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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第三章

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炭鉱のカナリア 2

 今日はとことん珍しいことが起こる日らしい。

 午前中は溜まった書類の処理に時間を使っていると、昼前に客人が訪ねてきた。

「久しぶりだな。サジタリスは元気か?」

 使用人のあとからエルフの若い男が執務室に入ってきて、気さくに声をかけてきた。

「セルペンス!」

 俺は驚きながら立ち上がって、彼と握手をした。

 サジタリスと同じ、黄緑色の髪と眼を持った彼は、顔にいくつも傷があり、右の目の下に三つ、逆三角の赤い入れ墨を入れていた。男ではあるが髪はかなり長く、後ろで緩く結んでいる。白の立襟のロングジャケットは膝上まであり、襟や袖に刺繍がされていた。同じ色のぴったりとしたズボンを履いている。

 俺たちは紅い応接間に移動し、肘掛け椅子にそれぞれ腰かけた。

「奥さん、身重なんだろ? 出てきてだいじょうぶなのか?」

「そんなことは平気だ。いざとなったらひとりでも産むさ。すこし前までは不安がっていたが、腹が決まったと見える。さすがは俺の妻だ」

 からからと笑って見せ、セルペンスはまったく意に介さない。エルフの中でも特に変わり者の彼は、エルフの森がある隣領クルトドールの領主であり、磊落な性格だった。ちなみに彼の妻は人間だ。

「それで、又甥くん。いまはなんと言えばいいんだったかな?」

「いまはギダだ。ギダ・オーク・アイラル」

「名前がいくつもあるなんて、面倒なことばかりするな、おまえは。名前などひとつでいいじゃないか」

 ほかのエルフの里ではどうだかわからないが、隣領に住んでいるエルフは皆、名字がなかった。セルペンスは名字や偽名という概念を知ってはいるが、偽名には納得していないのだ。

「そうもいかないんだよ」

「小難しいことばかり考えていると、物事をありのまま受け入れられなくなるぞ」

「せいぜい気をつけるさ」

「素直にわかったと言わないか。心配しているんだ。サジタリスの気苦労が知れないな」

 セルペンスは呆れて、これ見よがしに腕を組んだ。

「しかし、聞いてはいたがすごいところに住んでいるな。首と目が疲れそうだ」

 壁にかけられた肖像画や調度品を見渡し、セルペンスは眉をひそめる。彼の意見に同意する。

「もう十ヶ月近く住んでるが、未だに慣れないよ。部屋数が三十以上もあるし、寝室は八個くらいあるし」

「とてもじゃないが使いきれないな。まぁ、俺のとこも同じようなものだが。使用人はちゃんといるんだろう?」

「もちろん。いないと業務に支障をきたすからな。でなきゃ、部屋の掃除だけで一日が潰れる」

 それを思うと、紅い髪の男に貸している邸もひとりで維持するにはほとんど不可能に近い広さを誇っていた。庭を含めた邸の維持を条件にタダ同然で貸し出しているので、いま思うと随分と無茶な条件をつけてしまった。

「サジタリスなら、いまはミネルバにいる」

 そう言うとセルペンスは不服そうな態度になった。

「なんだ。許嫁を異動させたのか? 酷いことをする」

「俺じゃなくて『ガーランド』の許嫁だろ」

「いまはおまえじゃないか」

「いや、サジタリスにとって俺は『ガーランド』じゃない」

 はっきりと否定するも、セルペンスは納得していないようだ。

「おまえの家の事情はよくわからん。父親もガーランドで、おまえの兄もガーランドで、いまはおまえもガーランドで。呼ぶ時に不便じゃないか。名前を引き継ぐのがそんなに大事なのか?」

「そういうもんだと思ってきたから、疑問に思っても、変える気はないよ」

 父は婿入りしてから名前を継いだようだが、兄は正真正銘、生まれた時からその名前だった。俺が『ガーランド』という名を引き継いでも、所詮は偽物だ。この名前は俺の中で、過去を忘れないための楔のようなものに成り果てていた。

