10執着を知ってみる
『愚か者のドラゴン』
乙女に恋した愚か者のドラゴン。
乙女の流す涙に負けて、自分の命を差し出した。
貴女が好きだと差し出したのに、乙女は振り返ることもない。
乙女は笑って還って行った。
晴れやか過ぎて笑いが出るね。空は気持ち良いくらいの晴天だ。
明日も明後日もその先も、空の晴れ間は続いていくよ。
愚か者のドラゴンは、それでも笑って目を閉じた。
瞼の裏には乙女の笑顔。
曇りはどこにも見当たらないよ。どこもかしこも晴ればかり――。
※ ※ ※
しまった。いつの間にか情が移ってしまっていた、だと!?
気付いた事実に悲嘆に暮れる間もなく、私はヴェイグに巻きつけていた腕に更に力を込めた。
「コトハ様、少し苦しいです」
困ったような声が降ってくるも、これはそうさせるためにしていることなのだから当然だという思いで、今度は指を回して力を入れた。――締め殺しはしない。だが苦しめ。
「あの、ちょっと。本当に苦しぃ」
「ヴェイグ。あんた知っていて黙っていたね」
「知って……いたって、何を」
ネコ耳少年とのやり取りを知らないヴェイグが絶えそうな息の下で問いかけてくる。
「私が帰還するためにはあんたの命を使わないといけないってことをよ!」
苦しみの中で気まずそうに目線が逸らされる。
やっぱりか!
ドラゴンである彼が、自分の命にも関わる重要なファクターを知らないわけがないのだ。
あー、もうっ。口にするのも腹立たしい。
そう憤慨しながら手を離すと、ヴェイグはけほけほと喉を震わせながらも眉を下げて笑みを浮かべた。
「黙っていたわけでは……。記録を読み進めていけば分かることですから」
言外にヴェイグは私に選べと言う。
乙女が望むならヴェイグは簡単に命さえ差し出そうと言うのだ。その選択肢さえバカらしくてあくびが出てくる。――乙女が好きすぎるのも大概にしろ。本当ムカつく。
ムカつくついでに頬をむにっとつかんで引っ張ると、面白いほどによく伸びた。
「おれはコトハしゃまの良いようにと」
ふがふがと言い訳を始めるが、はっきりとした言葉になっていないので意味を読み取れない。――読んでやるかバカ。
「バカにすんな! はいそうですかって、簡単に人の命を使えるわけないでしょ。ヴェイグも自分の命を簡単に選択肢に入れない! 命は大事! 自分で大切にしないといけないの!」
ぐにぐにと引っ張っていた指を離す。後には赤く腫れた形跡が残される。精々痛がっている姿を見せてくれれば気分もすっきりするのに、ヴェイグが痛がる素振りは見えない。私の全力はいつも受け流されて終わりなのだ。――むなしい気持ちにさせないでほしい。
「大事……。それはコトハ様にとっても、ですか?」
このタイミングで瞳に熱が篭る理由が分からない。この期に及んでまだヴェイグの乙女フィルターは濁っているらしい。洗浄用クリーナーはどこだ。
子供を抱えるように膝の下で体を支えていたヴェイグの手に力が入る。この抱っこの仕方、バランスを崩しそうに思えるけど、抱える支点がぶれないので意外に安定感がある。
ヴェイグが反対の手でさわっと腰に触れてくる。私を抱きかかえるくらい、片手で余裕なのだろう。その手つきが堪らなくくすぐったい。
降ろしてと頼んでみるも、それは出来ないとばかりに体が引き寄せられて顔を近くに向けられた。間近に迫りすぎて鼻先が触れそうだった。
「俺にとってはこの命、コトハ様に使ってもらえるなら紙くずみたいなものなんですけど、大事にしろと言うのなら大事にしますよ」
「いや、今はそういうことを話していたわけじゃなくて……。もぅ、触らないで」
髪の中に差し込まれる指が何度も耳のそばに来ては通り過ぎていく。触れるか触れないかの瀬戸際が私の思考を奪っていくので考えがうまく纏まらない。
「ヴェイグの命はヴェイグが大事にしないと……」
「貴女に望まれないなら本当に紙くずと同然なんですよ」
いったい何の説得が始まっているんだ。
美低音ボイスによる謎の力説が始まったところで、思考がぶれすぎて頭が痛くなってくる。
「紙くずと同じなわけ……なぃ」
「同じですよ」
うんそうだね、という回答以外にはできそうにない眼力で見つめられる。私にはこのドラゴンのことは一生理解できそうにないと思った瞬間だった――。
「うわぁ……。これは重症だねぇ……」
霞む頭でヴェイグの力説を受け流している私が正気に戻れたのは、ネコ耳少年によるこんな感想のためだった。
しみじみとした感想が胸に痛い。――そう、そうなんだよ。この人、重症すぎて誰にも治せそうにないんだよ。この場に頭のお医者様はおられませんかぁ。
「でもね、ヴェイグ」
かけられる声に、ヴェイグがキレた時と同様の冷たさを感じて振り返る。冷たさはネコ耳少年の方から漂ってきていた。
あどけない少年から放たれる冷気が肌を突き刺す。――これって殺気?
未だかつて人から殺意を向けられたことがない私でも、少年が放つものの物騒さははっきりと感じ取ることができた。
「愚か者のドラゴンと同じ轍を踏むというのなら、ボクはそうなる前にこれを殺すよ?」
これ、って私のことですかぁぁ!?
