憎みたいけど憎めない(ジャスパー視点)
あのダンジョンに召喚された時のオレは愚かだった。
「…貴方が俺の主なのか?」
「あ~~、最後もコボルトかー!今日も<ガチャ>はハズレばっかりだな…。」
「残念でしたね、タケル様…。」
「え?」
「ああごめん、なんでもないよ。僕はタケル。『ずっと共にいよう。』これからよろしく!」
思えば、あの時既に俺は縛られていたんだ。
あの男の呪縛に。
「そこの君!彼を他のコボルト達のいる場所に案内してくれ。」
「畏まりました。付いてきてくれ。」
「あ、ああ…。」
あの男の後ろに立っていた真っ白な体毛を持つコボルトに連れられ、俺はダンジョンの中を歩いた。
俺達の横を通り過ぎる他の魔物達はどこか疲れ切った表情をしていて、何故か哀れな者でも見るような目で俺達を見ていた。
「失礼します。長老、新人のコボルトを連れてきました。」
「おお『族長』か、また、新たなコボルトが来てしまったのか。」
「はい…。」
「来て、しまった?」
「…族長、彼にここの事を説明してやってくれ。」
「はい。」
「あの…一体何がなんだか…。」
二人の会話の意味が理解できず、戸惑っていると族長と呼ばれた少し年上のコボルトが俺の肩に手を乗せた。
「此処で生活していく以上、呼び名がないと不便だな。」
「呼び名…?」
「お前は夜みたいな色をしているから、『ナイト』と呼ぼう。この族内でのお前の名前は『ナイト』で、オレの弟分だ。オレはホワイト。よろしくな、ナイト。」
あの人はそう言うと、優しく笑みを浮かべたのだった。
それからの生活は、地獄のような日々だった。
「キャハハ!ピカラ、キーック!」
「ぐああああああっ!!」
「ちょっとー、叫び声が煩いんだけど。黙って倒されなさいよね!」
「全く、下等種族は本当に叫ぶこと…」
「こらこら、そんな事を言っちゃ駄目だよ、シズク。」
「ゲホッ、タケル…様…。」
「ああでも、君は出来れば悲鳴を上げないでくれないよう頑張って。」
「な…!?」
「ほら、そんな風に悲鳴を上げられると、僕たちが虐めているみたいだからさ。だから、『少しの間黙っててくれないかな』?」
「~~~っ!!」
「もうすぐで、レベル90達成だ!」
レベル上げと称した拷問。
痛む体を鞭打ってやらされる仕事。
寝床も、食事もまともに与えられず、幹部たちからは嘲笑われ、他の魔物達には哀れみの視線を向けられる日々。
後から何人かコボルトの仲間たちがやって来たが、たった数日で草臥れた目をするようになった。
そんな仲間たちの姿を見て、俺は人間の男に対する苛立ちと怒りを募らせていった。
「ナイト、また怖い顔をしているな。」
「ホワイト!」
「おいおい、今日もオレを兄貴とは呼んでくれないのか?」
「話を逸らすな!アンタにも分かるだろう!あの人間達のコボルトに対する差別はあまりに酷すぎる!」
「…分かってるさ。でも、それを言ったところで何も変わらないからな。」
ホワイトはへらっと笑い、俺の頭を撫でようと手を伸ばした。
俺はそれを跳ね除け、ホワイトに言った。
「アンタは本当に愚かだ!何故この状況の酷さが分かっていない!いつもそうヘラヘラと笑って他の仲間達の為に何もしないだなんて!!」
「ナイト……」
「アンタは、族長失格だ!!」
俺は他の仲間達の仕事を助けるため、ホワイトの元を離れた。
あの族長は本当に愚かだ!
いつも能天気に笑って兄貴面をして…!
