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反☆ケモナーの心得  作者: 夏澄
過去編
27/35

シンクロしてみる6

 カーマインは飛んだ。

 回復魔法をかけられたとはいえ、毒の影響は大きく身に響いている。

 疲労が全身を浸していた。

 翼を一振りするのさえ億劫に感じてしまう。

 しかも時間帯が悪かったのか、風がいっさい吹いていないのだ。王都へ向かう風を捕まえることさえできれば、ずっと楽に進めただろうに――。

 どれだけ上昇しようと風を捕まえることは叶わなかった。

 それでもカーマインは翼を止めることをしなかった。

 アーヤ、アーヤ、と求める者の名を呼び続けるドラゴンの咆哮は、まるで悲しみを運ぶ闇の精霊のようだった。


 王都の上空を旋回し、カーマイン用に設けられた空き地へと降り立つ。

 だが、アーヤがやって来ることはなかった。

 いつもならいの一番に城から飛び出してくるアーヤが姿を見せない。得体の知れない不穏な予感から、カーマインは神経を尖らせてアーヤの気配を探った。

 捉えた気配は彼女の部屋とは真逆の方向からした。

 カーマインは人の姿を取る時間さえ惜しく、その巨体のまま気配のする方へと突進していった。


「――あのドラゴンはすでに死んだ。戦場で凶悪な魔獣に遭遇したのだ」

 それは鈴の鳴るようなアーヤの高い声ではない、粘りつくような質の声だった。

「もう戻っては来ない。悲しむことはない、私がいる。お前はその身を預けるだけで良いのだ。愛してやるから、な?」

 いいえ、嫌です。平坦な声はアーヤのものだ。感情をごっそりと落としてしまったような声だったが、その内容はきっぱりと相手の問いを否定していた。


「いい加減にしろ! お前は黙って人形となっていれば良いのだっ」


 パシンっと何かを打つ音がした瞬間に、カーマインは城の外から壁に体当たりして内部へと飛び込んだ。

 見えたものは床に押し倒され、頬を赤く張らした己の唯一だった。

「お前、生きていたのか……」

 女にまたがったまま蒼白になった男がこちらを向く。この国の王に良く似たくすんだ金の髪。怯えを見せる表情の中で二つの双眸に威厳の色は微塵も感じられなかった。

 男の下には肌蹴たドレスから太ももを白く覗かせる愛しい者の存在。

「…………カーマイン」

 男の乱暴から身を守るように襟元を硬く握り締めた彼女は、瞳を揺らしながら消え入る声でカーマインの名を呼んだ。


 一瞬で状況の判断をしたカーマインは、怒りに任せるままその鋭い爪を振り上げた。

 下種な行為を働こうとした男の肉をえぐる。濁音交じりの悲鳴が上がるも、ただ不快な音にしか聞こえない。

 背中をえぐられ悲鳴を上げる男は尻を床につけたまま、じりじりと後退した。

「お、お前、この国の王太子を傷つけてただで済むと思っているのか。俺は王太子だ。誰にも傷を付けられてはならぬ身なのだぞっ」


 己の背後にある権威を必死で振りかざす姿は、いっそ滑稽な道化のようだった。


「ひいっ、なにをする!?」

 カーマインは爪の間に男の頭を挟んで持ち上げた。荒い男の息遣いの合間に、みしみしと骨の軋む音が響く。

 男は両の手でカーマインの腕を搔いたが、力が弱すぎて爪の圧力をわずかも逃がすことはできなかった。


「こ、こいつ、こいつは出来損ないの不具だ。天候を十分に落ち着かせることもできない。だか、ら、俺は父に頼まれてこの女を……。子を成せば少しは国のためにもなろう、と。ぐ、ぐあぁぁっ。ひぁっ、や、やべて。いだ、いだい、いだい……」


 男の弁解を待たずに、カーマインは爪に力を込めた。家畜のように意味のない言葉を叫ぶ喉が絞まっていくにつれて音量が下がっていく。

 くぐもった声はカーマインから同情を引き出さない。爪の間から見える恐怖に見開く瞳も、がたがたと震える身体もカーマインから幾許の同情も引き出さなかった。

 カーマインは更に爪に力を入れた。

「……ひぎゃぁっ」

 その音はどんな音だっただろうか。

 ぷちっ、とも、ぐしゃっとも聞こえる音だった。

 どちらにしてもカーマインにとっては魔獣を屠るほどにも苦ではない作業だった。

 腕を振って頭部のつぶれた身体を放り出す。王太子と名乗る男の身体は壁に背を打ち付けて床に転がった。

 水気の豊富な果物がつぶれたような音がしたような気がしたが、カーマインの耳はすでにそれを音として拾い上げなかった。血液にまみれて赤く染まった鬱金色の髪が光を失っていることも目に入りはしなかった。


