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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
番外編1 求婚

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1、申し出

 夜中に目が覚めたコーラルは、水を飲もうと階下のキッチンに下りた。そこにはノアがおり、同じような理由で湯を沸かしていた。食卓の席に着き、落ち着かない気持ちで喉を潤していると、隣に座るノアが「実は……」と言いにくそうにあることを話しはじめる。


 本編の後日談。本編のネタバレを含み、本編よりも恋愛要素がかなり濃いです。

 年が明けても、特に清々しい気持ちになるわけでもなく、わたしにとってはいつもと変わらない日々を過ごしていた。

 エマという女のひとがまた来ると言ってから八日経った。彼女は隣町のアレリアの警備隊員なので、そうそうここに来ることはできないだろう。しかし寒空の下で庭掃除をしていると、時折門扉のほうを見ては心のどこかで期待している自分がいた。

 エマは大切なひとと、妹とお別れをした。わたしはその妹と生きている時に何度も会ったので、複雑な気持ちになった。この間まで、つい先程まで生きていたひとが死んだところを見て、親しかったわけでもないのに涙が出た。

 日も暮れ、晩ご飯も食べ終わり、部屋にこもって早めに寝間着に着替えた。本を片手にベッドに入る。サイドテーブルにランプを置いて明かりを確保し、準備はできた。寒い時にベッドで本を読むと手だけが冷たくなってしまうが、なんとなく先も気になるし眠くなるにはちょうどいい。こんなふうに暗いところで読むのはきっと目に悪いのだろうが、半ば習慣になってしまっていてやめられそうにもない。もちろんこの家に来てからの習慣だ。

 そういえばここに来てから、もう二ヶ月が経ったのだ。

 色々なことがあった。嫌なことばかりだった。しかしこの家に来たことは、いまとなっては有り難かった。ここに来た当初よりも確実に安らぎを覚えており、自分の家にいる時よりも落ち着いていた。家の中を怯えもせずに自由に歩き回れて、震えながらベッドに潜り込まなくていいのだから。



 ふと目が開いた。

 外はまだ暗い。ランプの火を消すのを忘れてしまった。やってしまったと落ち込むが、改めて消そうと体を起こす。寝る前に髪を三つ編みにしているのだが、それも忘れていた。

 かすかに階下で物音がして、背筋に鳥肌が立った。前に泥棒が家の中に入ってきたことがあり、その時のことを思い出してしまう。その時のわたしは怖さのあまり、この部屋の反対にあるリビングのクローゼットに隠れた。クローゼットに隠れている時はどれくらい時間が経ったのかもわからず、怖くて、心細くて、体の震えが止まらなかった。

 閉じこもってしまうと泥棒がいつ家を出て行ったのかもわからない。朝が来るまでここにいるしかないのかと思っていると、家主であるノアが見つけてくれた。彼は、わたしがどこにいても必ず見つけてくれるような、そんな気がした。

 階下の音に反応こそしたが、まさかまた泥棒が来たとは思いたくない。わたしは喉が渇いたこともあり、ルームシューズを履いてから厚手のストールを羽織った。消しそびれたランプを持って部屋の扉をそっと開ける。すぐ左にある下りの階段に目を向けると、真っ暗なはずの階段は階下のわずかな明かりを受け、下のほうの段の輪郭が見えた。空気は冷たい。夜中であることは間違いないのだろうが、いまは何時なのだろう。

 階下のキッチンにいるであろう人物を思い浮かべながら、ゆっくりと階段を下りる。最後の段を下りる前から、その人物がこちらに気づいていた。

「ごめんね。うるさかった?」

 火が点いているらしいクッキングストーブのそばに立っていた紅い髪の男が、穏やかに訊いてきた。わたしは首を横に振る。ノアは長袖のシャツにズボンといつもよりラフな格好をしてはいたが、寝間着ではなかった。このひとは寝間着を着ることがあるのだろうか。わたしが寝間着だと思っていないだけで、いまの格好が寝間着なのかもしれない。

