とある彼の話
そこに、彼がいた。
彼は元々ダンジョンで誕生した2代前の先祖達が色々あってダンジョンの外で作り上げた集落で生まれた。
彼の種族というのは人間に比べて知性が低く、端麗な容姿を持つ魔物が多い魔族の中でも醜悪な容姿を持つ最弱の種族だ。
彼は集落にいる仲間達の中でも体格が一番小さく、頭が悪い変わり者だった。
同年代の仲間が2本足で走れるようになってすぐに武器を片手に持って人間を嬉々として襲っているにも関わらず、彼は森で石や木の実を集めて遊んでいる。
殺した人間の肉を喰らう仲間達の横で、彼は人間が持っていた鞄に齧りつく。
彼は亜種という訳でも、これと言って何か呪いを受けているのでもない。
単純に凄い馬鹿で、変わり者だったのだ。
そんな馬鹿な彼だったが、唯一誇るべき物が一つあった。
それはスキル。本来なら何のスキルも持たない同種の仲間達の中で、彼は生まれつきあるスキルがあった。
そのスキルの名前を知性の低い彼らには読めなかったが、彼の持つスキルの効果はなんとなく分かった。
スキルの効果は所有者の運が良くなる事。
人間の世界でも魔物たちの世界でも良くあるスキルの効果で、なんとも地味な効果だった。
しかし、彼はこのスキルで今まで生き延びて来られていた。
石を拾って遊んでいたらたまたま実っていた果物が彼の前に落ちてきて食べ物を手に入れられたり、気まぐれにいつもと違う場所に行ったら偶然そこを通っていた冒険者に出会わなかったり。
実に幸運だったのだ。
しかし、そんなスキルだけで生活できる程、魔物たちは甘くはなかった。
魔物の世界のモットーは弱肉強食。
ある日の早朝、集落の仲間達は体格が小さく、人を襲おうとしない、馬鹿で変わり者の彼を群れの中から追い出した。
彼は他の仲間達に強いられるまま、その集落から出ていった。
役に立たずの彼を追い出したその集落では、盛大にどんちゃん騒ぎをした。
さて、群れから追い出された彼は、いつもと同じように石拾いをしていた。
途方に暮れている訳ではない。
単純に自分が追い出された事を理解していなかっただけだ。
いつもは他の仲間達が呼ぶので日が暮れるまでに集落に戻る事が出来るのだが、群れから追い出された彼を呼び戻す仲間なんていない。
結果的に彼は日が暮れるまで森の中で遊び、夜になった所で集落のある場所へと戻った。
ところが、集落のある場所に戻ってきても仲間達がどこにもいない。
それどころか、三世代に渡って作ってきた住処も全て姿を消していたのだ。
一人取り残された彼は、これに首を傾げた。
皆は何処に行ったのだろう?と。
しかし、頭のよくない彼はそんな疑問もすぐに忘れてしまった。
日が暮れた森の中は危ない。
そう考えた彼はなんにもないその場所を離れて、どこか眠る場所を探しに行ってしまったのだった。
彼は知らない。
彼が集落を出たその日の午後、集落が突然の土砂崩れに飲まれてしまった事を。
どんちゃん騒ぎで浮かれていた集落の仲間達は突然起きた土砂崩れから逃れる事も出来ず、集落ともども土砂崩れによって生き埋めにされてしまったことに。
集落から追い出されていた事で“幸運”にも生き残った彼は、これまた“幸運”にも見つけた彼が入るには丁度いい木の穴でその日を過ごしたのだった。
その日から、彼は一人で森の中を散歩しながら生活していた。
たまに人間や自分とは違う魔物に遭遇することもあったが害意のある者達は“幸運”にも逃げている間に他の強い魔物と鉢合わせてそちらに狙いが変わって逃げることが出来たし、害意のない魔物には果物を分けてもらったりした。
“幸運”にも彼の行く道で土砂崩れや洪水はなく、“幸運”にも飲み水と食事には全く困らなかった。
まさに<幸運>。
いや、もはや<強運>と言って良い程の運の良さだった。
そんな生活の中、頭の悪い彼は2つの事を学んだ。
一つは、ご飯をくれるのは良い存在であること。
もう一つは、森の中に存在する洞窟の奥にある水晶玉に誰かが触れると、四角くて黒い板が現れるということ。
1つ目は、優しい魔物からご飯を貰う内に学んだ事。
2つ目は、偶々見つけた洞窟の奥に行ってみたら、見るからに強そうな魔物が水晶玉に触れてるのを見た時に知った。
いつもは三歩歩けば忘れてしまうような馬鹿な彼だったが、水晶玉に触れた時に見たキラキラがとても綺麗だったからずっと忘れていなかったのだ。
唯一のスキルのおかげで問題なく生活することが出来ている彼だったが、彼には一つ願いがあった。