 人型を取ってアーヤの体を持ち上げる。

 着衣は乱れているようだったが、まだ事の起こる前だったようだ。一度その身をぐっと抱きしめると着衣の乱れを整えてやった。

「カーマイン、戻ってきてくれたのね。良かった……」

 カーマインの手に頬を摺り寄せてアーヤが笑う。微笑んでいるのに泣いているような顔だった。

「全部、王と大臣たちの謀だったのだって。王太子がそう言っていたわ」

 物語を語るようにアーヤが語る。


 ――初代から続けて呼ばれた二人の天空の乙女。彼女たちが国にもたらした富は大きい。発展していく国で、三人目の乙女となったアーヤ。暗く沈んだ心を手放せないことで、これまでの二人よりも安定性の欠いている大気に王は焦ったのだという。

 このままでは世界はまた衰退の道を辿ってしまう。

 安定しない心ならば無理やりにでも安定させてしまえばいい。

 王は大臣たちと画策し、乙女の味方をする者たちを排除した。

 丁度良いことに、魔獣の被害は未だ各地で猛威を奮っている。その討伐隊に組み込めば、邪魔もされないだろうということだった。


 そして新しく付けられた侍女に薬を盛られ、アーヤは強制的に心を凪がせていった。


 これで大気が安定化すると推測されたが、思わぬ副作用が現れることになる。

 アーヤの心が凪いだことで、風が止まってしまったのだ。

 そうなるとどうなるか。

 例えば、風が無ければ作物の実りは大幅に減退してしまうだろう。受粉すべき花粉が飛ばないからだ。年内の影響はなくとも、今後はどうなるか分からない。

 農地への影響は未定だが、実際に漁業へは深刻な影響をもたらし始めているそうだ。海が凪いでしまい、魚が移動しなくなったのだ。漁獲量は大きく下がり始めているらしい。

 海の凪は深刻な問題だ。海に風が吹くから世界に恵みが周るのだ。訪れるべき雨雲が無ければせっかくの晴天も今度は乾きをもたらしてしまうだろう。


 王たちはやり方を間違えてしまったのだ。

 だから、今度はこう考えた。

『三人目の乙女はどうやら不具のようだ。ならば排除してしまおう。空いた乙女の席には新しく召還した四人目を据えよう』

 アーヤは不具でも異界から呼び寄せられた乙女。ならば使ってやるとばかりに王の息子が命を受けて近づいてきたのだという。

 子を成せば、それは民の信仰を集める乙女の子となる。王家への不信を少しでも和らげておこうという案だった。

 障害となるカーマインは魔獣の毒にやられて絶命する予定だった。もしくは重症のところを刺客に――。


「彼ね、笑いながら言ったのよ。カーマインはもう死んだ。カーマインが戻ってくることはもうない。お前は独りだって……」

 虚ろな目でアーヤが訴える。

 絶やされることのない笑みが彼女の異常を知らせていた。

「ジェスロも前線に送ったって。ラージュは筆頭魔導師で失うのは惜しいけど私の味方をするから邪魔だって……。カーマインだけは絶対に死んでいるからって、私の肩を触ったのよ。服をめくって足も触られたの。……汚いの。私、――カーマイン駄目よ。触っては駄目。貴方が汚れてしまう。駄目なの。離して……はなして――」

 虚ろからはっとした表情に変わって、アーヤが身をよじる。


「お前は何も汚れていないっ」


 カーマインはアーヤの身体を搔き抱いて叫んだ。

 アーヤの爪が当たって頬に肩に、腕に傷が付く。それでも構わずカーマインはアーヤの身体を抱きしめた。

「お前は何もされていない」

 髪をなでつけ、背をさすり落ち着かせようとする。

「汚れてなんかいない。お前は綺麗なままだ」

「まだ、きれいなまま……?」

「あぁ、綺麗だ」

 興奮が徐々に収まっていく。まだ小刻みに震えながらも、アーヤはカーマインの背に腕を回した。

「いつ、も、のどが渇くの。ここにいたら美味しいお茶をもらえるのよ。匂いの良い香も焚いてもらえるの。……でも、それがなくなったら怖くて仕方がなくなるの。だから空を見上げて貴方の名前ばかり呼んでいたのよ――」

 私を置いてどこへ行っていたの、とアーヤはカーマインを責めた。どこへ行っていたのかを知らないわけはないのに。

 思い出しては忘れてしまう。アーヤは震える声で言った。ジェスロのこともラージュのことも、カーマインのことさえ浮かんでは消えてしまうと。

 あちらに残してきたものさえ思い出せなくなっている、とアーヤは言った。残してきた弟妹たちの顔が、忘れるはずのない顔が最近では完全にぼやけてしまっているのだ、と。


「こわい。このままじゃ私、すべて思い出せなくなってしまう。頑張って、頑張って、ようやく貴方の名前を毎日思い浮かべていたのに、さっき私、貴方を見て一瞬誰なんだろうって思ったのよ」


