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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第六章

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保たれたもの 2

 わたしひとりでは妹を運ぶことはできなかった。

 精神的にも、体力的にも。

 司令官は……彼は、妹をこの上なく大事そうに抱え上げると、妹がお世話になっていた家へと歩いていった。乾いた土を踏みしめる彼の足音を頼りに、わたしは俯きながらあとをついていく。手の感覚が冷たくて感じられない。折角止まった涙がまた溢れてきそうになり、歯を食いしばってそれを押し留めた。

 彼は妹が使っていた部屋に妹を運び、ベッドに横たえた。それからベッドのそばに椅子をふたつ置いて、そのひとつに座るようわたしに促した。わたしが座ると、彼はもうひとつの椅子に座った。

 ベッドのサイドテーブルに置かれたランプが妹の顔に深い影を落とす。整えられた髪、組まれた腕を見ると、妹に対する彼の気遣いの深さが見て取れた。

「ご迷惑を、おかけしました」

 喉がからからで、声がうまく出ない。それでも言わなければならなかった。わたしはあまりにも迷惑をかけてしまった。固く握った両手を見ながら、後悔ばかりが襲ってくる。

「もう、司令官は、わかってるんですよね。わたしたちのこと」

「……そうだな。ある程度は」

 彼はゆっくりと、わたしに気遣うかのように静かにこたえた。勘の鋭い彼にはいつか隠し切れなくなるのではと覚悟していたが、こういう形でなるとは思いもしなかった。

「すみません」

 言うべきことはほかにもあるのに出てこない。ここで話すべきなのか、何から話すべきなのか。

「キミとツカサは、本当に姉妹なのか?」

「……はい。そうです」

 言われてから、彼がそう問うのも無理はないと納得した。シャノンも言っていたのだ。兄弟、姉妹で揃ってこちらの世界に来たのは、初めて見たと。

「聴かせてくれないか。キミたちのこと」

 彼にはその資格があると思った。そしてそれ以上に、聴いてほしいと思った。

「わたしの本当の名前は、如月(きさらぎ)紘実(ひろみ)と言います。司は、わたしのひとつ下で、幼い頃から母がいなかったので、いつも一緒にいるのが当たり前でした」

 遠い日の自分たちを思い出す。学校の通学も、買い物に行くのも、父を出迎える時も、いつも一緒だった。

「わたしが十五歳の時、司が階段から足を滑らせて、それをわたしが庇って、落ちました。体に、頭に強い衝撃があって、そのあとのことは覚えていません。目が覚めた時、知らない部屋のベッドの上でした。彼女が、シャノンさんがいて、わたしを保護したこと、わたしが異界から来た人間で、ここでは〈メイト〉と呼ばれていることを教えてくれました」

 六年前のことだ。あの時、確かにわたしは階段を落ちた。それなのに気がつけば、まったく見覚えのない部屋で、土地で、これ以上ないほど怖くて心細かった。父も妹もいない、まったく知らない世界で、わたしは独りぼっちだった。

「シャノンさんは、色々と身の回りの世話をしてくれました。ご自分の家にわたしを住まわせてくださって、衣食住の不便はありませんでした。そうして一年が経った時、わたしに本当のことを話してくれたんです。わたしの命を助けるために自分の血を飲ませたこと、わたしには魔族の血が流れているらしいこと、〈メイト〉はもとのところに帰ることができないこと、ほとんどの〈メイト〉が数ヶ月以内に死んでいること。わたしはその時、ひとりで生きていかなければいけないと思いました。いつまでもお世話になっては迷惑になると。それで、あの、ライラに剣を教えてもらったんです。最初から警備隊に入ることを考えていたわけではなかったですけど、何かと物騒な世の中でしたし、習っておいて損はないと言われて」

