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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第五章

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影法師の暇乞い 3

 寝坊した。

 いまからアレリアに行っても、就業時間に間に合わない。

 目がしょぼしょぼする。眼鏡は寝る前にサイドテーブルに置いたので無傷だったが、服はしわしわだ。溜め息をついて、顔を洗い、それから酒場に下りて朝飯を頼んだ。こうなったらとことん遅れてやる。

 サラダを食べながら、なんてのん気なのだろうかと自分が情けなくなった。こうしている間も彼女は弱っているというのに、何も手がかりを見つけられていない。いまから彼女のところに行きたい衝動に駆られるが、肝心の手帳を持ってきていなかった。俺は馬鹿か。

 ふとミネルバにも図書館があることを思い出した。アレリアの図書館で調べるつもりだったが、この際、先にこちらで調べてからにしよう。もうすこしすれば開館時間になるはずだ。

 第六地区へと向かい、図書館に着くと開館時間をすこし過ぎていた。俺は石造りの立派な建物の中に入り、廊下を進んだ。廊下が交差しているところで立ち止まると右と左に、かなり向こうまで同じくらい廊下が続いており、その廊下を軸に左右に本棚が立っていた。建物を上から見たら、長い直線に、短い直線がいくつも交差して、そして均等に並んでいるように見えるだろう。短い直線が本棚の並んでいる空間だ。

 とりあえず歩いて〈メイト〉の本が置かれていそうな棚を探す。長いので端まで行くのに一苦労だった。しかし種族の棚の『そのほか』を探しても見つからない。百年以上前からいるのだから、研究書のひとつやふたつは出ていそうなものだが、田舎の研究物すぎて日の目を見られていないのだろうか。

 探すのも面倒になり、入口近くに立っていた女の司書に訊いてみると、司書は〈メイト〉に関する書物は禁書扱いになっていて特別な許可がない限り見せられないと言った。俺はポケットに無造作に突っ込んでいた地方司令官のバッジを見せた。すると司書はかしこまって詫び、それから言いにくそうに、一ヶ月ほど前に〈メイト〉に関する書物が燃やされたことを告白した。〈メイト〉に関する書物が禁書扱いにされていることにも悪意を感じたが、燃やされたことはもう悪意そのものだった。ある本を禁書扱いにできる者はこの領地にひとりしかいない。領主だ。

 俺は落胆し、アレリアの図書館で調べるかと諦めかけた時、少年が話しかけてきた。左目を前髪で隠してはいるが利口そうな顔つきのその少年は、俺を司書の目が届かないところまで引っ張って行くと、自分は〈メイト〉に関する本を読んだことがあると言った。司書の隙を見て、隠れて読んだのだそうだ。勇気ある少年だ。

 少年が話した中で俺が知らなかったことは、〈メイト〉は百年以上前からこのミネルバの町に現れていたが、もともと瀕死か、死亡した状態で発見されることが多かったということだった。生きている〈メイト〉が見られるようになったのは、ここ数十年のことで、死体はよく町外れで発見されていたという。

 昨日ノアたちと話していたことがいよいよ現実味を帯びてきた。〈メイト〉はもともと死亡者が多かった。死体がよく発見された町外れは、恐らくあの荒地に違いない。しかしここ数十年で生存者が増えたとなると、誰かが彼らを助けていたということだろうか。誰がなんのために助けたのだろう。やはり召喚術を使った魔族なのだろうか。

 俺は、俺がノアに貸している家の方角を見て名残惜しくなりながら、ミネルバを離れた。



 昼前にアレリアの最本部に帰り着き、湯に浸かってから制服に着替えた。気持ちを切り替えて別館へ向かい、総務課の部屋の扉の前で深呼吸をする。目蓋をはっきりと開けてからノックをした。応答の声が聞こえる。

「どうされましたか?」

 ククラが扉を開け、こちらを見上げてくる。前よりも攻撃性がないように感じた。

「エマはいるか」

「彼女は、今日はお休みです」

「え、突発じゃなくて?」

「前から決まっていた休みです」

 これは予想外だった。俺はしばし悩んだが予定を変更し、ククラとネイハムに執務室へ来るよう言った。ククラは何かしら覚悟していたようで、素直に了承した。ネイハムのほうはとうとう犯人を追い詰めるのかと面白そうに笑い、執務室に戻る俺のあとからついてきた。ふたりを呼びつけたことがどういう結果を生むのかわからないが、俺は賭け事の前の緊張感に似たものを覚えていた。

 執務室に入り、いつも座っている執務机の椅子に座ると、ふたりに壁際にあった椅子を執務机からすこし離れたところに並べさせ、座るよう促した。ネイハムは足のせいで運びにくそうにしつつ、文句を言いながら座った。ククラは黙ったままだ。

