、唯一の母との繋がりだったから彼は、この色が好きだった。
レイナの瞳が驚きで丸くなる。
それに、セージは苦笑で返した。
「お世話になりました。
全部がうまくいったら、約束を果たしにきます。妹の顔も見にきます」
力も何もないセージにも、嘘くらいならつける。
それは、自分への嘘だ。
そして、セージとトールはレイナに見送られながら旅立った。




