影法師の暇乞い 2
「なんか、たった二日会ってなかっただけなのに、随分と疲れてるようだね」
俺の目の下にでもシワかクマができているのだろうか。例のミネルバの酒場にてライラと再び会った時、彼女はことさら心配そうに俺を見た。俺の口から乾いた笑いが漏れる。
「ああ、疲れてるよ。存分に労わってくれ」
席も前と同じで、ぐったりと座り込むと、先に注文をしてからにすればよかったと後悔した。立ち上がるのが億劫だ。
「何があったんだ? よければ聞かせてほしい」
ライラは前のめりになり、真剣だ。俺はまず何よりも、今日の、ツカサのことや〈メイト〉のことを話した。するとライラは彼女のことを知っていた。前に会ったことがあるのだという。
「彼女、そんなに悪いの?」
「……かなり」
本当は口にも出したくない。言うと、いま以上に彼女の状態が悪くなるような気がしたからだ。だからといって反対の言葉を言えるほど、俺の心はいま強くない。
「いまさらだけど〈メイト〉ってなんなのかな。どこから来てるんだろう?」
大前提から考えようとするとは、盗賊団のお頭は目のつけどころが違うらしい。
「俺はこの国やほかの国とはまったく違うところから来ていると思っているが、確証はない。ただ、異なる文化圏であることは間違いない。言葉も違うし、俺は彼女が書いた字が読めない。彼女の持ち物も初めて見るものばかりだった。何より話していて、言葉の端々や仕草から感じるんだ」
「確かに……そうだね。それじゃあ、その死んだことを思い出したっていうのはどうなんだろう? 彼女は生きているんだよね?」
「当たり前だ」
「なのにもうひとりの〈メイト〉は自分が死んだことを思い出している。どういうことなんだろう。一度死んで、生き返ったのかな」
「そんなの不可能だろ」
ライラの考えに不謹慎すら感じて、俺は憤った。
「わからないよ。本当のことかもしれないんだ。彼らの言葉を完全に否定してはだめだと思う」
ライラは冷静だ。当然だ。このことに関しては関係者ではないのだ。その立場が羨ましくなる。
「それに彼らの消え方も不可解だ。ある日突然いなくなるなんて、そもそもおかしい。誰かが何かしているとしか思えない」
俺たちがこういうものだと思っていることを、ライラは躊躇なく疑問として提起してくる。言われてみれば確かにおかしい。
「〈メイト〉を攫っている奴がいるってことか? なんのために?」
「なんのためかはわからないけど、攫うことに関しては、可能性はあると思うよ。彼らは少なくとも、数日から数ヶ月はこの町で生きているんだ。それがある日突然いなくなるなんて、もとのところに帰っていると思うほうが変だ。とすると、彼らがどうやってここに来ているのか、それも重要だと思う。確か、町外れの荒地って言ってたよね。魔術の跡があるの」
彼女の物の考え方に、頭の中に風が吹くような新鮮さを覚えた。
「大前提として、その魔術の跡が召喚術だとしよう。そして〈メイト〉がそこから現れたとする。召喚術って、こっちとあっちの行き来は可能?」
俺はすこし考えてから、首を横に振った。
「いや、確か一方通行だと言っていた気がする」
「だったら、彼らがもとのところに帰るのは不可能だ」
「だから攫われたってことになるのか……」
「彼らはここではツテがない。ほかの領地に行っても過ごしていけるかどうか、正直なところ難しいと思う。それなら誰かに攫われたと考えるほうが自然だ。それに召喚術が魔族の術なら、その攫った人物も魔族なんじゃないかな」
「魔族が?」
「あくまで可能性が高いって話だけど、あたしはそう思う。魔族が目的をもって召喚術を使ったなら、召喚した存在にその目的があるはずだ。研究をしているのかもしれないし、別の目的があるのかもしれない」
そうなるとツカサは、その魔族のもとにいたのだろうか。彼女は迷惑がかかるからと話すのを拒んだ。もし攫われたというなら、そのような言い方はしないはずだ。脅されているからとか、言うと大変な目に遭うとか、そういう態度ではなかった。
「それに〈メイト〉が魔族の混血と思われているのも気になるね。混血はいないはずなのに気配が似ているって、すこし変じゃないか?」
「おまえの疑問もわかる。ただ俺たちにはわからない感覚なんだ。セルペンスもサジタリスも、例のないことだから戸惑っていた」
「もしかしたら、そのことが召喚術で呼んでいる理由かもしれない」
ライラは腕を組む。魔族の混血であると誤解されるほど似通った彼らだからこそ、呼ばれる理由。
「混血っていうくらいだから、半分は魔族みたいな気配ってことなんだろうけど、もう半分は人間ってことなのかな?」
「何も聞いてないが、そういうことなんだろうな」
彼女の着眼点は目を見張るものがあるが、さらに疑問が増えてしまった。
「思ったんだけど、あれはだめなのかな。エルフの里で確か、すごい薬があるって聞いた気がするんだ」
「霊薬のことか?」
ライラは頷いた。
「それだ。エルフが作る霊薬。それを彼女に飲ませるわけにはいかないの?」
「それは……無理なんだ」
彼女の先が長くないとわかった時、俺は真っ先にそのことを思い出していた。俺が十五年前に飲んだもので、飲めばたちどころに傷は癒え、病気も治る。ツカサと離れ、応接間でノアたちと話した時、サジタリスは言った。
霊薬は、エルフにしか効かないのだ、と。