「さて、ふたりに来てもらったのはほかでもない。領主邸で起こった事件についてだ。単刀直入に言う。ククラ、キミはその日、どう動いていたんだ?」

「わたしを、疑っているのですか?」

 彼女は対峙するように俺を見る。俺は思っていることを隠さなかった。

「そうだ。ここにいるネイハムが証言した。キミがメイドと指輪について口論をしていたと。それから男の死体を俺が発見する数十分前、キミが三階に上がるところも見ている」

「あれは確かにあんただった。間違いない」

 ネイハムが嫌味を滲ませて相槌を打つ。ククラの表情が怒りに変わった。

「わたしがそのふたりを殺したと言うのですか? 有り得ません。わたしはやっていません」

「それなら教えてほしいんだ。どうしてキミがそんな行動をしたのかを。俺ももう、部下を疑うのは疲れたよ」

 本当はキミを信じたいとか言ったほうがいいのだろうが、あまりの精神的疲労で本音が出た。ククラは怒りを抑え、悩んでいるようだった。その様子にぴんときた。

「誰かを庇っているのか?」

 ククラは咄嗟に顔を上げ、思い詰めた目をしていた。

「それは、エマか?」

 ククラは口を引き結んで目蓋を力の限りつぶると、小さく頷いた。

「申し訳ありません。もっと早くに、話をするべきだったのに……」

 それから彼女は堰を切ったように話しはじめた。

「あの日、思えばエマは最初から変な動きをしていました。昼間、領主邸に着いてすこし経った時、彼女は青い油壷のランプを持っていたのです。昼間なのに何故そんなものを持っているのか、不思議には思いましたが彼女には言いませんでした。しばらくするとそのランプをもう持っていなくて、きっとどこかの部屋に返したのだろうと。彼女は客人のひとりとも話をしていました。親しい感じというよりは、彼女は戸惑っているようでした。夜になって邸の警備をしていた時、エマが邸の右側の、ひとの行き来が少なくなった階段を上がって行くのが見えました。二階までは上がるのはふつうだと思ったのですが、彼女は三階まで上がって行ったのです。わたしは不思議に思って、すこし迷いましたが彼女のあとをついて行きました」

「その時ネイハムがキミを見たんだな」

「そうだと思います。わたしはエマに気づかれないように充分に間を空けてついて行きました。薄暗い画廊に出て、そこの端から、エマが書斎の扉を開けたのが見えました。胸騒ぎがして、ですが怖くもあり、すぐには近づけませんでした。そうしていたら扉が閉まって、わたしは恐る恐る扉の前に行きました。彼女の名前を呼びかけるのもおかしいかと思って、扉をノックしたんです。かすかに物音が聞こえたような気がして、扉をゆっくりと開けました。そしたら」

 ククラはそこで息を詰まらせた。

「何を見たんだ?」

「……あの男が、死んでいました。エマはどこにもいませんでした。わたしはエマがやったのかと思って混乱して、どうしたらいいのかわからなくて、でもその時、あのランプが絨毯の上に倒れていたんです。火は点いていませんでしたが、慌てて立てました。ですがその時、書斎の隣の部屋から物音がはっきりと聞こえたのです。わたしは慌ててそれとは反対の部屋に行って隠れました。ですがうまく扉を閉めることができなくて、わずかに隙間が空きました。そこから領主様の姿が見えたのです」

 ここで領主か。盲点だった。彼なら三階に上がろうが誰も咎めない。

「領主様は、死体があるにもかかわらずあまり驚いてはおりませんでした。それどころか、どこからか出したナイフで男の背中を刺したのです。もう自分が見ているものが信じられませんでした。領主様はそのあと、隣の部屋に戻って行きました。わたしはすぐに二階に下りました。あとからその時のことを思い出してしまって、何度か気持ちが悪くなってしまって……」

 そのせいでエマに心配されたり、一階の廊下でうずくまっていたりしたのか。彼女が横切った時に感じた臭いは、いま思い返せばランプのオイルの臭いだったのだろう。ランプはオイルが漏れていて、表面の一部がべたついていた。立てたというなら、オイルに触ってしまったはずだ。

「わたしが三階で見たことはこれですべてです。でもわたしは、エマが殺したとはどうしても思えないのです」

 例の男やメイドが毒殺されたことを考えると、エマでなくとも殺すことができた。犯人がエマではないとは言えないが、あの場の誰でも犯人になり得るとは言えた。それに加えて領主の行動も不可解だ。ククラの証言を聞く限り、男が毒殺されることを知っていて、領主は念のためナイフを刺した、というように感じた。

「じゃあ、メイドとの口論は何があったんだ?」

「それは、わたしがうっかり指輪を失くしてしまって、すこししてメイドがその指輪をつけていることに気がついたのです。その指輪は亡くなった叔母の形見でしたので、返してほしいと言うと、彼女は、これは最初から自分のものだと言い張って、それで……口論に。結局返してはもらえませんでした」

 ククラのことを可愛がっていた叔母だとガーディナーが言っていた。大切な形見だったのだろう。あの指輪は事件が解決したら早めに返そうと思った。

「メイドはどうやって殺されたと思う?」

「……わかりません」

「ククラが書斎に入った時、ワインボトルとグラスはどうだった?」

「わたしがエマのあとを追って書斎に入った時、ワインボトルもグラスもテーブルに置いてありました。ボトルには半分以上残っていましたし、グラスにもまだワインが残っていました」