そんな事を、俺は去り際に考え、また怒りを募らせた。
「…族長失格、か。」
あの時、ホワイトがどんな顔をしていたかも知らずに。
ホワイトと離れた後、俺は畑で取れた収穫物を食料庫の棚に置いていた。
誰もいないのを良いことに、俺はブツブツとホワイトに対する不満を吐く。
「クソッ、ホワイトの能天気さには本当に腹が立つ!いつもいつも兄貴と呼べだ、弟は兄貴に甘えるものだと…!そもそも俺もアイツも別々の時期に召喚された赤の他コボルトだぞ!血の繋がりなんてない!」
「みゃた怖い顔しているにゃー、おみゃーは。もっと肩の力を抜いて生きるにゃ。」
すると、突然頭上から声を掛けられた。
声の主が誰かを察し、嫌々上を見上げてみれば、そこにいたのはケット・アドマーのリーダーをしている奴だった。
「ケット・アドマー、また食料庫から食い物を漁りに来たのか…!」
「タケル達は食料庫の在庫にゃんて詳しく覚えてにゃいから問題ないにゃ」
「そういう問題じゃない!お前達が勝手に盗み食いをすると、俺達コボルトの食べる分が減るんだ!食うならそこらへんの川から魚を取るなりしろ!」
「みゃーの体が濡れるからお断りだにゃ。それに、食べる分がすくにゃいって言うんにゃらおみゃーらも勝手に食べ物を取ってけば良いにゃ。食糧を運ぶのはおみゃーらコボルトにゃんだからバレないにゃ。」
「今、コボルトの数がどれくらいいるか分からないのか?全員分の食糧を十分に取っていけばすぐにバレる!」
奴はこのダンジョンの中でコボルト達を虐げることも、哀れみの視線を向けることのない数少ない魔物だ。
神出鬼没に姿を現しては、俺にちょっかいを掛けてくるのだ。
なお、あのケット・アドマーを『奴』と呼ぶのは、アイツがオスかメスか誰も分からないからである。
「おみゃーはいつ見ても顔が怖いにゃー。子供が見たら泣くにゃ」
「煩い!この顔は元からだ!」
「もっと自分の兄貴みたいに笑顔でいるにゃ。おみゃー、ホワイトの弟にゃんだろ?」
「弟じゃない!それに誰がアイツみたいになるか!あんな、仲間達が酷い目に遭ってもヘラヘラと笑っているような能天気族長に…!アイツはそもそも、族長として失格だろうが!なんでアイツがコボルト達の族長をしているんだか…」
頭上から話しかける奴に愚痴を呟いていると、奴はなんとも言えない表情でポツリと呟いた。
「……ホワイトは、おみゃーらの誰よりも族長にぴったりだとみゃーは思うけどにゃー。」
「は?アイツの何処を見てそう思うんだ!」
「教えてやらにゃいにゃ。」
「なんだそれは!教えろ!」
「みゃーは寝床に帰って寝るにゃ。おやすみ」
「待て!この気まぐれクソ猫が!!」
棚から降りてマイペースに去っていく奴の背中に怒号を浴びせる。
##### #####
ダンジョンに召喚され、一体どれだけの期間が過ぎただろうか?
俺は、憎しみと怒りで頭が支配されるようになった。
ホワイトの言葉も、誰も言葉も耳に入らない。
ただ、あの人間の男と女幹部達への憎しみのみが俺を突き動かしていた。
憎い。
憎い。憎い。
憎い憎い憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!
人間が憎い!あの男と一緒にいる女達が憎い!
もしもアイツがダンジョンマスターでなければ、こんな事にはなっていなかった!
殺す!殺す殺す殺す殺す!
アイツに隙が出来たら、殺す!今までの所業の罰を与えてやるんだ!!
そう、俺が、この手でアイツを、人間の男を、ダンジョンマスターを殺して――――――――――。
『一方のダンジョンが勝利条件を満たされたため、ダンジョン戦争が終了しました。
勝者、ダンジョンマスターアイネス。』
気がつくと、あの男が敗北した。
同じダンジョンマスターで、同じ故郷の住民だという女に。
最初は何がなんだか分からなかった。
今まで俺達に煮え湯を飲ませていたあの男が、敗北した?
