人が憎くて何が悪い
『副長、一体なにを…!』
『爺さんは黙ってろ!』
私に対し、『アンタが憎い』と衝撃の発言を告げたドーベルマン。
彼はセントバーナードのコボルトの制止を跳ね返し、私に憎悪の視線を送っている。
ドーベルマンの言葉を聞いたフォレスは、すぐに彼を拘束しようと立ち上がり構えた。
しかし私は、スキルを発動しようとするフォレスに一度待ったを掛ける。
『アイネスさん、』
「駄目ですよ。まだ面接は終わっていません。座ってください。」
『しかし…。』
「座ってください。」
『……分かりました。』
私がフォレスにそう言えば、フォレスは何か言いたげな表情を浮かべつつも、大人しく座ってくれた。
私はドーベルマンの彼を真っ直ぐ見て、彼に尋ねた。
「質問します。貴方が憎いというのは、それは私が人間だからでしょうか?それとも、自分たちの主だったタケルさんを負かしたからですか?」
『アイネス様が、貴方が憎悪を抱く理由はアイネス様が人間だからか、それとも自分達の主だった男を倒したからか、と尋ねております。』
『両方だ。』
ベリアルが私の質問を彼に伝えると、ドーベルマンの彼は間髪入れずに答えた。
「じゃあ、一つずつ詳しく教えて下さい。」
『アイネス様が、理由を一つずつ詳細に話せと申しています。』
「……。」
そう促すと、ドーベルマンは此方の言葉に返事を返さず、私達に話し始めた。
『アンタ達は俺達の主がどうやって今の強さを得たか知ってるか?』
「ええ、大体は。自分の配下を倒す事でパワーレベリングをしていたんですよね?」
『俺達の主だった男は、俺達コボルトを使ってレベルを上げた。』
「!」
その言葉を聞いた私は、目を丸くした。
コボルト達が、タケル青年が考えたパワーレベリングでサンドバッグにされた魔物?
『あの人間の男だけじゃない。リリスもエルダーウィッチもヴァンパイアロードもハーピーも、皆俺達をサンドバッグにする事で経験値を得ていやがった。自分たちのレベルが3桁に上がった後は、別の魔物達のレベル上げとしてサンドバッグにされた。子供のコボルトや老人のコボルトには手を出さなかったが、大人のコボルト達は全員アイツらのサンドバッグにされ、殺され続けた経験がある。』
『…あなたもサンドバッグにされた経験が?』
『ああそうだ。少なくとも軽く20回は殺された経験がある。俺はまだマシな方だ。俺より年上の男のコボルトはもっと殺された経験があった。女のコボルト達は、ヴァンパイアロード達に長い間散々嬲られた上で殺され、復活させられていた。』
ドーベルマンの彼が唸り声を上げて話しているのを横目に、他のコボルトの方を見ると、彼らは何も言わずに俯いている。
先程まで明るく振る舞っていた彼らが何かを思い出して苦しげな表情を浮かべている様子が、ドーベルマンの言葉が本当であることを証明していた。
『サンドバッグにされただけじゃない。アイツは人間たちの街で商売するために農作業や重労働を俺達に強いていた。休む暇どころか、食事を摂る時間すらも与えてはくれない。出されていた食事も質の悪い廃棄用の食材で作られた酷い味付けの物ばかりで、寝具なんて物も用意しなかった。そのせいで半数以上のコボルトは精神的苦痛から毛が抜け落ちてハゲてしまった者や食事を拒絶している。』
『それは…酷いですね…。』
『それだけだったらまだ良い。中には死しても逃げられない環境に耐えきれず、精神崩壊してしまった奴がいたくらいだ。』
『その者達は今このダンジョンに?』
『……いえ、殆どはあちらのダンジョンに残して行きました。此方のダンジョンに来る直前、その者達を含めて皆にこのダンジョンの傘下に入る事を話したのですが、『もう楽になりたい』と。』
『みんな、新しい主さんの元でも虐げられる可能性がある。だったらこれを機にダンジョンの外へ脱走し、冒険者達に討たれる方がマシだと言って聞いてくれなかったのでございます…。』
