意固地の意地 4
「そこの紅髪の方、お待ちください」
振り返ると、そこには紺色のスカーフを頭から被った女が立っていた。
「私、ですか?」
そうこたえると女は頷いた。豊かな黒髪が右肩から体の前に流れ、体のラインに沿った細身の黒いコートを着ていた。足元の見たこともないような高さのヒールが、より一層足を細く見せる。
「はい、あなたですわ。ノア・ラグトム様」
見知らぬ人物に名前を呼ばれ、体に緊張が走る。
「どうか警戒しないでください。わたくし、シャノン・マートフと申します」
女が優雅に挨拶をした。完璧な淑女の様に、彼女がこの町にいることが場違いのように思えた。
「ライラが何度かお世話になったようで、恐縮ですわ」
「彼女を知ってるんですか?」
「はい。わたくしたち、血はつながっておりませんが親子ですの」
すぐには何を言われたのか頭が追いつかない。つまり目の前にいる淑女は、盗賊団の頭領ライラの養母ということか。
「あなたはご存知ないかと思いますが、アレリアの領主邸であなたとお会いいたしました。その時のあなたは大怪我をして気を失っておいででしたわ」
「……では、あなたが助けてくれたのですか?」
「ええ。ライラに頼まれたものですから」
あの時、腹をナイフで刺され意識が朦朧とした中でライラに会った。痛みのせいで半ば幻覚かと思っていたので、こうして第三者の口から語られたということは実際にあったことなのだろう。正直に言えば、あの時の自分が何を言ったのか覚えていない。失礼なことを言っていなければいいが。
「こうしてお元気になられたようで、同族として嬉しく思いますわ」
「……いえ、ありがとうございます」
見知らぬひとから快気を祝われ、なんだか妙な感じだ。しかしそれよりも、同族というからには彼女もまた魔族ということになる。容姿は確かに魔族のそれだった。
「あなたのような方がどうしてこの町にいるんですか? この町はいま、我々のような立場の者は危険と隣り合わせの状況です」
町の現状を伝えると、シャノンは思案気に視線を逸らした。
「部下がどうしてもここに行くと言って聞かなかったのです。ですので、可愛い部下のわがままに付き合うことにしたのです。いい機会でしたのであなたに挨拶をしておきたかったのですわ。お時間、もうすこしよろしいかしら。あちらのお店でいかが?」
シャノンの細い指が指す先に、野外席のある喫茶店があった。正午を過ぎてからしばらく経ち、店内の客はまばらだった。警戒心がなくなったわけではないが、私は彼女に付き合うことにした。
数分後、私は店内で頼んだ紅茶を野外席に座るシャノンの前に置いた。私は向かいに座ると、あたりを確認する。ひさしのついた野外席はほかに誰も座っていない。この寒さだ。外で飲もうと思う輩はそうそういない。
彼女はひと口、紅茶を飲んだ。それからゆっくりとカップをソーサーに戻す。黒い手袋が印象的だ。指の細さが蜘蛛の足を思わせる。
「そういえば、ライラとはいつ知り合ったのですか?」
純粋に気になっているのか、シャノンがつと訊いてきた。
「彼女とはアレリアで会ったのが最初です。確か、十年ほど前のことですね」
私がまだアレリアの警備隊に属していた時、ある路地で怪しい動きをしていた少女に声をかけた。それがライラで、その時はこれほど長い付き合いになるとは思いもしなかった。
「あら、そうでしたの。ライラからは何も聞いていなかったものですから。あなたを助けてほしいと言われた時はすこし驚きましたわ。娘とあなたが知り合いだとは思いませんでしたので」
シャノンの物言いだと、助ける以前から私のことを知っているような感じがしたが、私は話の流れを止めてまで訊こうと思わなかった。シャノンは紅茶を味わうようにひと口飲んだ。
「わがままを言った部下なのですが、スリプと言って、頭に大きな角が生えた少女なのです。あなたの預かっている少女も、角が生えておいでですわね。小さくて愛らしい子。あなたは、〈角を持つ者〉をどこまで知っておいでですか?」
