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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第六章

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大義に踊る騎士 4

「いまはまだ競売の最中だから、残念ながら私しかここに来てないよ。お客様を巻き込むわけにはいかないからね」

 私の探るような視線を真っ向から受けつつ不敵に笑い、彼女は長い砂色の髪を揺らした。

「それで? 王子様は何しにきたのかな? 囚われの姫を救いに来たのかな?」

 私がこたえないことも意に介さず、ミランダは独り言のように話を続けた。

「お姫様はずっと眠っているよ。現実がつらすぎたからね。彼女は母親に拒絶されたそうじゃないか。泣いていたよ。可哀想に。だったらこうして心安らかに眠っているほうが幸せだよ。この領地は、彼女たちにとってはとてもじゃないが生きづらい」

 ミランダは憐れむように目を伏せた。面白半分などではなく本当にそう思っているのだ。

「……だから誘拐した、とでも言いたいのか?」

 感情を抑えて静かに問う。ミランダは顔を上げた。

「それ以外の理由を私は持ち合わせていないよ。なんと言われてもいい。ほかの子たちだって、住みにくいところよりも自分が望まれているところにいるほうがいいに決まっている」

「そんなこと、彼女たちが言ったのか」

「聞かなくてもわかる」

 自己判断だけでここまでしたというのか。

「彼女たちの生い立ちを知れば知るほど、深く深く同情するようになった。彼女たちは私のところに来るべきだと思った。私が守るべきだと」

 持つ者が、持たざる者を助ける。目の前の女はその敬虔な考えを信条としている。しかしその信条も、当人たちの意思を聞かずに、その上誘拐をしている時点でおかしいのだ。助け方が、方法が、手段が間違っている。

「生きていくのがつらいのなら、眠っていたほうがいい。彼女たちは眠っている時が一番素敵な顔をしている。嫌なことを二度と思い出さないようにするには、こうするしかなかった」

「何をした」

 そう返すとミランダは笑った。

「バジリスク、の卵」

 私はその言葉にハッとし、すぐさまコーラルを見た。

「おや、わかるのかい? ああ、そういえば君、魔族じゃないかって噂が立ってたっけ。知り合いの魔族に頼み込んで、先日ようやく手に入れたんだ」

 噂には聞いたことがあるが、実際に使われたのを見るのは初めてだった。非常に厄介な魔物であるバジリスクは、吐き出す猛毒がとある領地を壊滅させたこともある。稀に産む卵は食べた者を半永久的に昏睡状態にさせるもので、高値で取引されていた。『邪魔をされたくはないが生かしてはおきたい』という自分勝手な者たちの醜い争いなどで使われる代物だった。

「私は最初から彼女が特別だと確信していた。だからひとつしかない卵をあげたんだ。ほかの子にもあげたかったんだけどね。髪は、ふふ、私としては長いほうが好みだから、別の薬でね。素敵だろう?」

 ひとを昏睡状態にした奴が何を言うのか。ふざけないでほしい。

「さて、無駄話をしてしまったけど、どうするのかな? 彼女の意思を無視して、連れ帰るのかな? 彼女はどんなことをしても目覚めないだろうけど」

 本当にこれが彼女の意思だというのなら、尊重するべきだろう。彼女の生い立ちには同情すべき点が多く、心ある者ならば憐れむのも仕方がない。

 コーラルは五歳で他領の学舎に通うために寮に入った。ひとり遠く離れた地に行った娘に、両親からの手紙は数える程度しか届かなかったという。しかしそこでの暮らしは、理解ある級友に恵まれたこともあって平穏だったようだ。級友のほとんどが長期の休みで学舎からいなくなった時、彼女がそれに倣って家に帰ることはなかった。帰れなかったのだ。どれほど優秀な成績を残しても、両親が彼女を認めることはなかった。

 二年前、学業を修了し、彼女は故郷に帰ってきた。幼い頃に出て行った町だ。彼女の目に映ったのは見知らぬ町だったに違いない。母親は生まれたばかりの弟を溺愛し、邪魔者の彼女が家の中で居場所をなくすのに時間はかからなかった。

 リアに出会った当初のコーラルは、小さな物音にも敏感に反応するほど常に怯えていたという。それがリアの優しさに触れ、段々と笑顔を取り戻していった。それでも家に帰れば息を殺して過ごす時間が待っていた。母鴨を追い駆ける小鴨のように、リアに依存するようになったコーラルは、やがて大きな事件を起こしてリアに怪我をさせてしまった。事件のことを知った両親はコーラルを拒絶した。リアはすぐに彼女を家に招き入れた。