『アンタのダンジョンにやって来たのはサンドバッグにされる事はなかった子供のコボルトと比較的虐げられる事のなかったコボルト、それに外に出る気力すら出なかったコボルト達だけだ。他の大人達は此方に来る事を選ばず、自分たちで生活していく事を決めて残ることを決めてたよ。外に出たって、生きていける保証なんて何処にもないのにな。』
嘲笑を混じえて歪んだ笑いを浮かべるドーベルマン。
私は彼の話に口出しはせず、黙って最後まで聞いていた。
休みも食事も禄に与えられず、毎日レベリングのために暴力を振るわれる。
ダンジョンマスターとその配下という立場から、逆らう事は不可能。
精々、サンドバッグになる役を誰かと交代するように頼む事ぐらいしか出来ない。
同じ種族の仲間達が側で虐げられている様子を知っているにも関わらず、止める事も庇う事も出来ない状況。
タケル青年に対してだけではなく、人間全体に対して不信感と憎悪を抱くには十分過ぎる理由だ。
しかしそれだけなら、私個人に憎悪を抱く理由が分からない。
『俺は憎かった。自己顕示欲を満たすためだけに俺達をサンドバッグにするあの人間の男が。女のコボルト達が拷問のような真似を受けているのを見て、止めようともしないあの男が。此方が訴えても、偽善を振りまいてなあなあで終わらせて、何も解決しようとしないアイツがとにかく憎かった!アイツの喉元を噛みちぎってやりたいと心の底から思った!何故俺達がこんな目に遭わなければならないのだと、その理不尽な状況から脱する事が出来ない己の無力さを何度恨んだ事か!あの人間の男がダンジョンマスターでなかったら、すぐにでも殺すことが出来たのに!』
『副長…』
『だから俺は、アイツを殺すための策略を練った!ダンジョンマスター権限で妨げられず、間接的にあの男と幹部の女達に復讐をする事が出来る方法を探してた!アイツの息の根をこの手で止める手段を!!地獄の苦しみに耐えながら、仲間たちを傷つけられる事への怒りを抑えながら、ずっと!!』
段々と怒りが露わになり、机を強く叩き、ギリッと歯を食いしばって吠えるように怒号を上げるドーベルマン。
少し深呼吸をして冷静になると、彼は静かに言った。
『そんな時、あの男がアンタとダンジョン戦争することになった』
「そこで私が出るんですね。」
『ダンジョン戦争自体は何度かあったが、誰一人としてアイツに勝つ奴はいなかった。だから他のダンジョンマスターに期待はしていなかった。どうせ、誰も俺達を助けられる奴はいないだろう、と。』
『しかし、アイネス様はあの男に勝利した。』
『別に、主であるアイツに勝った事を恨んでいるんじゃない。むしろアイツらを完膚なきまでにぶっ潰してくれて感謝を言いたいぐらいだ。この引き抜きも、種族の代表としては喜んで受けたいと思っている。』
『だったら何故アイネス様を…?』
『…いざこうしてアイツから解放されてみると、もうこれ以上苦しまなくて済む、仲間がこれ以上傷つかなくて済むっていう安堵より、思ってしまう事がある。』
フォレスが思わずそう呟くと、ドーベルマンの彼は悲痛の表情を浮かべて、私に言った。
『どうして、もっと早く俺達を助けてくれなかったんだ?って。』
「!」
『もっと早くアイツを負かしてくれていたら、俺達はこんなに苦しむ事はなかったはずだ。心が壊れてしまった奴だっていなかったかもしれない。生きる事を諦める奴も、毎夜悪夢で苦しめられる者達も、もっと減らすことが出来たはずだ!』
『そんな!それはアイネスさんには何の非もないではありませんか。アイネスさんがパーティーに来たのだってあの時が初めてで…』
『俺だってそんな事は分かっている!!分かってるが、どうしても考えてしまうんだ!何故今まで現れてくれなかったんだって、何故今になって助けたんだって!ダンジョン戦争後の要求だってそうだ!アンタが望めばアイツのダンジョンを潰す事も出来たはずだ!なのに、何故あんな要求しかしなかったんだ!俺達が受けた苦痛は、あれだけの物じゃない。あんな形じゃ、俺の憎しみは無くならないんだ…!!』
彼は憎しみとも悲しみとも思える瞳で私を睨み、声をあげる。
