急がば
アイネス達の仕掛けた迷宮の罠により、己の主であるオークジェネラルと離れ離れになってしまったオークジェネラル側の配下達。
他の者よりも早い段階で黒い扉の前に到着した者たちはオークジェネラルの言いつけ通り仲間が来るのを少し待ってから、いち早く黒い扉の向こうへと足を踏み入れていた。
彼らはその先に何が待っているかも分からず、ただ黒い扉の向こうに続く道を歩いていく。
そんな彼らが到着したのは、妙に広々とした空間だった。
部屋に入ってすぐの場所には看板が立てられており、そこには達筆な文字で書かれていた。
『死の霧雨が降り注ぐ荒れ地を潜り抜けた先にあるのは絶望のみ。急がば戻れ。目先の欲に惑わされることのない者が真の道に進む事が出来る』
「死の霧雨が降り注ぐ荒れ地? 此処、洞窟の中だろ?」
「格好良く言おうとしてこんな表現になったんでしょう。所詮、愚図な亜人の子供が管理するダンジョンね。緩過ぎて面白みもないわ」
看板の内容を見たオークジェネラルの配下達はその場にいないアイネスをケラケラと嘲笑いながら、部屋の奥へと入っていく。
そこで彼らはある事に気が付いた。
「ん? なんだこれ?」
「透明な……ガラスで出来た壁?」
「それにこれ、透明な扉もないか?」
ただだだっ広いだけの空間だと思った部屋は透明な壁と扉によって右、真ん中、左と3つの区域に分かれている。
更にその奥には他と同じく透明な壁によって分けられた、この部屋の出口と思わしき黒い扉があった。
それを見たデビルが何か閃いたのか、声を上げた。
「これはあれだな。3つの区域の内どれか1つが出口の扉がある空間に繋がる扉があって、ハズレの区域には沢山のトラップが仕掛けられているんだろ」
「なるほど、それで攻略までの足止めをしようって訳か」
「だったら三手に分かれて3つの区域を同時に進んでいけば良いな。なんだ、内容さえ知ってしまえば後は単純だな」
余裕綽々の彼らは3チームに分かれ、それぞれ別々の区域へと入り、出口に向けて歩いていく。
それぞれの区域には特にそれらしい罠は見られず、魔物達は少し拍子抜けた様子だ。
「なんだ? どこにもトラップらしいものがないぞ」
「間違ってトラップを仕掛けるのを忘れたのか?」
ただ透明な壁でまっすぐ遮られているだけのトラップの一つも見られない部屋に、真ん中の区域を進む魔物達は首を傾げた。
罠もない空間を歩いていく事に、魔物達のモヤモヤとした気持ちは少しずつ募っていく。
ポタッ、ジュウゥゥッ……。
その時、彼らの背後から水滴が垂れたような音と、腐った肉が焼かれるような嫌な音が聞こえた。
後ろを振り返ってみると、彼らのすぐ背後の床に丸い穴が開いていた。
その穴には紫色の煙が上がっている。
「な、なんだ、この穴ぼこ……」
「確か、こんな穴さっきまでなかったよな?」
「てかこの煙なんだ……いだっ!!」
一体の魔物が興味本位に穴ぼこから漂っている煙に触れると、彼は苦痛の声を上げて煙から手を退いた。
何処か怪我していないかと煙に触れた魔物が自分の手の方へと視線を向けた。
そこで彼は、自分の手がどうなっているかを見てしまった。
先程煙に触れた手は明らかに異常なほど青紫色になり、手先からぐじゅぐじゅになって溶けていた。
自分の手が溶けているのを見てしまったその魔物は、顔を歪ませ、大きな悲鳴を上げた。
「ひ、いぎゃあああああああああああ!!!」
その悲鳴を聞いた他の魔物達がその魔物の手に目を向けて、彼の手の惨状をその目で確かに見た。
手が溶け、骨まで見えてしまっているその酷さに他の魔物達は顔を青褪めた。
「手が、オレの手がああああああああああっ!!」
「ど、毒だ! この煙、猛毒だぞ!」
「クソッ、一体何処からこんな毒が……!!!」
先程までの余裕は何処へやら、仲間の一体の手が溶けたという異常な事態に魔物達はあっという間にパニックになる。