 彼はどうやら湯を沸かして紅茶か何かを飲むつもりでいるらしく、テーブルには食器が並んでいた。

「眠れなくならないの?」

 紅茶には眠気を抑える働きがあると聞いていた。いま飲んでしまえば深く眠れないと思った。

「もう飲むのがくせになってるから、気にしてないんだ」

 ノアはいつものように苦笑した。クッキングストーブに置かれていたケトルの口から湯気が出て、ノアの手によって茶葉の入っているティーポットに湯が注がれた。紅茶の香りがその場に漂い、わたしは口の中で紅茶の味を思い出していた。

「飲みたい?」

 わたしの視線に気づいていたノアが訊ねてくる。わたしは迷った。本当は水を飲もうと思っていたが、見ていたら温かいものが飲みたくなった。しかし眠気が飛んでしまうのも困る。

「お腹が空いている時はあまりよくないし、こっちにする? 今朝もらったんだ」

 ノアはキッチンの棚から瓶を掴み取った。近づいて確認すると、橙色のそれはどうやらマーマレードのようだった。彼は蓋を開け、スプーンでざっくりと中身をすくうとわたしがいつも使っているカップに入れ、そこに湯を注いだ。スプーンを二、三度かき回してから、どうぞと差し出してきた。柑橘類のさっぱりした匂いにつばが出てきた。

 立って飲むのも行儀が悪いと思い席に着くと、あとからノアが右隣に座った。食器が並んでいたので隣に座ることはわかっていたが、気持ちが落ち着かず、視線を手元やカップから動かせない。自分が持ってきたランプは自分の前に置いていたが、ノアの前にも置いてあった。

 ノアは時折、夜中にこうしてお茶をしているのか、紅茶を飲む以外に何をするでもなく静かだった。テーブルには一冊本が置いてあったが、それを開く素振りも見せない。純粋な休息時間として過ごしている。

 わたしはカップを両手で包みながら、あまりの静かさに気まずくなり、早く飲んで部屋に戻ろうと焦っていた。昼間だったらそうは思わなかっただろう。けれどマーマレードを溶かした湯は熱く、すぐには飲み干せそうにない。

「眠い?」

 カップの中身がやっと半分くらいになった時、ノアがつと訊いてきた。

「そんなに眠くない、と思う」

 目の奥にすこし重たいものがある気がしたが、いますぐにベッドに入りたいほどではなかった。ノアは手元のカップを見ながら、瞬きを繰り返していた。

「どうかしたの?」

 なんとなく、何かを話したいのではないかと感じた。

「実は、君に話さなきゃいけないことがいくつかあってね。本当は昼間に話したかったんだけど、なんだかタイミングを逃してばかりで」

 そう言いながらも、彼は話をすることをまだ躊躇っているようだった。わたしが黙って言葉を待っていると、ノアは短く息を吐いてから話しはじめた。

「ギダが言うにはね、ほかの領地に、訳あって家族や兄弟と暮らせないひとたちを受け入れて、一緒に暮らしているひとたちがいるんだって」

 わたしは彼の言っていることをすぐに理解した。同時に悲しくなった。なんとか顔には出さないようにしたが、長くは持ちそうにない。

「だからもし、ここに居づらいと思うようになったら、そういうところもあるって知っておいてほしかったんだ。ギダも力になってくれるみたいだし……あ、ここから追い出したくて言ってるわけじゃないからね」

 選択肢のひとつとして教えてくれたのだろうが、聞いたわたしは、自分がここにいるのはやはり迷惑なのだろうかと思い、ここにいてはいけないような気になった。

「で、話は変わるけど、これから話すことはたぶんすごく驚くことだと思う」

 すごく驚くと言われて、いまの心境では悪いことしか考えられない。ギダにこの家を出て行けと言われたとか、わたしに家へ戻ってほしいとか、町中で酷い噂をされていたとか、そんなことばかりが頭の中をぐるぐると回った。

