怯えるひとの子 2
それからすこしすると、今度は黒い制服を着た大人たちが騒がしく駆けつけ、すぐに少年たちを助け起こしはじめた。彼らはこの町を守る警備隊のひとたちだった。わたしは毎日のようにその黒い制服を見ており、ほっとしたと同時に複雑でもあった。
「助かった……」
ゼギオンは盛大に息を吐いた。ヘイルは残念そうに肩をすくめる。
「君たち」
警備隊の、ひげを生やした男に声をかけられた。
「君たちはどうやら軽傷のようだな。いったい何があったのか教えてくれ。少年たちは『でかいカラスに襲われた』とか『魔物にやられた』と言っているんだが、本当なのか?」
ゼギオンとヘイル、それからわたしを見た時、男は途端に顔色を変えてわたしの二の腕を掴んだ。
「貴様! こっちに来い!」
強引に引っ張り、男は屈んでいたわたしを立たせようとする。しかしそれを制するようにふたりが男の腕を掴んだ。
「こいつはなんにもしてねえ! 放せよっ!」
「そうだよ。ぼくたちは見てた。黒い髪の女の子が大きなカラスを操ってたんだ」
ふたりの反論に男は嫌味ったらしくこたえる。
「騎士の真似事ならやめておけ。そんなこと、おまえたちが口裏を合わせればいいことだ。こいつには前科がある。司令官が見過ごしても、俺は見過ごさん!」
ひげ男のどなり声に身を縮めたわたしが、やはり外に出てもいいことはないと後悔した時だった。
「あの、そのへんでやめてもらえませんか。ソテロ隊長」
淡々と話す声が聞こえて顔を上げる。ここ三週間の間に見慣れた顔がひげ男の後ろにあった。
「邪魔をするな。〈メイト〉風情が。ここは貴様の地区ではないぞ」
「僕は自分の家の近くを歩いてはいけないのですか。彼女は犯人ではありません。僕も見ていました」
赤い襟に縁を黄色で彩った、警備隊の黒い制服に身を包んだ黒髪の青年は、ともすると暗いと思えるような目つきで男と話をしていた。
「事件を目撃していたのだから、重要参考人として事情を聴くだけだ」
ソテロはそう言うが、それだけではないことは態度から滲み出ていた。
「それなら、こちらのふたりにも」
青年は前髪の間から見える青い瞳をゼギオンとヘイルに向けた。
「聴いたらいいと思います。ほかに倒れている少年たちもいますし、参考人ならいくらでもいます」
しかしソテロは引かない。
「いまここでこいつを捕まえなかったら、また事件が起こるかもしれないのだぞ。その責任は取れるのか!」
その言葉の勢いにわたしは体が震えだしそうだった。
「えっと、そうですね……」
青年は考え込むように腕を組んだが、腕もほどかずに言葉を次いだ。
「その時はたぶん、うちの隊長が責任を取って辞めると思います。たぶんですけど」
さも当たり前のように言い、わたしとゼギオンは言葉を失くし、ヘイルは小声で「わぁ」と驚いた。
「ノアさんのことですから、それで尻拭いができるなら喜んで辞めると思います。あ、でも、彼女は犯人ではないので、辞めないですけど」
ソテロは顔を真っ赤にして叫んだ。
「〈メイト〉のくせに……これだから他種族は! 勝手にしろ!」
ソテロは乱暴にわたしの二の腕を放すと、腹立たしそうに石畳を踏みつけながらほかの警備隊員がいるほうへと行ってしまった。青年は息をつくと、真っ直ぐにわたしを見た。
「だいじょうぶですか」
わたしは頷いた。
「ありがとーアサギさん!」
嬉しそうに立ち上がったヘイルがアサギの手を取って強く握手をした。されるがままのアサギは無表情で頷いた。わたしとゼギオンも立ち上がると、アサギは声を小さくして言った。
「それで、本当にやってないのですか」
「見てたんじゃないの?!」
ヘイルが驚いて目を丸くする。
「ああ言わないと、ソテロ隊長も納得しないと思いました。ソテロ隊長は他種排斥論に賛成しています。僕たちのようなひとを槍玉に挙げようとするんです。僕も嫌われていますけど、一応警備隊に属しています。ですが、そう簡単に解決できるものでもないので、用心したほうがいいです」
「……わたし、やってない」
わたしは何度か唾を飲み込んで、ようやく声を出した。
「そうですか。よかったです。ノアさん、責任を取らされずに済みそうです」
アサギはほっとしたのか目を伏せた。わたしはその『ノアさん』が頼りなさそうに笑い、胸を撫で下ろしそうだと思った。
「ここは警備隊がどうにかしますから、すぐに離れたほうがいいです。長居していればまた妙なことを言われます」