ふと気がついてあたりを見渡せば、俺は傷もなく復活していた。
確か、俺はダンジョン戦争中にアークデビルロードに攻撃して、一瞬で撃退されたはずだ。
『告。ダンジョン戦争勝利者権限により、ダンジョンマスタータケルの命令制限を全て一時的に無効化。数日間の自由権が貰えます。』
そんな言葉が頭の中に直接響き、俺は我に返った。
良くは分からないが、命令が全て無効化されたと言っていた。
つまり、今だけは俺達はあのタケルの命令に背く事が出来るということだ。
なら、今なら仲間たちをこんな地獄のようなダンジョンから解放出来るということだ。
俺はすぐに仲間達の待つ住処に駆けて行った。
この時俺は、憎悪も何もかも忘れ、ただ仲間たちを解放出来るという希望に喜んでいた。
住処にたどり着き、近くにいた大人のコボルトに話しかけた。
「皆、此処にいたのか!」
「…副長」
「先程の声は聞こえていたか?!」
「…ああ。確かに聞こえていた。自由権が何だって言っていたな。」
「なら、分かるだろう?皆でこのダンジョンから逃げ出すんだ!皆、自由になれる!」
「……。」
俺はそのコボルトに必死で話しかける。
しかし、彼は何も言わずにただ俯くばかりだった。
「俺はあの人間の男に一矢報いる。ダンジョンマスターが死ねばダンジョンがリセットされるが、ダンジョンの外にいればそれに巻き込まれることはない。だから、お前達はダンジョンに出て…」
「もう、良いんだ副長。」
「え?」
「今更、自由を得たところで、きっと何も変わらない。」
「な、何を言って…」
「これ以上、生きるのに疲れてしまったんだ。」
「もう、楽になりたい。」
もう、遅すぎたんだ。
皆、この生活に苦しみすぎた。
長い間復活と死を繰り返し拷問を受け続けたせいで、仲間の殆どがこのダンジョンに生きることどころか、生自体を苦痛に感じ、生きる事を望んでいなかったのだ。
逃げることも、死ぬことも許されず、限界以上まで苦痛を味わわされ続け、最後に呪縛から解放された今、仲間達に残されたのは、たった一つの感情だけ。
「もう、楽になりたい。」
そんな、諦めだけだったのだ。
何故、こんな事になった?
なにが原因で、皆がこんな抜け殻のようになってしまったんだ?
誰のせいで、こんな事になったんだ?
俺達を召喚し、レベル上げのためにコボルトをサンドバッグにすることを考えたあの人間の男のせいか?
あの男の提案に乗り、俺達コボルトを嘲笑っていた女幹部達のせいか?
同情の視線をするだけで、手助けも何もしなかった他の魔物たちのせいか?
俺達のダンジョンの実態を知りながら、素知らぬ顔をしていた他のダンジョンマスターのせいか?
悲しむばかりで何もしなかった爺さんのせいか?
能天気にヘラヘラと笑い、あの人間の男に抗議も出さなかったホワイトのせいか?
それとも、
あの男と女幹部達を憎むばかりで仲間たちのフォローを一切考えず、行動に起こさなかった俺のせい…?
「もしそうなら、俺は、誰を恨めば良いんだ?」
その事に気がついてしまった俺は、何も言わずに立ち尽くした。
##### #####
「ナイト。」
「…なんだ、ホワイトか。」
「なんだってなんだ。久しぶりにまともに話せると思ったのに。」
アークデビルロードの男が去り、爺さん達と一緒にダンジョンに向かう途中、ホワイトが話しかけてきた。
ホワイトはあのダンジョン戦争で命からがら生き延びていたのか、服がボロボロだった。
傷がないのは、きっとケット・アドマーあたりにでも回復魔法をかけてもらったんだろう。
ホワイトはいつもの能天気な笑いを浮かべて俺に尋ねる。
「これからあっちのダンジョンに行くのか?」
「渋々だがな…。あのアークデビルロードの言っていた事が気になるしな。」
「ははっ、お前はコボルトの中でも責任感が強くて優秀な奴だからな。個別で引き抜きの声が掛かるのも仕方ない。」
「笑い事じゃない。あっちのダンジョンの主だってあの男と同じ人間で、しかもあの男と同郷だというじゃないか!もしもそいつがあの男と同じだったらすぐに仲間を連れて外に逃げるつもりだ。」
「お前は、本当に仲間想いだな。」
