狂人の言い分 3
私の叫びに気づいて、ニジェットは右へと避けた。彼女の背後に立っていた黒いフードにマントを羽織った人物が、抜いていた剣を振り下ろす。振り返って間合いを取ったニジェットが腰に吊っていた剣を抜こうとして、そこを狙われた。相手はその瞬間、彼女の手から剣を弾いた。それからすぐに彼女の背後に回り、喉元に剣を添わせた。その人物と私は二十歩ほどの距離はあったが、向き合う形になった。
「おい、ノア。なんでおまえ、ここにいるんだ?」
ニジェットがのん気に訊いてくる。
「……色々と調べていたんですよ。あなたもそうみたいですね」
コーラルが誘拐されたのは三日前。あの日、私が居眠りなどしなければ、彼女が帰って来ていないことにもっと早くに気づけたかもしれない。そうすればサジタリスのように、夜に橋を見張って、事件を未然に防げたかもしれない。あの時、家の中を何度も調べなければ、時間を浪費せず、橋に行って現場を押さえられたかもしれない。橋が使われたかもわからないのにそんなことばかりを考えていた。
「いいことがわかったぞ。あの橋な、三日前までは鍵が壊れてて、門が開けられたらしい」
つまりコーラルが誘拐された夜までは橋は使えたということか。ニジェットがそう言うと、フードの人物は喉元の剣をさらに押しつけた。
「ニジェット、それ以上は……」
彼女の表情から話をやめる気は感じられず、私はそれをやめさせようとした。しかし何がおかしいのか、彼女は声を殺して笑っていた。
「なんで笑って……」
そんな態度ではいつ殺されるかわからないというのに、彼女は余裕しかなかった。
「これが笑わずにいられるかよ。この剣、よく見て見ろ。警備隊の備品だ」
「!?」
まさかそんなことがあっていいのだろうか。それが本当なら、それを持っている人物は……。
男は突然ニジェットの背中を押したかと思うと、彼女の背中を斬りつけた。
「ニジェットっ!!」
その場に倒れたニジェットは苦悶の表情だ。恐らく血が出ているのだろうが黒いジャケットゆえに目立たない。思わず二、三歩前に出た。
「あーあ、やんなっちゃうなぁ。まさかバレちゃうなんてなぁ」
緊張感の欠片もない声が、フードの奥から聞こえた。
「やっぱり自前のを持ってくるべきだったな。でもそんな時間なかったし、仕方ないよね」
私はその声に聞き覚えがあった。相手はフードを後ろにのけた。
「こんにちは、ノア隊長。まさかこんなところで会うとは思いませんでした。これも運命ですね。嬉しいです」
淡い金髪を揺らして、手に持つ血のついた剣が不釣り合いなトマスはにっこりと笑った。
「ニジェット隊長が悪いんですよ。橋のこととか、誘拐事件のことを調べようとするから、僕がこんなことをしなくちゃいけなくなったんです。僕だってこんなことしたくなかったですよ」
彼は拗ねたように言い訳をはじめた。誘拐事件を知っているような口ぶりだ。
「でもいいんです。こうしてノア隊長に会えましたから。さあ、遠慮なく、ニジェット隊長を助けてください」
いまいち話が見えてこない私は瞬きを繰り返す。トマスは首を傾げた。
「あれ? 別に遠慮なんてしなくていいんですよ? あなたのその力でニジェット隊長の傷を癒してください。あ、僕を丸焦げにはしないでくださいよ? そうしようとしたら、その前に僕、ニジェット隊長の心臓を貫きますから」
彼は私が何者であるか知っている。知っていて使わせたいのだ。
「僕、昔から魔族が大好きだったんです。町ひとつを軽く破壊できる力を持っているなんて、とても素敵じゃないですか。でも僕は魔術を見る機会に恵まれませんでした。だから一度でいいから見てみたかったんです」
トマスは熱っぽく語り、上機嫌で、その様子は狂気染みていた。
「偶然とはいえあなたに魔物から救ってもらって、すごく嬉しかった。ずっとお近づきになりたいって思ってたんです。その上あの女の子も……」
「どういうこと?」
「姉に頼まれていたんです。変わった女の子を見つけてくれって。本人は慈善事業をしているつもりなんでしょうけど、僕にはよくわかりません。でもきっと姉も喜んでいるはずです。だから僕も、そろそろ自分が喜ぶことをしたいなぁって。さあ、どうぞ。早くしないと死んじゃいますよ? それとも魔族だと思ったのは勘違いでした? 結構確信してたんだけどなぁ。でもほかにいなかったはずだし……」
ひとを斬ったというのに彼はまったく気にせず、独り言を続けた。何かが欠けている彼の様子に怒りがふつふつと湧いてくる。だがここでニジェットを彼の言う方法で助けなければ、彼にとどめを刺されてどのみち彼女は助からない。自分の正体を明かすのは構わないが、魔術を誰かに見られることが気がかりだった。ここは路地とはいえ町中で、もし見られたら私はこの町にいられなくなるだろう。そうなった時彼女が、コーラルが帰ってくる場所がなくなってしまう。それだけはなんとしても避けたかった。どうするべきかという焦りが手を震わせる。
「バカなこと言ってんじゃないわよ。そこの金髪軟弱男」
背後からのはっきりとした声に、惑っていた意識が戻る。肩越しに後ろを見ると、フードを被った黒いコートの少女がこちらに歩いてきていた。
「あんたみたいな偏った考えの奴がいるから、世の中うまくいかないのよ。確かに魔族はすごいわよ。でも力を扱う奴がバカで、あんたみたいな奴の言うことをいちいち聞いてたら、いま頃世界はめちゃくちゃになってるわ」
