主様は意思疎通が取れない (ベリアル視点)
初めてその御方を見た時、「なんて弱そうな生き物なんだ」と思いました。
私の知識にない不可思議な衣類を身に纏ったその少女は、人間の中でもかなり幼い見た目で、隣に立っていたゴブリンよりも気配が薄かったです。
背中まであるだろうその黒い髪は紐で乱雑に一つに結ばれていて、長いズボンを穿いていたので一瞬目の前の少女を少年かと勘違いしかけましたが、幼い顔つきの割に凹凸が分かりやすい体型でしたので、すぐにその勘違いを改めました。
そして、特に印象的だったのはその瞳。
年齢にして8,9歳程度の見た目の彼女の瞳はこの世界では珍しい混じり気のない黒で、どこか貫禄を感じさせるような瞳でした。
幼いとはいえ相手は女性、私はその御方に微笑みを浮かべました。
その御方は、私の微笑みを見て目を見開くと……
「####!!!」
……とっても都合の悪そうな顔で叫んだのでした。
これが私と、この後すぐに私のマスターとなるアイネス様との出会いでした。
##### #####
正式な<契約>を結ぶ前のその少女に対する印象は、『保護欲を擽られる愛らしい小動物』でした。
当時の彼女はダンジョンマスターに就任したばかりで、どうやら私のような魔物が来るとは思っていなかったようでした。
聞き慣れない言語を発しながらあちらへグルグル、こちらへグルグルと歩いてみたり、頭を抱えたと思ったら何かを閃いた様子で喋り、なにか驚いた様子で肩を落とし、その後突然叫んだりと、まるで小動物のように動いておられてました。
そう、そのダンジョンマスターの少女は言葉による意思疎通が取れません。
といっても、ゴブリンやスライムのように言葉を喋るだけの知性が低い訳でも、スケルトンのように言葉を発する為の機能がない訳でもありません。
お互いが使う言語自体がそもそも違うのです。
少女は悪魔族の中でも王と呼ばれるアークデビルロードである私でも存じない言葉を使います。
更に、少女自身も私の言葉をご存じないそうなのです。
ですので私は主様が何を言っているのか分からず、ダンジョンマスターである彼女も私が何を言っているのか分からないのです。
最初に幾つか会話をした後、この事に気が付かれた少女に白い板に絵を描いて伝えられた時は、流石に驚きました。
知性の低いゴブリンの王やメイジがダンジョンマスターに就任するケースは少なからず存在します。
しかし、同じ知性を持つ者同士であるにも拘らず言葉が通じないケースはこれが初めてでしょう。
その少女は感情を表情にあまり出さない方でしたので、当初の私は困り果てておりました。
召喚されたばかりにも拘らず、目の前にいるのは言語の通じない人間の少女とゴブリンのみ。主様に私の存在が歓迎されているのか、逆に敵意を見せられているのかも分からない。
アークデビルロードとして生まれ長年生きていた中でも、初めての困惑だったでしょう。
何故召喚されたばかりにも拘らず、長年生きていたと言うのか?