ホワイトの言葉に、俺はそっと目を逸らした。
今まで仲間の事を言っておきながら、自分の感情に囚われてばかりで何もしてなかった俺に向けられる言葉でないと分かっていたから。
俺は話をすり替えるように、ホワイトに尋ねた。
「…アイツらは、やっぱりあっちのダンジョンに来る気がないと?」
「…ああ。皆、疲れてしまったんだろう。なんとかこのダンジョンを出て外で集落を作って暮らすと決めてはくれた。だけど、外に出てもそのまま生きる事に望みが無くなれば…。」
「……それでも、このダンジョンで死ぬよりはずっとマシなはずだ。このダンジョンで死んだら、復活してしまうかもしれないからな。」
「そうだな。こんな所で寂しく死ぬよりも、外で酒を飲んで美味しい物を食べながら死んだ方がずっと良い。」
「アンタは、本当に能天気だな。」
「酷いなー。オレがこの性格なのはお前も知ってるだろ?」
ヘラヘラと笑うホワイトに、俺は何か違和感を抱いた。
だけどその違和感の正体が何かが分からず、俺は首を傾げた。
その時、ホワイトが俺の頭に手を乗せて撫でると、こういった
「お前なら、きっとあっちでもやっていけるさ。オレが保証する。」
「何だそれは。お前の保証なんてなくても、俺は平気だ。」
「冷たいなぁ。あ、そろそろあっちのダンジョンに移動した方が良いんじゃないか?」
「は?アンタは?」
「実は、ちょっと大事なものを忘れてな。今からそれを取りに行くんだ。」
「はぁ?馬鹿じゃないのか?」
「馬鹿ってなんだよ!ナイトは先にあっちのダンジョンに移動しててくれ!」
「全くアンタは…。ドジって遅れるなよ。」
「分かっているさ。こんな時ぐらい、ドジはしないさ。じゃあな、ナイト。」
そう言って、急いでコボルト族の住処へと走っていくホワイトに俺はため息をついた。
俺は新たな住処となるダンジョンへと向かった。
「…………あっちで元気でな、弟よ。」
##### #####
移動が始まる前にもう一つのダンジョンの中に到着する事が出来た。
他の魔物達はもう一つのダンジョンの魔物であるアラクネやスケルトン達と会話をしていた。
先程まで敵同士だったっていうのに、呑気なものだ。
周りがワイワイと新たな住処となる場所について話し合う中、俺は静かにホワイトを待った。
だけど、いくら待ってもホワイトは中々来ない。
「遅い。何をしているんだホワイトは…!もうすぐ移動が始まるぞ!」
「どうしたんじゃ、副長よ。」
「副長、どうされたのでございますか?!」
俺が苛立ちながらホワイトが来るのを待っていると、長老の爺さんと俺とホワイトの補佐をしてくれているコボルトが話しかけてきた。
俺は眉間に皺を寄せつつも、二人に言った。
「どうしたも何も、ホワイトが来ないんだ!」
「え…?」
「ホワイトの馬鹿、「元の住処に忘れ物をしたから先に行ってくれ」と言っていたんだが、此方に来ていないんだ!もうすぐダンジョン同士の接続が切られるだろうに、何処をほっつき歩いているのやら…!」
俺がブツブツとそんな事を言っていると、俺の話を聞いていた二人は困惑気味に顔を見合わせ、そして俺に尋ねてきた。
「もしかしてお主、知らぬのか…?」
「知らない?何がだ?」
「族長は、前のダンジョンに残る事を希望したのでございますよ?」
「………は?」
この時、俺は二人からある事を聞かされ、愕然とした。
ホワイトは、あのアークデビルロードから引き抜きの話を聞いてすぐ、あの人間の男のダンジョンに残る事を決めたということを。
ダンジョン戦争に勝ったダンジョンマスターのダンジョンに行って、俺をコボルト達の代表として今後は付いていくように皆に言って。
「族長は、「どうしてもやらなければいけない事があるんだ」って言ってたんでございます。きっと、前のダンジョンマスター達に復讐する為に…。」
「なんだ…それは…。あの能天気なホワイトが…?」
俺は二人の話を信じきれずにいた。
あの、いつもヘラヘラと笑っていたばかりのホワイトが、前のダンジョンマスターに復讐を考えていた?
人にやり返す事や本気で怒る事も分からなさそうで、いつも子供達の相手をしていたホワイトが?