俺が曲がりなりにもエルフの血を継いでいたからこそ、里の長である祖父が周囲の反対を押し切ってまで飲ませてくれたのだ。純粋なエルフではないので治りは多少遅かったらしいが、それでも俺の体の傷は癒え、五歳から見えなくなっていた目まで視力を取り戻した。ただ『見える』ようになったことで圧倒的な情報量が俺を襲い、ほとんど暴力に近いその感覚は慣れるまでに何年もかかった。
それなら魔族の血はどうなのかと一縷の望みをかけると、今度はノアが口を開いた。ノアはその可能性に気がついていて、すでにツカサに提案していた。成功例があるとはいえ、どれほど危険なものかも説明した上でどうするか訊くと、彼女は、何もしないでほしい、と断ったというのだ。
俺はその時点で、考えうるすべての可能性を潰されたのだ。彼女が助からないという可能性を潰せずに話は打ち切られた。それでも、諦められるはずがなかった。
ライラは黙って俺の様子を見ていた。俺は話をする気になれず、落ちていく気持ちをただ無言で持て余していた。ライラは席を立って、カウンターで何かを注文した。食器のこすれる音や足音が、なだらかに耳に入ってくる。
細い足に逆円錐の形をしたグラスをふたつ持って彼女は戻ってきた。うっすらと乳白色の液体が入ったそれは目の前に置かれ、もうひとつは彼女の手に残り、唇へと運ばれる。
「あなたと話してから、こっちは領主邸の事件のことを調べていたんだ。でもわかったことは少ない。例の男はいまから一週間前に領主邸に来たそうだ。あたしがこっちに帰り着く前日だ。どうやら例の男が領主を脅していたらしい」
「こっちの取り調べでもわからなかったことなのに、よく聞き出せたな」
「やり方は色々とあるから。一番いいのは、それを話すことがそのひとにとって得であるようにすることだ。例の男は邸に居座って、それで領主夫人の寝室を彼に与えたらしい。ほとんど強引に奪われたようだけど。それから、例の男は細長い木箱を大事そうに持っていたそうだよ」
「……なるほどな」
木箱。ここでその行方を知ることができただけでも運がいい。つまり、あの家に盗みに入ったのは例の男だったのだ。しかしそうなると、前々から敷地内や地下に侵入していた魔族はいったいなんなのだろうか。例の男は人間だ。
「ほかに何か、レイ自身が気になったことはないか? 変な動きをしていた奴を見たとか」
「あの時は随分焦っていたから、あまり覚えてないんだ。書斎から逃げて一階に行った時、警備隊と鉢合わせしそうになった。でもその隊員は女と、メイドと一緒に部屋に入っていったよ。たぶんだけど、連れ込んだんじゃないかな。もじゃもじゃした黒髪だった」
そのおかげでうまく逃げられたけど、とライラは呆れつつ、持っていたグラスの酒をすこし飲んだ。もじゃもじゃした黒髪と聞いて浮かぶのはひとりしかいない。しかし彼は確か二階で応接間の警備をしていたと言っていなかっただろうか。足が悪いのだからすぐに移動できるとは思えないが、持ち場を離れるなど論外だ。あの野郎、警備先で女を引っかけていたのか。一度締めておいたほうがいいかもしれない。
「そういえば、晩餐会に参加していた母から聞いたんだけど、女の警備隊員が、青いランプを持っていたんだって」
「おまえ、訊いたのか? あの養母に」
「背に腹は代えられない。彼女も客人だったんだ。訊かない手はない」
ライラにしてはかなり骨の折れることだったに違いない。理由は知らないが、彼女は養母のことをかなり苦手としていた。
「昼間からランプを持っていたから、不思議に思ったそうだよ」
「その女の特徴は?」
「それが……栗色の髪を頭の上のほうで結んでいた女だったそうだ」
ライラはすこし言いにくそうにして、何故か納得のいかない顔をしていた。
「……エマだ」
あのランプを邸に持ち込んだ犯人がとうとうわかった。しかしそのあとのライラの反応のほうが驚きだった。
「やっぱりそうか……」
苦々しく吐いて、ライラはグラスを持った手元を見つめたのだ。俺はそのことを訊こうとしたが、その前に彼女は顔を上げた。
「彼女なんだ。領主邸で久々に見た、あたしの知り合い。まさか警備隊に入ってたなんて思いもしなかった」
「……いつ知り合ったんだ」
「六年前だよ。母が連れてきたんだ。身寄りがないからうちで面倒を見るって。でも彼女は、三年前に独り立ちして出て行ったんだ」
ここにきてエマの背景が次々と明らかになっていく。まるで彼女を疑えとでも言っているかのようだ。
「彼女、いまどうしてる?」
「いまは警備隊の総務課に勤務してる。最本部の中にあるから、よく建物の中で会う」
「そうか。いまはそこで働いてるのか」
複雑そうに笑ったライラは、このことは彼女には言わないでほしい、と言った。俺は頷いたが、守れないかもしれないことはライラもわかっていた。
夜更けまで居座り、ライラと別れたあと、俺はミネルバを離れるのが惜しくなり、酒場の二階にある宿屋に泊まった。簡素なベッドに横になると、階下の騒がしさがわずかに響いてくる。暗い部屋の天井を見つめているのも飽きて、薄い布団をかぶった。
俺の頭の中でさまざまな声が反響していた。俺の意識が遠くなっていく最中も、それらは鳴り続け、すこしずつ、あるべき場所に戻っているような感覚があった。きっとそれらがまとまった時、ひとつの道として、話として、筋が通るのだろうと漠然と思った。その筋が通る前に、俺は眠りに沈んでしまった。




