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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第二章

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嵐、来たる 2

 ギダは振り返るとおどけるように言葉を返した。

「飽きないねぇ、その質問。真正面から受けてこたえるなら、ここが俺の遠縁の親戚の家だったからさ。家の手入れはちゃんとしてるか?」

 ここで相手が溜め息。わたしの前では滅多にしない溜め息だった。

「それならちゃんとしてるよ。まったく、訊くだけ野暮だった。どおりで鍵が開いてると思ったよ。で? なんの用だ? さっさと帰ってほしいんだけど」

「そう刺々しくすんなよ、ノア。命の恩人に向かって失礼だぞ」

「私じゃなくてサイラスのね。昔、たかだか診療所の場所を教えたくらいで命の恩人気取りになってほしくない」

「それ、上司に対する態度じゃないぞ」

「こんな朝っぱらから職務怠慢してる上司なんか知らないよ」

「ほとんどタダでここ貸してあげてるだろ」

「別に君が貸すのをやめたいって言うなら、出てっても構わないけど。結構手入れも大変だし」

「ヤケになってもいいことないぞ」

「なってない。君の顔を見るのが嫌なだけだ。……あ、そうだ」

 間髪入れずの言葉の応酬に驚いた。ノアのぶっきらぼうな口調に心がざわざわと騒ぎ、なんだか不安になった。いつもはギダが来ている時点で部屋に引っ込んでしまうので、こんなふうに彼らの会話を間近で聞くのは初めてかもしれない。

「なんだ? なんか気がついたか?」

 扉の前にいたはずのギダは、いつのまにかソファーのほうへ戻っていた。また立ち上がって応接間の様子を窺う。思えば、ギダを相手にしている時のノアは普段と雰囲気が違う。なんというか冷たくて、話しかけづらい感じだ。はじめから話しかけようと思っていないが、性格が変わったように感じてしまう。