ちょっと待って。この世界にとって天空の乙女って何よりも大切なものじゃないの!?
今なら認めちゃうよ。私は天空の乙女です、きゃは☆ ひぃぃ。だからその殺気を鎮めてぇぇっ。
「コトハ様は天空の乙女だ」
「果たしてそれが真実だと言い切れるのかな」
真実だよ。真実!
だって呼ばれたの私じゃん。私が乙女だってウサ耳おじさんがしつこいくらいに言ってくるじゃん。大気の安定性は一応保たれてるんでしょ? 曇りの日が多いけど。晴天は滅多にないけど、もうそれでいいじゃん。ノー・殺意! カムオン・平穏!
「天は未だ保たれている。それが事実だ」
そうそう。荒れてはいないよ! 私の機嫌によっては雨も降るけどね。
「事実……ねぇ。三日も晴天が続かない状態で、いったい何のための乙女だか」
懐疑的になるのも分かるよ。だって不機嫌なとき多いもんね、私。これからは心を入れ替えて気持ちよく日々を過ごすようにするから。頼むからそんなに睨まないでよぅ。
「彼女がここにいる意味、もう一度よく考え直した方がいいんじゃないの?」
考え直す必要ナッシング、だよ! いらんことを言うな。
ヴェイグとネコ耳少年との会話の意味がよく分からない。お互いに言葉の裏を理解している人同士の会話って、部外者にはさっぱりなんだもの。
でも、今の時点で私の真価が問われていることはかろうじて理解できた。
ネコ耳少年は、私が真の乙女ではないと感じているのだろう。そして、ヴェイグにも疑えと訴えかけている。
私がここにいる存在価値をヴェイグが考え直すということは、私が彼にとっていらない人間になるかもしれないということだ。――私が……、いらない?
ぞくり、と肌が粟立った。
ヴェイグが私を乙女ではないと判断すれば、私は確実に彼の庇護下から外れるだろう。
散々、自分は乙女ではないと言っておきながら、私はその想定をこれまで一度も具体的に考えていなかったのだ。
私が乙女ではないと判断されれば、当然神殿は私を放り出すだろう。
頼る者のない世界で、頼らなければならない人に手を離される。ふわふわもこもこの世界に置き去り……。――死ぬ。間違いなく死ねる。
『ねぇちゃん……。無駄にエネルギーが余っていて乱暴者で、どこか抜けているねぇちゃんだったよね。自分の失敗を俺のせいにするような暴君だったけど、まさか動物アレルギーで死んじゃうなんて……』
仮定の中で弟の数馬が仏壇の前で呟くイメージが浮かんでくる。
あのね、数馬くん。アレルギーをバカにしちゃいけないんだよ。鼻水や鼻づまり、目のかゆみだけじゃない。最悪の場合なんか、内臓への負荷とかアナフィラキシーショックとかバリエーションは豊かなんだから。
私が乙女でないとなれば、もちろんヴェイグも私のことなんかお払い箱にするだろう。――神殿を放り出されたら究極に困るけど、でもそれよりも……。
寄る辺のなさにヴェイグの腕の上で迷う。
身の置き場がないと迷う私に気付いたのだろう。ヴェイグが私の頭をそっと押して自分の肩に沈めた。大丈夫、ここにいていい。そう言ってくれているようで少しだけ体の力を抜いた。しがみつくことはできなかった。
「それはお前の意見か?」
今はまだヴェイグは私の盾だ。
凍てついた声が私を通りすぎてネコ耳少年へと向けられる。凍てついてはいても体に響く綺麗な低音。これまではそれを身近なものとして捉えていられたのに、今は遠く感じてしまう。……泣きたくなる――。
「ボクだけの意見だと思っているの? これはね、――みんなの総意、だよ」
――みんなの総意とか、どうでもいい。
目線は向けず、耳だけで少年の存在を捉えつつ、私はぼんやりとそう思った。
ケモ耳パラダイス☆な世界に来て、今日に至るまでずっと私のそばにあったのはヴェイグだけだった。
彼だけが常に私のそばにあり、世話を焼き、困ったときに手を差し伸べてきた。――それがなくなるのは……。
沈黙が周囲を包む。
ヴェイグと少年が睨み合っていた。
ネコ耳少年は幼そうな見かけに反して、その視線の強さはヴェイグと張るものがあった。年齢にそぐわない落ち着きを持つ瞳が私を捉える。
その視線から離したがる素振りを見せるヴェイグの手を押しのけて、私は顔を上げて少年を見つめた。
「ごめんね、ドラゴンに好かれた可哀想なお姫様。気付くのが遅れてしまって。きみはもっと早くそいつから離れるべきだった――」
ついさっきまで殺気をばしばし放っていたというのに、少年は哀れみを込めて私を見ていた。
殺気と哀れみ。どちらが正しい彼の姿なのだろうか。
つかみどころのない少年の姿は、ネコの耳を持っているというのにどうしてだか私の心を振るわせた。
無意識に少年の方に伸びていた手は、ヴェイグの手に囚われて納まる。
「いけませんよ。触れては」
理由は私がアレルギーを発症してしまうからか。それともヴェイグ以外の誰かに誤解を与えてしまうからか。
捉えられた指先にヴェイグのくちびるが触れる。
その執着が――、乙女に対する愛が痛い。
――いずれ消えちゃう熱でしょう?
乙女としての真価が問われている今、どうせなら最初から「お前は乙女ではない」と言ってくれていたのなら良かったのにと思った。




