逃走
外に出ると、灰野は何の迷いもなく森の中へと入っていく。少女たちは、慌てて後を追った。
いくらも歩かないうちに、土手が見えてきた。草に覆われており、高さは三メートルはあるだろう。その斜面には、コンクリートで作られた穴が開いている。トンネルの入口らしい。
灰野は入口付近でしゃがみ込むと、何を思ったか地面に置かれていた石をひっくり返す。と、その下に何かが埋まっていた。
取り出して見れば、黒いビニール袋に包まれた物だ。中に入っていたのは、小型の懐中電灯である。
灰野は明かりをつけ、トンネルの中に入っていく。少女たちも、後に続いた。
「な、何なのここ……」
矢吹は、唖然とした表情で呟いていた。
彼女たちは今、トンネルの中にいる。コンクリートに覆われた通路は暗く、嫌な匂いが充満していた。虫や小動物の糞や死骸などが混ざったものだろうか。
「防空壕ですよ。空爆された時に備え、身を隠す場所です。学校で習いましたよね?」
「そういや、そんなの習った気がするよ」
矢吹が答えた。
「この地下通路は、島のあちこちに通じているのです。事前の調査により、ある程度は僕の頭に入っています。ただ、僕も全ての通路を把握しているわけではありません。ひとりで、勝手に出歩かない方がいいですよ」
そう言うと、灰野は後ろでキョロキョロしている少女を睨む。
「聞いているんですか、鹿島さん?」
「えっ、あっ、聞いてるッス。うん、わかったッス」
鹿島は、挙動不審な態度で答えた。どうやら、また何かやらかそうとしていたらしい。油断も隙もない少女である。
「大丈夫。こいつは、あたしがきっちり見張ってるから」
言ったのは東原だ。鹿島の腕を掴むと、怖い顔で睨みつけた。
「では、行くとしましょう。暗いですから、足元に気をつけて」
そう言うと、灰野はトンネルの奥へと歩き出した。
灰野は、懐中電灯を片手に進んでいく。
少女たちは、一列になって後をついていった。途中、左右への通路などもあったが、灰野は無視して進んでいった。
やがて、遠くの方に明かりが見えてくる。どうやら、外に出るらしい。矢吹はホッとなった。この暗くジメジメした通路は、いるだけで気分が悪くなってくる。
外に出た灰野らの前には、木製の小屋があった。ボロボロではあるが、しっかりした造りだ。雨風をしのぐには問題ないだろう。五人で寝泊まりするにも、申し分ない広さである。
「ここは、旧日本軍が使用していた物置みたいなものです。ひとまず、ここに泊まりましょう」
「これからどうするの?」
矢吹がそっと尋ねる。
「あと三日ほど待てば、僕の仲間が船で様子見に来る手はずになっています。それに乗って、脱出しましょう」
「ほ、本当? 本当に、出られるんだよね?」
念を押す東原の声は上擦っていた。先ほど、ここから出られるという希望を打ち砕かれたばかりである。今回こそは、という祈るような気持ちがこもっていた。
「僕は嘘は言いません。間違いなく、あと三日経てば出られます。ただし、その前に奴らに捕まってしまえば、ゲームオーバーです。僕は殺されるだけですむと思いますが、あなたたちは死んだ方がマシと思うような目に遭わされるでしょうね」
恐ろしいことを言った灰野に、皆の表情は凍りつく。
だが、そこで右手を挙げた者がいる。鹿島だ。小学生が、授業中に挙手しているかのようである。
灰野は訝しげな表情で、声をかける。
「鹿島さん、どうかしましたか?」
「あっ、話の途中すみません。実はッスね、ここに来る途中に変なものが落ちてたのを見たんスよ。ちょっと気になるんで、見て来ていいッスか?」
「変なもの? 何ですか?」
「チラ見した感じでは、リュックみたいに見えたッス。僕ひとりで行けますから、持って来るッス」
言ったかと思うと、勢いよく立ち上がった。だが、すぐに灰野も立ち上がる。
「駄目です。あなたは、ひとりにしておくと何をするかわからない人ですからね。僕も行きましょう」
そう言うと、次に灰野は三人の方を向く。
「三人は、ここで待っていてください。矢吹さん、後のことは頼みましたよ」
「お、おう。任せてくれ」
残された三人は、初めは無言のまま思い思いの方向を見つめる。だが、それは長く続かなかった。
「灰野がヤバすぎて気づかなかったけどさ、鹿島も結構とんでもないな」
東原がボソッと言い、矢吹と高杉がプッと吹き出す。
「確かにね。あれは、ほっとくと何かやらかすタイプだ」
言ったのは矢吹だ。高杉も、その言葉に頷く。
「歩いてる最中も、あっちこっちキョロキョロ見てて……小さな子供みたいなんですよね。見てて面白いです」
「本当に面白いよな、あいつ。いてくれると和むよ」
東原が応えた時、灰野が地下通路から出てきた。大きなリュックを背負っており、鹿島が後に続いている。
小屋に入ってくると、灰野はリュックを降ろした。無言のまま、皆の前で中身をチェックする。