 ライラとはこの世界に来た当初から知り合い、四つ年上の彼女に対して、姉ができたみたいで嬉しかった。彼女と話すこと自体が楽しかった。

「二年後に、警備隊になんとか入ることができて、あの大きなお邸の部屋を間借りさせてもらうことになったんです」

「その、いままでいた家にはいられなかったのか?」

「……いられたと思いますけど、シャノンさんやライラの素性を考えると、わたしがそんな、正反対の職に就いてしまったので何かと面倒でしょうし、自立したいとも思っていたので。ただあのお邸にお世話になれたのも、シャノンさんの口添えがあったからこそで、全然自立できてなかったんですけど」

 本当にシャノンにはお世話になった。何もかも。

「警備隊に入って、慌ただしく日々が過ぎて、本当に大変でした。毎日父と妹のことを考えては泣いてました。二年くらい経って総務課に異動して、それから、新しい地方司令官が就任して、ある日、司令官の部屋で手帳を見つけたんです」

 彼の執務室でその手帳を見つけた時、ある種の既視感があった。年末になると駅前の本屋に来年の手帳が並ぶ。そこで見かけるような、この世界では浮いているような、黄緑色の表紙の手帳だった。見てはいけないと思いつつ好奇心に負けてめくってみると、懐かしい文字が並んでいた。手帳の前半のカレンダーマスには予定が書かれていて、後半の罫線しか引かれていないところには日記のようなものが書かれていた。あまり読んでしまうと失礼かと思い、最後の頁を見ると、覚え書きのところに持ち主の名前が書かれていた。

「本当に驚きました。だって、その手帳には、妹の名前が書いてあったんですから」

 何度も、何度も、見直した。信じられなかった。それから、どうしてこの手帳がこの執務室にあるのだろうかと混乱した。その時は急いで総務課の別館に戻った。しかし疑念は拭いきれず、部屋の主がいない時に何度も手帳を見た。疑念は大きくなっていった。

 妹が、この世界にいるのかもしれない。

「もしかして、一度書類を忘れて執務室に来たのは、手帳を見に来たからか?」

「……はい。なんでもお見通しなんですね」

 わたしはふと妹の手帳が見たくなり、朝の早い時間に行けば彼もいないだろうと踏んで、執務室へ向かった。しかしそこには彼がいて、やってしまったと思いつつ言い訳を並べた。

「手帳の名前は、同姓同名かもしれない。見間違いかもしれない。でも、居ても立ってもいられなくて、シャノンさんのところに行ったんです。何か知っているのではないかと思って。でも実際は、もっと驚くことが待っていました。そこに、本人がいたんです」

 あれから六年が経ち、成長して大人になった妹。懐かしい顔に、涙が止まらなかった。妹も泣いていた。

「彼女は、どんな状態だったんだ?」

 彼はつと訊いてきた。冷静にわたしの話を聞いて、必要以上に口を挟まないよう気をつけている気配があった。

「弱っていました。会った時もベッドの上で、でもまだその時は、調子がよければ出かけることもできました。わたしはすぐに、一緒に住もうと言って、間借りしている邸のご主人にも相談しました。またシャノンさんに口添えをしてもらって……気が引けましたが譲れることでもなくて。わたしは司と話がしたかった。いま思えば、それはわたしのわがままだったんです。手紙に書いてありました。わたしの重荷になるのが嫌だって。そんなこと、これっぽっちも思ったことないのに」

 妹は、シャノンの家に来るまでミネルバにいたこと、その時の出来事を断片的に話してくれた。そこで司令官の名前が出てきた時、驚きと同時に手帳が彼の執務室にあったことに納得した。しかし妹は、向こうの世界のことはあまり話してくれなかった。

「司は、ふつうに話をしてくれますが、本当に思ってることとか、悩んでいることはなかなか話してくれないんです。父はまったくわからないと言っていました。わたしも何年も離れていたせいもあって、いまは父の気持ちがわかります」

 妹は、向こうの世界のことを思い出すのが、話すのがつらかったのかもしれない。

「一ヶ月くらい一緒にいました。その間も司の体は弱っていく一方で、何もできないのが悲しかった。でも、一緒に過ごせるだけ奇跡だと思って、一日一日を過ごしました。毎朝一緒にごはんを食べて、帰ってからは今日一日あったことを話しながら晩ご飯を食べました。でもある日、ミネルバに帰りたいと言い出したんです。前にお世話になったひとの家に戻りたい、と」

