灰色の天使たち(1)
風俗店やキャバクラなどが立ち並ぶ繁華街の片隅に、不思議な場所があった。
外壁は灰色に塗られており、屋根は三角だ。その三角の頂点には、十字架が付いている。
そう、ここは教会なのだ。建物自体は小さく、平屋の家くらいの大きさである。ただ、異様な存在感があった。
中はというと、極めて質素な造りになっていた。木製の座席が二列並んでおり、神父が信者に向け講演を行う講壇がある。
それ以外にあるものは懺悔室だ。信者が、神父に己の犯した罪を告白するための部屋である。
懺悔室は小部屋がふたつ並んでおり、信者は片方の部屋に入り、窓越しに神父と会話をする構造になっている。窓は小いさく、その上に目の細かな格子が付いており、お互いの顔を見ることは出来ない。
そんな懺悔室に、今は奇妙な者が入っていた。パンツスーツ姿でひっつめ髪の女性……に見えるが男性である。
しかも、ただの男性ではない。衆議院議員の大泉泰道なのだ。普段、マスコミの前に出ている爽やかイケメン議員の姿とは完全に真逆である。
その大泉に向かい、懺悔室の小窓から声が聞こえてきた。
「今回は、予想外の事態に見舞われたね」
年老いた男の声だ。大泉は、神妙な顔で頷いた。
「ええ。まさか友愛学園に『オモイカネ』の亡霊が出現し、挙げ句に海外のエージェントが乱入してくるとは……もはや天災ですね。ただ、失敗したことに変わりはありません。お望みならば、岡田啓一に対する次の手を考えておきます」
そう、今回の計画は大泉が画を描いた。灰野を送り込んだのも彼である。友愛学園の学園長である岡田啓一と、彼の援助を受けていた政治家や実業家の大物たちをまとめて潰すためである。
灰野が友愛学園にて次々と人を殺していき、さらに死んだはずの平良正彦の名前を聞けば……学園内部は、確実に混乱し人間関係にも亀裂が生じる。
最終的に、耐えられなくなった学園の人間が本土に逃げ出し警察に駆け込み、学園は崩壊する……という筋書きであった。
しかし、レイビーガスと谷部たちの存在が計画を台無しにした。ガスが漏れ、谷部の仲間であるジャックが吸い込んでしまう。
感染者となったジャックは、何を思ったか学園へと入っていった。谷部に助けを求めようという本能による行動だったのかもしれない。
ジャックの意図はともかく、彼の侵入により学園は感染者だらけになってしまう。学園からの連絡が途絶えたことを不審に思った岡田は、部下たちを送り込んだ。
完全に無法地帯と化した学園の内情を見た部下たちは、感染者のほとんどを射殺し全てを無かったことにしてしまった。
公安もまた学園を調査したが、生き残った感染者たちの存在を確認し隔離したたけで終わる。もちろん、公にはなっていない。
結末は、島で灰野の言っていた通りになった。極楽島で起きたことは全て闇に葬られ、本土から離れた島で新しい型のインフルエンザが爆発的に広まり死者が出た……という報道で幕を閉じる。
「そこまでの必要はない、友愛学園の閉鎖は、奴にとって大きなダメージになったよ。この件で、岡田は多くの人間に借りを作ったし、信用も失った。今の奴には、昔ほどの影響力はない」
老人の言葉に、大泉も頷いた。
「そうですね。私も、岡田は焼きが回った……なんて声を耳にしました」
「それに、友愛学園の活動を終わらせることも出来た。当初の計画とは違う形だが、とりあえずは良しとすべきなのではないかな」
「ありがとうございます。ところで、谷部とかいう男のことですが……」
「調べてみたところ、アメリカの大手製薬会社に所属する産業スパイだったよ。かつて傭兵だったという経歴は本当だ。感染してしまった外国人のジャックも、同じく産業スパイだよ。ジャックがガスの入ったボンベを持ち帰ると同時に、谷部も学園から消える予定だったらしい」
「なるほど、製薬会社の回し者でしたか」
「そうだよ。レイビーガスを手に入れ分析しワクチンを作る。その後、ウイルスをばらまきワクチンで儲ける……奴らのよくやる手だ」
「恐ろしい話ですね」
「もっとも、途中でボンベは壊れてガスは漏れ、ジャックが感染してしまったようだが……谷部をそのまま放っておいたら、学園に仲間を呼び感染者たちを連れ去っていただろう。結果、製薬会社の計画通りになっていた可能性が高い。灰野が奴を始末してくれて、本当に良かったよ」
「確かに、あのウイルスは脅威的ですからね。感染者たちの映像は、見る者に強烈なインパクトを与えます。脅迫の道具としても使えるでしょう」
「そうだな。しかし、そんなテロのような真似をさせるわけにはいかん。今回の件で、君らは多くの人命を救ったのだ」
「正直、ケガの功名ではありましたが、そのような御言葉をいただき光栄です」
