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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第三章

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炭鉱のカナリア 3

 ミドエはこの上なく苦い顔をしてセルペンスを見たが、セルペンスはいつも通り挨拶を返した。あのミドエを相手にしてもまったく動じず闊達で、彼の懐の深さは尊敬に値する。

 俺たちは挨拶もそこそこに三階へと上がった。背後から罵声を浴びせられるかと思ったがそんなことはなく、ミドエに常識があることに驚きながらセルペンスを書斎へと連れて行った。三階の画廊を歩き、書斎への扉を十歩ほど先にして彼はふと立ち止まった。

「なるほど。確かに感じる」

 興味深そうにしている。

「呪い除け、人間以外の種族除け。それからこれは、人間除けだな」

「人間除け?」

 俺の疑問にその場ではこたえず、セルペンスはずんずんと進んでいき、隊員の立っている書斎の扉を開けた。さすがに窓は閉まっていたが、暖炉が焚かれていないので寒いままだ。彼は書斎の真ん中に立ち、ぐるりと見渡したかと思うと、ある一点を見つめた。あの真ん中が抉れた、引き出しのないチェストだった。

「そこに道具が入っている。呪い除けと種族除けだ」

「おまえ、だいじょうぶなのか? 何か影響があるんだろ?」

「そうだな。頭が痛くなってきた。吐き気もする。なるほど、本物だ。長く近くにいればいるほど影響が出るもののようだ。これはたまらん」

 セルペンスはすぐに書斎を出ると反対側の窓まで行き、近くの肘掛け椅子にどっかりと座った。かなりきつかったようだ。セルペンスと話ができるまで十分ほどかかった。彼は小さな声で話しはじめた。俺は隣の椅子に座った。

「あれは、人間以外の純粋な種族、力のある種族であればあるほど効力を発揮する類いのものだ。しかし、これは恐らくだが、おまえのような混血(ダブル)四半混血(クォーター)には、場合にもよるが、影響は少ないだろう」

 俺は混血だが、エルフの血が四半混血以上、混血以下で、人間の血の割合のほうが大きい。だからこそ影響がなかったということになる。

 ほとんどの種族の混血は人間との間に生まれる。人魚とエルフ、セイレーンとサテュロスの混血などは聞いたことがなかった。魔族に至っては、相手が人間であっても子供はできないとされている。

「さっき言ってた人間除けっていうのはなんだ? どこにそんなものがあるんだ?」

「サイドテーブルに置いてあった、あの油壷が青いランプだ」

「ランプ?」

「正確には、ランプに仕込まれた薬だ。もうほとんど外に流れてしまったようだが」

 青い油壷のランプ。

 あの、書斎に初めて入った時に絨毯の上に立っていたランプではないか。

「人間除けの薬はランプのオイルに混ぜて使う。火を点けてすこし経てば、それが部屋に充満し、それを吸った人間の体調を悪くする」

「じゃあ、俺がそうならないのは何故だ? 俺は、三分の二は人間だ」

「それは種族除けの道具と同じで、おまえが純粋な人間じゃないからだ。それ以前におまえは霊薬を飲んで、すこし特殊でもある。おまえのことを抜きにしても、これこそが人間除けの薬や種族除けの欠点なんだ」

 セルペンスは長く息を吐き、額に手を当てた。まだ影響が残っているのだろう。

「人間除けの場合、人間の血の割合が多い四半混血であっても、効果がすこししかでないんだ。混血に関してはないに等しい。種族ごとに効果の与え方、つまり弱点が違うから、ふたつの血を持った者に対してはそういった効果を与えにくいんだ」

「随分詳しいな」

「それはそうだ。人間除けの薬はエルフが作っているんだからな。おまえも一度くらいは作っているところを見ているはずだ。里で」

 本当だろうかと思いつつ、少年時代の記憶を呼び起こしてみる。俺がエルフの里、正確にはその外周の森にある祖父の家にいたのは四年にも満たない。里には数える程度しか行ったことがないが、エルフたちが白い粉をビンに詰めているのを思い出した。

「人間の多い土地では重宝されるからな。ほかの種族を追い出して話をしたい場合などに使われる。道具と違って一時的なものだから、換気をしてしまえばそれで終わる。大抵はほかの特定の種族除けと併用して使われるが、ここにある種族除けは人間以外に影響する大雑把なものだ」

