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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第七章

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保護者の足場 2

 起きてすぐに思ったことは、ここはどこで、いまはいつなのか、ということだった。

 ここは確かに私の隊の本部の、二階にある自分の部屋だ。ベッドから出て窓のカーテンを開き、太陽の位置を確認する。まごうことなく朝の光景だが、いつもより遅い時間に起きたようだった。

 アレリアから帰る前に、ギダから五日間の休暇を言い渡された。いきなりの話で驚いたが、この際なので遠慮せずに受け入れることにした。帰りは橋を使ったのでアレリアから帰るのにさほど手間はかからなかった。例によって帰りは夜中だったのだが、ギダが手を回して使えるようにしてくれていた。橋を管理する警備隊には大変申し訳なかったが、私はどうしても自分の部屋のベッドで泥のように眠りたかった。

 それにしてもよく寝たのか体が軽い。机の上に手紙が二通置いてあったが、送り主がリアとギダだったので後回しにした。一通り着替えてから階下に行くと、応接間の出入口から顔を出した人物と目が合った。警備隊の制服を着たリートだった。

「うおー! ラグさんだーっ!」

 顔を輝かせながら赤い廊下を駆けてきた彼は、私の手を握って力強く上下に振った。

「いやー、お疲れさまでした! 司令官から聞きました。色々ありがとうございましたっ!!」

「え、ああ、いや、そんな」

 咄嗟のことで言葉が出てこない。ついでに記憶もすぐには出てこない。

「いま念のために診療所で診てもらってるんですけど、なんとかなりそうなんで。ほんと、感謝してもしきれないです」

 リートは本当に嬉しそうだった。誘拐されたほかの少女たちは、恐らくギダがどうにかしてくれたのだろう。

 話し声に気づいたのか応接間からアサギとサジタリスが出てきた。これから見回りに出る時間で、皆が揃っていたようだ。

「おはようございます。丸二日以上寝るなんてすごいです」

「えっ! 丸二日?!」

 アサギの言葉に私は耳を疑った。

 私の目が覚めたのは、ミネルバに帰って来てからなんと丸二日以上も経った朝だったのだ。確かにあの時はよく眠れそうだと思ったが、まさかこれほど寝てしまうとは。短時間睡眠を誇りに思っていたわけではないが、すこしばかり衝撃を受けた。もうすこし普段の睡眠時間を長くしようかなどと考えていると、アサギが私の後ろをそっと指差した。と同時に背に声がかかる。

「あの、体、だいじょうぶ? あと手も」

「あ、うん、だいじょう、ぶ……」

 反射的にこたえながら振り向いたが、視線の先の少女がいったい誰なのか、私の頭は数秒間悩んでしまった。少女の着ているワンピースの裾はゆったりと広がり、これから外に出るのか紺色のケープを羽織っていた。長い水色の髪は腰まであり、耳の後ろに白い角が生え、緑色の眼でこちらを見上げている。

「……コーラル?」

 思わず訊ねると、彼女は不思議そうな顔で何度か瞬きをしたあと小さく頷いた。

「誰だと思ったんですか」

 アサギの単調な声が背中にかかる。

「いや、ちょっと思い出すのに時間がかかって……格好もかなり違うし……」

 そうだった。彼女は髪がかなり伸びたのだ。随分と格好が可愛くなり、本当に同じ人物なのかと疑いさえ持ててしまう。いや、よくよく思い出せば、彼女はアレリアでいまとはまた違う可愛らしい寝間着を着ていた。

「女は時として、数日あれば化けるものです」

 思いがけないサジタリスの返答に、その場にいた三人の男は唖然として彼女を見るばかりだった。

 部下の三人は私が休暇中であることをすでに知っており、ゆっくり休んでほしいと仕事を請け合ってくれた。それから朝食は、コーラルが前の晩に作っていたロールキャベツを食べさせてもらった。自分の家でひとの作った料理を食べるのは久々で、なんとも言えないほど嬉しかった。午前はゆったりと過ごし、午後になってから今朝届いたというギダの手紙に目を通すと、そこには事の顛末が書かれていた。

 ギダは、ミランダ・リューン・ウェイデンの邸で人身売買が行われていると踏んでいたが、それはミランダの前の代の話で、彼女の代になってからは人身売買がなくなったのだという。彼女は確信犯だった。自身が不幸な境遇の少女たちを救えると本気で信じていたようだ。

 ニジェットの背中を斬ったトマスは、ミランダの弟だった。本名はトマス・ファン・デル・ウェイデン。私がいつぞやの橋の通行記録で目にしたウェイデンという名前は彼のものだった。彼はミランダの命を受けてミネルバの警備隊に異動してきた。一応異動する前はアレリアでも二年ほど働いていたようだが、ほとんど書類整理だけで見回りなどの業務はさっぱりだったようだ。それでも剣術の腕は確かだったようで打ち負かされた者も多く、仲間内で彼に口を出す者はいなかった。

 ミネルバに異動してからの彼の動きは明白だ。姉の望む少女たちを見つけだしながら、橋を管理する隊の隊員を買収し、ミネルバのほうは橋の鍵を壊させた。そうして準備を整えて四人の少女を次々と誘拐し、橋を使ってアレリアに運んだ。

