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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第三章

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意固地の意地 2

「おや、お出かけかい? どこ行くの?」

 外に出て町に着くと、長い槍を携えたリートがほかの道から出てきた。愛嬌のあるつり眼でこちらを見てくる。このあたりはまだ第七地区なので見回りをしているのだろう。リートは表裏がなく明け透けで、けれど悪い気はしない性格だった。

「刺繍糸を買いに店まで」

 わたしは短くこたえた。

「それじゃあ第五地区のほうかな? 一緒に行っていい?」

「どうして?」

 嫌だという気持ちがつい声に出てしまった。リートは明るく笑い飛ばす。

「いやだって、いま物騒なんだもん。実はまあ、ここだけの話、俺んちに脅迫状が来ちゃってさ。俺の家のこと知ってるみたいなんだよね。コリーも気をつけたほうがいいからさ、途中まででいいからついてかせてよ」

 彼は何故か初対面の時からわたしをコリーと呼んでいた。脅迫状と聞いてもリートの話し方のせいで現実味が湧かないが、断る理由がなかったので仕方なくその提案を受けた。リートは槍の柄を肩にかけて右隣に並んだ。

「コリーにはまだはっきり言ってなかったけど、俺、人魚なんだー」

 唐突な話にわたしは目を丸くしてリートを見上げた。

「人魚って女しかいないから、人間の男を捕まえて子供を作るんだ。つまり生まれてくる子は必ず人間との混血(ダブル)ってわけ。で、俺みたいにたまーに男が生まれるんだけど、これがまた大変でね。人魚の男は、見た目は人間なんだけど日差しにちょっと弱くて、おまけに月に一度、面倒なことが起きちゃうんだ」

 かなり重大なことを話されている気がするのだが、リートは天気の話のように軽い調子だ。わたしは歩きながら呆然として、相槌も打てなかった。

「全身の皮膚が鱗になって、一日中水に浸かってないと治らないんだよ。これがまた面倒くさいのなんの」

「……あ、もしかしてこの間」

 彼は確か、数日前に無断で警備隊の仕事を休んでいた。わたしが噴水のある町の広場で、スリプに初めて会った日のことだったはずだ。

「そ。この間、俺が無断で休んだ時、そんな状態だったわけ。女の人魚と違って男は人魚になれないからその反動なんだろうけど、もうちょっとどうにかならないかなって思うよ」

 彼の表情は、嘆いているというよりは呆れているようだった。

「まあ、どうやっても無駄なんだけどね。その日は大人しくバスタブで水に浸かるしか方法がないわけよ。暇だから本とか読んでるけど、すぐ飽きるし」

「妹さんは? いるんだよね?」

「いるよ。エリジュっていうんだ。ああでも、よく考えたら女の人魚のほうが面倒かもなー。ずっと日の光を浴びてると皮膚が乾くから死んじゃうんだ。そのせいで昼間は家から出られないし、大抵バスタブに浸かってる。バスタブ歴はあいつのほうが長いな」

「人魚ってふつうは海に住んでるんだよね? どうしてこの町に住んでるの? 海の近くに引っ越したほうがいいんじゃない?」

 そんなふうにしてまで内陸の領地にいるのは、かなり命知らずな行為だと思った。

「そうしたいのは山々なんだけど、そうもいかない理由があってさ。偉いひとからの命令で、これは言えないんだ。それがなかったらコリーの言う通り、とっくの昔に海のある領地に引っ越してるよ」

「偉いひとの命令っていうのは言っていいの?」

「そこまでは止められてないから」

 リートはあっさりそう言った。

「いやー、それにしても寒くなったねー。俺、寒いの好きなんだ。早く雪が降ってほしいし、いまから待ち遠しいなー」

 そしてあっさりと話題を変えた。転換の早さについていけないわたしは、返事ができなかった。

 それから手芸道具の店まで付き添われたあと、リートと別れた。話題がころころと変わるリートの話は、聞いていて飽きなかった。幼少期の失敗談やアレリアの同僚の話や晩ご飯の話まで、話題は尽きることがなく、よくそこまで次々と話すことが出てくるなと感心した。店に着いた時すこし残念に思ったほどだ。

 この通りは、服屋、服飾雑貨店、生地の店、靴屋、帽子屋、宝石店と、衣服に関する店が集まっている。ここで探せば大抵のものが揃うのだ。その中にある手芸用品店は、針や糸やボタンなど、いわば服を作るための部品や材料を売っている店だった。ほかの店に負けず劣らずの広さで、上から下まで引き出しや棚に陳列されている商品の種類は驚くほど多い。見ているうちにあっという間に時間が過ぎてしまう。ついつい余計なものまで買いそうになってしまう気持ちを、毎回どうにかして抑えるのが大変だった。

 この店もリアが教えてくれた場所だ。彼女が婚約者と共に行ってしまってからは初めて来る。彼女はよく自分が着るものを作っていた。いまわたしが被っている角隠しの頭巾も、彼女が作ってくれたものだった。

 ここに来ると、ふたりでここに来てあれやこれやとものを見ながら話が盛り上がった時のことを思い出し、体中がジンと一瞬しびれて目から涙がこぼれそうだった。目元を拭い、店の扉を開けて中に入ると欲しかった色の刺繍糸をすぐに見つけた。本当はゆっくりと見ていく予定だったが、こんな気持ちではほかのものを見られそうにない。糸を入口近くの会計所まで持っていって代金を払い、すぐに店を出た。

 来た道を戻りながら、店先をゆっくりと見ていく。どこもかしこも、あのドレスが飾られていた店と似たような外観で、大きな窓が大抵三、四枚並んでおり、そのうちのひとつは店の扉だ。枠取りの形や色は店によってまちまちで、その窓から見える商品でなんの店かがわかる。二、三階部分は、ほかの民家と同じで石造りのままだ。緑、深緑、焦げ茶、黒、群青、臙脂色、白と店先を見るだけでもカラフルだった。中には枠取りを木ではなくレンガでやっているところもある。

 とある店先を見ると、一目ではなんの店かわからない外観をしていた。ほかの店よりもすこし幅が狭く、白の格子枠が縦横に何本もはまった窓から中を覗いてみた。マフラーや手袋を見るに服飾雑貨店だろうか。一部には頭巾や髪留めも見える。なんとなく気が向いて扉を開ける。店内は奥へ奥へと続いており、入ってすぐの右手側のカウンターに会計所があった。そこで誰かが突っ伏して寝ていた。どうやら中年の女らしい。扉には鈴がついているため、わたしはそれを揺らさないようにゆっくりと扉を閉めようとした。

 急に手を下方向に引っ張られ、驚いて声が出そうになったが手で口を塞がれた。混乱して暴れようとした時、目の前に見知った顔があるのに気づいてすこし血の気が引いた。

「バカ、おれだって!」

 会いたくないと思っていたゼギオンだった。

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