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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第四章

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鷹は静観しない 5

 夕方の見回りが滞りなく終わり、このまま本部へ戻ろうかと思ったが、第四地区の警備隊の本部へ行くことにした。この前の隊長会合の内容は手紙ですでに伝えてあるが、第四地区の隊長であるチェイス・チェルニーが足を骨折して療養中であり、少々気がかりだった。

 第四地区の本部に着き、扉の敲き金を叩いた。程なくして扉が開くと、見慣れない人物がそこにいた。

「あら、どなた?」

 その女はゆったりとした雰囲気をまといながら、私を不思議そうに見上げていた。歳は三十歳くらいだろうか。長い茶髪を後ろに流し、口元には紅を引いている。赤茶の眼はすこし伏し目がちだ。白いシャツにズボン、その上にエプロンをつけている。一瞬、間違えて民家の戸を叩いてしまったかと思った。

「あ、こんばんは。第七地区警備隊隊長のノア・ラグトムです」

「あら、初めまして。チェイスの妻のウリャンよ。よろしく」

 ウリャンは愛想よく首を傾げた。目の前の人物が噂に聞くチェルニーの妻だとわかりすこし驚いた。

「もしかして、手紙をくれた方かしら? 私が隊長会合に出るわけにはいかなかったからとても助かったわ。どうぞ、あがって」

 言われるがまま中に入ると、右手側の部屋に隊員がふたりほどテーブルの席について、何事かを話し合っていた。応接間のソファーに案内され座って待っていると、ウリャンが紅茶の入ったカップを持ってきた。礼を言うと、彼女は向かいのソファーに腰かけた。

「あの、チェルニーの様子はどうですか?」

 そう切り出すと、ウリャンは視線を下げて溜め息をついた。

「ええ、元気よ。ただ足をやられてしまったから、歩けなくてつまらないみたい」

「では、話をするのはだいじょうぶですか?」

「だいじょうぶなんだけど、ついさっき寝てしまったのよ。動けないから疲れないし、寝れないみたいで、変な時間に眠くなってしまうみたいなの。ごめんなさいね」

 チェルニーが怪我をしたのは二週間ほど前のことだった。ひとづてにそのことを聞いたのだが、それ以上に驚いたのは、彼の妻がそのことをほかの隊長に伝えに来たということだった。チェルニーは無口であまり自分のことを話さなかったが、隊長の誰一人として彼に妻がいることを知らなかった。しかも子供までいるらしい。

「いま、大変なのでしょう? 他種排斥論とか、魔物とか、それに誘拐事件まで。本当、こんな時に夫が動けなくて、申し訳ないわ」

「いえ、それは仕方がありません。皆、理解しています」

 私が凶刃に倒れた時、私の隊に代わって第七地区を見回ったのは、ほかならぬチェルニーの隊だった。持ちつ持たれつ。チェルニーが動けなくても、私が彼を責めることは決してない。

「そう言ってもらえると助かるわ」

 頬に手を添えたウリャンのほうが大変なのは明白だ。

「つかぬことを伺いますが、最近、何か気になることはありませんでしたか?」

 もののついでに第四地区の近況を訊ねてみると、彼女は宙に視線を彷徨わせた。

「そうねえ。何かあったかしら。ごめんなさいね。業務は全部隊員のみなさんに任せっきりで……私は雑務をしているだけなのよ。あ、ちょっと待って。確かルインのうちの娘さんがいなくなった時、誰かと言い争っていたと聞いたわ」

「娘さんがですか?」

 どこかで聞いたことのある話だ。

「ええ。その時にうちの隊員が止めに入ったみたいなんだけど、雰囲気がもう険悪だったみたいで」

「言い争っていた相手の特徴とかは?」

「ごめんなさい。そこまではわからないわ」

 まさかここでも同じような情報が手に入るとは思わなかった。マシュウの情報隠蔽と違ってチェルニーは怪我のために隊長会合に出られなかったのだから、その情報が共有されなかったのは仕方のないことだ。