 これが、私が預かるまでの彼女のあらすじだった。リアからの手紙で知ったことがほとんどで、読んでいるだけで胸がつかえそうだった。

 彼女は幼い頃から、長い時間をかけてゆっくりと、心に澱を溜めていった。

 口をつぐんで、体を縮めて、ずっと我慢をしてきた。

 どんなに学業が優秀でも、それだけでは生きていけない。仕事で給金を受け取るにしても、作物を育てて自給自足をしていくにしても、自ら考えて動いていかなければならない。目の前の道を進むのはいつだって自分で、ひとりだ。彼女がこの先を生きていく道筋を見つけられないのなら、眠りに沈んでいたほうがいいのだろうか。

「眠っているからといって、いい夢を見られるわけじゃない。悪い夢を見る時もある。絶対に目覚めない状態でもし彼女が悪夢を見ていたら、これ以上むごいことはない」

「そんなの可能性の話だろう。現に彼女は安らかな顔をしているじゃないか」

 ミランダはその可能性を認めず、肩をすくめるばかりだった。

「私は、この邸を火の海にしてでも彼女を助け出すと決めていた」

 この状態が彼女の意思の結果ならば、尊重すべきなのだろう。だが私は、リアでもなければコーラルでもない。だからどうしても納得ができない。

「へえ、それは物騒な話だ。でもそんなこと、できるの?」

 いまの私にその選択肢はなかった。彼女がこのような状態になっているとは考えもしなかった。しかし納得ができない以上、ここから動くこともできない。バジリスクの卵を食べれば一生目覚めることはない。どんなことをしても起こすことができない。深い絶望を前に己の無力さが際立った時、唐突にシャノンの言葉が蘇った。

『魔族の血は、ただの毒ではありません』

 彼女ははっきりとは言わなかったが、魔族の血に毒以外の可能性をほのめかしていた。〈角を持つ者〉の力にどうしようもなくなった時、血を飲ませるのも手だと言ったのは、『殺める』という意味ではなく別の意味だとしたら……。

 私は逆手の左手で剣を半分抜き、その刃に右の掌を滑らせる。遅れて、掌から血が流れはじめた。

「何をするつもりだ」

 背にかかるミランダの声が硬い。

「彼女を起こす」

「そんなことできるはずがない」

「できるからやる」

 左手でコーラルの口をすこし開けると、右手に滴る血をそこに落とした。

「血を直接飲ませるなんて、何かあったらどうするんだ!」

 ミランダの叫びは当然だった。魔物を生み出す原因がこの血にあるのだ。公では毒と言われている以上、私の推測が筋違いであれば命に関わる拒絶反応が起こるだろう。だが覚めない眠りを破る方法をほかに思いつかず、もしものことがあればそれ相応の責任を取る覚悟だった。

 ベッドで死人のように横たわっていたコーラルの、両の目蓋が唐突に開いた。緑色の瞳が宙を見、程なくして上半身が起き上がった。しばらく呆然としていたが、私の存在に気がついて顔を向ける。表情はまだ認められない。

 目覚めたことへの喜びは表に出さず、私はベッドの脇で両膝をついた。彼女を見上げ、彼女の手を両手で包む。彼女の手が血で汚れてしまうことはあえて見過ごすことにして、静かに話しかける。

「コーラル、私が誰だかわかるね?」

 彼女は気だるそうに瞬きをしていたが、ある時を境にその瞬きが止まった。

「これからとても大事な話をする。ちゃんと聞いてほしい」

 彼女の瞳が不安そうに揺れた。

「ミネルバ、いや、このニエジム領は君にとっては肩身が狭い場所だ。排斥論のこともあるし、君のその力を、周囲が疎ましく思っている。君の力は、この先ずっと君を苦しめ続けるだろう。嫌だと言っても、逃げても、どこまでもついてまわる影のように」

 私は一旦口をつぐみ、自分が言うべき言葉と言いたい言葉を選り分けた。

「私はずっと、君がどうしたら安心できるのか考えていた。思いつくことやできることはやったけど、やはりわからなかった。君がどうしたいのかなんとなく訊けなくて、でも本当は最初に訊くべきだった。もし君がどこかほかの場所に行きたいのなら……例えばここにいたいのなら、私は止めない。心安らかに過ごすことも大切だから、反対しない。……コーラル、君はどうしたい?」

 コーラルは不安そうな顔になり、視線を下に向けた。かすかに動いていた口元から、やがて声が漏れた。

「わから、ない」

 とても、とても小さな声のあと、彼女の目から涙が落ちた。

「ど、どうしたらいいのか、わから、ない」

 彼女は嗚咽で苦しそうにしながら声を絞り出した。

「わ、わたし、みんなに迷惑かけちゃうから、ひとりで生きなきゃって思ってて……でもできるわけなくて。こんなわたしが、経験も自信もないのに、ひとりで生きていけるわけない。ずっと、ずっと悩んでた……だけどどうしたらいいか、本当にわからない」