それは、また仲間達と一緒に食事をすること。
他者から貰う食べ物はどれも美味しかったし、森の中の散歩はとても楽しい。
けれど彼は、一人で食べるおいしいご飯より、集落の仲間達と一緒に食べるご飯が好きだった。
だから彼は散歩をしながら探した。自分と一緒にご飯を食べてくれる仲間を。
しかし、いくら探しても森の中にいたのは自分を殺そうとする冒険者か、美味しい果物を分けてはくれるだけの魔物だけ。
誰も、彼と一緒にご飯を食べてくれる者はいなかった。
彼は一人寂しく、森の中を散歩する。
“幸運”にも手に入れた美味しい果物と、これまた“幸運”にも見つけた綺麗な石で遊びながら。
そんなある日、誰も居なくなった水晶玉のある洞窟に彼が入った。
その日は偶々食べ物が見つからず、お腹を減らしてブラブラと歩いていたのだ。
洞窟の中に入り行き止まりで石遊びをしていると、突然洞窟が光りだしたのだ。
彼はその眩しい光に驚き、岩場に隠れた。
その光の中で、彼はあるものを見つけた。
人間の女の子だった。
変わった服を着た、綺麗な黒色の髪の女の子。
彼女はどうやら意識を失っているようで、光が消えた後も全く動かなかった。
普通の魔物だったら、無防備な状態の彼女を襲って殺してその死体を食らっていただろう。
しかし変わり者の彼は、意識のない彼女よりも、彼女の持っている透明な袋から漂う美味しそうな匂いの方が気になっていた。
少しすると、意識を失っていた女の子が目を覚ました。
彼女は周囲を見回した後、顔を手で覆って落ち込み始めた。
その時、朝から空腹だった彼のお腹が鳴ってしまった。
彼のお腹の音は静かな洞窟の中に響き渡り、女の子は彼の存在に気が付いた。
女の子は彼に怯えることも、敵意を見せることもなく、ただ不思議そうに彼を見ていた。
その女の子の瞳は彼女の髪の色と同じ綺麗な黒色で、まるでキラキラ光るお星さまが散らばった夜空のようだ、と彼は思った。
再び彼のお腹の音が鳴り響くと、彼女は何を思ったのか、透明な袋から変わった物を取り出した。
甘い良い匂いのする、暖かそうな紫色のナニカ。
女の子はそれを半分に分けると彼と彼女の中間地点に置いてすぐに離れ、自分はもう半分を食べ始めたのだ。
女の子が食べる姿を見た彼は紫のナニカが食べ物であると分かると、彼は女の子が置いたナニカに近づき、そしてそれを手にとった。
紫のナニカは熱くて彼は少し驚いたが、それ以上に良い香りがして、彼は思わずそれを口に入れた。
それはとても優しくて甘い、今まで食べたことがないくらいに美味しい食べ物だった。
空腹だった彼は、その紫色の食べ物をペロリと食べきってしまった。
それでもまだお腹が減っていたため女の子の方を見てみると、彼女はもう一つ同じ物を取り出して、半分に分けてそれを彼に手渡したのだ。
彼は彼女の元に駆け寄り、それを受け取って、彼女の横で食べ始めた。
彼女は隣で食べ始めた彼から逃げることも、襲いかかることもなく、一緒にもう半分を食べ始めた。
種族が違うけれど、誰かと一緒にご飯が食べれて、とても幸せだった。
紫色の食べ物を食べ終えお腹が一杯になると、女の子は紫の食べ物を包んでいた物に絵を描いて何かを尋ねてきた。
四角くて黒い板の絵だ。
彼女はその絵を指差して、彼に何かを問いかける。
そこでふと彼は、この洞窟の奥にある水晶玉の事を思い出した。
確かあれに触れると、四角くて黒い板が出てきた。
彼は水晶玉を綺麗だと想いつつ、一度も触れようと思った事はなかった。
『自分はあれに触るべきではない』、そう思ったからだ。
けれど、彼女なら、水晶玉に触れても良い気がする。
そう思った彼は、彼女を水晶玉のある場所へと案内した。
彼女はご飯をくれたし、彼と一緒にご飯を食べてくれたから、きっととてもいい人なのだろうと思ったから。
そしてその女の子、小森瞳子は水晶玉…ダンジョンコアに触れたことで【ダンジョンマスター】の称号を得た。
お馬鹿な変わり者の彼は、ダンジョンマスターになった彼女から『ゴブ郎』という名前を貰ったのだった。
神に無能と決めつけられ異世界に捨てられた人間の彼女と、頭の悪い弱者と周囲に判断され集落を追い出されたゴブリンの彼。
察しが良すぎるあまり神の顰蹙を買った小森と、幸運過ぎるあまり一人ぼっちになってしまったゴブ郎。
似たような境遇を持つ一人と一匹が、初めて出会った日のことだった。
その後、小森は自身の名前を『アイネス』と名乗り始め、ゴブ郎は常に彼女の側にいるようになった。