 単純に考えるとするなら、ふたりの娘に接触した者は同一人物だろう。そして一方の情報ではそれがフードを被った少女だと判明している。つまり、ルイン家の娘と接触したのもその少女のはずだ。重要参考人であるその少女を見つけだすことができれば、誘拐事件も進展する。

 これ以上は新しい情報がないと思い、ウリャンに挨拶をして帰ることにした。なんとなく接していて感じたのだが、彼女はきっと、正確に言えば純粋な人間ではないのだろう。だからこそチェルニーは結婚していることも、娘がいることも周りに言わなかったのかもしれない。



 ゆっくりと目蓋が開いた。

 一瞬どこにいるのかわからずに部屋を見渡してしまうが、なんのことはない。自身の本部の応接間の、青いソファーの上だった。

 体を前に傾けるとかかっていた毛布が落ちた。誰かがかけてくれたのだろう。珍しく居眠りしてしまったようだ。柱時計に目を向けると、時刻は夜の十時を回っていた。ここには八時前に帰ってきたはずだから、相当寝てしまったことになる。

「起きられましたか」

 廊下からサジタリスが入って来た。私がここに帰ってきた時点で彼女はすでに帰ったものだと思っていたので、とても驚いた。

「え、あ、すみません。まだいたんですね。帰られてもよかったのに」

 目をこすりながら言うと、サジタリスは目を伏せる。

「いえ、報告したいことがあったのです。昨日今日とその機会を逃していましたが、今日のうちにお伝えしたほうがいいかと思いまして」

「え、それなら、遠慮せずに起こしてよかったのに……」

「ここのところお疲れのようでしたので、私としても起こすのが憚られたのです」

「えっと、なんかすみません……」

 サジタリスに心配され、とても申し訳なく思った。まだすこし頭がぼんやりしているが、聞いているうちにはっきりしてくるだろうと考え、私は視線で彼女に話を促した。

「司令官さまに命じられて、四日前から夜に橋を見張っておりました。それで、司令官様の言う通り夜中に橋が使われておりました。二日前のことです」

「二日前……って、エリジュさんが誘拐された日と同じじゃないですか」

「はい。そういうことになります」

 決定的な目撃証言だ。夜中に橋を見張るという無茶をしていたにもかかわらず、サジタリスは疲れも感情も交えずに話を続けた。

「なにぶんあたりは暗く、馬車についた明かりと遠くの街灯しか光がなかったので、細かいところはわかりません。ですが、橋の門が開いたこと、馬車が使われたこと、複数人いたことは確かです」

「そうですか……」

 起き抜けの頭には少々内容の重たい事案だ。想像力を働かせながら手にしている情報を整理し、何か飲もうと応接間を出ようとした時だった。

「あの、つかぬことを伺いますが」

 珍しく躊躇うように言ったサジタリスは何か気がかりがあるのか、顔を見ると不安の色が見て取れた。

「彼女は、帰ってきてますか?」

「……え?」

 反射的に疑問の声が漏れるが、すぐに理解した。

「夕方にこちらへ戻ってから姿を見ておりませし、気配も感じません。私が気配を感じられるのはせいぜい隣の部屋くらいですのであまり当てにはなりませんが、誘拐のこともありますので気になったのです」

 嫌な予感というものはどんな言い訳を並べても拭い取れるものではない。私は急いでキッチンに向かうと階段を上がった。右手側にある扉の前で呼吸を整え、躊躇いながら三回ノックをする。いくら待っても反応がない。共に来ていたサジタリスを見る。

「開けてもらえませんか。開けるなら、女性のあなたのほうがいい」

 私の頼みを受け、彼女は無言で扉を開けた。中を見ないよう扉から離れていた私に、彼女が言う。

「おりません。誰も」

 彼女の言葉が頭の中に空しく反響する最中、体の芯が冷えて感覚が遠のく。

 コーラルは、この広い家のどこにもいなかった。

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