様々なものが入っていた。大型のサバイバルナイフ。ビニール袋入りの非常食。寝袋。包帯や絆創膏などの入ったファーストエイド・キット。腕時計。
そして、最後に出てきたのは黒い拳銃だった。
「な、なんだこれ……」
東原が、上擦った声を出した。すると、灰野が答える。
「どうやら、僕の他にも仕事でこの島を訪れた人間がいるようですね」
・・・
その頃、学園では恐ろしいことが起きていた──
「おい、何か変なのが来てるぞ」
警備隊の男が、皆に言った。他の者たちは、彼の担当するモニターの周りに集まる。
ひとりの男が、学園の扉をどんどん叩いていた。迷彩柄のシャツを着ており、体はさほど大きくはない。顔はよく見えないが、髪は金色で肌も白い。日本人ではないのかもしれない。
三人は首を捻る。この島を訪れるのは、特別な許可を得た人間か、あるいは物資を運び込む業者だけだ。外部の人間は、教員に案内され専用のドアから入ることとなっている。
しかし、男がいるのは裏口だ。教員や警備隊らが出入りする場所であり、外部の人間は使用できないのだ。
「おい、もしかしたら奴が西田を殺したんじゃねえのか?」
ひとりが、パッと思いついたことを口にする。途端に、他のふたりの顔つきも変わった。
「いや、でも犯人は平良正彦って名乗ってたらしいぜ。それに、金髪だとは聞いてないぞ」
「いや、目撃者の灰野ってのは、とんでもねえ大バカらしいぞ。あいつの目には、金髪が黒髪に見えたのかもしれねえ」
「んなことあるか。まあ、俺らでとっ捕まえて聞いてみりゃいいじゃねえか」
口々に勝手なことを言いながら、三人は立ち上がる。
この時、彼らは異様な状況にあった。本来の仕事は、モニターを見張り異常がないかをチェックすることである。もっとも、これまで異常などなかった。
しかし、つい先日に教師の西田が死んでしまった。それも、誰かに殺されたのである。
学園内には、異様な空気が漂っていた。中には、平良正彦の幽霊だ……などと噂する者までいる始末である。
この状況に、皆は怯えていたし苛立ってもいた。
そんな時に、現れたのがこの男だ。狂ったように扉を叩いている。彼ら三人は、格好の獲物とばかりに出て行ったのだ。相手は、普通ではないらしい。ならば、ストレス解消としてボコボコにしても大丈夫だろう。
警備隊の面々は、ふたつのミスを犯していた。その時モニターには、灰野らが脱走する様子が映っていたのに、それを完全に見逃していた。
そして、異様な男に不用意に接触してしまったことだ。もちろん、相手が殺人犯かも知れないという警戒はしていた。だが、この男は殺人犯などという生易しいものではなかったのだ。
三人は、外に出て行った。すると、男の動きが止まる。呆けたような表情で、じっとこちらを見ている。近くで見ると、間違いなく外国人だ。
「おい、お前何なんだ? 日本語わかるか?」
警備隊のひとりが近づき、聞いてみた。だが、外国人は唸り声をあげるばかりだ。
彼らは、思わず顔を見合わせる。この外国人、頭がおかしいのだろうか。もしかすると、船の事故か何かで、この島に流れ着いてしまっただけなのかも知れない。
少なくとも、鮮やかな手口で西田を仕留めた犯人であるようには思えなかった。三人の気は緩み、警戒心も薄れる。だが、その一瞬が命取りとなった──
外国人は、生じた隙を逃さなかった。奇怪な声とと共に、手近な者に掴みかかる。同時に、口を開けた。吸血鬼のように、首に噛みついたのだ。
さすがの警備隊も、この攻撃は予想していなかった。噛みつかれた男は、思わず声をあげる。
「な、なんだこいつ! 離しやがれ!」
他のふたりは、慌てて引き離しにかかる。と、外国人はすぐに離れた。あっさりと地面に倒れる
だが、すぐさま起き上がり他の者に襲いかかる──
「な、何だこいつ!」
ひとりが、スタンバトンでぶん殴った。これで殴られれば、打撃と同時に感電ショックを受ける。上手くいけば一発でKOだし、少なくとも戦意喪失はさせられるはずだった。
だが、相手は少しビクンとなっただけだった。痛みを感じていないのか、すぐに反撃を開始する。
まるで獣のように、残るふたりの首筋を立て続けに噛んだ──
噛まれたふたりは、首を押さえてよろよろ後ずさる。噛まれたとはいえ、傷はさほど深くない。血も出ていないし、動けないほどのケガを負わされたわけではない。ここから反撃しようと思えば、出来るはずだった。
にもかかわらず、ふたりはその場に崩れ落ちた。虚ろな目で、地面を凝視している。その様は、病に侵され高熱で意識が朦朧としている患者のようだ。
一方、外国人は三人を無視して、そのまま学園内へと入っていった。
それから三時間ほど経った時、噛まれた三人も立ち上がる。異様な目つきで、学園内へと戻っていった。