「そうか、そういうもんなのか。なら仕方ない」

 納得したわけではないが、セルペンスはそこで話を打ち切った。

「でだ、今日ここに来たのはな、エルフの森にひとが立ち入ったから報告に来た」

 エルフの森は、クルトドール領の北に位置し、その奥にエルフの里がある。

「いつだ?」

「昨日」

「昨日?」

「そう、つい昨日だ」

 彼は重々しく頷くと、足を組んだ。

「昨日の朝だそうだ。兄さんがわざわざ手紙を書いて俺に寄越してくれたんだ。あのアクイラ兄さんがだぞ。俺はそれだけでも驚いたのに、おまえにも伝えろと書いてあった。弟として、兄の言うことは聞かなければならないからな。こうしてわざわざ来たんだ。本当は、嫁さんに美味しいものでも食べさせたかったから、ついでに買い出しにも来た。妊婦は何かと物入りだからな。自分のじいさんに感謝するんだぞ。たまには帰ってやれ。随分帰ってないんだろ?」

「そうだな……十一年くらいは会ってない」

 アクイラはセルペンスの兄でもあり、俺の祖父でもあった。セルペンスは俺にとって大叔父ということになるが、エルフは長命で容姿は人間でいうところの二、三十代を維持し、老いるのも晩年の五十年に入ってからになるので俺と同年代に見える。

「十一年! いまここで、近いうちに帰ることを約束するんだ」

「無理だよ。警備隊の地方司令官ともなれば、領地を離れるわけにはいかない。しかもいま、面倒な事件が起こってるんだ」

「そんなことは関係ない。兄さんは弟の俺にも無愛想だが、おまえだけは可愛がっていた。絶対におまえに会いたがっている。あの霊薬をおまえに使ったくらいなんだからな。さあ、一週間以内に帰ると約束するんだ」

 自由を求めてエルフの里から出て行った大叔父に言われたくないが、ここは年上の親戚の言うことを聞いておくことにした。

「わかったよ。帰るよ」

「よし。じゃあ三日以内に帰るんだぞ。兄さんに伝えておくから」

「いや、それはさすがに……」

 セルペンスの鋭い目に睨まれて、俺は仕方なく口をつぐんだ。しかし祖父に三日以内に孫が帰ると伝えられてしまったら、祖父はきっと伝えられたその日から森の入口で悪態をつきながら俺を待つに違いない。溜め息をついて、なるべく早めに里帰りしようと思った。