その姿は、まるで自分の後悔を懺悔しているようにも見えた。
これ以上何も言わないのを確認した後、私はベリアルさんに話しかけた。
「…ベリアルさん、今から彼に私の言葉を全部通訳してください。」
『はい、畏まりました。』
ベリアルさんに通訳を頼むと、私は彼と、彼の両隣で私の様子を伺う二人のコボルト達にむけて話し始めた。
「コボルトさん、貴方の話は大体把握しました。要は、あの終わり方では納得がいかない。あんなので復讐が成されたとは思えない。それにも関わらず、満足の行く復讐が成されないまま貴方達を引き抜いた私に対して理不尽な怒りと憎悪を抱いてしまっているってことですね。」
『っ、ああそうだ。たった一度の苦しみで満たされるほど、俺達コボルトがあの人間の男に抱く憎悪は小さくない!』
「ま、正直言って八つ当たりも良い所ですね。私は自分と自分のダンジョンのためにタケルさんとダンジョン戦争をしたわけで、貴方達の復讐の代行をしようと思ったわけじゃないです。その後の結果が納得いかなかったからって、憎まれるのは理不尽も良い所です。」
『っ…!』
「貴方が先程言っていた、もっと早く私がどうにかしていたらって言うのも、後から言う“たられば”でしかありません。私が1ヶ月早く……いえ、3ヶ月早く、ダンジョン戦争をして同じ結果になったとしても、貴方はこう思うでしょう。『何故もっと早くこうしてくれなかったんだ』って。終わってから抱く結果に対する不満なんてそんな物ですよ。どんな結果でも、絶対に満たされる事はないんです。」
『だったら、どうしろと言うんだ!俺のこの憎しみを、このやり切れない想いをどうすれば良い!どうやったらこの想いを消す事が出来るんだ!!この煮えたぎった復讐心を、やり切れない想いを、どうしたら捨てる事が出来る!』
息を荒げ、苦しげな表情で私に訴えるドーベルマン。
その姿はまるで、手負いの獣のようだ。
ベリアルとフォレスは私がどう答えるかを伺っているのか、何も言わずに私の隣に座っている。
皆の視線が集まる中、私は彼らに伝えた。
「別に無理に憎しみを消す必要なんてないですよ。理不尽だろうが自己中だろうが、憎いままで良いんです。」
私の言葉が少し分かるフォレスとベリアルは私のこの言葉が予想外だったのか目を丸くしたが、すぐににっこりと笑みを浮かべた。
そしてベリアルが私の言葉をコボルト達に伝えると、コボルト達は呆気に取られたような顔になった。
私は手元のホワイトボードを手に取り、イラストを描きながら彼らに話す。
「私は誰かを殺したい程憎いって感情を持ったことはないですが、普通に自分以外の誰かをぶん殴りたいとか、半殺しにしてやりたいって思った事ぐらいでしたら何度もあります。実際、今現在貴方の話を聞いてあの時タケルさんを半殺しにしてやりたいと思っているくらいです。」
『えっ』
「私のいた場所ではコボルトさんそっくりの愛玩生物がいます。というか、私の実家で実際飼ってます。『ローロー』って名前で、こんな感じのブサカワなワンコです。」
ほら、とホワイトボードに描いたローローの絵を彼らに見せる。
ローローの絵が描かれたホワイトボードを手に取り、彼らはマジマジと絵を見て驚きを見せる。
『まさか、コボルト以外にこのような生物が…』
「私はローローも、ローロー以外のワンコも大好きです。なので、ワンコそっくりな見た目をしたコボルトさん達もすっごい可愛いと思っています。」
『か、かわいい…!?』
「そんなコボルトさん達に暴力を振っていたタケルさんには、正直嫌悪感しかありません。今度会ったら、改めて物理的制裁を与えようと思うくらいには。」
『い、一体何をするつもりなのでございますか?』
「そうですね……。例えば、こんな感じの細長い棒があるとするじゃないですか?これを何か挟む為の道具で掴んで…」
『つ、掴んで…?』
「こう、メキメキメキっと…」
『アイネス様、それ以上の説明はいけません。私共にもダメージが来ます。』
私がしようとしている事を察したベリアルが慌てて私の言葉を止めた。