「ギダ、木箱のことなんだが、本当にこのままでいいのか?」

「なんか問題でも?」

「あれを預かってから、もう一ヶ月半は経った。前に訊いた時は、まだ言えない、の一点張りだったじゃないか。いい加減、あれがなんなのか説明くらいはしてほしいね」

 ノアはソファーに座らず、その脇に立っていた。ジャケットとマフラーはコート掛けにかかっている。

「わかった、わかったよ。そう怖い顔するなって」

 ギダは脱力したようにソファーの背もたれに寄りかかった。それから仕方なさそうに話し出す。

「あの木箱は、そうだな、ものすごい重要なものなんだ。平たく言えば命を懸けてるくらい大事なもんだな」

「どうしてそんなものを私に預けたんだ」

 非難がましい声色だ。

「それは、俺の手元に置いといても意味がないからさ」

「私の手元では意味があるって? まさか呪いや魔術の類いじゃないだろうな?」

「それは、受け取ったおまえが一番わかってるんじゃないか?」

「そういうの得意じゃないんだ。余程のものじゃなきゃわからない」

「あ、別に持ってても害があるわけじゃないから、安心してくれ」

「害があるならとっくに捨ててるよ。君の手元にある時は影響がなくて、私の手元にある時は影響があるなんて、謎かけか?」

「そんなもんかな。預けるのはほかの奴でもよかったんだけど、おまえが預かってくれたほうが一番だろうと思って」

「安全、ってことか?」

「それもあるし、ほかの理由も同じくらいある」

「……そう」

 ノアは静かにこたえ一応納得しているようだが、すぐに次の疑問を口にした。

「君のその行動は、あの墓石に書かれていた『クロイツェル』という名前と関係があるんだろう?」

 ノアの問いに、ギダは不敵そうな態度で腕を背もたれの上に置いた。

「もちろん。なきゃ困る」

 離れたところから見ているのに、異常なほど細めた目がやけに怖く感じた。

「君は『クロイツェル』の家の者なのか? どうしてそう名乗らない? 知られたらまずいことでもあるからか?」

「当然じゃないか。知られて困るから隠すんだ。おまえだって同じようなものだろ」

 ギダの話ぶりからノアが隠し事をしていると知り、昨日聞いた町での噂を唐突に思い出してどきりとした。もしかしなくても彼は本当に……。

 不安なわたしをよそに、ギダは話を続ける。

「昔の話さ。とある森が焼けた時、ふたつの家族の人生が狂った。いや、焼ける前からだったかもな、いま考えると」

 立ったままのノアは、ギダの反応を見ながら考え込んでいるようだった。

「あ」

 ギダは何かを思い出したように口を開けた。

「そうだ。訊きたいことがあったんだ」

「なんだ?」

 ノアは考え込んだ姿勢のまま訊き返す。

「いやな、昨日ムティラフから相談されたんだよ。橋の通行記録がおかしいって。まあムティラフの隊は、アレリアで橋を担当してないんだけど」

「あのムティラフが君に仕事の相談をするなんて、意外だな」

「失敬な。有能で、おまけに気軽に話しかけられる俺は、結構みんなから相談されるんだぞ。話を戻すが、通行記録を見てみたら、今月は一回も使われていなかった」

「それがどうしたんだ?」

 ノアの疑問に、わたしも同じように思った。そもそも橋を使ったことがない。

「そもそも月の平均が二回くらいなんだ。大抵は同じ奴が、ミネルバからアレリアに行くので一回、アレリアからミネルバに戻ってくるので一回、って感じに」

「ムティラフは何がおかしいと言ったんだ?」

「あいつの話によれば、夜中に橋が使われていたらしい」

 ギダは腕を組んで宙を見た。

「もちろん記録には載っていない。許可も出していない。なのに橋が使われていたという目撃情報がある、とムティラフが言っていた」

「……それで?」

 ノアは間を置いて訊いた。まるで面倒くさいことがこの先にあるとわかっているような態度で。

「一応ミネルバのほうの記録を調べてほしいんだ。たぶんアレリアの記録と同じだろうけど」

「君、ミネルバで橋を管理してるのがあのマシュウだってわかってて私に頼んでるよね?」

 愛想の尽きたような溜め息をされても、ギダはどこ吹く風といった様子で笑っている。

「はいはい、わかったよ。調べるよ。君のせいでますます雑務隊と呼ばれそうだ。というかそれ、頻繁にこっちに来てる君のことなんじゃないか?」

 諦めたように言い、ノアは応接間の出入口のほうに歩いていく。

「まさか。俺はそんなへまはしない。第一橋を使うこと自体面倒なんだ」

 ギダの返答に、ノアは応接間を廊下のほうに歩きながら何かを振り払うように首を振った。

「なあ、どうだ? あのコ。慣れたか?」

 ギダの問いに足音が止まった。そして振り返る。

「コーラルのこと? さあ、どうだろう……」

 ノアの表情がはっきりと見える。すこし不機嫌にも見え、疲れたように声色が低い。

「俺が頼んだことだから、ちょっと気になっててさ」

「ああ、そうだったね……忘れてたよ。リアさん、サイラスについて行きたそうだったし、君が頼んでこなくても預かるつもりだったから」

「浮かない顔だな」

「難しいなって思ってね。あの年頃の女の子ってあんなに扱いが難しいものなのかなって」

 ひとの口から自分を語られるのはとても複雑で、気分が悪くなった。

「まあ、場合によるな」

 ギダが機嫌よく返す。ノアの溜め息。

「よくよく考えたら、サイラスやアサギは男だったし、ツカサさんは大人だったから対応できてただけなのかなって、ちょっと自信が揺らいでる」

「確かに男のほうが扱いやすいかもな。単純だし。おだてときゃいい。だけど女は要望が多いからな。しかも自分からは言わないし」

「こういうものなのかなって、ちょっと掴めたような気がしてたんだけど……。親って大変なんだな」

「……おまえさ」

 ギダの声の調子が心なしか真面目になった気がした。

「あのコの親になろうとしてんのか? だったらそれは、ちょっと筋違いだろ」

「わかってるよ。私なんかが彼女の親の代わりになれないことくらい」

「いや、そういう卑屈な意味じゃなくて……わかんないかねぇ。まあいいけど。そういや前々から訊きたかったんだけど、どういう匂いなんだ?」

「んー、ハーブとりんご、かな」

「へえ」

「だいたいはハーブみたいな匂いのほうなんだけどね。すごく近くにいないとわからない」

「それでも近くにいれば感じるのか」

「そうだね。力を使っていないはずなのに感じるなんて、変だとは思ってるんだけど……。それとも力はずっと出てるものなのかな?」

「もしかしたら文献に載ってないだけで、はじめからそういうものなのかもしれないな」

「……そうか」

 ノアは静かに応接間から出て行った。わたしはゆっくりと扉を開けて、にっこりと笑っているギダの前を通り、応接間の出入口からそっと顔を出した。ノアは白の回廊を過ぎ、その先の扉の向こうへと消えた。向こうには書斎などがあった。

 わたしはいましかないと思い、大急ぎで白の回廊を通ってキッチンに入り、階段を上がって自分の部屋に駆け込んだ。

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