オークジェネラルの配下達は慌てて辺りを見渡して毒の出どころを探し始めた。
その時、一人の魔物がふいに天井を見上げたまま顔を真っ青にして、身体を震わせ始める。
その魔物の様子に気が付いた仲間の一人がその魔物に声を掛けた。
「おい、どうした?」
「あ、ああ、あああ、あれ……」
「あれ?」
顔を青褪め絶望と恐怖の表情を浮かべる魔物は、震える手で天井を指差した。
他の魔物達はその魔物が指し示す方向の方へと視線を上げ、天井の方を見た。
そして彼らは、そこにいた者の姿を見てしまった。
ポタッ、ジュウゥゥッ……。
ポタッ、ジュウゥゥッ……。
ポタッ、ジュウゥゥッ……。
それは、紫色のドラゴン。
天井を這い、口から紫色の息を吐き、猛毒の涎を垂らし、真下の床をじわじわと溶かしている。
そんなドラゴンは自身のすぐ下にいる、恐怖の表情を浮かべた魔物達をじっと見下ろしていた。
自分たちの真上にいた最強の一角の存在に気が付いた魔物達は目を大きく開いて硬直し、そしてそれが解けると大きな悲鳴を上げた。
「う、うわあああああああああああああああ!?!?!?」
「な、なんで、こんな所に、エンシェントポイズンドラゴンがいるんだよ?!?!」
エンシェントポイズンドラゴン。
エンシェントドラゴンの一角にして、ドラゴンの中でも最も強い毒を持つ毒の古代竜。
体内に溜め込んだその毒気により、普通の魔物では触れるどころか近づくことすら出来ない存在の姿に、魔物達は恐怖と絶望に包まれた。
そんな彼らをエンシェントポイズンドラゴン……カシャフは鬱蒼とした目で見下ろしながら喋り始めた。
「き、きき、君たちさぁ……どうしたのさ? さ、さっきまでの余裕は何処に行ったんだい……?」
「ヒィッ!」
「こ、こ、このダンジョンは、『緩過ぎて面白みもない』ダンジョンなんだろう? だ、だだ、だったら、ぼく如きが出たところで、特に変わらないだろう?」
「あ、ああ……」
カシャフの身体から、紫色の毒気が漂い始める。
鬱蒼とした瞳の奥には、魔物達への怒りが見えた。
「そ、それに、あの看板の内容のことも言ってたよね? しょ、『所詮、愚図な亜人の子供が管理するダンジョン』だって……。あ、あの看板の内容もこの部屋の仕組みも、は、発案者はぼくなのにさぁ……」
カシャフは顔からポロポロと猛毒の込められた水滴を流した。
それは自分の考えた部屋と自分のダンジョンマスターを侮辱された事に対する悲しみの涙か?
それとも、今すぐにでも真下にいる敵を喰いたいという怒りと殺意に満ちた涙だろうか?
「ど、どど、どどど、どうしてそんな酷いことを言うんだよ……」
「に、に……」
カシャフの涙が蒸気となり、紫色の雲になる。
カシャフの涙で出来た猛毒の雲は次第に大きくなり、毒の雨が振り始める。
「<トクシックレイニー>……。二度とそんなこと言えないように、お前らの顔を溶かしてやろうか?」
「逃げろぉーーーーーー!」
一人の魔物の声と共に、魔物達は一斉に出口の方へと駆け出した。
一斉に逃げ出した魔物達を逃すまいと、カシャフは猛毒の雨を降らす雲を連れて天井を這いながらオークジェネラルの配下達を追いかける。
猛毒の雨とカシャフから逃げる魔物の一体がふと別の区域にいるであろう魔物達助けを求めようと、左右に視線を向ける。
そして彼は目を見開いた。
自分のいる場所とは別の区域も、また地獄の光景が広がっていたのだから。
「あら、もう終わりなノ? ツマラナイ男達ネ」
「い、息が、できな……」
左の区域では美しく空を飛ぶ翠色の羽毛を持った大きな鳥が落とす羽根に込められた毒気によって自分たちの仲間達が息を詰まらせて血と泡を吹き、
「あまり濃い鱗粉を出すと、暫く放出したままになってしまうので此処では使わないだろうと思っていたんですがね……」
「アヒャヒャヒャヒャ!!!!」
「シヌシヌシヌシヌシヌシヌシヌ」
「あべばばべばべばばばば……」
「……アイネスさんが戻ってくるまでに鱗粉をどうにか抑えないといけませんね」
