かのダンジョンの主は(クラス・ベンクトソン公爵視点)
最初に彼女を見た時、この世の者とは思えぬ異質さだった。
真っ黒な髪、日焼けが殆どない肌、風変わりの衣装。
浮世離れしたその雰囲気から一瞬人形かとも思ってしまったが、その気持ちはすぐに撤回された。
彼女は舞っていた。
地上を、舞っていたのだ。
地面に並行するように足を前後に開脚させたり、頭につま先を付けたり、逆立ちしたりと、様々な動きをしていた。
その技の一つ一つはどれも身軽で、しなやかで、静か。
本当に同じ人間なのかを疑ってしまうほど、彼女の動きは美しかった。
この舞いにも似た技の数々を見て「飛ばずして宙を舞う」という言葉が思い浮かんだのは決して間違いではない。
彼女が地に両足を付けた瞬間、此方にも聞こえるぐらいの拍手喝采が此方にも聞こえてきた。
わたしの足は自然と鍛錬場へと動いてしまった。
「アイネスちゃん、凄かったよー!もう、すっごい身軽だった!」
「##########」
「でも、こんな凄い事出来るってどうして教えてくれなかったのさー!」
「#############」
鍛錬場の前まで辿り着いた時、わたしは驚愕した。
先程まで地を舞っていた少女の夜空のような瞳にではない。
彼女に抱擁している美しい少女の姿を見て、だ。
(魔族の尻尾に白と黒が反転した瞳……魔物か!)
なんと、鍛錬場に悪魔族と思われる少女がいたのだ。
それだけではない。ドラゴンと思わしき男もいた。
他にも遠目から彼女を見る獣人二人と容姿の整った青年が立っていたのだが、恐らく彼らも魔物なのだろう。
魔物の少女はまるで友人のように舞いを見せた少女と仲睦まじく語らっていた。
少女は特に表情を崩すことなく、淡々と此方には分からない未知の言葉を操って会話をしていた。
黒い髪。夜空のような黒い瞳。魔物と親しく接するその態度。幼き少女の姿でありながら老輩のような落ち着きを持つ矛盾した見た目。
誰も近寄ることを許さず、しかし何処か人を惹きつける異質なオーラ。
それこそ、謁見の間に参加してた者から聞いたダンジョンの主の特徴そのものだった。
(まさかあれが、噂の『物語』のダンジョンの主か!)
噂には聞いていたが、本当に少女のような姿だったとは思わなかった。
しかし、彼女の持つオーラと魔物達に慕われている目の前の光景、それらが彼女はダンジョンの主であることを知らしめていた。
最初はダンジョンの主との遭遇には驚いたが、逆に良いチャンスだと思った。
パーティー内では魔物達が警戒していてダンジョンの主に話しかけられるか分からない。
しかし、二日目の散策の時間を狙って話しかければダンジョンの主に不審に思われかねない。
ならば今この場で、堂々と話しかけて交渉に持ちかけるのは良いだろう。
目的の情報が手に入れられずとも、ダンジョンの主に顔を覚えてもらえれば後々都合が良い。
魔物達が何かしようと考えても、周囲には騎士達がいるから手出しは出来ない。
ならば、此処で声を掛けるのが都合が良い、か。
「いやあ、かの有名なダンジョンの主様は物を覚えることにとても意欲的なのですね。素晴らしい心構えです」
***** *****
結果として、わたしの試みは成功とは言えなかった。
魔物達は此方の想定以上に狡猾で警戒心が強く、ダンジョンの主は此方の予想よりも遥かに自己があった。
精密に作られた人形のようだったのはその見た目だけ。
最初彼女を間近で見た時、口布で表情は読めないものの、瞳の無感情さから見えていた。
しかしわたしが彼女に接近しようとすると、横にいた魔物…リリスに邪魔されてしまった。
そこでリリスの方から懐柔を行おうとしたが、リリスは此方を中々許そうとしない。
夢魔達の女王、リリスとは思えぬ素っ気ない相槌ばかりを打っていた。
それでもどうにか交渉を持ちかけてみたは良いものの、あまりいい顔はされなかった。
それどころか、中性的な見た目の猫の獣人に上手く乗せられ、人がいる前で非常識な行動を晒すこととなってしまった。
ハッキリ言って、魔物は好きではない。
むしろ嫌いの部類に入る。
狡猾で、下品で、乱暴で、醜い。
いや、リリスのように見た目の良いものもいるだろうが、そういう奴は中身が醜悪なものが多い。
人間や亜人の見た目を取っていても、“魔物”であるという事実だけでどうしても嫌悪感が出てしまって駄目だ。
勿論表面に出すつもりはないが、こればかりは変えられそうになかった。
ただ、人間でありながら魔物たちとダンジョンの主であるアイネス様には特に悪感情はない。
むしろ、あの幼い見た目でついつい和んでしまう。
彼女が騎士団長から武術を教わっている時の、子供が親に教えを縋るような姿は、屋敷にいる3人の幼い妹達を思い出してしまう。
見た目だけで推測するなら、末の妹と同じぐらいの年齢だろうか?
