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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第六章

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保たれたもの 3

 彼は、わたしに五日間の休みをさらりと言い渡し、翌日の朝早くにアレリアへと帰って行った。本当に休んでだいじょうぶだろうかと思ったが、妹のことを思い、厚意に甘えることにした。本当に頭が下がる。

 色々な準備をこの家の主人である警備隊の隊長やその部下、それからサジタリスが手伝ってくれた。妹が使っていた部屋の隣を使わせてもらうことになり、そこに行けばいつでもひとりになれたが、部屋を出ればわたしは常に誰かと一緒だった。周りがひとりにならないように気を遣ってくれ、それが身に沁みて、何度も泣いた。

 次の日、ライラに付き添われて、棺に入れた妹を町外れの火葬場へと運んだ。棺の中に妹が入っていないのではないか、入っていなければいいのにと、道中何度思ったかしれない。土葬が一般的な土地柄のため火葬ができるところを探すのに手間取るかと思ったが、ライラが話をつけてくれていた。

 妹だったものが瀬戸物の小さな容れ物に入って戻ってきた時、その軽さに戸惑った。ただの灰で、形もなく、砂のようだった。

 許可を得て、妹がお世話になった家の庭の一画に遺灰を撒いた。妹にとってここが一番馴染みのある場所だと思ったからだ。花を植えて、墓標の代わりにした。

 あっという間だった。

 終わってしまった。

「失礼するよ」

 部屋でベッドに腰かけていると、ライラが遠慮がち入ってきた。わたしは駆け寄って、彼女を抱き締めた。

「ありがとう。すごく助かったわ」

「礼には及ばない。したいと思ったことをしただけだ」

 わたしは彼女に椅子に座るように言った。外は日が傾いて、室内はやや暗くなってきた。

「本当に久しぶりだ。元気がないのが残念ではあるけど」

「ライラのほうは元気そうね。まだやってるんでしょう?」

「ああ。でも、そろそろ解散しようかと思う」

 どうして、と言いかけて、理由はすぐにわかった。

「シャノンがいなくなったんだ。それに肝心の復讐相手の領主が死んでしまっては、ね。シャノンが手を下したというし」

 なんのために盗賊になったのかと訊いた時、言っていた。復讐だと。彼女は、ある家族と懇意にしていて、ある日その家族の家が燃やされた。近隣に住んでいた彼女の家族はその時犯人と鉢合わせしてしまい、殺されてしまった。放火の企てをしたのが領主であるミドエだと見当をつけたまではいいが、証拠がなかった。つい先日領主は亡くなったが、そのことはこのミネルバでもすぐに知れ渡った。

 領主邸で自分がやったことは、どのような事情があっても犯罪だ。きっと何かしらの形で処分は受けるだろう。それでもシャノンの頼みを聞かないわけにはいかなかった。言葉では表しきれないほどの恩があった。しかし彼女は領主を殺したひとでもあって、信じられない気持ちでいっぱいだった。ライラは彼女のことを警戒していたが、わたしにしてみれば面倒見のいい、美しい女のひとだった。

「ライラは、司とは知り合いだったの?」

「二度会って、すこし話をしたよ」

「どこで会ったの?」

「隣の領にある、温泉のある宿泊ホテルでだよ。あとはミネルバの道端で」

 ライラはその時のことを詳しく話してくれた。

 大きな温泉で妹と会ったこと。妹が温泉に入って、すごく嬉しそうにしていたこと。話した時間は長くはなかったけれど、印象深かったこと。

「ほんのすこしだけエマに似てるなって思ったけど、まさか本当に姉妹だとは思わなかった」

「隣にいれば似ているってわかるけど、いなければそんなものなんじゃないかしら」

 似ていると言われたことは確かにあるが、すごく似ているとまでは言われない。兄弟、姉妹なんてそんなものだ。

「わたしも行きたいな。その温泉」

 何気なく言ったつもりだった。

「じゃあ、今度行こうよ。休みを取って」

 ライラは話にのってきた。そう言われると、それもいいかもしれない。

「そうね。そうするわ」

 宿泊先に行ったら何をするのかですこし盛り上がった。大きな湯船に何度も入って、美味しいごはんを食べて。妹もいたらもっと楽しかっただろうと思ってしまい、また涙が出た。ライラは涙がおさまるまで待ってから言った。

「シャノンの後ろ盾がなくなると、あの邸のひとたちは、君を追い出したりしない?」

 住む場所の心配をしてくれていた。わたしが離れを借りている邸のご主人は、シャノンだからこそ耳を貸し、部屋を貸してくれたのだ。

「もしかしたらそうなるかもしれないわ」

「じゃあ、あたしのところに来る?」

「ありがとう。でもその時になってから考えてみる。いまは、司のことで頭がいっぱいだから」

 アレリアに帰ったら何をしてなくても考えることになる。ミネルバにいる時はせめて、妹のことを考えていたかった。



 次の日は、妹の遺品の整理をした。

 とは言っても、持ち物は少なかった。ショルダーバッグにまとめられたもの以外には机の上にある筆記用具くらいだった。妹が着ていたものは処分してもらった。机の前の椅子に座り、そこから部屋を見渡す。妹はここで、あの手帳に日記を書いていたのだろう。戸惑いながら、それでも理解をしようと頑張っていたはずだ。