わたしたちは頷き、急いでその場を離れた。汗をかいていたらしく、顔に風が当たると氷みたいに冷たかった。
広場から離れたはいいものの、わたしたちの間には気まずい何かが漂っていて、誰も何も話さない。一ヶ月前にゼギオンを殴って以来、彼と会うのがとても嫌だった。彼を殴ったことに後悔しているのではなく、彼の持っている他種族への嫌悪が受け入れられなかった。だから一緒にいるのも嫌だった。けれど、どうして先程はソテロから庇ってくれたのだろうかと考えてしまう。
「……なあ」
ゼギオンが口を開く。真面目くさった顔をしている。
「いま、この町に魔族がいるって噂になってるよな?」
「あー……ね。いますごい噂になってるよね、それ。おばさんたちの間じゃその話で持ちきりだよ。それが本当だったら、この町のひと、大騒ぎどころじゃないよね」
困り顔のヘイルがぎこちなく相槌を打つ。わたしは、ゼギオンがその話をしだす前から嫌な予感がしていた。
「魔族って確か、人間とおんなじ姿してるけど、ぜんぜん老いなくて、すごい長生きして、強くて、いろんなとこ破壊しまくって生きてるんだろ? で、さっき会ったあいつの……」
「……アサギさん?」
ヘイルがそう言うと、ゼギオンは「ああ」とこたえた。
「あいつんとこの警備隊の隊長、全然変わんないって噂じゃん。おれ、前々から怪しいと思ってたんだ」
「ゼギオン待って、本気で言ってる?」
「おれはいつも本気だ」
ヘイルのうんざりした様子と違い、ゼギオンは眉を怒らせ、口を不機嫌そうに曲げている。
「おれは、人間だと偽ってこの町にいるのが許せないんだ」
「何か事情があるかもしれないし、そもそも人間以外の種族が住んじゃいけないっていうような決まりはない。ただ領主が独断でそうしているだけじゃないか。それに魔族の容姿は黒い髪に赤い眼だ。あの隊長さんは全然違う。噂を真に受けすぎだよ。おばさんたちの話すことなんてただの与太話ばっかりじゃないか」
「じゃあさっきの女はどうなんだよ。あんなに暴れて、みんな怪我して、あんな奴がいたら安心して町を歩けないじゃんか」
「それは君たちが彼女の怒りを買ったからだ。君たちが彼女に絡まなかったら起こらなかったことだ」
ヘイルの反論は至極当然だった。わたしもそう思う。しかしゼギオンは譲らない。
「ああいう力のある奴は、いつブチ切れて暴走するかわかんないだろ! おれたち人間はなんにも力がない。あいつらに対抗する力もない。だったら」
「追い出すしかないって? 本気で言ってる? 君の話が、ぼくと、コーラルには関係ないって、本気で思ってるのか?」
ヘイルの怒りに火が点いたようだ。腰に手を当ててゼギオンを睨み返している。ゼギオンは黙ったが、目は挑むようにヘイルに向いていた。
「ぼくはこの町に越してくる前は、別の領地の町にいた。そこにはいろんな種族のひとたちがたくさんいたよ。みんなふつうに暮らしてた。でもこの町は異常だ。かあさんはその異常さが気に入ってここに来たっていうけど、ぼくはできれば来たくなかった。ここの領主は異常だ。ゼギオン、君もだ。あんな事件を起こしてからすこしは反省したかと思ったけど、全然変わってないんだね。さっきアサギさんに助けられた時、有り難く思わなかったの? 君が悪だって言った〈メイト〉に助けられて、何も思わなかったの?」
しばらくふたりは睨み合っていたが、ゼギオンが先に顔を背け、何も言わずに橋を渡ってその場から去ってしまった。ゼギオンの背中を見送ったあと、ヘイルが肩を落としながら橋の欄干に手をついた。
「まさかあそこまで偏屈だと思わなかった」
ゼギオンは人間以外の種族が嫌いだった。それは彼と知り合ってから言葉の端々で感じていたが、わたしは自身の事情もあり考えないようにしていた。彼のその嫌悪をはっきりと感じたのは、彼があの〈メイト〉の女のひとを攫った時だった。
「いやー、まいったな。あの時、アサギさんに面と向かって文句を言わなかったからよかったけど、この先だいじょうぶかなぁ」
橋の下から水の流れる音がし、すこし遠くで馬車の車輪と蹄鉄の音がしている。先程の騒ぎが嘘のように町はのどかな様子だった。
「コーラルさ、いま、あの隊長さんのとこにいるんでしょ?」
わたしは体をこわばらせた。もっとも知られたくないことだったからだ。
「一部で噂になってるんだ。ゼギオンの耳に入るのも時間の問題だろうね。その時あいつが変な動きをしなきゃいいんだけど……。ぼくも注意はしておくから、コーラルも気をつけたほうがいいよ」