「……それだ」

 俺が妙に感じていたのはそれだったのだ。

 例の男の死体を発見した翌日に書斎に入った時、グラスは空だった。つまり書斎の換気をしにきたメイドのブラダがワインをグラスから飲み、その後、近くの部屋で倒れた。手癖の悪さが仇となった。そう考えると辻褄が合う。犯人らしき者が見当たらないのも説明がつく。

「なんだ。てっきりあんたが犯人だと思ったんだがな」

 残念そうに言うネイハムにククラは睨み返した。

「あ、あなたこそなんなんですか! 昼間から女性を誘って、部屋に連れ込んでいたではありませんか! 不謹慎です! 恥を知りなさい!」

 昼間も連れ込んでいたとは初耳だ。ライラの目撃情報も併せて、昼と夜の計二回も連れ込んだようだ。ひとの邸で何者をも恐れぬ堂々とした所業だ。もしかしたらセルペンスを休ませたあの部屋に連れ込んだのではないだろうか。

「恥ねぇ。知れたらきっとあんた好みの男になったんだろうが。男の死体が見つかって、二回目は途中でやめざるを得なかったがな」

 ネイハムが下品に笑い、肩を揺らす。ククラは汚物を見るような目で彼を見ていた。俺は俺で急に忍耐力が尽き、静かに言った。

「ネイハム、ちょっと黙ってくれ。これ以降しゃべったら、おまえのそれを叩っ切る。両足が使えなくなるよりも、そっちのが嫌だろ。やるなとは言わない。が、そういうのは勤務外でやれ。おまえはもう総務課に戻れ。ここで聞いたことは絶対に話すな」

 彼は驚いて、次には言われた通り黙って部屋を出て行った。扉を閉める音が大きかったので苛ついていたのだろう。だがここらで叱っておくのも上司としての役目だ。どうせ直らないだろうが、これとは別に制裁措置をすることを決めた。主に給料面で。

 ククラも同様に驚き、目を丸くしていた。もうすこし上品に、遠回しに言えばよかったのだろうが、言ってしまったものはもう仕方がない。疲れているというのは色々な意味で恐ろしい。俺は気分を変えようと肩と首を回した。バキバキと不吉に鳴る。

「話は変わるが、昨日のことは、まだ話してはもらえないか?」

 平静に、威圧感を覚えさせないように訊く。ククラはもう腹を決めていたようで、真っ直ぐに俺を見、それから迷わず話しだした。

「彼女のためだったのです。エマは、こんなわたしを気にかけてくれた優しい女性です。わたしは自分のことを話すのが嫌で言いませんでしたが、エマは前から妹さんのことを話していました。ひとつ年下の妹さんだそうで、病に伏せった妹さんをとても心配していました。ですが妹さんはミネルバに移ることになったそうです。何か事情があったのでしょう。自分が妹のところに見舞いに行くのは気が引けるみたいでした。それで、なんというか、居ても立ってもいられなくて、わたしが代わりに行こうと思ったのです。ガーディナー課長に地図を描いてもらって、休みの許可を司令官からいただいたあと、次の日、就業前にここに来てエマに事情を話しました。わたしは彼女の家の場所を知らなかったのです。彼女は驚いていましたが、お礼を言ってくれました。それから妹さんに宛てた手紙を書いてもらったのです」

 彼女が渡した手紙はそれだったのか。

「それからは司令官もご存知かと思います。共にミネルバへ行き、わたしは妹さんに手紙を渡しました。それから妹さんにもエマ宛に手紙を書いてもらったのです。妹さんはこちらの字を書けないと聞いていました。だから、直接渡せば問題はないと思ったのです」

「ククラは、妹が〈メイト〉だっていうのは知っていたのか?」

「はい。知っていました。エマ自身もそうだと教えてくれました。アレリアに帰ったわたしは、妹さんの書いた手紙をその日の内にエマに届けて帰りました」

「エマの家は知らなかったんじゃないのか?」

「はい。早めに帰ることができたら最本部で渡す予定だったのです。ですが時間を過ぎてしまった時のために、待ち合わせ場所を決めていました」

 時間を過ぎたとしても、エマが最本部でククラを待っていればよかったのではと思ったが、恐らく俺を警戒してのことだろう。エマとツカサが〈メイト〉で、エマがツカサの姉だったなどと、誰が思えただろうか。彼女たちに血縁関係が本当にあるのだろうか。

 だがまだ疑問はある。ツカサは前に、姉は死んだと言っていた。しかしエマはこの世界で生きている。これらと、自分は死んだはずだと言ったアサギの言葉はどこかでつながっているに違いない。

 ククラはハッとして、俺に言った。

「すみません、司令官。わたし、まさかこのことを今日話すと思ってなくて、昨日エマに、司令官に〈メイト〉であることを知られたかもしれない、と伝えてしまいました。彼女はそれを周りに知られないよう気を配っていたのです」

 ミネルバでの俺たちの会話を立ち聞きしていたのか。

「じゃあ、もしかしたら……」

「はい……。思い余って、姿を消しているかもしれません」

 いま、彼女の家に行くしかない。

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