 初めて見た彼女の泣き顔が胸に迫り、握っていた手の力が強くなる。

「ごめん……ごめんね」

 思わず謝ると、彼女はかすかに首を横に振った。どうしてもっと早くに訊かなかったのだろう。他人から聞いた情報で彼女のことを理解していた気になっていた自分に腹が立った。するとミランダが軽蔑したように息を漏らした。

「やっぱりそうだ。君がどれだけ傷ついても、この領地に君を助けてくれるひとはいない。血も涙もない奴ばっかりだ。でも私は違う。君がここにいたいのなら、私は君を守る。守って見せる。……それともまさか、帰るなんて言わないよね? あんな、君をまるで悪魔のように扱う連中のいるところに戻るなんて馬鹿げてる。君はあんなところに帰るべきじゃない。君はここにいて、守られるべきだ。君は、君が求められるところに留まるべきだ。私は、声も上げられずに泣きながら消されていくひとたちをたくさん見てきた。彼らは皆、罪を犯したわけでもないのに周りから責められ、苦しんでいた。周りは、自分たちがどれほど非道なことをしているのかわかってもいない。彼らが死ねば、ああ、やっと死んだのかと、憐れにも思わない。だから私は動いた。ひとりでは生きていけない君たちを救うために。私なら君たちを救える地位も金もある。だから私はやった。君たちが真にいるべき場所がある。それがここなんだ!」

 ミランダは荒い息で言い切り、コーラルをまるで睨むように見ながら、ブーツを鳴らしてゆっくりとこちらに近づいてきた。握っていたコーラルの手が震えているのを感じて視線を戻すと、恐怖で表情が凍りついていた。私は急いで立ち上がると咄嗟にコーラルを背に庇う。ミランダは切れ長の目を忌々しそうに細めたかと思うといきなり姿勢を崩し、顔面から前に倒れた。フックが音もなく現れ、ミランダの背に乗ると手に持っていた紐で両手を後ろ手に縛り、近くにあった置物で彼女の頭を殴って気絶させた。

「あら、起きたのね。ほかの子もみんないたわ。下の連中にも合図送ったから、いま下に行くと騒がしいわよ」

 さて、とスリプは顎に手を添える。

「二階にいた奴らは動けないようにしたし、あとはその頭のいかれた女を下に放り投げとけば、なんとかなるでしょ。あたしたちの仕事はここまでのようね」

 澄ましたように目を伏せていたが、こちらに余裕のある足取りで近づき、私の後ろにいたコーラルの頬を両手で乱暴に挟んだ。

「あんた、自分を大事にしてくれるひとがいるんだから、あんたも大事にしなさいよ」

 ぎゅうぎゅうと頬をひとしきり押したあと、スリプは不敵に笑い、ミランダを引きずるフックと共に部屋を出て行った。

 私は我知らず息を止めていたようで、息が長々と口から漏れた。袖を引っ張られ、どうしたのかと振り返ると、ベッドから出たコーラルが白い顔で私の右手を指した。

「血……血が……っ」

「ああ、だいじょうぶだよ。自分で斬ったものだから」

「え……え?」

 コーラルは混乱したように私の右手と顔を交互に見ていた。私はその様子がおかしくて、つい口の端が上がった。彼女はますますわけがわからなさそうに眉が寄っていくが、ふと言った。

「何か巻いたほうが……」

「あ、そうだね」

 言われてポケットから出したハンカチを右手に巻こうとしたら、コーラルが巻いてくれた。そのあと寝間着姿の彼女をこのまま外に出すのは寒いだろうと思い、ワードローブがないかと部屋を見渡すが見当たらない。仕方がないので近くの椅子にかけてあった厚手のストールをコーラルに渡した。本当は着替えたほうがいいのだろうが、私は一刻も早くここを離れたかった。最悪、私のジャケットを貸せばいい。

 一応階下の様子も見ておこうと部屋の出入口に向かう。が、ふと振り返るとコーラルはその場から動いていなかった。どうしたのかと思い戻ると、ストールを持ったまま彼女は口元を震わせてまた泣き出した。嗚咽の混じる声で、ごめんなさい、と何度も言っている。

「君は何も悪いことはしていない。いいんだよ、謝らなくて」

 震えている彼女の体が、腕の中にすっぽりと納まった。かねてから小さいと思っていたが、こんなに小さいのだなと改めて認識する。

「コーラル、私と一緒に、帰ってくれる?」

 迷いはあったのだろうが彼女は腕の中で小さく頷き、私は心底安堵した。

 今日は帰ったら、久々にぐっすりと眠れそうだった。

 帰れたらの話だが。

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