右の区域ではフェアリーロードの鱗粉が充満し、魔物をも狂わせるほどの鱗粉を吸い込んだ仲間達が狂いながら自分や他の味方を傷つけている。
まさに、地獄絵図のような惨状だった。
その酷い光景に硬直しそうになるが、すぐ後ろにまで来ている毒雨が石の床を溶かす音ですぐに我に帰り、前へと駆けていく。
そしてその魔物はとうとうスタート地点の反対側にあった黒い扉のすぐ前まで到着した。
彼は必死に透明な壁を触って、透明な扉を探す。
「くそっ、何処だ! 扉は一体何処にあるんだ!」
すぐそこまで恐怖の対象が迫ってきているという事実が彼に動揺と焦りを与えるせいで透明な扉は中々見つからない。
それでも、彼はなんとか見つける事が出来た。
出口のある空間へと入るため、彼は慌てて透明な扉を開けて中に飛び込んだ。
彼が透明な扉を閉じた直後、紫色の雲が扉の前に辿り着いた。
彼以外の仲間達は、既にその途中で全員骨ごと溶かされて死に絶えていた。
他の2つの区域の者達は、皆出口の前で息絶えていた。
あまりにも酷なその惨状に、唯一逃げ延びた魔物は口を抑えた。
「は、早くロッソ様と合流しないと……」
目の前に広がった地獄絵図に目を背け、彼は黒い扉へと走る。
ただ、この恐ろしい部屋から抜け出す。
今は自分だけでも生き残った事を喜ぼう。
そう、考えることにしたのだ。
だがその考えは一瞬で砕け散ることとなる。
黒い扉の直ぐ側に近づいた時、彼は気が付いてしまった。
その魔物は目を見開き、わなわなと震えながら黒い扉……と思われたそれに触れた。
「こ、これ、絵か……!?」
遠目からでは気が付かなかった。
その真っ平らで平坦な壁に描かれたそれを間近で見て、漸く気が付くことが出来た。
自分たちが出口だと思っていたその扉は、かなり精巧に描かれた騙し絵だったのだ。
魔物は慌てて他の扉がないかとあちこちを探すが、その空間には扉といえるものは何処にもない。
そこに、出口といえるものは全くなかったのだ。
魔物は考える。
一体何故出口がないのかと。
目の前にあるこれが偽物なら、本物の扉は何処にあるのだと。
頭を抱え、そんな事を頭の中でぐるぐると考え始めた魔物は、ふと後ろを振り返った。
そこに広がっているのは同じダンジョンマスターに仕える仲間たちが死に絶えた惨状。
そして、自分達がこの部屋に入ってきた時に使った黒い扉だった。
先程まで開いていたはずのその扉はいつの間にか閉ざされており、入った時には見えなかった部屋側の側面が見えるようになっていた。
そしてそこには、白い絵の具で大きくある文が記されていた。
『出入り口。暫し待てば次の部屋へ向かうことが出来る』
「でいり、口……?」
「漸く気が付いたようネ。この部屋の真実に」
「も、ももも、もう、遅すぎるけどね……」
「看板にも記されていたでしょう? 『急がば戻れ』って」
透明な壁の向こうから3体の魔物たちが口々に言った。
そしてその魔物は漸く気が付いたのだ。
そう、看板。
あの看板に記されていたのは、ヒントだったのだ。
『死の霧雨が降り注ぐ荒れ地を潜り抜けた先にあるのは絶望のみ。急がば戻れ。目先の欲に惑わされることのない者が真の道に進む事が出来る』
魔物達が死の霧雨が降り注ぐ荒れ地……カシャフ達のいる空間を通って進んでもそこに出口なんてない。
ただ毒によって仲間たちが死んでしまい、追い込まれたという事実に絶望するだけ。
本当の出口となる場所は自分たちが最初に入ったその空間に存在していたのだ。
その真実を知った彼は、ヘナヘナと崩れ落ちた。
オークジェネラルの配下の生き残りのいる空間と、3つの区域を分ける透明な壁の上部……唯一穴が開いたそこから、毒の雲と羽根と鱗粉が入ってくる。
あと数分もすれば、彼も自分の仲間と同じ運命を辿ることとなるだろう。
「は、ははは……」
そしてその魔物は、絶望の中で笑ったのだった。