恐らく町の噂で聞いたとはいえ、初めて会った他人の口から自身の抱える事情を語られるのは気分のいいものではない。だがシャノンが語る部下の少女に心当たりがあった。恐らく隣領の宿泊施設でライラと共にいた黒髪の少女だろう。
「ひとづてに聞いたことですが、魔物を操る力を持っていて、皆、頭に角が生えているとか」
そう言うと、シャノンは小さく頷いた。
「彼女たちは、自身の体から発する匂いによって魔物を呼び寄せるのです。それから勘違いしやすいのですが、彼女たちは魔物を操ることはできません」
「そうなんですか?」
「大抵の場合は呼び寄せるだけで、行動を操ることはできません。魔物と意思疎通ができるのでしたらある程度可能でしょう。ですが、あまりできることではありません。それから魔物を呼び寄せることも、ある程度訓練をしていなければ任意では行えません。時間もかかります」
「つまり、ふとした時に呼んでしまう、ということですか?」
「その通りです。彼女たちの怒りや憎しみなどの感情の起伏によって匂いが発せられます。つまり精神が不安定であるほど、魔物を呼んでしまいやすいのです。彼女たちが周りから疎まれている理由はそこにあります」
ここまで聞いておいてなんだが、大変な子を預かってしまったと思った。しかし改めて考えると、コーラルを預かったのが人間ではない私でよかったのだと納得もした。私はシャノンが待っているであろう言葉を口にする。
「魔物を呼ぶ、という特性を持った彼女たちは、はじめから怒りや憎しみが集まりやすい場所に追い込まれている。環境自体にも問題がある、ということですね」
周囲のひとびとはいつ魔物を呼ばれてしまうかと常に考え、恐怖を感じてしまう。そのような相手を自由にさせてなどおかないはずだ。そういった意味では、町から離れた場所にある私の本部は彼女を預かる上で本当に適した立地なのだ。
「彼女たちが悪いわけではないのです。ですが、隣人として付き合うのは難しい、ということですわ」
シャノンは紅茶をひと口飲むと、ふふっと笑い声を漏らした。
「ですが魔物を対処できるわたくしたちは、それを気にする必要はありませんわね」
「そう、ですね」
「あら、歯切れの悪い……。何か懸念でもあるのですか?」
「それは、まあ、ありますよ」
魔物は狂暴な生き物だ。剣だけで対処ができるようになるには、相当の手練れになるか数で押すしかない。極力魔術を使わないようにして生きてきた私は、いざその時になって躊躇わないだろうか。一ヶ月前にサイラスたちを助けた時も、一瞬躊躇ってしまったのだ。その一瞬の隙が命取りになりかねない。
「私が住んでいる家は借家なんです。そこに魔物が来てしまったら、きっと室内を荒らされて大変なことになるだろうな、と」
魔術を使うにしても、あの家に魔物が来てしまったら家は多大な損害を被るだろう。十五年とは言わないが、借金十年コースもありうる。
「まあ、それは大変ですわ。持ち主に弁償金を請求されてしまうかもしれませんものね。ですがそれも、彼女たちに信頼されてしまえば解決することですわ」
「信頼されるとはまた、難しいことを言いますね。私はこれから先、彼女に信頼されることはないと思ってますけど」
信頼されるということはつまり、コーラルの精神が安定することにつながる、ということだ。そうなれば確かに魔物は来なくなるだろうし、借金を背負わずに済む。しかし信頼されるまでの道のりが、険しいというよりも見当たらないのだ。
「世の中に絶対なことなどございませんわ。ひとの感情ほど不確定なものはありません。ほんのすこしきっかけがあれば、あなたならだいじょうぶです。ですが万が一ということもあります。その時は血を飲ませるのも手かもしれませんわね」
「……え、そんなことをしたら」
私は動揺し、目を見張った。シャノンが不思議そうに見返してくる。
「あら、もしかして……そうでしたのね。どこの部族の出か訊いてもよろしいかしら」
「サヴィネ……です」
「その部族は確か、何十年も前に……」
