怯えるひとの子 4
「さてと、このことも言っておくか。あんたらも知ってると思うが、懲りない領主の野郎の他種排斥論の煽りを受けて、人間以外の風当たりがまた強くなってきた」
私の右隣にいるニジェット・ランダが、赤茶色のぼさぼさの髪と同じ色の眼を大きく開けて、新たな話をはじめた。猫の獣人である彼女がそのことを口にするだけで、意味合いの異なる話になる。
天井の明かりと、ところどころに置かれた間接照明のランプ。そして暖炉の炎が部屋の中を照らしていた。集まった警備隊の隊長たちが、リビングのソファーやその周りで思い思いに話を聞いている。
「人間はいいとして、ほかの種族を追い出せって言うあれか? また言い出してるのか。本当に懲りないなぁ、あの木偶の坊め」
ミネルバの第一地区を担当している警備隊隊長オリヴァー・シュタインが、太い眉毛をひそめて毒づく。ニジェットがそうだと言わんばかりに、半眼で溜め息をついた。
「またじゃない。あいつは前からずうっと言い続けてるよ」
彼女もほとほと持て余しているようだ。
月に二回行われる隊長会合は、今回はニジェットの隊の第六地区の本部で行われていた。全部で七つの地区に分かれている町のこと、特に担当地区ではないところを把握するために必要な協議だった。
「あたしはいいとして、素性を隠してこの町に住んでる奴らが心配だ。毎日見回ってりゃ、人間じゃない奴らのこともなんとなくわかってるだろうけど、あいつの考えは伝染するからな。油断できない」
表向きは国主の意向もあって、どの種族も平和に共存していくことが好ましいが、この町を含むニエジム領内では実際問題、人間以外を門前払いしていることもある。結果的に言えばこの町の住人はほとんど人間なのだ。
「しかし」
第二地区担当の隊長グイラーム・マシュウが不快な感情もあらわに、蓄えたひげの下から異論を唱えた。
「領主としては何か考えがあってのことかもしれないじゃないか。現に他領では人間と他種族のいさかいが絶えないと聞く。一概に批判をするのはどうかと思うが」
彼の意見に、ニジェットがハッと馬鹿にしたように息を吐いた。
「そりゃ、形も中身も違う奴らがひとところに集まってんだ。カチあわねぇほうがおかしいんだよ。じゃあ訊くが、あんた、女房と一度も喧嘩したことないっていうのか? あ?」
彼女がそう言うと、マシュウは苦い顔をして黙り込んだ。ニジェットの言う通りだと思った。同族でも喧嘩をするのだから、他種族同士で喧嘩をするのは当たり前のことだろう。しかし隊長の中にも当然領主の意見に賛同する者がいる。
私は、ある少女のことを考えていた。三週間近く前から預かっている少女のことを。
彼女は人間であるにもかかわらず他種排斥論の標的に入っていて、その脅威に怯えているひとりだった。彼女を預かる身として、これが一番の問題だった。
「そうはいっても我々人間としては、他種族のように特殊な力は持っていないのだ。それに対抗するのは難しい。ならば最初から住む場所を分けるか、新たに入ってくることを防いだほうがいいではないか。現に私は今日、またしても魔物に襲われている憐れな町民たちを見たのだ」
第五地区の隊長、パルナッテ・ソテロがテーブルを叩いた。ニジェットに対して明らかに喧嘩を売っているが、ニジェットはいつものことだとわかって聞き流している。
「しかもそれが、ある少女によって引き起こされていたというではないか。これが問題でなくてなんなのだ」
非難の視線が私に向けられる。私はひとつ間を置いてからこたえた。
「その事件は今日起こったことであり、目撃された少女は私が預かっている少女とは別人です。彼女は反省しています。それに一週間前の事件との関係性もまだはっきりとしていません。同じような事例が起こったとしても、目撃者の情報を無視して安易に同じ者が起こしたと考えるのはどうかと思いますが」
「言葉ではなんとでも言える」
私がどれほど理論的にこたえても、少女を庇っているとしか捉えないソテロは納得などしない。彼は他種排斥論に賛成の立場だった。今日起こった事件のことはアサギからも報告を受けたが、彼から語られるソテロの鼻持ちならない態度に持っていたカップを思わず割ってしまうところだった。
その後も他種排斥論に対して隊長同士の意見がまとまることはやはりなく、そのまま解散の流れとなった。
「ますます居心地が悪くなんな」
帰る前、ランタンに火を点けていると、ニジェットが小声で話しかけてきた。私は振り返って曇り顔の彼女を見た。
「それはあなたも同じでは?」
茶色のマフラーを首に巻きながら冗談のように軽く返す。ほかの隊長はすでに帰っており、ここにいるのは私とニジェット、それ以外には彼女の部下がふたりいるだけだ。ニジェットは、私が何者であるかを知る数少ない存在だった。