 ミネルバの橋を管理している隊の隊長であるマシュウはというと、これから事情聴取などをするらしいが、どちらにしても処分は免れないようだった。場合によっては橋の通行記録の原本を見た者として私を最本部に召喚し調書を取るかもしれない、と断りが書かれていた。それくらいのことなら喜んで協力しよう。マシュウには同情しない。これでニジェットも胸がすくだろう。そういえば斬られた背中の傷はだいじょうぶだろうか。

 手紙はまだ続いていた。

 ここらへんで一息つこうと手紙を置き、自分の部屋から出た。階段を下りて赤い廊下を過ぎ、白の回廊へ向かう。白い壁であることも手伝って、窓から漏れる午後の日差しがまぶしかった。どうせやることがなくて暇になるだろうし、今日は主に空き部屋の掃除をしようか。窓の外を眺めながら、庭の手入れを明日の予定として心に書き留めた。それからバートランドに手袋を頼んでいたことを思い出す。取りに行かないとすぐに忘れてしまいそうだ。睡眠で休みを二日も潰してしまったことにすこし後悔してしまう。

 回廊の床に置かれた仮板を見て、床板を折ったことを思い出す。床に屈んで仮板をどかしてみると、我が目を疑った。ぱっくりと開いた穴がそこにあった。ひとがひとり楽に落ちてしまえるほどの穴を前に、頭から血の気が引いた。私が最後に見たのは折れ目の入った床板で、こんな大層に穴など開いていなかった。目を閉じ、深呼吸をする。これは夢か。それとも誰かのいたずらか。この家には力自慢の妖精でもいるのか。

 キッチンの扉が開く音に顔を上げると、私がここにいたことに驚いたのか、コーラルが動きを止めてこちらを見ていた。キッチンから出てきたということは、上の自室にいたのだろう。

「あ、ごめん。すぐに戻すから」

 すぐに立ち上がって板を戻そうとすると、コーラルが思いもかけないことを口にした。

「その穴、金髪のお兄さんが開けてたよ」

 今度は私が動きを止めて彼女を見た。

「本当に? いつ?」

「確か、七日か八日前だったと思う。その日は朝から来てたから」

 言われてみればそんな日もあった。あの日は朝の見回りから帰ると応接間にギダがいた。私の手紙を読んで来たと言っていた。あのあと話し合いをしてから彼は帰ったので、私が見回りから帰ってくる前にこんな大層な穴を開けてくれたのだろう。とんだ妖精が来たものだ。

「ギダはどうしてこの穴を開けたんだろう……。コーラルは見た? この穴の下」

 彼女は素直に頷く。

「ランプで照らして見たけど、机みたいなものの影とか床が見えた。あとすごいほこりだった。でもあのひとは、たぶん秘密基地だ、って言ってた気がする」

 話しているコーラルは釈然としないのか、眉を寄せている。

 秘密基地、ときたか。ますますこの土地の不可解さが際立ってきた。ギダはこの土地に関する何かを知っている。あるいは、調べている。いったい彼が何をしているのか、目的がなんなのか見当もつかない。

 目元を手で押さえ、長く、長く息を吐いた。今朝すっきりと目覚めたのに、憎たらしい妖精のせいで頭が重たくなってきた。

 コーラルに入口からどいてもらい、キッチンの中に入る。キッチンへは一息をつきに来たのだが、思わぬところで要らぬ損害を知り、かなり気が重い。それも見越して五日も休暇をくれたとしたら、その気遣いを八日前のあの床に回してほしかった。

 クッキングストーブに火を点け、水を溜めたケトルを上に置く。食器棚からカップとソーサーを出しながら、何か甘いものも食べたくなった。そう思っていると扉の近くに立っていたコーラルがこちらに来て、食器棚の上の戸を開けた。何故かそこにはふっくらとした丸いスコーンがふたつ皿に乗っており、それを目の前に差し出してくる。

「どうしたの、これ」

 驚きながら受け取る。

「今朝、リートが持ってきた。昨日の夜に作ったって言ってた」

 そんなに暇だったのだろうか。それとも妹を待つ焦りをお菓子作りで紛らわせていたのだろうか。よくわからないがリートがお菓子を作れることだけはわかった。

「これから一息つくんだけど、一緒に飲む?」

 彼女がよく使っているカップを棚から手に取って、お茶に誘ってみる。前だったら躊躇っていたこともすんなりと訊け、内心すこし驚いた。コーラルは不思議そうな顔をして私を見上げていた。いきなりのことなので断られるかと思っていたら、意外なことに彼女は頷いた。口元がかすかに綻んでいた。なんだ、最初からこういうふうに接していればよかったのかと、苦笑いが出た。

 程なくして、食卓にはりんごの香りがする紅茶の入ったカップ、ティーポット、砂糖入れなどの食器が並んだ。各々スコーンを一個ずつ取って自分の皿に置き、ひと口大に切り分けてから口に運ぶ。

「美味しい……」

 思わず感想を漏らすと、左隣に座るコーラルも目を輝かせて頷いている。リートにはお菓子作りの才能があるようだ。ほんのりと甘さがあり、粉砂糖やシロップをかけなくても充分だった。部下のお菓子作りが、趣味から特技という認識に改まる。

 今度教えてもらおうかと思いながら紅茶の香りを吸い込み、ミネルバに、自分の家に帰ってきたことを実感した。これで借家でなかったら、もうすこし落ち着けたのだが。

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