それは敢えて伏せさせていただきましょう。
そんな困惑に陥る私を助けたのは、主様の隣に立っていた一匹のゴブリンでした。
そのゴブリン(この後ゴブローという名前だと教えられました)は私と主様の戸惑いにいち早く察したのか、主様に身振り手振りで何かを訴え始めました。
主様はそれを見てゴブリンの意図を察したように頷くと、宙に画面を表示して、操作を始めました。
ステータス画面と似たような画面に見えましたが、表示されているものは違うようでした。
主様が幾つかの操作をすると、何もない空間から紙で出来た茶色の箱が姿を現しました。
召喚魔法は魔法の中でも高度な魔法で、本来人間には使うことが出来ない魔法です。
それをいとも容易く行った主様に、私は驚愕致しました。
主様は召喚したその箱から紫色の小さな長方形の物を取り出し、細長い木の針のような物と一緒に皿の上に置くと、その皿を私に差し出して来ました。
「######、######…」
「これは…?」
私は主様からその謎の紫の物体の乗った皿を手に取りました。
主様の意図が分からず、その皿を持ったまま戸惑っていると、主様は同じ物が乗ったもう一つの皿を取り出し、木の針で紫の物体を突き刺すと、それを口に含み、そのまま咀嚼して飲み込みました。
そんな主様を羨ましげに見つめるゴブリンに気がついた主様は、皿の上に乗った一つをゴブリンに差し出しました。
ゴブリンはその紫の物体を口にすると、頬に手を当てて嬉しそうにそれを食べ始めました。
その姿を見て、ようやく私は皿の上に乗った紫の物体が食べ物である事を悟りました。
そして、それを食べるように勧められているのだと。
私は主様が行ったように木の針で紫の物体を突き刺し、そのままそれを口に致しました。
その瞬間、私は今までに感じたことないような感動の渦に襲われました。
砂糖とは違った優しい味付けに、滑らかでずっしりとした食感。噛めば品の良い甘みが口に広がり、スッキリとした甘さを残して口の中に消えていく…。
気がつけば、ついつい二口目に手を伸ばしておりました。
悪魔の王の血を引く者として数多の美食を知っているつもりでしたが、そんな知識を全て塗り替えるほどの威力を持った美食でした。
その時に主様から教えられたのですが、私が食した紫色の美食は『ヨーカン』という名前なのだとか。
『ヨーカン』…見た目はポイズンスライムを四角に固めた物のようでしたのに、恐るべきです。
このような美食を口にさせてもらった礼を言おうと跪くと、主様は慌てて私を立たせました。
その後、主様は私に名前を付与してくれたのです。
ベリアル。それは私だけの名前。
ダンジョンマスターに名前を付与された事で<契約>が結ばれました。
「主様、ベリアルという素晴らしい名前を授けてくださり感謝を申し上げます」
「##、#################。」
私が一礼すると、主様はうんうんと頷いて感謝を受け入れてくださいました。
少し慣れてくると、言葉が分からなくても身振り手振りで相手がどう考えているのか分かるようになるのですね。
そこで私は主様に主様の名前をお尋ねしました。
今後主様の下につくにあたって、名前は知っておきたかったので。
しかし、主様の名前は私にはとても発音しにくい名前で、その名前を正確に言う事は叶いませんでした。
敬うべき主様の名前を言えないとは、何たる無礼。
不甲斐なさのあまりに頭を下げていると、主様は私に顔を上げさせ、自身の胸に手を当てて、言いました
「アイネス、*********。」
「アイネス?」
「**、アイネス」
アイネス。
それは世界の端に咲いているとされていて、数百年に一度しか咲かない希少で異質な花の名前だ。
その名の通り、我が主様は他のダンジョンマスターとは違った空気を纏っている。
まさに、その名に相応しい御方だろう。
私はそんな主様…いえ、アイネス様に跪き最大の敬意を見せ、言いました。
「マスターアイネス、このベリアル、その命を掛けて貴方に追従いたします」
アイネス様はこの敬意に対し、私の肩を叩き、受け入れてくださいました。
アイネス様はとても顔に出ないミステリアスな方でしたが、『ヨーカン』という美食をその手ずから差し出してくれたこと、ベリアルという名前を名付けてくださったことで言葉が通じずとも歓迎の意を見せてくださいました。
それだけでも、この御方に従う価値があると思ったのです。
そしてそれからアイネス様は、私が思ってもいなかったような物を見せてくれました。