少女は私の横まで来ると、足を大きく開いて不敵に腕を組んだ。トマスの顔が不愉快そうに歪む。
「うるさいな。君は黙っててよ。これは僕と彼の問題なんだ。君みたいな部外者は入ってこないでよ」
「まあ、そうね。部外者には変わりないわ。でも、あんたたちのしてることを見てると反吐が出るのよ」
トマスの上に突然何かが落ちてきた。赤いバンダナをつけたそれは、トマスの肩に乗ると頭を太ももで挟んだまま後ろに倒れ込み、地面に手をついて一回転するとトマスの顔面を地面に叩きつけた。トマスは気を失ったのか動かなくなり、赤いバンダナをつけた少年は何事もなかったかのようにその場に着地したあと、ニジェットの前で屈んだ。私の隣の少女が少年のほうに歩き出す。
「ちょっと! もっと早くにやりなさいよ。無駄なこと話しちゃったじゃない」
「協力してやっただけ、感謝してほしいんだけど」
少年は淡々と言う。私は慌ててニジェットに駆け寄った。
「傷はそこまで深くないから、だいじょうぶだと思う。でもできるだけ早く手当てしたほうがいい」
先に傷を見ていた少年が言った。それから少女が言う。
「あ、魔術を使う必要ないわよ。あんたんとこの部下、呼んどいたから」
私が言葉を返す間もなく路地に誰かがやってきた。
「あのー、なんかついて来いって、そこの少年に呼ばれたんですけど……」
自宅で待機中のリートだった。私服の彼は遠慮なく赤いバンダナの少年を指差した。
「……よくこの少年についてこうと思ったね。怪しいと思わなかった?」
気が抜けて苦笑いしながらそう訊くと、リートは素直に頷いた。
「詳しいことも言われなかったんで怪しいとは思いましたけど、万が一、何かあったら嫌だったし、自分ひとりが騙されるくらいなら安いほうかなって」
リートが来てくれて本当によかった。しかし依然としてよくわからないこの少年少女は、いったい何者なのだろうか。そう思っていると少女が言った。
「さ、そこの猫隊長と魔族バカは部下に任せて、あんたはアレリアに行くのよ」
「へ?」
我ながら素っ頓狂な声が出た。
「へ? じゃないわよ。あんた、コーラルの保護者なんでしょ? あの子がどこに行ったか知りたくないわけ?」
「どこに行ったか知ってるのか?!」
「もちろんよ。そう言ってるじゃない」
彼女はスリプと言って、コーラルと同じ〈角を持つ者〉だった。彼女には一度、隣領でライラと共に会ったことがあった。彼女はコーラルと会って何度も話をしたようだ。コーラルから私のことも聞いていたらしい。それからバンダナの少年はフックと名乗った。袖のないオリーブ色の上着の下にぴったりとした黒の半袖。だぼだぼとしたズボンに頑丈そうなブーツ。あまり印象の残らない雰囲気で、あえてそうしているのかもしれない。
魔物に襲われていたトマスを助けたことがある私だが、その時彼に魔物をけしかけたのもスリプだった。うっかり角を見られて声をかけられたが、苛ついて魔物を呼んだらしい。
彼らはある時からトマスが怪しいと目星をつけていた。彼が今日、怪しい行動をしはじめた時からあとをつけていたようだ。
私はあとのことをリートに任せ、スリプに促されるまま町の外へと向かった。彼らを疑わなかったわけではないが、私を納得させるのに充分なものをスリプが持っていた。ギダからの手紙を持っていたのだ。中身はスリプもフックも知らないらしい。
手紙には要約すると『明日、ある金持ちの邸で夜会があるので、すぐにアレリアの最本部に来い』と書かれていた。一応、私宛であるようだが、彼らのつながりに怪しさしか感じない。ギダは、スリプとフックというよりは、彼らのお頭であるライラを認識しており、恐らく手を組んでいる。いったい何をしようとしているのだろう。
道中での話で、スリプが例の脅迫状の送り主だということが判明した。彼女からすればあれは忠告状なのだという。彼女は他種排斥論に対して懸念を持っており、排斥論の的となりえる家に忠告状を入れた。何人かの同年代の少女と話をしたが口論になったという。
そこまで聞いて、彼らが何故リートを呼んだのか合点がいった。忠告状を入れていたことにより彼の家を知っていたのだ。彼の家が第二地区にあったことも要因のひとつだろう。
スリプはコーラルのことを特に気にかけていた。同じ境遇だからか、コーラルにはどうしてもミネルバを出てほしかったようだ。しかしコーラルからははっきりした返答をもらえなかった。
それからスリプはこう言った。
「あんた、あの子の面倒を見てるけど、何がしたいの? 善人ぶって何かいいことがあるわけ?」
私は何も言えなかった。理由がなかったわけではない。しかしそれは、ある意味でとても身勝手なもので、それだけに言うのが憚られた。
左手の皮膚が突っ張ったように痛む。右手で左手を手袋の上からさすりながら、暮れゆく空を仰いだ。完全に暗くなる前に、視界が悪くなる前にアレリアに着かねば。
町外れに着くと、近くの馬小屋を管理する男からスリプが馬を二頭借りた。アレリアに来いと手紙に書かれ、どうして橋を使わないのかと思っていたが、馬を使って湖の外周を回ってこい、ということか。いかにも橋を使わない彼らしい。
「さぁ、行くわよ」
スリプが馬に飛び乗り、勢いよく駆けだした。フックはそれを黙って見送り、不思議に思っていると彼が視線に気づいた。
「おれは徒歩で行く。馬、嫌いだから」
遠くで止まっていたスリプが私に叫ぶ。
「何してるの! 早く行くわよ!」
私は気を引き締め、馬の腹を蹴った。