「違いねぇけど、おまえはまだ素性がバレてねぇだろ。周りに言いふらしちまえば楽なものを」
「いまそんなことしたら、あの家、燃やされちゃいますよ」
「でも身近な奴には言ってんだろ?」
「もちろん。そうしないとあとあと面倒ですから。コーラルには言ってないですけど……。でも、あの噂がまた流れはじめてるのは気がかりです」
「あ? なんの噂だって?」
ニジェットは器用に片眉だけをひそませた。
「この町に魔族がいる、という噂です」
「ああ、それ、確か六年くらい前もなかったか?」
私は静かに頷いた。私は六年ほど前、隣町からこのミネルバ町の警備隊に異動した。その後、数ヶ月してから魔族が町にいると噂になった。時期的には、そのあと二ヶ月もしないうちにアサギがミネルバに来たと記憶している。魔族は大きな力を持っているだけにミネルバでは噂をされやすい。数ヶ月の時間のずれも気になるが、当初は女の魔族の噂だったというのも、いまになって思えば本当に女の魔族が出没していたのかもしれない。
「でもよ、おまえってパッと見、わかんねぇだろ?」
ニジェットは腑に落ちない、という顔をしていた。魔族は黒い髪に赤い眼が代表的な特徴だが、私は紅い髪に茶色の眼だった。容姿から勘繰られるということはまずない。しかし再び噂が立っている現状を鑑みれば、やはり知られたのかもしれない。この町で人間ではないことを知られれば住みにくくなるのは必然だ。
「ああ、話は変わるけど、おまえ、ここ出てく気じゃないよな?」
「……は?」
ニジェットの言っていることが唐突すぎて、我ながら間の抜けた声が漏れる。
「は? じゃねぇよ」
ニジェットは私の反応が不服だったようだ。
「えっと、根拠は何ですか?」
「あー、んー、あれだ、あれ」
ニジェットは毛並みのいい手の、爪の長い人差し指でくるくると宙に円を描き、目をぎゅっとつぶって記憶を引き出しているようだった。
「巣立ったっつーか、出てったろ。部下が」
「……ああ、サイラスのことですか」
三週間ほど前、彼は自身の呪いを調べるために公都の学術機関へ行ってしまった。彼は警備隊を辞めたのだ。
「なんか、最近のおまえを見てるとさぁ、妙に哀愁が漂ってるっつーか、軽いっつーか、ふら~っとどっか行きそうだと思ってな」
ニジェットの意見は正直半分当たっている。サイラスのことに関しては、婚約者であるリアが彼と共に行ったこともあり何も心配はしていないが、昔から知る者がいなくなるのは存外寂しいものだ。
「まあでも無理な話か。あの〈メイト〉の娘がいなくなったってのに、まーた別の奴の面倒見てるもんな」
へらっと、彼女は小憎たらしく笑いかけてくる。私は思わず苦笑した。
約一ヶ月前、ある少年が事件を起こした。
少年は人間でありながら、魔物を呼び寄せる特異な力を持つ〈角を持つ者〉だった。町に魔物が何体も現れ、負傷者も出た。何より驚いたのは、少年が、少年を装った少女だったことだ。かねてから疎まれていた少女は、とうとう母親に見放された。私はどうしても傍観することができず、自身の警備隊の本部に迎え入れた。
おこがましいのは自覚している。
それでも、彼女があのまま追い詰められて、音もなく潰されるよりはましだと思いたかった。
「で、だいじょうぶなのか? そいつ。元気なのか?」
「……元気ですよ」
たぶん、と心の中で付け加える。どんなに気をつけて見ていても、本人が話さない限り、何をどう思っているのかわかるはずもない。ただ彼女のことを考えると、町を出て行く気には到底なれなかった。
玄関へ向かい扉の取っ手に手をかけると、やるせなさについ溜め息をついてしまう。
「おっまえ、ほんと父親みたいだな、そいつの。つーか母親? 育児疲れ?」
私の背中にかかる彼女の声はとても活き活きとしていた。
「なんとでも言って下さいよ」
容赦せずに言葉をぶつけてくるニジェットに自棄気味に返す。その通りなので反論も難しく、素直に白旗を振るしかない。
「癖ってやつか? 考え過ぎて共倒れすんなよ」
「ご忠告どうも」
木製の扉を開けて外に出る。ニジェットの本部は町中にあり、隣や向かいの家は民家だった。私の本部のように町から離れていないのが羨ましかったが、いまはそう思わない。そのまま後ろ手で扉を閉めようとするとニジェットも外に出てきて、彼女が扉を閉めた。見送りでもするのかと意外に思っていると彼女にその考えを読まれた。
「見送りなんかしねぇよ。あたしのガラじゃない」
制服のロングジャケットを羽織り、マフラーであごのラインが隠れている彼女は外に出る準備が整っていた。
「だと思いました」
軽口を返せる相手というのも、存外貴重なものだ。
「あ~っ、さみぃ。だめだ。中に戻りてぇ」