「しかし、それを領主が使うとは思えない」

 書斎の扉前に立つ隊員に聞かれないよう、俺は小声で言った。

「そうだな。彼はまごうことなく人間だ」

 セルペンスは頷いた。

「じゃあ、いったい誰が、その薬を使ったっていうんだ? いったいなんのために?」

「人間を除けておきたい、混血か四半混血以上の者、ということになるだろうな。そうでなければ、種族除けの影響で、この俺のようになっていただろうし」

 頭が気持ち悪い、と彼はつぶやいた。一応背中をさすってはみるものの、喉や胸の気持ち悪さではないので意味はないかもしれない。それ以前に頭が気持ち悪いとはいったいどういう感覚なのだろう。横にさせたほうがいいのだろうか。

 その時、向こうから見慣れた少女が小走りで駆けてきた。

「まあ、ごきげんうるわしゅう、司令官様。こちらのお連れ様はどうされたのですか? お体の加減がよろしくないのですか?」

 今日はクリーム色のドレスを着ているキミシアが、心配というよりは興味津々にセルペンスを見ている。人間以外の種族が嫌いな領主の邸にエルフがいるのだから、興奮もするはずだ。

「キミシア嬢、どこか休めるところはありませんか。できれば横になれると助かるのですが」

「それでしたら、一階の使っていない部屋でお休みになってください。使用人が使う部屋で申し訳ありませんが、お父様はいま二階のダイニングにおります。お父様は使用人の部屋には入ってきませんし、そこならきっと」

 俺はセルペンスに肩を貸し、邸の右側の階段から一階へと下りて、前にククラが屈み込んでいた廊下を進んだ。すこし行ったところの左手側にある扉をキミシアが開けると、そこにはやや小さめのベッドが三つ置かれていた。オリーブ色の蔦が絡まった図柄の壁が地味な印象を与え、天井もほかの階に比べると低いが、十分な広さだ。

「すこし前まで使っていたのですが、使用人には内装を変えるためにほかの部屋に移ってもらっているのです。すこし狭いですが、好きに使ってくださいませ」

「助かります」

「あら」

「どうしました?」

「いえ、端のベッドが、なんだか随分と汚い気がしまして。おかしいですわ。誰も使っていないはずですのに」

 セルペンスをベッドに横にさせ、布団をかけつつ、端のベッドを見やる。布団はめくれ、シーツはしわだらけで、確かに汚い。誰かが使ったのだろうか。

 部屋を出てすこしした時は持ち直したと思ったが、俺も彼も、種族除けの道具を甘く見ていたようだ。しかし椅子に座っていた時よりは顔色がマシに見えた。

「キミシア嬢、ありがとうございました。あとは私がついていますので、もうだいじょうぶです」

「ですが……」

「お父上に男性と同じ部屋にいるところを見られると、何かと面倒です。高貴な令嬢にとっては、この上なくはしたないことですからね」

「わかってはいるのですが、やはり心配ですわ」

「だめですよ」

 強くたしなめると彼女は渋々納得し、挨拶をして部屋を出て行った。

 種族除けか。これほどの効果のある道具ということは、さぞかし力のある種族が作ったに違いない。完成にも長い時間を費やしたはずだ。俺は大叔父の心配をしつつ、新事実を自分の考えにどう落とし込んでいくか、頭の中で格闘を繰り返した。