コボルト達もフォレスも、顔を青ざめて震えている。
私はホワイトボードを置いて、ドーベルマンの彼に言った。
「そういう怒りとかやり返したい気持ちを持つこともあるんで、そういった負の感情が簡単に消せる物じゃないってぐらいは分かります。可愛い女の子が『もう止めて!復讐は何も生まないわ!』とか『憎しみをなくして幸せになりましょう!』って言ったぐらいじゃ収まりません。むしろ綺麗事言うんじゃないって怒りが増します。」
『……。』
「私は少し安心しているんですよ。普通、突然今までの地獄のような生活から解放されたって状況に陥ったら一人か二人は貴方みたいに後悔と復讐心を拭いきれない魔物がいると思っていましたので。」
『後悔?』
「『もっと早い段階で救いの手が伸びていたら』、『もっとやり方があったんじゃないだろうか』、というたらればな復讐心は自分に対する後悔と同じだと思っています。『もしももっと早い段階で救えていたら』、『もっと何か別なやり方を思いついていれば』、ってね。」
中学2年の頃、イジメの主犯格だった先輩にやり返した時、手のひらを返したように此方にすり寄ってくる教師や部活仲間を見て同じように思った。
“何故今更来るんだろう”
“この人達も痛い目見せれば良かったかも”
と。
だけど同時に私は思った。
“もっと早く反撃すればこんな風に掌返しに遭う事はなかったんじゃないだろうか?”
“もっと周囲を巻き込んだ方法で仕返しすれば良かった。”
と。
だけどそれは、もう過ぎてしまった事で。
もうどうしようも出来ない過去の話。
次回同じような目に遭った時の為の反省として使えるかもしれないけど、その時の事に関しては取り返しがつかないのだ。
やり切れない復讐心と、後悔は鏡写しのように同じ事だ。
その感情が自分に向いているか、他人に向いているか。
ただそれだけの違いだ。
「突然、今まで自分の醜い負の感情をぶつけていた相手が居なくなったから感情の遣り場が無くなって困惑しているだけなんですよ。どうにかして誰かに負の感情を押し付けて、苦しみから楽になりたいって心が思ってしまっている。だけどそれは八つ当たりだって分かっているから、自分の憎しみや復讐心が楽になる事はなくて、余計気持ちが苦しくなるんです。今そう感じているのは、そういった苦しさでしょう?」
『……。』
「沈黙は肯定と考えます。」
黙ってしまったドーベルマンにそう言った後、私は話を続ける。
「不信感もやり切れなくなった憎しみも、時間経過でぐらいでしか治す事は出来ません。他人の言葉なんて信じられないし、結局どうするかを決めるのは自分自身ですから。貴方が今は私が憎いと言うなら、それで構いません。今はこうしてスキルを使って無理矢理貴方達の言葉が分かる状態にしていますが、普段の私は貴方達の言葉が分からないですから何を言われても傷つきません。」
『……実力行使に出られたらとか考えないのか?』
「そういう選択肢が頭の中にあったなら、この部屋に入ってすぐに襲いかかってるでしょう?それに今ここで正直に自分の想いを伝えるってことは、自分は危険だから警戒して欲しいって思っているって事でしょう?そう考えている方が、そんな短絡的な真似しますかね?しないでしょう。」
私がそう尋ねれば、ドーベルマンはそっぽを向いた。
どうやら実力行使は選択肢になかったようだ。
「別に今すぐ憎しみを捨てなくて良いんですよ。人間も生き物も、そう簡単に人を憎まなくなる程綺麗に出来ていません。快適な環境で美味しい物を食べて気持ちよく寝てれば勝手にそれは小さくなりますし、いつの間にか忘れてます。」
『…そういう物なのか。』
「そういうものです。だから私が憎くて良いんですよ。復讐心は決して、悪いことばかりじゃありません。どれだけ時間が掛かっても良いんです。いつか、自分の負の感情と向き合って溶かす事が出来るその時まで。」
私はドーベルマンの彼の胸に指を当て、彼に名を告げる。
「『ジャスパー』。それが貴方の名前です。」