あの見た目はズルい。ついついその頭を撫でたくなってしまう。
思わず、最近起きている事件の噂について話して忠告してしまったぐらいだ。
普通であれば魔物相手に忠告なんてしないが、妹と同じぐらいの年齢らしい彼女が良からぬ者に誘拐されるというのはあまり見たくなかった。
もし可能なら、是非妹達に会って仲良くしてもらいたいものだ。
そして、ついにパーティーが開催される日となった。
開催時間よりも早い時間に来てしまった為、時間が空いてしまった。
確かとある筋から聞いた話だと、彼女はエルミーヌ王女が開催するお茶会に参加すると聞いたな。
出来ればダンジョンの主と交流を深めたいところだが、流石に王女が開催するお茶会に顔を出す訳にはいかない。
仕方ない。昔馴染みのリドルフォと少々雑談でもしているか。
確か奴のいる研究棟に行くなら中庭を抜けるのが早いだろう。
「あ、コラ!待てって!」
「そっちは駄目だぞ~」
「ん?」
中庭を歩いていると、飼育舎のある方向から声が聞こえてきた。
声の聞こえた方向を見てみると、宮廷料理人を纏める副料理長と飼育員長が慌てた様子でバタバタしているのが見えた。
何か小さな動物を追いかけているようだ。
あれは……、飼育舎で飼育しているリオスクァリルとケーピヴァか?
リオスクァリルとケーピヴァは副料理長と飼育員長の手を軽やかに避け、此方の方へ突撃してきた。
わたしがそっと膝を折って2体の動物たちを捕まえると、彼らは意外とあっさりとわたしに抱えられる。
そしてその直後に、副料理長と飼育員長が顔色を変えて此方にやって来た。
「うおっ、貴族の人だ……。も、申し訳ありません!お手を煩わせてしまって……」
「いや、構わない。それよりこの2体は飼育舎から脱走したのか?」
「は、はい。僕がこの二匹を散歩に連れ出そうとしたら慌てて逃げ出してしまって……」
「彼が追いかけているのを見て自分も捕まえるのを手伝おうとしたのですが、生憎動物にはあまり好かれない体質でして……、全力で逃げられていました」
「あわわ……副料理長さん、大丈夫ですよ。彼らは初対面相手には警戒心が強いので……。」
肩を落として涙目で落ち込む副料理長を、優しく慰める飼育員長。
別に料理人が動物に嫌われるのは良いだろうが、仮にも飼育員長が動物たちに逃げられるのはどうかと思う。
わたしは動物達を抱え直しながら、彼らに言った。
「今日は他国からの招待客もいる。飼育舎の動物が他国の人間に噛み付いたり引っ掻いたりでもしたら大問題になる。今日は動物の散歩は控えておけ」
「わ、分かりました。今日はもう飼育舎に戻しておきます。ほ、ほら、お家に帰るよ~」
飼育員長は懐から彼らの餌であろう、オヴァコーダの種とサティヴァの葉を差し出した。
しかし、腕の中の動物たちはその餌にそっぽを向いた。
「あ、あれー? 機嫌が悪いみたいだなぁ」
「お腹が減ってないんじゃないか?」
「うーん、小腹程度は空いていると思うんだけどね……」
「それより、早く彼らを引き取ってくれ。このまま暴れられては服に毛が付いてしまうからね」
「あ、申し訳ありません!」
わたしがそう言えば、飼育員長はわたしの手から器用に動物達を受け取り、そのまま抱きかかえた。
震える彼らを抱きかかえたまま、飼育員長は頭を下げて此方に礼を言った。
「ご迷惑をお掛けしました。では、僕はこれで……」
「自分も休憩を終えて調理場に戻ろうと思います。それでは」
「うむ。次から脱走させないようにしてくれ」
足早に去っていく二人の後ろ姿を見送りながら、わたしはため息をついた。
全く、こういった事は気をつけて欲しいものだ。
服についた動物の毛を払いながら、わたしは目的地へと向かった。
##### #####
リドルフォと雑談して時間を潰すと、結構な時間が経っていた。
そろそろパーティー会場へ向かっても大丈夫だろう。
パーティー会場の前に辿り着くと、既に何名かの招待客が会場内にいた。
彼女達は、まだ来ていないようだ。
パーティー会場へ足を踏み入れ、陛下達への挨拶を終えると、一人の男の姿を見つけた。
デーヴェ大臣だ。
彼は何故か苛立たしげに爪を噛みながら、何かブツブツと呟いている。
「デーヴェ大臣閣下、お会い出来て光栄です。」
わたしが挨拶に向かうと、先程まで苛立たしげにしていたデーヴェ大臣はコロッと胡散臭い笑みを浮かべてわたしに返事を返した。