 薬の影響は深刻な様子だった。

 訴えかける声はカーマインが拾ってようやく悲壮の色が見えるくらい。他者が聞けば何を淡々と語っているのかと首を傾げたことだろう。

 弱々しく身を起こしてアーヤが顔を上げる。誰をも魅了させる微笑みを浮かべて、彼女は震える唇を開いた。


「カーマイン…………、たすけて」


 零れ落ちる涙が一筋の線を描いて、力尽きたようにアーヤは気を失った。

 カーマインはきつく彼女を抱きしめて咆哮を放った。それは低く大きく、王宮の壁という壁を振るわせるほどだった――。


 ※ ※ ※


 意識を飛ばしたままのアーヤの寝顔は、ここ最近ではなかったくらいに安らかだ。

 その表情の由来は、すれ違い続けた二人の意志がようやく交じり合ったことから来る安堵のためだったのかもしれない。

 カーマインはアーヤの喉元に鼻を押し付けた。そうすると甘ったるい花の香りの奥に、本来の彼女が持つ香りを感じられる気がした。


 心を決めるのに、それほどの時間はかからなかった――。


「――インっ。カーマイン、大丈夫か!?」

 肩を揺する手に気が付いて顔を上げる。

 そこには長らく離れていた友が二人、焦りを滲ませた顔でこちらに声をかけていた。

 服は擦り切れ、身体のあちこちには血が付着していた。北端の山脈の例に漏れず、二人が遣わされた地域での魔獣掃討戦もまた凄まじかったことを物語っているようだった。


「あいつらがここまでする愚か者だったとは思わなかったよ――」


 ラージュは上層部の動きに不信を覚え、配下の者に命じて王宮での動きを逐一報告させていたらしい。

「一昨日からその密偵と連絡がつかなくなった。勝手に消えるような子じゃないから、多分もう始末されているんじゃないかな」

 軽い口調ではあったが、その目は苦々しいものを抱えているのが分かる。

 すぐさま動こうにも謀ったように貴族の指揮者に引き止められて身動きを封じられていたらしい。

 そんな折り、北端の山脈からカーマイン訃報の報せが届き、取り急ぎ東部海岸戦に配置されたジェスロを拾ってここまで転移してきたのだと言う。

「カーマインの訃報の知らせが誤報で良かったよ」

 疲労の色を濃く見せる二人は荒い息の中でそう言った。

「とにかくここを出るぞ。もう王宮にアーヤを置いておくことはできないし――」


「アーヤは元の世界に戻す」


 周囲を警戒しつつ動くことを促すジェスロに、カーマインは首を振って否定の意を表した。

「カーマイン、お前正気かっ。そんなことをすればお前は」

「いや、おそらくその方が良いだろうね。王宮どころか、この世界にアーヤの居場所はもうないんだよ」

 薬の影響のためとはいえ、もはやアーヤの心は取り返しのつかないほどにこの世界から乖離してしまっている。

 彼女はこの世界に殺されかけてしまったのだ。逃亡生活を続けようと、今後彼女がこの世界を受け入れることはないだろう。たとえカーマインたちが傍に付いていたとしても、だ。


「このままでいればおそらく世界は荒れていく一方だ。魔素はアーヤを素通りして増えていくばかりになるだろうね。そんな世界で脆弱な彼女は生きていくことはできないよ」

 これはアーヤのためだけじゃない。自分たちの世界を守ることでもあるのだ、とラージュはジェスロに諭すように言った。


「……カーマインはそれで良いのか」

 最後の悪あがきとばかりにジェスロがカーマインにつのる。体格は三人の中で一番大きく、顔立ちもどちらかと言うと厳つい部類だというのに、情に厚いところがあるのがジェスロだった。彼はアーヤを失うことで損なわれるカーマインの心を思わずにはいられないのだ。

 カーマインはジェスロの視線に頷いて返す。

「愛する者のためを思えばこそ出来る決断もあるんだよ」

 落ち込むジェスロの肩をラージュは叩いて慰めた。

「僕はカーマインの意志を尊重するよ。危険な方法ではあるけどね。でも、みすみす死なせることはしないよ」

 なんたって僕は国一番の魔導師だからね、と片目をつぶって見せるラージュはネコ科特有の表情をしていた。

「さあ、お姫様を元の世界に送ってさしあげに行きますか」

 カーマインはアーヤを抱きかかえ、ジェスロは得意の両手剣を構えなおして扉へと向かった。


 扉を出たところで、アーヤに付いていた新参の侍女が首をかき切って絶命しているのと出くわした。

 自身で切ったのだろう。鋭利な刃物がその手には握られていた。光を失った瞳は虚ろに空中を漂っていた。

 室内で絶命する王太子の死骸に継いで凄惨な様ではあったが、その後に続く絶望の光景においてこれはまだ綺麗な部類に入ることを、このときの三人は予測してはいなかった。




※新参侍女:裏設定

 ヤマネコ。貧困の村の出身。

 故郷が悪天候による不作と魔獣被害のダブルで壊滅的な状況に遭い、瀕死のところを拾われる。

 乙女がきっちりと役目を果たしてさえいれば故郷の肉親たちは救われたのに、という思いから今回の騒動に加わることになる。

 彼女には彼女の信念があったのだが結果としてこういったことになり、絶望して自死を選んだ。

 世界を受け入れられる乙女であれば、そこそこ優秀な働きをしたはずの人。

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