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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第七章

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保護者の足場 4

 本当に悪いことをした。まさか板を戻していなかったとは。

 コーラルは心ここにあらずといった様子で、ゆっくりと歩いて外に行ってしまった。あまりの恐怖に混乱していたのだろうか。受け答えははっきりとして、痛いところはないと頷いていたが、体を打っているのであとから痛みが出たり、内出血を起こしたりしていないといいのだが。

 仮の板を床穴の上に置き、情けなくなって首を振った。ようやく雑談もできるようになったというのに、今回のことでふりだしに戻らなければいいがと思いつつ、キッチンの食卓に戻る。もうすこしここで過ごそうかと思っていたが、どうにも気が進まない。すぐさま食器を片づけて自室へと戻った。

 部屋に入って机の上を見た時、まだ途中だったギダの手紙のことを思い出した。リアからも手紙が来ていたが、アサギからの話でコーラルがリアのことを聞きたがっていたことを思い出し、これはタイミングを逃したのではと溜め息が出た。

 ギダの手紙の前にリアの手紙を読むと、近況が書かれていた。寒くなってきたが体調に変わりはないかとか、学術機関に入ってサイラスがようやく呪いの研究をはじめたとか、まだ着いて日が浅いのでこちらの暮らしに慣れないとか、コーラルは元気にしているかとか。最後のことに関してはリアにも謝りたくなった。

 情けない気持ちのままギダの手紙の続きに目を通した。まるで私の心境を先回りして知っていたかのように、内容は〈角を持つ者〉に関することだった。溜め息が長く漏れる。私が微妙な空気をまとってこの手紙の後半を読むことを彼はわかっていたのだろうか。どうして手紙を一気に読んでしまわなかったのかと自分を呪った。次に彼女と会った時にもう一度体調のことを訊いてみよう。そう決めてから気持ちを落ち着け、手紙に目を通す。

 主に〈角を持つ者〉がどういったものなのかが書かれていた。前にシャノンから聞いたことと同じような感じだ。しかしあとのほうに書かれていたのは、謎の多い、魔物を呼び寄せる匂いについてだった。匂いは怒りや恐怖などの負の感情によって発せられ、感情が強くなるほど匂いが強くなるという。しかしそれとは反対に、喜びや安心によっても匂いが発せられるらしく、これに関しては不思議なことに魔物は反応しないという。匂いに種類があるということだろう。思い返せば確かに複数の匂いを感じていた。負の感情がある程度強くなった時の匂いでないと魔物は反応しないが、魔族は負の感情の匂いはもとより正の感情から発せられる匂いも感知できるようだ。正の感情の匂いは、端的に言うと魔族に依存の影響を与えるという。

 ……。

 私はもう一度、その文章を読み、ゆっくりと咀嚼した。

 ……。

 つまりは、ものすごく簡単に表現するならば、手放せなくなる、ということだろうか。

 それはすごくまずいことのように思えた。

 というかまずい。

 彼女を預かったのは、あくまでも一時的なものだ。それを自身の精神的理由によって手放せないなど、言い訳にもならない。いや、その前に、そうなる前に、彼女から離れなければならないではないか。つい先程彼女の意思確認をして、この家に安心感を覚えてきたというのに、こちらから反故にしなければならないのか。

 ギダはこのことをわかっていて、私に彼女のことを頼んだのだろうか。背筋に鳥肌が立ち、私は頭を抱えて、とんでもないことになったと自覚した。

 だがここで、あることにも気がついた。先程彼女を穴から引っ張り出して助けた時、抱き締めたのにもかかわらず彼女からは何も匂いがしなかった。いつからだろうか。

 彼女がアレリアに攫われる前はしていた。ではそのあとはどうか。次に彼女に会ったのはアレリアのあの富豪の邸だった。あの時彼女は寝ていて、どちらかもわからないほど、勘違いかと思うほどにしか匂いを感じられなかった。そうだ、そのあとだ。彼女が目を覚ました時、あれほど近くにいたというのに匂いはしなかった。

 彼女があれほど感情もあらわに泣いたのだ。しなかったはずはない。何かその間にあっただろうか。スリプが話しかけ、ミランダが来て、血を飲ませて起こして……。

 まさか、魔族の血の影響で〈角を持つ者〉の力が相殺されたのだろうか。

 いや待て。よく考えてみるべきだ。

 バジリスクの卵の効果を破る方法として、ただの毒ではないと言ったシャノンの言葉を信じ、コーラルに血を飲ませた。目が覚めたということは、やはり魔族の血は他の作用や効果を消すほどの強い力を持っていたということだ。