 何故そんなことを言い出すのかわからないまま、一時は反対した。弱った体で、出歩くのもつらいのに、いまさらどうして……。それでも先の長くない妹の願いを叶えようと、無理にでも気持ちを切り替えた。すぐに画家を呼んで、妹の肖像画を描いてもらった。値は張ったが、妹と離れても、妹がここにいたことを残しておきたかった。妹は嫌そうだったが、結局は了承してくれた。

「あの日、この家の門扉の前まで、司に付き添って、痩せた背中を見送るのが、つらかった。もう二度と会えないと思った。アレリアに帰ってからも、不安が拭えなくて、ククラさんにすこし話してしまったんです。そしたら彼女、これから手紙を届けるから書いてほしいって、わざわざ休みの日にミネルバに行ってくるって、言ってくれたんです。ミネルバに行く当日に言われたので、驚きましたけど、すぐに手紙を書いて渡しました。まさか司令官と行ってくるとは思いませんでしたけど」

 あれほど反目していた司令官と行くとは、ククラも余程の決意だったに違いない。わたしのためにそこまでやってくれる彼女に、心の底から感謝した。

「ここに詳しいひとはいないかと言われて、案内を買って出たんだ。自分でもなんでそうしたのかはよくわからない。けどそのおかげで彼女に会えた。まさかそれが、最後になるとは思わなかった」

 彼の冷静な口調に、強いなと思う。彼の仕草の端々から妹を思う心を感じられ、冷静に聞こえてもきっと心中は穏やかではないだろう。

「ククラさんが持って帰ってきた手紙を読んで、すぐに司のもとに行かなければと思ったのですが、迷いました。司は来てほしくなさそうで、でももう会えなくなるかもしれない。悩んで、でも用意はしておいて、どうしようと思っている時に、司令官たちが離れを借りているお邸に来たんです。領主邸の事件のこともあって、わたしがしたことが知られたのかと思いました。それで咄嗟にあの家から出たんです。家から出て、心が決まりました。すぐにミネルバの、司のいる家に向かいました」

 向かう道中、どうか妹が無事でいるように祈っていた。

 一目でいい。顔を見たい。

 有り難いことにその願いは叶った。

「司に会って、でも司の気持ちを考えると長くはいられなくて。すぐに家を出ました。帰ろうかと思いましたが、しばらくはミネルバの町を回って時間を過ごして……。でもやっぱり帰ることができなくて、また家に行ったんです。そしたら司が、夜なのに外を歩いて、荒地のほうに下りていってて、慌ててついていきました」

 声が震えてしまう。抑えようとしても、喉が痛くなって、止まらない。

「シャノンさんが、荒地に、いて、司と何かを、話していました。わたしに気がつくと、司は倒れて、立っているのも、やっとだったんです」

 弱っていく妹を見ていた。そのおかげで、覚悟はしていた。しかしどうしても早いと思ってしまう。覚悟なんていくらしても、衝撃そのものがなくなるわけではない。妹に先立たれ、わたしはまた独りになってしまった。

 ずっと握っていた掌を開くと、銀色の懐中時計が顔を出した。妹が最後まで持っていた時計だった。

「これ、お返しします。司が、返しておいてほしいと」


 ギダに、返して、おいて。


 妹はそう言うと、息を引き取った。

 時計は、動いていなかった。妹が壊したのか、もとから壊れていたのかはわからない。けれど妹は、ずっとこの時計を持っていた。この世界で妹に再会した時、すでにその手にあった。これが彼とのつながりを示すものなら、妹はそのことに関して一言も話さなかったが、少なからず彼のことを思っていたのだろう。

 彼は懐中時計を受け取ると、無言で立ち上がり、部屋を出て行った。扉が閉まると同時に、また涙が出てきた。ぽろぽろと溢れて、嗚咽が抑えられなかった。妹のことを思い、彼は部屋の外で泣いているのかもしれない。

 この世界で妹を偲んでくれるひとがいる。

 そう思うだけで、救われたような気がした。

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