 部屋の柱時計が遠慮がちに鳴った。

 ふと気がつけば一時間が経っていて、セルペンスの顔を見ると目がはっきりと開いていた。それから起き上がり、長く息を吐いた。

「楽になった。助かったよ。やはり寝るに限る」

 すっかり調子はよくなったようだ。俺はほっと胸を撫でおろした。

「足止めして悪かったな。さっさとこの胸糞悪い邸を出よう」

 俺は頷くと、扉を開けて足早に玄関に続く吹き抜けホールへと向かった。ホールのベンチにキミシアが座っていた。俺たちを認めると駆け寄ってきた。

「お体の加減はよくなられましたか?」

 心配そうに見上げるキミシアに、セルペンスは優雅に一礼した。

「寛大なるご慈悲、誠にありがとうございました。この通り、すっかり元通りになりました。ご挨拶が遅れました。クルトドール領の領主、セルペンスと申します」

「キミシアですわ。お元気になられて何よりです。それでセルペンス様は、エルフですの?」

「はい」

「わたくし、エルフの方を見るのは初めてで、背が高くてとても美しいですわ。長い耳も素敵です」

「ありがとうございます」

 俺は、にこにこと笑っているセルペンスを小突いた。

「ああ、申し訳ありません。我々はいますぐにでもここを発たねばならないのです。お話はまたの機会に。それでは」

 セルペンスと俺は彼女に一礼し、玄関へと向かった。が、何故か俺だけ引き留められた。

「どうしたんですか?」

 セルペンスに先に外へ出るよう言って、キミシアに向き直る。

「あの、すこしだけよろしいでしょうか? 気になることというか、気づいたことがありますの」

「どんなことです?」

「あの、書斎に置いてあるランプのことなのです」

「どのランプですか?」

「確か、油壷が青いランプです」

 またあのランプだ。今度はどんな情報が出てくるというのか。

「実はあのランプ、うちのものではないのです」

「本当ですか?」

「はい。お父様の書斎には天井から燭台が吊り下がっていませんので、いつもランプが五個ほど置いてあるのです。ですがあの六個目のランプは見たことがありません。あの事件が起きてから、あのランプが増えたように思うのです。それから」

 キミシアはいったん口をつぐみ、話すことを躊躇っていた。

「どうしました? 教えてくださることは些細なことでも、なんでもいいんですよ。例えば、うちの隊員が妙な動きをしていたとか、そんなことでも構いません。不敬でもなんでもありませんからね」

 そう言ってから、そのことを使用人に訊くのを忘れていたと気づいた。しかしいまはセルペンスを帰すのが先だろう。

「実はそのことなのです。あの、噂で聞いたのですが、ファニーの持ち物から指輪が出てきたと聞きました」

「はい、ポケットから出てきたそうです」

「わたくし見たのです。ファニーが自慢げに指輪を拾ったと言っているところを。それからあとになって、女性の警備隊の方と口論をしていました。たぶんその方が、指輪の本当の持ち主に違いありません。ですがファニーは、返さなかったのです。わたくしあの時、ファニーに返すよう言っておくべきでしたわ。我が家の恥になりかねなかったのに」



 行きの馬車の時と同じく、セルペンスは何かを考えていた。俺は俺で、手に入れた情報をうまくまとめようと車窓の向こうに視線を向けていた。

 例の男を殺した人物と、人間除けのランプを使った人物は、果たして同一人物なのだろうか。例の男に刺さったナイフも、ランプが絨毯に置かれていたことも、未だ理由はわからない。

 ククラが指輪の持ち主であることは、この際疑いがないように思えた。それに加えて三階に上がっていくところをネイハムに目撃されている。彼女はいったい何をしに三階へと向かったのだろう。俺が死体を発見する一時間前、キミシアが書斎の向こうで聞いた物音も気になる。

 まさか彼女が人間除けのランプを邸に持ち込んだのだろうか。しかし彼女は人間で、現に体調不良を起こしている。もし持ち込んだ犯人なら、そんなへまをするだろうか。それになんの理由があってそのランプを使ったのかもわからない。人間を書斎からはけさせて、何かを探したのだろうか。

 考えがこんがらがってきた。そのうち何故こんなに苦しまねばならないのかと苛々し、誰かに八つ当たりをしたくなってきた。が、それも時間が経てば治まり、最本部に着く頃にはすっかりまた考えにふけこんでいた。どうせ寝るまで考えてしまうだろう。面倒な頭だ。

 馬車が止まったのにもかかわらず、セルペンスは降りようとしなかった。俺が構わずに降りようとすると、すかさず止められた。

「言おうか言うまいか悩んでいたんだが、やはり話しておこうと思うんだ」

「領主の邸で何か見つけたか?」

 セルペンスは首を横に振ると、昼間、総務課に挨拶をしに行った時のことを話しだした。

「俺は確信が持てないことは話したくないんだが、こればっかりは話したほうがいいだろう。あの総務課の中に、魔族らしき種族の混血がいる」

「まさか。魔族に混血はいない。さっきそう確認してきたのはおまえじゃないか」

 エルフはほかの種族よりも気配に敏感で、誰がどの種族なのかを知覚できる。だからこそ呪い除けなどの道具の気配も手に取るようにわかったのだ。俺には、俺たちには到底感じられないその感覚は、いったいどんなものなのだろうか。

「だから、らしき、と言ったんだ。魔族の混血には会ったことがないのだから、それに似ている気がすると言っているんだ。半分か四半分は魔族のそれに違いないのだろうが、何か違うような気もするんだ。こればっかりはわからない。自信がない。でも確かにあれは……」

「いったい誰がその混血だっていうんだ? ククラか? あの無愛想な女の」

 それなら彼女があのランプを使えることになる。しかしセルペンスは思いもかけないことを口走った。

「違う。そっちじゃない。確か、エマといったな。彼女だよ。あの、紅茶はどうかと言ってきてくれた愛想のいい女のほうだ」

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