「おお、これはこれはベンクトソン公爵。貴方もパーティーに参加したのですね!」
「今日も変わらず……元気そうで何よりです。」
「いやぁ、そう思われますか? 実は最近少し問題を抱え込んでいまして、過労で少々痩せてしまったぐらいです。」
デーヴェ大臣はでっぷりと膨らんだ腹を張りながら、そんな事を言う。
この大臣は色々ときな臭い噂が絶えないが、口が軽いので情報収集するのにはとても都合がいいのだ。
そんな事を思われているのも気づかず、デーヴェ大臣はペラペラと話し始めた。
「そういえば、ベンクトソン公爵は知っていますかな? アスペル王国の招待客について……」
「ああ、話は耳にしています。なんでも、最近強いと噂になっている冒険者達が同行しているとか聞きますね」
「先程パーティー前に偶然その噂の彼らと出会って話をしたのですが、噂は所詮噂、でしたね。今抱えている問題のことを相談して依頼をしてみたのですが、直前になって怖気づいたのか引き受けないと断ってきたのですよ。全く、困ったものです」
肩を竦めてため息を付くデーヴェ大臣に適当に相槌を打ちながらそれらしい人物を探してみると、あっさりと見つかった。
どうやら三人組の冒険者らしく、全員高級なドレスを身に着けてはいるし貴族としてのマナーはしっかりしているようだが、どうしても平民感が抜けない。
特に一人は耳に沢山ピアスを付けていて、どう見ても街の荒くれ者にしか見えない。
他の二人は何故か機嫌が良さそうだが、何か嬉しい事でもあったのか?
「そういえば、ダンジョンマスター殿達はまだいらっしゃらないようですねぇ」
「きっと準備に時間が掛かっているのでしょう。女性はどんな年でも身支度に準備が掛かるものですから」
「ハハッ、言えておりますなぁ! まあ、ワタクシとしては出来ることなら、ダンジョンマスターと二人きりで話したいものですがねぇ……」
そんな事を言いながらデーヴェ大臣はニチャリと粘度のある笑みを浮かべる。
大臣相手に向けるべき言葉じゃないが、本当に気味が悪い。
この男の言う話なんて、絶対禄でもない話に違いない。
こんな男には出来れば近づいてほしくないものだ。
そんな事を思っていると、周囲の人間が一気に静まり返る。
何事かと振り返ってみると、先程話題に上げていた彼女がいた。
ドラゴンの彼に手を引かれ、優雅に歩く彼女の姿の姿に、わたしは思わず言葉を失った。
下に行けば行くほど黒に近くなる、藍色のドレス。
満天の星のようにドレスに散りばめられている石は宝石だろうか?
シャンデリアの光に当てられ、キラキラと輝く姿はまさに星のようだ。
顔を隠すように覆われた黒のヴェールも、首元に光る碧色の宝石のネックレスも、ドレスと合っていてさらに存在感を上げている。
前回会った頃よりも彼女のオーラは強く、彼女の人形のような無機質さがより彼女を美しく映えさせている。
二日前の昼に会った彼女が地面を舞う雛鳥なら、今の彼女は月夜に佇む星天の精霊。
誰もがそのドレスの美しさと、それを着こなす彼女に見惚れてしまっていた。
ドラゴンとリリスが彼女の代わりに王太子殿下への挨拶と会話を済ませ、彼らの手が空いた。
しかし、誰も彼女たちに近づく者はいない。
当然だ。
彼女の両脇にいるのはかの有名なエンシェントドラゴンと、夜の女帝とも呼ばれるリリス。
それだけでも近寄りがたい上に、本命の彼女自身が何処か近寄りがたい雰囲気を出していてとても話しに行けそうにない。
実際、一度面識のあるデーヴェ大臣も、わたしもとてもではないが簡単に近づけそうになかった。
会話をしに声を掛けようにも、一体どんな話題を挙げれば良いのか不安になってしまうほどだ。
ドラゴン達は周囲を警戒しながら辺りを伺っている。
きっと、招待客の面々が中々接近しないことに首を傾げているのだろう。
一方、彼女は顔を下方に俯けて口を閉ざしている。
ヴェールによってその素顔は隠されていて、彼女が何を考えているかは全く分からない。
ふと、あることに気がついた。
彼女がドラゴンの彼に添えている手をそっと握りしめていることに。
まるで、不安のあまり何かに縋っているようだ。
その姿を見て、つい妹達が初めてパーティーに参加した頃の記憶を思い出した。
(ああ、そうか。)
私はゆっくりと彼女たちに近づいた。