「ところで、灰野は四人の生き残った生徒を連れ帰り、生活を共にしているそうだな?」
「はい」
「灰野は、生徒たちをどうするつもりなのだ?」
「自分の部下として、育てていくつもりのようです」
「そうか。何とかとハサミは使いようと言うが、あの灰野茂というシリアルキラーを、よく飼い馴らしたものだ。今では、我々の優秀な手駒になってくれた。大泉くん、君は本当に大した男だよ」
「お褒めに預かり光栄ですが、それをしたのは私ではありません。吉本剛が、灰野をモンスターから人間へと変えたのですよ」
・・・
それから二年後──
「おい、朋美の奴またバックレたぞ。客から、スゲー文句言われたってよ」
中谷昌大の言葉に、本村匠海の表情が変わった。
「あのクソが、舐めやがって……よし、明日あいつをヤるぞ。一度きっちり痛めつけねえと、わからねえらしいな」
「もう、海外に飛ばしたらどうだ? あいつは、言うこと聞かねえよ」
板垣史郎が提案したが、中谷はかぶりを振る。
「いや、あと一回だ。ウチはスリーアウトで海外出張、ここは変えられねえ。奴には、もう一度だけチャンスをやろう」
彼らの言っている海外出張とは、海外に住む日本人好きの変態に奴隷として売られる……という意味だ。奴隷として売られたが最後、日本の土を踏むことのないまま人生を終えることとなる。
中谷、本村、板垣の三人は、派遣型の売春クラブを経営している。しかも、彼らは現役の高校生だ。上級国民に属している親のコネ、さらに悪い仲間のネットワークを上手く使い、十代にして多額の金を稼いでいた。
彼らが今いるのも、閑静な住宅地のマンション十階にある3LDKの部屋である。この部屋を、中谷たちは事務所兼たまり場として使っているのだ。
普通の高校生には高すぎる家賃を払わねばならないのだが、この三人には何の問題もない。のみならず、使いパシリ兼ボディーガードの若者三人も住まわせているのだ。
さらに、ひとりの少女が監禁されていた。この少女もまた「海外出張」の候補である。
そんな部屋で、突然インターホンの音が鳴り響く。誰か来たらしい。
「誰だ?」
森田正雄は、呟きながら首を捻る。
今は、午後十時だ。この時間帯に訪問者があるなど聞いていない。
「おい剛、ちょっと見てこいよ」
言ったのは加藤真一だ。この面子の中でもっとも体が大きく、喧嘩も強い。ただし、頭の方は空っぽである。
「あっ、わかりました」
草沢剛は立ち上がった。彼ら三人は、本村たちとは別の部屋にいる。今はリビングにてゲームに興じているが、来客があれば、草沢らが対応することになっている。
そう、彼ら三人はヤクザの部屋住みのごとき存在なのだ。その中でも、草沢は一番の下っ端である。命令とあらば、彼が動かざるを得ない。
草沢は玄関に行くと、念のためドアモニターを見てみる。
ドア前には、宅配業者と思しき服装の者が立っていた。作業服を着て帽子を目深に被っており、顔は映っていない。
その後ろに、もうふたり立っている。片方は女性のようで、灰色のパーカーとローライズのホットパンツという服装だ。もう片方は小柄で、作業服を着て帽子を被っていた。
「何だお前ら?」
草沢がドアホン越しに尋ねたところ、手前にいるガッチリした宅配人がペコリと頭を下げる。
「すみません、北河さんに頼まれて荷物を持って来たんですよ」
大柄で肩幅も広いが、声は女のそれである。胸にも大きな膨らみがあった。
だが、それよりも無視できないものがある。
「北河さんだと?」
その名前は、草沢も知っていた。北河は、彼らのチンピラ仲間である。ここで働く女を調達してくるのが仕事であり、荷物は女のことを指す隠語である。
となると、新しい女を連れて来たということか。
「荷物は、後ろにいる奴か?」
「そうですよ。顔見せますね」
そう言うと、大柄な女は後ろにいる女の腕を掴み、強引に前に押し出す。同時に、顔を隠しているフードを上げた。
草沢は、思わず口を開ける。この女、かなりの上玉だ。いわゆるギャルメイクで顔を飾っているが、もともとの顔立ちからして、他の女とはレベルが桁違いだ。ネットにてインフルエンサーとなっているギャルモデルと比べても、引けは取らない。
草沢のテンションが一気に上がる。
「わ、わかった。今あけるから」
上擦った声で答え、ドアを開けた。しかし、直後に彼を襲ったのは強烈な正拳だった──
「オラァ!」
そう、宅配人の格好をしていたのは矢吹純であった。ドアを開けた草沢の顔めがけ、気合いの声とともに正拳の一撃を叩き込む。
完全に不意を突かれた草沢は、たった一発でノックアウトされてしまった。
矢吹は、その程度では止まらない。一気に室内へと飛び込み、次の獲物へと襲いかかる──