『ジャスパー…、俺の名前…。』
「まあ、気長にやっていきましょう。私も恨み言にはお付き合いしますので。」
ジャスパーと<契約>を結び、彼の肩を軽く叩く。
私は彼から離れて軽くストレッチをすると、セントバーナードのコボルト達に話しかける
「『フク』さん。ちょっと良いですか?」
『い、今、私めに名前を…?』
「他のコボルトさん達の元に連れて行ってくださいませんか?皆さんと<契約>を結ばなければいけませんので。」
『アイネスさんが、他のコボルトの皆さんとの<契約>も結ぶそうです。』
『お、おお!ありがとうございます!!』
『アイネス殿!自分にも名付けをしてくださいませ!』
「良いですよ。何にしましょうか…」
『自分、とびきり格好いい名前が良いのでございます!副長やエンシェントドラゴン殿に負けぬ格好いい名前が!』
「えっ。」
『こ、コラ!あまりアイネス様を困らせるでない!』
チワワのコボルトにイグニ以上に格好いい名前…。ハードルが高いな…。
まあ、受け入れる以上、コボルト達全員の名前を考えなければ行けない。
そこからがスタート地点なのだ。
コボルト達の身体の調子とか精神状態も見なくてはいけないし、部屋の準備とかもある。
前途多難だが、まあ、なんとかなるだろう。
ひとまず、目の前で期待の視線を送るチワワのコボルトが気にいる名前を考えなければなぁ…。
私はチワワの彼が喜びそうな名前を考えながら、ゴブ郎とフォレスとフクさんと共に他のコボルト達の元に向かったのだった。
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「言ったでしょう?アイネス様なら、きっと貴方を受け入れるだろう、と。」
アイネス、ゴブ郎、フォレス、そして他二人のコボルト代表が会議室を出た後、ベリアルはドーベルマンのコボルト…ジャスパーに話しかけた。
ジャスパーはベリアルをギロリと睨んだ後、彼の問いに答えた。
「……ああ、そうだな。アークデビルロード。アンタの言う通りだった。」
「それは何よりです。」
「憎しみを捨てなくてもいいなんて…、変わっているな。あの人間の娘は。」
「人間の娘、ではありません。きちんとアイネス様と呼びなさい。貴方はこれから、アイネス様の配下になるのですから。私とのお約束通りに。」
そう言って、にっこりと作り笑いを浮かべるベリアルにジャスパーは、その面の皮の厚さに大きなため息を付いた。
コボルト達の引き抜き話が出た時、ジャスパーはアイネスのダンジョンに行くつもりはなかった。
タケルのダンジョンに残り、タケルに直接一矢報いるため。
確かにアイネスのダンジョンにコボルト達が行くのは賛成だったのは本当だったけれど、それ以上にタケルや人間に対する憎悪の方が強かったのだ。
しかし、そんな彼の前に、ベリアルがやって来たのだ。
ベリアルはジャスパーの両手を抑え、地面に倒して身動きを取れなくさせると、何でもないように話し始めたのだ。
「これはこれはコボルトさん。このような場所で立ち尽くしているとは、時間の無駄ですよ。」
「くっ、離せ!アークデビルロード!俺はアンタ達の主の元に行く気はない!」
「おや、それは一体どういう事でしょう?アイネス様のダンジョンに不満などあるはずがないですし…、もしや、グレーターワーウルフの一匹のようにあの男に何かしらの忠誠心でも?」
「…っ、あの男に忠誠心などある訳がない!!アイツに感じるのは、仲間達を虐げた事に対する憎悪のみだ!!アイツは、アイツだけは俺の手でその命を終わらせるのだ!」
「おや、それはなんて物騒な。しかし、同情はしましょう。あの男はあまりにも下劣過ぎる。利己的な偽善の皮で隠されたその本性は、まさに外道…。悪魔である私も、正直引きましたね。」
「だったら分かるだろう!アイツは、今すぐ殺すべきだと!!これ以上犠牲者が出る前に!!」
「残念ですが、それは認められません。あの男にはまだ、生きてもらわなければならないのですから。」
「どういう事だ!」
