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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
第二章

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嵐、来たる 1

 警備隊の仕事の時間は割と規則的だ。わたしが朝起きる時間、だいたいノアはいない。彼は朝早くから見回りに出ていることが多かった。いまは火が消えているが、わたしが起きる前まで暖炉に火が入っていたのか、応接間の空気は暖かかった。しかしこの状況はいくらなんでもおかしいと思った。

「ふぁ~っ」

 三人掛けの青いソファーに我が物顔で座る男が大きくあくびをかいた。金髪金眼、眼鏡に焦げ茶のコートを羽織ったままの男はギダといって、ノアの友人らしかった。見るからに遊び人っぽい風貌だ。こんな朝早くから何しに来たのだろう。ほかの隊員でもこんな時間には来ない。

 扉の隙間からギダを盗み見る。わたしのことには気づいていないようだ。わたしがいるのは応接間の本棚の隣にある扉から入ってすぐの、階段前の短い廊下だった。これ以上下手に扉を動かさなければだいじょうぶだろう。本当は自分の部屋に戻りたいのだが、いきなり玄関の扉が開いたものだから、応接間にいたわたしは驚いて扉の向こうに飛び込んでしまった。

 実を言えばここからでも部屋に帰れなくもない。後ろに続く階段を上がり、いくつかの部屋を過ぎて廊下に出れば、そこには下りの階段があり、玄関から伸びる赤い廊下に行ける。しかしいくつかの部屋の中にノアの寝室も入っており、そこに入るのはなんとなく嫌だった。

 そういえば昨日、わたしはいつ部屋に戻ったのだろうか。昨日は確か、この目の前にある扉の向こう、赤いカーテンとソファーのあるリビングで本を読んでいた。それは覚えているのだが、自分の部屋のベッドに入った記憶がない。しかし目を覚ました時、わたしは自分の部屋のベッドの上だった。

 物音がした。恐らく玄関の扉が開いた音だ。わたしはノアが朝の見回りから戻ってきたと思ったのだが、応接間に入ってきたのは見たこともない女だった。ダークグレーのロングコートに、ぴったりとしたズボンを履いている。赤みの差した焦げ茶髪を後ろで引っ詰めたその女は、座っているギダを見て当然のように話しかけた。

「まさか、ここを指定してくるとは思わなかった」

 すこし呆れているような、不安の滲んだ口ぶりだった。立ち姿は凛々しいのにすこし頼りなく見えてしまう。

「ここなら意外すぎて盗み聞きされる心配もないからな。あいつならいま見回り中のはずだし、安心してよ」

 女は大袈裟に溜め息をついてギダの向かい側にあるソファーに座った。わたしからは髪がまとめられた後頭部が見える。

「それで、どんな用が?」

「いや、元気してるかなって」

「え、いや、まさか、それだけのために呼んだわけじゃないだろう?」

 女は相変わらず不安そうにしている。

「だって、会うのはあれから初めてじゃないか。一応、幼馴染みの様子は気にかけておきたいし。あ、そうそう。レイがうかうかしている間に、あいつまた新しい子の面倒見はじめたけど」

「いや、あの、別にそれは、あたしには関係ないことだと……」

 レイと呼ばれた女はあからさまにどもった。

「だといいけどねぇ。まあそれに、あいつがミネルバにいるうちはいつでも様子を見にこられるもんね」

「そんなことはしない!」

 レイの声は弁明するように必死だ。

「ははっ。まあ、それはそれとして、なんか現実味がなくてさ。幼馴染みが生きてたってことに。みんな死んだと思ってたし」

「それはこちらも同じだよ。まさか死んでいたと思っていた幼馴染みが生きてるなんて、思いもしなかった。だけどあたしも暇じゃない。用件を言ってほしい」

「わかったよ。レイに、イムレア領に行ってほしいんだ」

「イムレア? 南にある?」

 イムレア領は、ミネルバのあるニエジム領から南に行ったところにある、とても寒い土地だ。険しい山が多く、一年中雪が積もっているらしい。

「ようやくしっぽを掴んだ。そこに行けば、俺たちが捜していた奴が見つかるはずだ。詳しいことはここに書いておいた」

 ギダはどこからか折られた紙切れを出し、ローテーブルに置いた。レイは素早くそれを取る。

「どうしてここにいるってわかった? 領主の口を割らせたの?」

「まさか。色々なツテを頼っただけさ。いやー、大変だった」

 ギダが肩をすくめる。

「あたし、寒いところ苦手なんだけどな……」

 レイは気弱そうな声をだして紙を見ている。

「そう言うなよ。金は出すし、証拠さえ押さえてくれれば多少好きに使っていい」

「その証拠がどうやったら押さえられるのか……考えただけで頭が痛くなりそうだ」

「レイの目で本当かどうかを確かめてきてほしいんだ。方法は任すし、最悪連れてきてもいい。頼む」

「……わかった。あたしも当事者であることに違いはない。彼らがあんなことさえしなければ……あたしの家族が死ぬこともなかった。だから、彼らを許すことは、今後もあたしの中ではない」