伝説級の効力を持つ幻影魔法の込められた魔道具や、この世界には存在しないであろう美食の数々、そしてそれらを召喚することが出来る未知のスキル。
私が召喚された最初の日に、アイネス様はスケルトン3体を召喚して、私や他の魔物たちが住むための居住地を用意してくださいました。
居住地だけでも感謝しかないのですが、アイネス様は配下である私やゴブローさん達のためにその手ずから作られたであろう食事を用意してくださったのです。
配下である私が主であるアイネス様と同じ席で食事をとるなど、と遠慮したのですが、アイネス様はそれを良しとせず、私を椅子に座らせ共に食事を取るように促したのです。
アイネス様が作った料理はどれも宮廷料理人が調理したフルコースなど軽く凌駕するぐらい美味でございました。
中でも私が驚いたのが、アイネス様の考えたダンジョンのアイディアでした。
アイネス様の考えたダンジョンは今までのダンジョンになかったであろう革新的な物で、これをアイネス様から説明された時は思わず感嘆してしまいました。
ダンジョンに侵入者を殺す意がないことを最初に伝える事で冒険者達の気を緩ませ、更に価値の高い物を手に入れられると告げる事で冒険者達をその気にさせる。
そして、此方が作り上げた物語に合わせて進ませる事で冒険者達の行動を誘導し、その間に存在する仕掛けで冒険者達から感情を最大限に引き出させる手法。
その仕掛けの一部である『ナゾナゾ』というものを私も実際に経験させてもらいましたが、あれは本当に難問でした。
前半の問いは容易く解けたのですが、後半からは私より知性が低いゴブリンのゴブローさんやスケルトンのスケが正解を答えていった時は、本当に悔しく思いました。
もしもナゾナゾで苦悶した冒険者達に「あれらは、ゴブリンやスケルトンが容易く解けたのだ」と教えて差し上げたら、どれだけ悔しがるでしょうね?
アイネス様からこれらのアイディアを聞いた後、【ダンジョンマスター】の付属スキル、<オペレーター>様にアイネス様の事について尋ねた事があります。
何故、アイネス様は私共の言葉を知らないのか。そして何故、人間の身でありながらダンジョンマスターとなったのか。
ダンジョンマスターは人族にとって敵そのもの。
普通の人間であれば自ら就任したいと思う物ではございませんから。
私の問いに対し、<オペレーター>様は懇切丁寧に答えてくださいました。
そして、その回答を聞いた私は、この世界の神に対して怒りに震えました。
突然元いた世界から別の場所に連れていかれ、断ったにも拘らず能力値の低さから無能と蔑んで無理に人気のない洞窟の中に捨てられる。
しかも、異世界で生活していくにあたって重要な言語スキルを与えられず、自分の能力を知るために必要なステータスも自分で表示できないようにされ、異世界転移者の特典であるスキルも敢えて使えないようにされたまま…。
そんな窮地の中に孤独にいたアイネス様の隣にいたのは、偶然にもその洞窟の近くに住んでいたゴブリンであるゴブローさんのみ。
ダンジョンマスターとしての職業も、<オペレーター>のスキルもダンジョンマスター就任後に手に入れたもの。
それらだって、<オペレーター>様が偶然に回答された事でようやく理解できた事実だそう。
身勝手に別の世界の人間を呼び込んだにも拘らず、己の望んだ力を持つ者でないからと破棄するだなんて、なんて傲慢で愚かな行いでしょう。
実際にはアイネス様はステータスの能力以上の力を秘めていたにも拘らず、数値だけを見て不当な評価を下してしまったのですから。
もしも丁重に扱っていれば、その神が望んでいたという文明の発達への大きな一歩を与えていたでしょうに…。
創造神とは思えないほど、実に愚かな選択を取りましたね…。
しかし同時に、私はその愚かな神に感謝することが一つあります。
創造神がアイネス様をこのダンジョンに捨ててくださった事で、私は今こうしてアイネス様の配下として従う事が出来るのですから。
それだけは感謝をしておかなければなりません。
今日、アイネス様が新たな魔物を召喚なさいました。
なんと、強大な力を持つ竜族の中でも王者として君臨するエンシェントドラゴンの一匹です。
言葉での意思疎通が取れないアイネス様に代わり、私が彼の指導をしていかなければいけません。
なにせ相手は脳筋で自尊心の高い羽トカゲですからね。早い内に序列を教え込まねばなりません。
アイネス様が自室から戻られる前に、存分に叩き込んでおきましょうか。