 扉がノックされたので返事をすると、サジタリスが入ってきた。

「よろしいですか、エマ」

「ええ、だいじょうぶよ」

 彼女に歩み寄って、無理しない程度に笑いかけると、サジタリスは複雑そうな顔をした。

「このような形で再会するとは思いませんでした」

「わたしもよ、サジタリスさん。色々手伝ってくれてありがとう」

「いえ、これくらいのことしかできませんから」

 彼女の顔が、なんだかすこしだけ悲しそうに見えた。

「皆さんはお元気ですか?」

「ええ、元気よ。課長はいつも通り部屋で卓上旅行をしているし、スミスさんは意地悪だし、ウォルターさんは怪我をしてしまって、ネイハムさんは、えっと、相変わらずだし」

 ネイハムの名前を出した途端、サジタリスは嫌そうに目を細めた。ことあるごとに飲みに行こう、旅行に行こうと誘われていた彼女にとって、気持ちの悪くなる人物なのだ。余程嫌だったようで、何度か愚痴を聞いたことがある。美人のサジタリスは何かとネイハムに目をつけられ、大変そうだった。あまり思いたくはないが、あれがきっと虫けらを見る目なのだろう。そんな目を向けられても、ネイハムは諦めなかったけれど。

「あとね、あなたのあとに来たククラさんっていう女のひとがいてね。あんまり自分のことを話してくれないんだけど、でもこの間、わたしのために色々とやってくれて、すごく嬉しかった。これからもっと仲良くなれそうだわ」

「そうですか。あなたならだいじょうぶでしょう。怪我をしたウォルター氏は少々気がかりですが、問題ありませんね。エマはだいじょうぶですか? 何か変なことをされてはいませんか?」

「だいじょうぶよ。ネイハムさんはわたしに興味がないし。あ、でも、スミスさんからの当たりが強くなってきてて、この間もちょっとあって、泣きそうになっちゃった」

 この間のことを話すと、サジタリスは呆れたように溜め息をついた。

「スミス氏は何かと非難してきますから。上手く立ち回るしかありません。ですが、頭にくるのも事実です。私もよくその手のことを言われました」

 サジタリスが総務課にいた時、彼女は司令官と知り合いということもあってよく彼と話をしていた。大半は彼の突飛な行動に対する彼女のお叱りで、彼は痛くも痒くもなさそうだった。しかしスミスは表面だけを見て、彼と親しいサジタリスを槍玉に挙げていた。

 彼とサジタリスは遠い親戚なのだと言っていた。これは周りには伏せていることで、サジタリスはわたしを信用して話してくれたのだと思う。領主の他種排斥論のこともあり、伏せるのも無理はない。だから隣領の領主であるセルペンスが来た時、親戚なのかもしれないなと思った。

「前から気になっていたのだけど、司令官とサジタリスさんて、不思議な感じよね。すごく親しいっていうか、親戚だから当たり前なのかもしれないけど」

 司令官は、人当たりはいいが、相手とやや距離を置いているところがあった。

「ものすごく手のかかる弟、みたいなものですから。本人にもそのようなことを言った記憶があります。実際に弟はいないので、よくはわかりませんが」

 言われてみれば、彼らの掛け合いはそういうような雰囲気だった。

「性格にも難がありますし、あまりひとにはお勧めできません」

「動きがまったく読めないものね。仕事はちゃんとしてるけど」

「あなたは純粋ですから、ああいうわけのわからないタイプに引っかかりそうですね」

 呆れているというよりは、心配をされている感じがした。

「司令官ってそんなに変かしら。行動力はあるじゃない」

「自分がしたいことに関しては、です」

「妹のことを大切に思ってくれているのがわかったし、いいひとだと思うわ」

「いいひとで止めておいてください」

 わたしは思わず苦笑した。誰かに思われている妹のことがすこし羨ましく思えたが、それは言わなかった。それから、スミスの侮辱の言葉に対する自分の気持ちを、どうして彼に話してしまったのだろうと、思い出してすこし恥ずかしくなった。



「お世話になりました」

 休みの終わりの日。妹の荷物をまとめて、玄関先で家主のノアに挨拶をした。

「こんなに長く泊らせていただいて、食事とか、ほかにも色々。本当にありがとうございました」

「構いませんよ。気持ちは落ち着かれましたか?」

 慈愛のこもる笑みを浮かべ、ノアは静かに訊いてきた。わたしは頷く。

「はい。皆さんの真心が感じられて、すごく嬉しかったです」

「またいらしてください。いつでもお待ちしてます」

「はい」

 そう言った時、この家に居候しているコーラルが、廊下の向こうから小走りでこちらに向かってきた。彼女は寂しそうに手を伸ばし、わたしは彼女を抱き締めた。たった五日しか同じ屋根の下におらず、コーラルと会話をしたのは三日目からだったが、彼女は仔猫のように懐いてくれた。思ったことをうまく言えないのも、司にすこし似ていると思った。

「また来るね。元気でね」

 腕の中でコーラルが頷いた。

 わたしは見送られながら門扉の前に待たせていた馬車に乗り、そのままミネルバの町中を通り、橋へと向かった。

 揺れる馬車の中、湖の橋の上からあたりを見渡した。湖の、日の光が当たるところはきらきらと白く輝いている。ほかは空の色を反射して、黒っぽい青だったり白っぽい青だったりしている。

 司も、同じ景色を見ていたのだろうか。

 どんなふうに過ごしていたんだろう。

 彼らとどんな話をしたんだろう。

 何を思っていたんだろう。

 寂しくなかっただろうか。

 怖くなかっただろうか。

 嬉しかっただろうか。

 楽しかっただろうか。

 今度訊いてみよう。彼らに。

 涙というのは、どうして枯れないのだろうか。

 こんなに泣いていたら、いつか、いつかのように言われてしまう。


 また泣いてんの? なきむしー。


 遠い昔の、セーラー服を着た妹が、茶化したように言って、笑った。

 違うの。もう、わたし、泣き虫じゃないんだよ。

 ほんとだよ。

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