 真剣で、どこか薄ら暗い響きのあるレイの声に血の気が引いた。もしここですこしでも物音を立てたら見つけられて殺されてしまうかもしれない、と思った。

「おいおい、会った途端に斬りつけたりしないでくれよ? 胴体に首がつながってないと話しづらいからな。生きて地獄を見せたいのは俺も同じだし」

 このひとたちは、誰かを殺そうとしているのだろうか。そう思った途端に体が震え、鳥肌が背中から首、頭にまで這い上がってきた。その場に屈み込み、うめき声が出そうになるのをなんとか押し込める。

「そうだ。あれはいまどこにある?」

「いま? いまはここ」

「ここっ!?」

 レイの驚きように、ギダがくつくつとおかしそうに笑った。

「そんな、冗談はやめてほしい」

「いや、本当だって。というか、どうしていままで領主邸にあると思ってたんだ? もしあいつが権利書を持ってたら、とっくの昔に里に侵入されていたはずだろ」

「生憎あたしにはエルフの知り合いがいないから、そういうこともわからないんだよ。だから可能性が高い領主邸に入ってた。半信半疑ではあったけど、そこしか思い当たらなかったんだ」

「考えればわかると思うんだけどなぁ。それにおまえが権利書を探す理由もわからないし」

「それは、権利書が見つかれば、あいつがあの事件の首謀者だと確信できるから……」

「随分遠回りな探り方だな。誰かの入れ知恵か? もっと方法はあっただろうに」

「……あなた、本当にあのガーランドとは思えないよ。まるで弟にそっくりだ。あの目の見えない、意地悪な弟に」

「そりゃあ色々あったからね。それにいまは『ギダ』だ。まあ、いずれこっちの罠に獲物がかかる時がくる。それまでにできることはしておきたい」

「そう簡単に罠にかかるとは思えないけど」

 レイはぽつりと言うと、ギダがハッと馬鹿にしたように息を吐く。

「そろそろ動いてもいい頃かとは思うんだけど、この様子だともうちょっとかかりそうかな。小心者っていうのは得てして行動が遅いらしい。あれからもう十五年も経ったのに」

 ギダが湿っぽい声を出し、その声色に意外な印象を覚えていると、レイがふと言った。

「そろそろお暇するよ。彼が帰ってきそうだし、あなただって一刻も早くあたしにそこへ向かってほしいだろう? 別の用事もあるし、準備の時間も取らないと」

 レイが足を動かそうとすると、ギダが何気なく言った。

「あ、そこの赤い廊下を右に行って、突き当たりの扉を開けると白い廊下に出る。そこからすぐ右手に裏口があるから、そこを使うといい」

 わたしはその言葉に驚いた。ギダの言った裏口は家主があまり使わないもので、家主は白の回廊の途中にある裏口の方をよく使っていた。それはキッチンの扉の真向かいにあった。

「わかった。また」

 ほとんど聞き取れないような足音が廊下のほうへと向かい、レイは応接間から出て行った。彼らの秘密めいた会話に、わたしは屈み込んだまますこし興奮していた。それも束の間、真上から弾んだ声が降りかかった。

「おっはよう、コーラルちゃん。朝から盗み聞きとは精が出るねぇ」

 体が跳ね、それから慌てて視線を上げた。いつの間にか扉の向こうに立っていたギダの金色の瞳が、眼鏡越しにわたしを見下ろしていた。わたしが何も言えずに固まっていると、ギダは口の端を上げたまま言った。

「キミはすぐに部屋に引っ込んじゃうし、こうして顔を合わせるのもあんまりなかったね。キミとは話してみたいなと思ってたんだ」

 笑顔がこれほど怖いと思ったのは初めてだ。

「ああ、でも……いまはちょっと間が悪いみたいだ。いま話してたこと、誰にも言わないでね?」

 彼は目を細め、唇の前に人差し指を立てる。口調は静かなのに、雰囲気が絶対に話してはいけない気にさせた。しかしわたしがギダの『お願い』に頷く間もなく、玄関の扉が開く音がした。

「……なんで君が朝からここにいるんだ?」

 ぶしつけな口調に、一瞬誰の声だかわからなかった。

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