そんな事を考えていたのが分かったのか、爺さんが俺に衝撃の事実を話した。
「…皆は知らなかったじゃろうが、ホワイトはずっと皆を守ってくれていたんじゃ。」
「庇って、いた?」
「どういう事でございますか、長老?」
「ある日、タケル様にある事を頼んだんじゃ。「レベル上げの協力はオレが引き受ける。だから、他の皆への負担を減らして欲しい」と。」
「な……っ!!」
「最初は、あの子一人が全員のレベル上げの為の相手になるとタケル様に言ったのじゃ。」
「そ、そんなの、族長の身が保たないのでございます!」
「そうじゃ。当然タケル様達もそれを許さんかった。じゃからあの子は、大半を引き受ける事で負担を減らす事を頼み込んだんじゃ。他のコボルト達が多くて50回サンドバッグにされていたのに対し、あの子は、数百回…いや、軽く1000回以上サンドバッグになっておった。」
「す、数百…!?」
「ま、待ってくれ!ホワイトがいつそれだけサンドバッグになっていたんだ!?」
「皆が寝静まっている夜中や、他のコボルト達が侵入者達の相手をしている時じゃ。じゃから、誰もこの事を知らんかった。」
「そんな…。族長が…。」
「お主が来てからは、より慎重になってこの事を隠蔽しておった。あの子は、お主を本当の弟だと想って慕っておったからのぅ…。」
ボロボロと涙を流す補佐の横で、俺は何も言わずに立ち尽くした。
そしてこの時、先程のホワイトとの会話で抱いていた違和感に気がついた。
―――――『ナイト。』
―――――『…なんだ、ホワイトか。』
―――――『なんだってなんだ。久しぶりにまともに話せると思ったのに。』
俺がホワイトを呼び捨てにしたり悪態をついたりすると、ホワイトは俺に兄貴と呼べとか兄を敬えって言っていた。
けどあの時、ホワイトは一度もそんな事を言ってこなかったのだ。
なんで気が付かなかったんだろう。
こんな、大きな違和感の正体に。
『お前なら、きっとあっちでもやっていけるさ。オレが保証する。』
(あの時他人事のように言っていたのは、これが理由だったのかよ…!)
今更後悔してももう遅い。
もうすぐ2つのダンジョンの接続が切れてしまう。
俺は今までずっと大事な事を黙っていたホワイトを恨み、また憎悪を募らせた。
##### #####
そのまま俺は、拭いきれぬ苛立ちと憎しみを胸に抱いたまま、新たな主になるダンジョンマスターと出会った。
その娘は、変わっていた。
この土地では見ないような黒い髪に夜を彷彿とさせる黒い瞳、見たことない服に身を纏った、無機質な表情の人間の娘。
その人形のような無表情な顔は、薄っぺらい笑いを浮かべて英雄を気取っていたあの男とは違う。
あの娘…アイネスは、追放される事を承知で八つ当たりと言っていい恨み言を聞いた後、なんでもないような様子でアークデビルロードを介して俺に言った。
『別に無理に憎しみを消す必要なんてないですよ。理不尽だろうが自己中だろうが、憎いままで良いんです。』
今まで俺があの人間の男に対する恨みを吐いて復讐を望む事を告げれば、皆「復讐なんて馬鹿な真似は止めろ」と言った。
ホワイトも、俺に黙ってあのダンジョンに残って一人で復讐を行うことを選択した。
けれど、憎いままでいいなんて言った奴は見たことがなかった。
この醜い感情を、認めてくれる者なんて、誰もいなかった。
そのまま俺は、『ジャスパー』という名前を名付けられ、皆と一緒に部屋を与えられた。
快適過ぎるベッドに温かい食事に上質な衣類。
それだけでも十分なのに、仕事の量は前のダンジョンの一割にも満たない。
前のダンジョンなんて足元にも及ばないほど、良いダンジョンだった。
でも、俺の心に残ったこの憎悪は、未だに消えない。
俺は、長いこと憎悪に浸りすぎた。
快適な暮らしに今までの疲れが癒やされるのと同時に、前の生活を思い出して思わず恨み言が溢れ出してしまう。
だけどそんな恨み言を、アイネスは最後まで聞いている。
実は聞いていないんじゃないかと試しにアークデビルロードやエンシェントドラゴンの名前を挙げたら、すぐに反応してくるからちゃんと聞いているようだ。
詳しい内容は分からなくても、恨み言を言われている事は分かっているはずなのに。
アイネスに言われて<分身>を出した時、なんでもないように「凄い」だとか「羨ましい」という言葉が聞こえ、思わずその頬を軽く抓ったり揉んだりして遊んでも全く怒りもしない。
…代わりにエンシェントドラゴンには命を狙われかけたが。
憎くて憎くて堪らない人間なのに、どうしてもアイネスには憎しみを持てない。
それどころか、温かな感情ばかりが浮かんでしまう。
「なあ、兄貴。」
アンタなら、この感情がなんなのか分かるのか?