 多少なりとも何かの力を宿す体に血を与えたとして、それの影響が強すぎるせいで生来の力を抑えている、ということだろうか。しかしもしそうであるなら、ほかの種族であっても条件は同じと言える。

 では何か。血がたまたま体に合った結果、あれほど彼女を悩ませていた力を無力化したということなのだろうか。もしそうなら、これは諸手を挙げて喜んでいいことだ。本人に伝えるべきだろう。

 しかし、とまたしても別の考えが湧く。血の力は一時的なもののはずで、永続するとは思えない。つまりは、彼女の力を無力化し続けるならば血を飲ませ続けなければならない。その効力が切れるのが、一ヶ月後なのか、半年後なのか、一年後なのか、わかるはずもない。それを知っていて彼女を見放すなど、できるはずがない。もっといえば、血の影響がほかに出ないとも限らない。これでは理由が変わっただけで、結果が変わっていないではないか。

 ギダの意図とは別の理由で、今度こそ私は、やってしまった、のだろう。私は机に突っ伏して、自分の無責任さに打ちひしがれた。

 ふとお茶をしていた時の彼女の様子を思い出す。ここ一ヶ月の間で一番雰囲気がよかったというのに、そのあとでまさか彼女に怖い思いをさせてしまうとは思いもしなかった。おまけに自分のしでかしたことが彼女を縛りつける結果になろうとは、後悔以外の何ものでもない。

 ……。

 一時的などと、本当はそう思いたいだけで、ほとんど奇跡でも起こらない限り、彼女を預かることがずっと続くであろうことはわかっていた。彼女がここにいたいというのなら、それはそれで構わない。しかしいずれ出て行くことを考えているとしたら、それを尊重したかった。彼女自身が相手を見つけてくるのなら話はまた別だが、男と同居している少女にいい話など来るはずもなく、彼女自身が自立するにしてもこの町には選択肢がない。ほかの領地に行かなければ自立は困難で、第一、力のこともある。何をするにしても彼女の力を根本的に解決しなければならない。

 私が考えうる、一番丸く収まる方法で、責任を取るべきなのだろうか。いや、そもそもこんなふうにして決めることではないし、何よりもお互いの意思が大事なことだ。それ以前に私は、そういうふうには見られていないだろう。彼女はまだこの事実を知らない。それなら私がいま考えていることも、見当違いとも言えるし先走っているとも言えるはずだ。そう思いたかった私は、義務と責任だけで動けてしまう自分の思考をなんとか止めようとした。

 部屋の扉が急にノックされ、私は跳ね上がるように立ち上がった。勢いで重いはずの椅子が倒れ、すごい音がする。

「どうしたんですか」

 扉の向こうからアサギの声がした。

「えっ、あ、だいじょうぶだよ。開けても」

「失礼します。何かあったんですか」

 入ってきたアサギは椅子を戻している私を見て、無表情のまま言った。

「……いや、なんでも。コーラル、見かけなかった?」

 取り繕おうとしたがすこし声が上ずる。アサギは首を横に振った。

「いえ、見てません。何かあったんですか」

 私は手短に、先程コーラルが穴に落ちてしまったことを話した。

「本人がだいじょうぶだと言ってるならだいじょうぶだと思います。痛くなったら言いに来ます」

「まあ、そうなんだけど……」

「故意にやったわけではないですから、彼女もわかっているはずです。そんなに気になるなら見に行ってはどうですか」

「……ごもっとも」

 アサギの正論に、苦しく賛同するしかない。

 私だけが知っているこの秘密は、もうすこし考えるべきだろう。選択肢があまりないのが少々気がかりだが。

「えっと、何か用があったんだよね? 仕事のこと?」

 話を変えようと訊くとアサギは表情を引き締めた、ような気がした。

「実は前々から気になっていたことがあったんです」

「どんなこと?」

「この家の近くにある、丘の下の荒地のことです。それから、たぶん〈メイト〉にも関係があることです」

 アサギは緊張しているのか、呼吸を整え、それから私を見て、言った。

「もしかしたら、僕はもう、死んでいるかもしれません」

 第三部に続く。

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