ゴブ郎の幸運がアイネスにも影響を及ぼしたようで、彼女が<ガチャ>を使えば最強格の魔物たちが召喚され、アイネスとゴブ郎の仲間となった。
最初は二人しかいなかった食卓は、少しずつ仲間が増えていく。
一緒に食事をする仲間たちが増える度、ゴブ郎の心はとても幸せになった。
アイネスは集落の仲間達から頭が悪いと馬鹿にされていたゴブ郎を頭が良いと褒め、変わり者と呼ばれていたゴブ郎の行動を特に何も思わない。
またゴブ郎も、言葉が全く分からないアイネスにも分かるように身振り手振りを使って気持ちを伝え、人から顰蹙を買うことを考え、普段は自分の気持ちを伝えようとしない彼女の本音を、不満に思うことなく聞き続ける。
そんな一人と一匹の信頼関係の固さは、周囲の魔物達が羨むほど固かった。
お互いがお互いを信じているから、アイネスはダンジョン戦争でゴブ郎に最も大事な任務を任せたし、ゴブ郎も自分の幸運を利用してそれに応えてみせた。
アイネスの指示に従いフォレスと別れた後、“たまたま”迷路の最短ルートを進み、
パスワード付きの扉を適当に打った数字が“たまたま”正しいパスワードで、見事扉を解除することに成功し、
“たまたま”地雷を全て避けて進み、
これまた“たまたま”地雷の解除スイッチを見つけて解除し、
何の問題もなく、ダンジョンコアの前に辿り着いた後、すぐにアイネスに小石を叩いてサインを送り、ダンジョンコアに触れてアイネスに勝利させた。
そしてタケルとのダンジョン戦争が終わった日の夜、ゴブ郎はアイネスと一緒にマイホームで寛いでいると、ふと思い出したようにアイネスがタブレットを操作しながら口を開いた。
「そういえば、後からベリアルさんに聞いたんですけど。」
「ぎゃう?」
「タケルさんのダンジョンの最深部、パスワードなんて物が付いてたんですね。」
ゴブ郎が彼女の言葉が通じないとは分かっているものの、アイネスはそのまま話を続ける。
「あれって結局、ゴブ郎くんはどうやって解除したんですか?7桁のパスワードなんて普通は解けないはずでしょう?」
「ぎゃうー。」
「あと、最深部の地面に仕掛けられていた地雷の解除スイッチも解除されていたそうなんですよ。<隠蔽>と<精霊結界>で解除スイッチを押さなくても大丈夫だったとは思うけど、普通そういうのって見つからないはずなのに。そこだけが未だに分からないんですよね。」
「ぎぎっ」
「もしかしてゴブ郎くん、私達が知らないようなチートスキルを持ってたりとかします?」
アイネスは一旦タブレットから目を離し、ゴブ郎の方を見てゴブ郎に尋ねた。
彼女の瞳はゴブ郎が最初に見た時と変わらず、キラキラ光るお星さまが散らばった夜空のようだった。
ゴブ郎はアイネスの目を見て、目をパチパチと瞬きをした後、笑顔を浮かべた。
「ぎゃう~……ぎゃう!」
「うん、まあ当然何を言っているか分からないですよね~…。ゴブ郎くんのステータスを見れば一発で分かるんだろうけど……、」
「ぎぎゃ?」
「…別に、確認しなくても良いか。ゴブ郎くんのスキルがなんであれ、ゴブ郎くんのお蔭でダンジョン戦争に勝てた事には間違いがないですし。」
アイネスはそう言うと、再びタブレットの方へと視線を戻した。
そして何事もなかったように日常へと溶け込んでいく。
ゴブ郎も特にアイネスに訴えかける事もなく、またクッションの上で寛ぎ始めた。
アイネスは知らない。
ゴブ郎の持っているスキルの存在を。
そのスキルの名前は、<一路順風>。
彼にとって都合の良い幸運が起き続ける、彼だけのユニークスキル。
彼がその幸運によって引き起こされた惨状にどう思うかは関係なく、彼が生きている限り幸運な出来事が続く、神の傲慢とも言えるスキルだ。
そんなチートのようなスキルをゴブ郎が所有している事を、この世界の創造神だって把握していない。
最弱の種族が故に、誰も気にも留めないから。
そしてそれは、アイネスも似たようなものだ。
ステータスの低さ故に、彼女の有能さに気づくのは彼女の恩恵に預かった数少ない者達だけ。
パーティーの件を知っているダンジョンマスター達も、彼女と直接会話をしたミルフィオーネやディオーソス達以外は彼女の事を内心見下していた。
そんな彼女だからこそ、ゴブ郎は彼女を仲間だと思ったのかもしれない。
「あ、林檎でも食べますか?」
「ぎゃーうっ!」
これは他とは違ったスキルを持ち、周囲から弱者だと思われている、とある魔物の話である。