##### #####
「おい、ダンジョンコアを探せ!見つけたらすぐに破壊するんだ!」
「指名手配犯達がこのダンジョンにいるという情報もある。相手は各国で人間を惨殺していた魔物だ!油断はするなよ!」
タケルがリリィを連れてアイネスのダンジョンに到着したのと同じ頃、シズク達がいるダンジョンにはたくさんの人間達がタケルのダンジョンを破壊するためにやって来ていた。
何人かの冒険者たちがダンジョンの通路を走っていく中、その通路に
「こ、ここならバレませんわね…。」
「や、やだ!ここ暗くて狭いじゃない!早く明かりをつけてよ!」
「煩いですわね!騎士と冒険者達にバレてしまうわよ!」
「うえ~ん…怖いよぉ…!」
「ああもう、なんでわたくしがこんな目に…!!」
戦う力を失い、タケルに置いていかれたシズク達は襲いかかってくる侵入者達に見つかり、命からがら逃亡してきた。
今は必死に息を殺し、ガクガクと体を震わせて、冒険者達から身を隠していた。
「さっきの人間たち、このダンジョンのコアを破壊するって言っていたわね…。このままこのダンジョンにいたらわたくし達もリセットに巻き込まれてしまうわ。」
「ひっ!ピカラ、もう死にたくない!あんな怖い目に遭うのは嫌!」
「だから黙ってなさい!」
「ど、どうするのよ!このままじゃあたし達…!」
「ダンジョンの罠が殆ど機能していない今、ダンジョンコアまで辿り着くまで時間の問題…。こうなったら仕方ないわ。このダンジョンを出て、無理矢理<契約>
を断ち切って逃げるしか…」
人間達の追手を逃れ、ダンジョンのリセットに巻き込まれないように生き延びる方法を話し合っている三人。
そんな彼女達の後方から、ひっそりと足音を立てずに近づいていく者がいた。
三人は自分のことに必死で気づく事はない。
やがて彼女達の背後に辿り着いたその者は大きな斧を振り上げると、音もなく彼女達に振り下ろした。
「……意外と、簡単に倒せたなぁ。相打ちになる覚悟は出来ていたんだが…。もしかして、ダンジョン戦争で何かあったのか?」
「よく分からないけれど、そのおかげでやらなきゃいけなかったことを終える事が出来た。あの時の戦争相手のダンジョンマスターには感謝しないとなぁ。」
「もうすぐ人間達が最深部に辿り着いて、このダンジョンをリセットさせるはずだ。そうすれば女幹部達は復活することが出来ないまま、このダンジョンと共に消滅するはずだ。息がまだあったとしても、もう助からない。」
「これで、今までの復讐が成し遂げられる。」
大斧を手にした男は大斧を振ってこびりついた血を払うと、背中に大斧を携えた。
彼は自分のダンジョンがなくなる非常事態であるにも関わらず、笑みを浮かべていた。
男はふと思い出したように、天を仰ぎながら言った。
「…そういえば長老達は今頃元気にしているかな?アイツは、オレが嘘を付いていたことを怒っていそうだなぁ。…謝ったら許してくれるかな?」
「…いや、きっと許してくれないか。オレはアイツのしたかった事を奪ってしまったんだから。」
男にとって、『彼』は放っておけない弟のような存在だった。
憎まれ口を叩きながらも、自分の隣で自分の失敗をカバーしてくれる大事な弟。
ダンジョン戦争が始まる前まではそのストレスからなのか、殆どの日をただただダンジョンマスターへの怨念を呟くだけになってしまった。
だけどダンジョン戦争で何かが起きたのか、久しぶりにまともに話をすることが出来た。
それが、男はとても嬉しかった。
だからこそ、そんな『彼』を裏切ってしまうような事をしたことに罪悪感を抱いていた。
「…さぁて、早くオレもこのダンジョンを出るかぁ。」
男は床に転がった3体の“ゴミ”を後に、非常事態用に用意されていた出口へと向かっていく。
真っ白だったその体毛を、赤黒く染め上げたまま。
「また、会える時を願っている。弟よ。」
にっこりと笑みを浮かべたまま。