「実はいま、君の力は、抑えられているみたいなんだ」

 わたしはノアを見ながら、二、三度瞬きをした。ノアは聞こえていなかったと思ったのか、もう一度言った。

「この一ヶ月半、君からまったく匂いがしていないんだ。君の魔物を呼ぶ力は、抑えられているんだよ」

「ほっ、ほんとにっ?」

 驚きながら訊くとノアははっきりと頷いた。

 力が抑えられている。

 ずっと待ち望んでいたことなのに、すごく嬉しいことなのに、唐突に言われると実感がない。この家に来てからは魔物を呼んでしまったことがないので、本当にそうなのか自分にはわからない。が、彼が言うのだからきっと本当なのだろう。

 魔物を呼ぶ力がなければ、町中で平穏に暮らせる。誰にも迷惑をかけずに過ごせる。

 そこまで考えて、そうだろうか、と冷めた考えが浮かんだ。これほど周りに迷惑をかけておいて、いまさら受け入れてくれるはずがない。力のことを抜きにしても、親のもとに戻るのはとても勇気の要ることだった。

 嬉しい気持ちがしぼんでいく。わたしは力がなくなったあとのことを、これまで一度も考えたことがなかった。有り得ないと思っていたからだ。もしも考えていたら、こんなふうに落ち込まずに済んだかもしれないが、夢物語だと自分を馬鹿にしたと思う。

「突然のことで驚いたよね。本当はもっと前に言いたかったんだけど……」

 大人しくなったわたしにノアが気遣うように言う。

「それで、君の力を抑えた原因なんだけど、……私なんだ」

 下がっていた視線をゆっくりとノアに向けると、彼は視線を横に逸らした。

「あの邸での君の眠りはとても特殊なものだったから、それを打ち消すために、その、血を飲ませたというか……」

「……本当に?」

 彼は、今度は迷うように頷いた。

「じゃあ、なんでわたし、生きてるの?」

 魔族の血は毒と言われており、暗殺に利用されたこともあったらしい。わたしがそれを飲んでいたとして、何故生きているのか不思議だった。

「魔族の血は危険だと言われているけれど、どうやらそれだけじゃないみたいで……。まぐれなんだろうけど、君を眠りから覚ますことができたのも、君の力が抑えられたのも、血が体に合った、ってことなんだと思う。あの時はほかに対処方法が思い浮かばなくて、それでなんというか、取り返しのつかないことをしたというか……」

 ノアは嘆きながら姿勢を戻すと、テーブルに肘をつき、手で横顔を覆った。

 バジリスクの卵を食べた者は昏睡状態になると聞いた時、背中が冷たくなった。しかしいま彼から危険だと言われている血を飲ませたと聞いても、背中は冷たくならなかった。彼がわけもなくそういったことをするはずがない。私はノアを見ながら、どうしてそんなに落ち込むのだろうと思った。取り返しのつかないこととはなんだろうか。

「血の効果がどこまで続くかわからないんだ。それにこれから副作用が出ないとも限らない。私はそれを危惧してるんだ」

 声色からわたしに対する申し訳なさが滲んでいる。

「でも、わたし、あのままでも死んだようなものだったし……」

 確かに死ぬのは怖く、想像ができない。しかしこの先、血の副作用で死ぬとしても仕方がないことのような気がした。痛かったり苦しかったりするのは嫌だが。

「それは関係ないよ。私は結果的に、君に対して無責任なことをしてしまったんだ」

 落ち込みに拍車がかかって大きく溜め息を吐くかと思いきや、言葉は続く。

「なんと言えばいいのか、責任を取らせてほしいというか……」

 歯切れの悪い彼を、わたしは首を傾げながら見ていた。

 彼は次にこう言った。

「私でよければ、一緒になりませんか」

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