「はい。残念ながら」
いまさら懐かしんでもどうしようもないのに、私はすこしだけ故郷を偲んだ。
「それならあなたが知らないのも頷けますわ。あなたが持っている知識は本当のことではありますが、他種族に向けて広めている一般的なものです。魔族の血は、ただの毒ではありません。きっとあなたの部族は、魔族としての知識と知恵を受け継げなかったのですわね。だから血に対しても認識の齟齬があるのでしょう」
シャノンは鈴のように笑ったあと、何かを思い出したようにまた口を開く。
「そうでしたわ。わたくし、彼女のことも話そうと思っていましたの。いなくなってしまった〈メイト〉の、彼女のことを」
「ツカサさんを知ってるんですか?!」
私は思わず身を乗り出しそうになる。
「ええ。恐らくこちらに来た彼女が初めて会った人物は、わたくしです。あの時の彼女は意識が朦朧としておりましたので、安全のために近くの家まで案内したのです」
「それが……私の家、ですか?」
「はい」
合点がいった。〈メイト〉の彼女が何故私の隊の本部に来たのか、不思議に思っていた。民家ではなく、保護してくれる可能性の高い警備隊の本部に来たのだ。あの時の彼女は酷く疲れていたようで、半ば呆然と私の顔を見るなり気絶してしまった。そんな状態で正常な判断ができるとは考えにくい。本部に『警備隊』と看板を掲げているわけでもなく、それ以前に彼女はこちらの字が読めないと言っていた。
「あなたならば、きっと彼女を保護してくださると思ったのです。彼女の前の〈メイト〉も保護してくださいましたもの。あなたなら、きっとだいじょうぶだと」
「まさか、アサギもですか?!」
私の驚きように、シャノンはスカーフの下でまぶしそうに赤い眼を細め、微笑んだ。
「〈メイト〉というのは、本当に不思議なものですわ。前触れもなく、この町に現れるのですから。いったいどこから、どんなところから来ているのか、興味が尽きませんわ」
シャノンは視線を通りに向けて口を休めた。私はふとあることを訊いてみたくなった。
「あなたは、召喚術を知っていますか」
シャノンの視線が私にすぐ戻り、面食らったのか、取り澄ました雰囲気が消えた。
「ええ……失われて久しい術ですわね。それが?」
「いえ、同族のあなたと会って思い出しまして」
「驚きましたわ。そのことは知っていらしたのですね」
「かなり昔に聞いたことですから、詳しくは知りません。すみません、単なる気まぐれです。忘れてください」
それとはわからないように取り繕って笑い、カップに口をつける。
召喚術。
異界から別の存在を呼ぶことができる、遥か昔の、高度な術。いったいいつぶりにその言葉を言っただろうか。つながっているような気がした。〈メイト〉という存在と、召喚術が。
しかし、とすぐに思い直す。召喚術は廃れたのだ。召喚術は、あまりにも高度すぎる術ゆえに扱える者が少なく、やがて廃れてしまったと、昔、部族の長から一度だけ聞いたことがあった。恐らく文献も残っておらず、やり方を知る者はいないだろう。
「それでは、わたくしはそろそろお暇いたしますわ」
シャノンは口元の笑みを深くし、私の目を真っ直ぐに見て、それから立ち上がった。
「それでは、ご機嫌よう」
優雅に挨拶をして、シャノンはゆっくりと去っていった。背中を見送りながら、自身が住まう家に考えを巡らせる。
あの家を含めて家の周辺は、私にとっては不思議で不可解な場所だった。昨今、他種排斥論に揺れている領地だが、あの家の近くにある荒地には、大規模な魔術が展開した跡が感じられたからだ。
そしてその術が不完全であることも。
何十年、あるいは百年以上も前のものであることも。
シャノンに会ったことで、同族に会ったことで、改めてそのことを思い出した。
近づかなければ害はないと決め込み、日々の忙しさに流され、話すかどうかすら考えずにいたが、今度ギダに会った時、話をするべきかもしれない。
それとも。
彼はあの家について、その周辺について、すでに何かを知っているのだろうか。