近づけば近づくほど、そのオーラに圧倒されてしまいそうになるが、わたしは歩みを止めなかった。
他の招待客は彼女達に近づくわたしに気がついて目を丸くしているようだ。
そして彼女達のすぐ近くまで近づいたわたしは、二日前と同じように彼女達に声を掛けた。
「これはこれは、二日前に見た姿とはまた変わって美しくおられますね、ダンジョンの主様」
「「!」」
わたしが声を掛ければ、魔物の二人は此方を予想外の者でも見るような顔で此方を見て、彼女はそっと顔を上げて此方を見た。
ヴェールの影からこっそりと見える彼女の瞳は、相変わらず美しかった。
「おお、貴様は確か……、ベンクトソン公爵だったか? 王族達へ挨拶に向かわなくて良いのか?」
「わたしは既に国王陛下達への挨拶は終えておりますので、ご心配なく。それにしても、二日前の姿も十分素敵でしたが今宵のアイネス様は一段と美しく、そして愛らしいですね。まるで精霊のようだ」
挨拶は程々に、彼女に語りかけるようにそんな褒め言葉を告げる。
そして、彼女のドレスを中心に褒め言葉を告げ、こんな言葉を添えて言ってみた。
「満点の星空を着ているように見えるドレスなんて初めて拝見しました。これは周囲の皆さんがつい見惚れてしまうのも無理はないでしょう」
そう言った瞬間、彼女の緊張が少し解れ、握りしめていた小さな手の力をそっと抜いた。
わたしはその姿に、そっと笑みを浮かべた。
(やはり、そうだったか。)
真ん中の妹が初めてパーティーに参加した際、緊張のあまり立ち尽くしてしまっていた頃があった。
恥ずかしがり屋だった妹が言うには、「周囲の視線が集まりすぎて、自分の言動が本当に大丈夫か不安になってしまった」と言っていた。
妹程ではなかったけれど、幼い頃にわたしも似たような感覚を抱いたのを覚えている。
彼女は言葉が殆ど通じないという話は聞いている。
多少勉強して言葉の理解が出来ていたとしても、周囲がどんな言葉を言っているかを全て理解は出来ないだろう。
そうなれば、その時に感じる緊張感と不安はわたし達が抱いたものの何倍もある。
彼女くらいの年齢で、パーティーに一度も参加していないのだったら、視線に怖気づいてしまっても仕方ない。
ダンジョンの主と言えど、根本は人間の少女と変わりないのだ。
妹達の思い出話を数割自分に置き換えて雑談を交わして緊張を解し、冗談混じりに彼女をダンスに誘えば彼女はそっとその誘いを受けてくれた。
彼女の間にいる二人も、不満を零しながらも無理に止める様子はない。
彼らも、彼女の不安を幾分か感じ取っていたのだろう。
会場の中心までエスコートし、そっとリードしながら踊り始めれば、彼女もそれに合わせてダンスを始めてくれた。
パーティーへの参加は殆ど初めてだと言われていた彼女だったが、社交ダンスは上手だった。
きっとこの日に合わせて練習したのだろう。
まだ緊張しているのか彼女の手は少々震えているが、それを表に出すことは決してしなかった。
その姿から、彼女のダンジョンの主としての気高い矜持が見えた。
一曲が終わり、そっと手を離すと彼女は上品にお辞儀をした。
わたしはそっと彼女にお辞儀を返した。
このまま彼女と雑談したいものだが、それは近くでわたし達のダンスを見ていた魔物達が許さないだろう。
「ひと――じゃなくてアイネス様、僕とも一曲踊ってくれませんか?」
「**。」
どうしようか迷っていると、一人の青年が此方に来て彼女をダンスに誘った。
彼は確か、先程デーヴェ大臣の言っていたアスペル王国から来た同行者の一人だ。
彼女は何故か驚きを見せていたが、そっと彼の誘いを受けていた。
「では、わたしはこれで。また気が向いた時に一緒に踊ってください」
彼女が彼の手を取るのを見届けながら、わたしはそっとそこから離れた。
周囲を伺えば、他の招待客達の多くはもう彼女に視線を向けておらず、彼女が来る前のように歓談をしていた。
これで、彼女は大丈夫だろう。
「後で、彼女にアドバイスの交渉を試みてみようか」
そうポツリと呟いて、わたしは親しい貴族たちの輪に入る。
彼らはわたしが彼女と踊っていたことについて色々聞いてきた。
詳細な事ははぐらかしつつ、チラッと彼女の方を見た。
彼女は、舞っていた。
地上で、舞っていたのだ。
とても綺麗に、とても優雅に、誰もが見惚れる星空のドレスを身に纏って。
少し、幼さを見せながら。