「それで、面倒な事件というのはなんだ?」

 意外と気になっていたらしい。俺は昨日、一昨日と起きた領主邸での事件のことを簡単に話した。

「ほう、殺人事件か。しかも不可解なことばかりみたいだな」

「ああ。おまけに今朝、部下が怪しいと密告されたばかりだよ。ここ、総務課も入ってるんだけど、そこの隊員が怪しい行動をしていたってさ」

「密告をしてきた者の信用は置けるのか?」

「五分五分だな」

 俺は肩をすくめて見せる。ネイハムのことだ。自分がいまいち信用されていないのもわかっての密告なのだろうが。

「不可解な動きをしていた部下に、男に刺さっていたナイフ。絨毯の上のランプに、体の不調を訴える者の多さ……」

 セルペンスは唸り、難しい顔をして腕を組んでいたが、やがて立ち上がった。

「ああ、もう、わからん。こんなところで考えていても埒が明かない。行くぞ」

「どこに?」

「領主の邸に決まっているだろう」

「いまから?」

「もちろんだ。すこし心当たりがある」

「いったい何に?」

「それは行けばわかる」

 セルペンスは出されていた紅茶をあおると、カップをソーサーに戻し、応接間を出て行こうとする。せっかちだ。

「待て、セルペンス」

 俺は追わずにその場から彼を止める。

「なんだ。悠長に座っている場合じゃないだろう」

「もう昼だ。飯、食べてからにしたほうがいいと思うんだが」

 そう提案した途端、セルペンスはすぐに大きく頷いた。

「それなら話は別だ」

 さっさと席に戻ってきた。

「それで? あとどれくらいだ?」

「あと十五分もしたら、使用人が呼びに来る」

「十五分か……」

 耐えられるだろうか、と書いてある顔だったが、セルペンスは何かを思いついたように俺を見た。

「ここには総務課の者たちもいると言っていたな」

「ああ。建物の、向かって左側に総務課の一画があるんだ。つながってはいるが、ほとんど別館と言っていい」

「彼らに挨拶しようかと思うんだが、おまえ、紹介してくれないか」

「本気で言ってるのか?」

「おまえが世話になっているんだ。挨拶しないわけにはいかないだろう」

「俺はこれでも仕事が残ってるんだよ。挨拶に行っている時間で、書類をいくつ処理できると思ってるんだ」

「そんなものはあと回しにしておけばいい。出会いは大事にするものだ」

「書類の向こう側にだって、ひとはいるんだぞ」

 たかが書類といってもそこに書かれた内容で、直接的にしろ間接的にしろ、人生を左右される者が出てくるのもまた事実だ。軽視はできない。

「いま、すぐ近くにいる者のほうが大事だ」

 セルペンスも譲らない。諦めた俺は先の例に従い、大叔父の言う通りにした。

 俺とセルペンスは応接間から玄関ホールに出て、建物の左側の廊下を連れだって歩き出した。大きな風景画の飾られた廊下は赤い絨毯が敷かれ、幅はひとが四、五人並んで歩いても支障がない。

「俺の親戚だなんて、嘘でも言わないでくれよ」

「百も承知だ。おまえの立場を悪くなどしない」

 突き当たりが朝食をとる部屋なので、その前に左に折れる。手前に螺旋階段があり、ここを上がると二階に行けるがあまり使わない。俺は寝室により近いほうの、建物の右側にある螺旋階段をもっぱら使っていた。またすこし進み、細身の扉を開け、またすこしすると廊下に出る。ここからは総務課の建物になる。左手に部屋がふたつ、すこし行った先の右手に部屋がひとつ、計三つ総務課の部屋がある。右手の部屋は課長室だ。

 左手前の部屋の扉をノックし、応答を待つ。女の声で返事があり、扉が内開きに開いた。ククラが愛想もなくそこに立っていた。先程のネイハムの言葉を思い出し、猜疑の目で見てしまいそうになるが、どうにかいつも通りにしようと努力する。いつも通りも大して変わらないが。

「いかがされましたか、司令官」

 彼女の声色に、邪魔をしないでほしい、と言われている気分になり、さすがに態度を改めさせようとしたが、その前にセルペンスが前に出た。

「どうもこんにちは、総務課のお嬢さん。仕事中で申し訳ないが、皆さんに挨拶をさせてもらえないだろうか」

「俺の友人のセルペンスだ。総務課のみんなに挨拶がしたいんだとさ」

 俺がそう紹介すると、ククラは怪訝そうな面持ちでいたが入口からどき、中に入ることを許可した。セルペンスは口元に笑みを絶やさずにして、その部屋にいた、ククラ、エマ、ネイハム、ウォルターの四人に挨拶をした。スミスの姿はなかった。

「隣のクルトドール領で領主をしているセルペンスだ。見ての通りエルフだが、ひと付き合いは大の得意だ。彼とは長年の友人でね。今日は久しぶりに顔を見に来たんだ。彼の考えていることが理解できない時があるかと思うが、まあ概ねいい奴だから、力になってもらえると友人としても助かる。よろしく」

 それを聞いた面々は、各々その場で会釈をしたり、挨拶を返したりした。エマがセルペンスの前に来た。

「遠いところからようこそお越しくださいました。お時間はありますか? 隣の応接間で紅茶などいかがでしょう」

 実は総務課にも総務課用の応接間がある。それくらいこの邸は部屋に事欠かない。

「いや、先程もらったので気持ちだけいただこう。お名前は?」

「エマ・ロランです」

 エマは総務課の顔として彼に接しているのだと、その表情や姿勢から感じられた。彼女が総務課にいてよかった。ほかの面子ではこうはいかない。

「それでは皆様方、忙しいところ失礼した」

 セルペンスは優雅に礼をして、俺と共に部屋を出た。さぞかし満足しただろうと思っていると、彼は気難しそうに口を引き結んでいた。

「どうした? 何か気に食わなかったのか?」

 不思議に思って訊いてみるが、セルペンスは口を開かない。別室にいる課長のガーディナーを紹介しそびれたのに気づいたのは、かなりあとになってからだった。

 廊下を通り、紅の応接間まで戻って俺がガラス扉を閉めた時、彼はようやく俺を見た。

「なあ、ギダ。俺の知識に間違いがなければだが、魔族は本来、他種族との間には子供ができないはずだな?」

「ああ、そうだけど」

「ふむ……」

 セルペンスはそう言ったきり、また口を閉じた。俺には彼が何に疑問を持ったのかわからず、一緒に昼食をとっている最中も、まったく関係のない雑談をしながら馬車に揺られて領主邸に行く時も、彼は頭の片隅で何事かを考えていた。

 俺がその考えを聞くのは、もうすこしあとのことだった。

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