くしゃみをしたニジェットがぶるぶると震えている最中、私はあたりを見渡した。夜もとっぷりと暮れ、動く者のいない通りは息を殺したように静まり返っている。風はおさまったが、冷たい空気が頬のすぐ横にあるのを感じた。これからもっと寒さが厳しくなってくるだろう。
「おまえがあの子を引き取ったって聞いた時は、正直呆れたよ。お人好しにも程があんだろってな」
音の無くなった通りにニジェットの低い囁き声とふたり分の靴音が響く。明かりの灯る建物は少ない。手に持ったランタンと等間隔に配置された街灯だけが、儚い光を周りに降らせていた。家のベランダに置かれている鉢植えの影すら不気味に感じられる。
「引き取ったんじゃありません。預かっているだけです。ただの自分勝手で、善意と呼ぶには程遠い」
差し伸べられた手を握るかどうか。それを選ぶ立場であるはずの彼女には、この町で居場所を失くしてしまった彼女には、『手を握る』以外の選択肢がなかった。どんなに嫌でも選ばざるを得なかったのだ。差し伸べられた手の主が誰であろうと。
ニジェットは私の言葉を聞かなかったかのように話を続ける。
「けどこうも思った。おまえだったら、あの角っ子を悪いようにはしないだろうって。これも正直な話。そういや司令官も同じようなこと言ってたな」
「……買い被りすぎでは?」
そう言うとニジェットは猫の特徴的な、つり上がった目を私に向けた。
「いろんなもんを差し引いても『他人への配慮』だけは残りそうだからな、おまえ。自己犠牲はいただけないし、本当は預かるだけじゃ済まないってわかっててやるんだから、あたしには真似できないね」
本当によく観察されているものだなあと、返答に困ってしまった。
「だからさ」
ニジェットは何かを決意したように空を見上げた。
「なおさら、今回のことはどうにかしないとって思ってんだ」
先程まで話し合っていた領主の他種排斥論に、彼女は思っていたよりも危機感を覚えているようだ。
「そうですね。……実は、私のところに妙な手紙が来たんです」
「手紙? 脅迫状かなんかか?」
「ええ、まあ、そんなものです」
ジャケットのポケットから出した実物をニジェットに渡す。つい一昨日の話だ。本部のポストに手紙が入っていた。
おまえたちはこの町にいるべきではない。一刻も早くこの町から出て行け。
宛名も送り主も書かれていない白い封筒、そこに入っていた二つ折りの白い紙にはそう書いてあった。手紙を寄越した人物はコーラルのことを知っている。そして『おまえたち』と書いてあるからには、恐らく私のことも含まれている。
手紙を読んだニジェットは渋い顔をしていた。
「実はあたしのとこにもよくあるんだよな。こういうの」
「というと?」
「前からちらほらあったけど、最近は特に多い。排斥論の影響だろうが、脅迫状は当たり前で、この町から出てけって何度もきやがる。それから町中でも近くで窓ガラスが割れたり、物が落ちてきたり、どう考えてもあたしを狙ってる」
「怪我は?」
「ふつう、犯人の心当たりは? って聞くとこだろが。警備隊だろ? 怪我なんかしねえよ。避けられる」
彼女の頭部についている大きな獣耳が忙しなく動く。彼女は耳がいいので事前に異変を察知できるのだろう。
「けど、近くにいた奴が怪我をした。ただの通行人だ。かすり傷で済んだが、そのうち大事になるんじゃねえかと思ってな」
脅迫状は私のところだけかと思っていたが、実際に被害が出ているとなると手をこまねいてはいられない。
「あたしは倒れらんねえんだよ。あたしが倒れたら、それこそ人間が大手を振ってほかの奴らをいびりだすに違いねえからな」
いつもは大雑把で豪快なニジェットだが、いまはそのなりを潜めてしまっている。
国の機関である警備隊といっても、ひとが組織を成していることに変わりはない。ひとは感情で動く。その感情が時にどれほど厄介であるかは、幾多の経験から骨身に沁みている。どんなにわかっていても感情を律するのは難しい。
「なあ、ノア。ひとって、つくづくいやんなるな」
他種排斥論に端を発した差別意識は領内の住人に伝播している。
町に流れる魔族の噂。
不穏な手紙。
収まったと思われていた魔物の襲来が、一週間前と今日、起きてしまった。
先程は皆の手前客観的に話したが、その原因は、もしかしなくても彼女なのだろうか。加えて私の正体が知られたらさらに面倒なことになるだろう。嫌な予感しかしないが、これ以上コーラルにとって住みにくい町にはしたくなかった。私も倒れられない。
「あと、これはまだほかの奴には伝えてないんだが」
ニジェットが人差し指を立てて私を見る。
「第五地区、ヒュース通りのメレップ家の娘と、第四地区、ハラバッズ通りのルイン家の娘、行方不明どころかどうやら誘拐されたらしいぞ」




