迷子のぬくもり 5
帰りの馬車の中で、ククラが体調不良になったことを詫びた。寝不足だったらしく、いつもなら軽い酔いも重くなってしまったのだという。しかしどのような用事でツカサに会いに来たのかは絶対に口を割らなかった。警備隊をクビになっても心は変わりそうになく、車中はついに静かになった。行きはこれがふつうだったのに、帰りの沈黙は悪意さえ覚えそうだった。
アレリアに帰り、途中でククラを降ろしてから最本部へと戻った。帰っている途中ですっかり空は暗くなり、張り詰めた空気に満ちていた。喉の奥が痛くなりそうだ。
これはもう里帰りする状況ではなくなった。祖父のアクイラに手紙を出して、帰れなくなったと詫びなくてはならない。魔族の血のことは気になるが、それよりも〈メイト〉のことをもっとちゃんと調べるべきだ。ツカサのことで何か役に立つ情報があるかもしれない。だがノアから聞いたことが本当なら、〈メイト〉は死人ということになる。しかしあんなに温かくて喋る死体など存在するはずがない。
エマのこともある。彼女は本当に〈メイト〉なのだろうか。もしそうなら、彼女はいままでどう生きてきたのだろう。〈メイト〉というものをどこまで理解しているのだろう。今日はもう時間で帰っているので、明日改めて訊かねばならない。ふと領主邸の事件のことで、ククラに領主邸での動きを訊くのを忘れていたと思い出す。メイドとの口論や指輪のことも訊かねばならなかったのに、間が悪いどころの話ではない。
落ち着かない。落ち着いてなどいられない。
俺は執務室から飛び出し、総務課の別館へと足を向けた。彼らが帰っているとわかっていても気持ちが急いた。明かりの灯された廊下を過ぎ、別館へと入って左手前の扉をノックする。反応はないが静かに開けると、明かりの消された室内が目に映った。何十分か前まで暖炉が点いていたようで空気は暖かい。
俺はひとつ息を吐いて、そっと扉を閉めた。すこし歩いた時、背後で扉の開く音がして思わず振り返った。
「おやおやおや、君がここにいるなんて珍しいねぇ。物取りかな?」
課長室から出てきた五十代の男、ガーディナー課長が眼鏡をかけたしょぼしょぼした目で俺を見る。口元は常に不機嫌だが、気分はそうでもないほうが多い。あの口の形はくせなのだ。軽妙な口調で息をするようにぼやく。
「どうしたんだいギダくん。金目の物だったら君の執務室のほうが置いてあると思うよ。あ、これ、報告書ね。よろしく」
「ああ、はい。どうも」
ひょいと紙の束を渡された。先の誘拐事件において警備隊内で不祥事が立て続けに起こったせいもあり、総務課にアレリアの警備隊の抜き打ち調査を依頼していた。これはその報告書の一部だった。
「もう、君ね。君がこんな時期に抜き打ち調査なんて入れなかったら、僕が動く必要もなかったわけ。わかる? 領主邸の事件でこっちもとばっちり受けちゃったんだよ、まったく」
ねちねちと言われるが、俺は耐えようと笑顔で努力した。
「あんまりうちの部下を乱暴に扱わないでほしいわけ。みんな大変なんだからさ。ククラちゃんはこっちに来て早々、可愛がってくれた叔母さんが死んじゃって、すごく落ち込んでたんだよ。ウォルター君なんか、階段から落ちて怪我しちゃうし。ああ、そう、特にエマちゃん。彼女、最近まで大変だったんだから」
「何が大変だったんですか?」
こうしてねちねちと言われている時に口を挟むのはよくないのだが、今回はだいじょうぶだった。ガーディナーは聞かせてやろうとばかりに頷いた。
「なんか家族が大変だからって、毎日早めに帰ってたんだよ。きっと世話してたんだろうねぇ。妹さんだったかなぁ。うちとしてもね、いい子だし、よく働いてくれるから、それを許可していたわけ。辞めてほしくないんだもの。でもね、そちらに貸しちゃうと、みんなストレス溜まっちゃうわけよ。それだと困るの。わかる?」
「そうですね。申し訳ない。いつも彼らやガーディナー課長には感謝しています」
領主邸の事件が片づかないことには俺も総務課も落ち着くことはないだろうが、それを言っても仕方がない。ガーディナーもわかっていてぼやきたいのだ。
「本当に思って言ってくれてるならいいよ。君も若いから大変だろうし、僕としてもね、若者に意地悪なことはしたくないわけ。いいひとだって言われたいし、そっちのほうが僕も嬉しいもの。ああ、久しぶりに動いて疲れたよ。じゃあ、僕は帰るから。お疲れさま」
ガーディナーは表情を変えずに片手を挙げ、廊下の先にある別館の玄関から帰って行った。彼から聞いた話に何かが引っかかったが、俺はとりあえず執務室へと戻り、早速アクイラへの手紙を書くことにした。こういったことは早いほうがいい。いま現在、森の入口で俺を待っているはずの祖父に、一分でも早く家に戻ってもらわなければならない。本当は時間があった昨日に書いておけばよかったのだろうが、昨日までは里帰りする気でいたので仕方がない。
親愛なる御祖父君へ
久方ぶりの手紙、失礼します。
この前の手紙で私が地方司令官になったことはお伝えしたと記憶していますが、あなたの従姉妹のサジタリスは元気です。いまは隣町のほうで過ごしています。
私が里に帰ることは、セルペンスからすでに聞いているかとは思いますが、大変申し訳ありません。私にとってとても大事な用ができ、帰ることを断念せざるを得なくなりました。お許しください。私の命よりも大事な者が非常に危険な状態で、ここを離れるわけにはいかないのです。祖母を心から愛していたあなたなら、わかってくださると信じています。
今回のことが片づいたら、必ず帰ります。その時にはまた便りを送りますので、どうかご容赦ください。お体に気をつけて。
あなたの孫 ローレル・クロイツェル
こんなものだろう。卑屈で頑固な祖父に、ギダだ、ガーランドだと書いても送り主が俺だと伝わらないので、毎回本名を書かざるを得ない。そのことに対して複雑な気持ちではあるが、大事なことのようにも思えた。この十一年もの間、手紙でしかやりとりをしていない祖父だけが本当の俺を知っているような、そんな気がするのだ。
そこでふと、先程ガーディナーが話していたことの何に引っかかっていたのかわかった。少し前まで早めに帰っていたというエマに関してだ。
俺が前に、どうして警備隊に入ったのか訊いた時、彼女は確かに、ひとりで生きていかなければならなかった、必死で仕事を探したと言っていた。妹が本当にいるのなら、そんなふうには言わないはずだ。それに彼女は〈メイト〉ではないかという疑惑が出ている。〈メイト〉である以上、この世界に肉親がいるとは思えない。妹のことが嘘となると、早めに帰っていた理由はなんだったのだろうか。もしかしたら彼女の話したことすべてが嘘なのかもしれない。上司と部下であっても、仕事以外で本当のことを伝える義務はないからだ。
様々なことに悩まされ考え込んでしまうと、この先のあらゆる見通しが悪く思え、気が滅入ってきた。振り払おうと頭を振ると、ミネルバで別れたツカサの悲しそうな顔を思い出した。
ほんのわずかでいい。
彼女に対して、希望を持てるようになりたかった。
どうか、どうか。