ジャスパーがそう尋ねると、ベリアルは笑みを深めて、ジャスパーの耳元に囁いた。
「実は、アイネス様があの承認欲求に塗れた男に相応しい罰を用意しているのですよ。今はまだその時ではないのですが、時が来ればあの男は死よりも辛い苦痛を味わうことになる。今貴方があの男を殺してしまえば、それは敵わない。ですので、貴方には直接の手出しを諦めてもらわなければいけないのですよ。」
「死よりも辛い苦痛だと…?それに復讐を諦めろなど、フザけた事を言うな!お前に、俺達コボルトの苦しみの何が分かる!!」
「分かりませんよ。なにせ、私が仕えているのはあの男ではなく、アイネス様なので。それに、貴方は間違っている。」
「間違っている…だと?」
「あの男がアイネス様に仕出かした事、たった一度の死のみで許されるものではないでしょう?あの男が築き上げた物を全て奪い去り、二度と外を歩けないように地位も名誉も地の底へと突き落とし、長い苦痛と屈辱、そして恐怖と絶望を味わわせて、そこで初めて最低限なのです。たった一瞬の苦痛と死の絶望では、此方が物足りないのですよ。」
「…ッ!!」
青筋を立て、怒りと憎悪を感じさせる恐ろしい笑みを浮かべたベリアルを見て、ジャスパーは背筋が凍りつく。
ベリアルはそっと一息をついて綺麗な笑みを浮かべた後、ジャスパーに言った。
「貴方は見た所、コボルト達の中でもかなりの実力者のようだ。種族内での地位もそこそこあるようです。なので、これを機に是非貴方にはアイネス様の傘下になってほしいのですよ。」
「何故俺がアンタの言うことを聞かなければならない!第一、俺はアイツだけでなく、人間全体が憎いのだ!人間の娘の側に俺を置いて、自身の主の身が心配にならないのか?!」
「いえ、全く思いませんよ?」
「は?」
自分の問いかけに対するベリアルの返答に、ジャスパーは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「アイネス様はあの小動物のような見た目とは裏腹に生存能力が高く、意外にも強かな性格の持ち主です。貴方一人が何をされても動じないでしょうし、本気で怒りを感じれば自身で反撃を行うでしょう。なにより、私達がアイネス様をお守りしますので。」
「それにあの懐の深さから考えますと、人間に憎悪を抱く貴方の心情を全て受け入れた上で貴方をダンジョンに招くでしょうね。」
「…いや、それは有り得ないだろう?自分に危害を加えかねない思考の持ち主をだぞ?」
「だったら、賭けでも致しますか?貴方がアイネス様に全てを語った後、アイネス様がそれでも貴方を受け入れたのであれば大人しくアイネス様の傘下に就くこと。もしそうでなければ、そうですね…貴方にあの男の命を差し上げましょう。此方の罰が終わった後でしたら、拷問するのでも惨殺するのでもお好きにしてください。」
「お、おい、まだ此方はそちらに就くと決めた訳じゃ…」
「アイネス様をこれ以上待たせるのはいけません。では、すぐにアイネス様の元に向かいましょうか、コボルトさん?」
「話を聞け!」
そうしてジャスパーはベリアルに無理矢理連れられるままアイネスの元に来てしまった。
現在、アイネスはベリアルの言う通りジャスパーの人間に対する憎悪を受け入れ、ベリアルとの賭けはベリアルが勝利した。
それどころか、自分を憎んでても構わないとまで言ったのだ。
ジャスパーは自分が目の前の悪魔の手のひらの上で踊らされているような気分を感じながらも、ベリアルを射抜かんばかりに睨みつけ彼に告げたのだ。
「アンタとの賭けの通りアイツを…アイネスを主として認めよう。だが、アイネスがあの人間の男と同じような事をするなら、俺は容赦なくアイツに歯向かうつもりだ。精々、アイネスから目を離さない事だな。」
「ええ、その時は私も、本気でアイネス様をお守りしましょう。」
ジャスパーの言葉に、ベリアルは不安など一切感じさせない笑みを浮かべて答えた。
こうして、アイネスは無事に新たな魔物達を迎え入れたのだった。




