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ミネルバ-望郷の町-  作者: 近藤 回
番外編1 求婚

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3、こたえ

 勢いよく扉を閉められた時は、その反応がおかしくて、あとから吹き出しそうになった。一筋縄でいかないことはわかりきっていたが、この八日間で思ってもみないことが起こっていた。

 求婚をする前は、それは言語に尽くせぬほど悩んだものだ。私は見た目こそ人間でいうところの二十代であったが、何せ相手はかなり若い女性であり、私の本当の歳の十分の一ほどで、私がこの申し出をすれば彼女がものすごく悩むのは目に見えていた。この申し出は、彼女の出したこたえによっては、彼女がさらにこの家に居づらくなる原因に成りえた。

 しかし私は、責任という言葉を用いてそれを実行した。彼女の力が抑えられていることを伝えないのは考えられず、それを伝えるならば原因が何かも話さねばならないと思っていた。原因が私にある以上、責任を取れるのならば取りたかった。

 私の長い寿命からすれば、人間の寿命は短く、彼女の一生を余裕で見守っていける。しかし責任を取るための婚姻というのは、時代的にひと昔もふた昔も前の考えのようで、自分の考え方が古いことを痛感した。アレリアでは、ミネルバとはまた別の結婚観があるようだが、昔はミネルバと違う領地だったせいだろう。

 相手に好意を持って、その相手と結婚をするのは確かに理想的だ。元部下のサイラスとリアがそれに当てはまるだろう。好意が愛情になり、その後の夫婦生活の潤滑油になる。しかし好意を持たずに結婚をしたふたりの共同生活が、必ず悪くなるというわけでもないと思う。何事もそうだが、要は実際にそうなってみなければわからない。

 あの手紙に記した通り、彼女に対する自身の気持ちがどういったものなのか、わからなかった。特定の相手を気になったことはあるが、それ以上のものを持ったことがなかったせいもあるだろう。淡白だと、自嘲したくなる時がある。

 ただ不思議なことに、庇護欲というのだろうか。弱い者を守ろうとする気持ちは強いようで、それが世話好きとなって表面に出てきていた。これも広い意味でいえば一種の愛情のようなものだろう。それでいうと、コーラルはとても庇護欲をそそられる人物だった。

 彼女からの最初の手紙を見た時、綺麗な字体で書かれた素っ気ない内容を見た時、本当に不器用で、素直な少女なのだと思った。すぐには返事をもらえないだろうし、顔も合わせてはくれないだろうと覚悟はしていたが、まさかあのような形で接触されるとは思わず、とても驚いた。きっとあの一文を書くのにすごく悩んだのだろうと、微笑ましくなった。

 キッチンから出て、応接間の、本棚を背にした青いソファーに座ってからすこし経った。窓に目を向ける。何日か前の雨は本当に酷かった。見回るのも一苦労で、警備隊の制服の裾に泥が跳ね、雨でびしょ濡れになり、洗うのが大変だった。

 さて、部下がここに来るまで、あと一時間くらいか。

 彼らには何も事情を話していないが、コーラルの挙動がおかしいのは皆気づいていた。もしかしたらサジタリスは勘づいているかもしれないが、彼女は何も言わない。もし勘づいていたとしても、できればギダには伝えてほしくない。

 彼女が応接間に来るかどうか。どちらかというと来ないような気がした。彼女は自分に自信が持てず、自分のことを認められず、いつもそのことを悩んでいた。ここにひとりで来ることは、私が思うよりも遥かに勇気が要るだろう。ここ数日間避けていた相手がいる応接間なのだ。手紙のやり取りをしてくれるのだから、嫌われているわけではないのだろうが、そういう行動をされると少々複雑でもある。いまは何もないのに、苦笑いが出た。

 持っていた本をローテーブルに置き、視線を何気なく応接間の出入口のほうに向けると、何かが動いた気がした。自身の動きを止めて、凝視する。何か細長いものが出入口の端で動いている。扉代わりのカーテンはいま端で紐にくくられているので、動いているのはそれではない。もしかしてと急いで近づく途中で、コーラルは姿を現した。端で動いていたものは彼女の長い髪だった。

 朝の明るい室内で見る彼女の顔は、表情は何かに耐えているような、それでいて気恥ずかしそうに頬を染めていた。あの日の夜更けもきっとこのくらい赤くなったのだろう。視線は下げたままだ。いじらしい。彼女のいまの心境を考えるなら、そうなるのも頷ける。良くも悪くも、自分もこのくらい心を動かされてみたいものだ。

 すこし気が抜けてしまった。気を取り直して話しかけようとすると、袖をつままれた。すこし動かしただけで離れてしまいそうだ。彼女の左手は、玄関とは反対側の廊下の向こうを指している。

「キッチン……に、行けばいいの?」

 そう訊くと、コーラルは頷き、右手を袖から離した。

 彼女のあとに続いて赤い廊下を過ぎ、白の回廊に進んで真ん中にある扉からキッチンに入る。入ってすぐに紅茶の香りが鼻先をかすめた。テーブルにはカップやソーサーなどの食器が二組、綺麗に並んでいた。もしかして、いままでこれらの用意をしていたのだろうか。まったく気がつかなかった。部屋にこもっていてもおかしくない心境だろうに、彼女がこれらの用意に時間をかけてくれていたことに、なんとも言えない気持ちになった。

 コーラルは扉の近くに立ったままだったので、私は彼女の意を酌んで先に席に着いた。彼女はすでに用意していたティーポットから、私の目の前にあるカップと自分のカップに紅茶を注いだ。お礼を言うと、赤い顔のまま彼女は左隣の席に座った。この前と同じだ。

 会ってくれるようになっただけでも有り難い。私の提示していた期限までまだ三週間近くあるわけで、いまの彼女がこたえを出せるとは正直思っていない。人生を左右する問題なのだから、時間をかけるのは当然だ。もしかしなくても一ヶ月というのは短いかもしれない。すこしは衝撃や混乱は治まっただろうか。

 ここまで考えて、自分もその当事者だというのに随分と冷静だなと思う。彼女の年齢からして、少なく見積もっても四十五年ほど連れ添うかもしれないのだ。相手に決定権を渡してこうして悠々と構えているのは、大いに思慮に欠けた行為であるはずなのに、私はそれを改めなかった。私は今日まで、ただ彼女の手紙に返事を書くことだけに注力した。私の書いた言葉が、今回の申し出を深く考えるための材料になるよう、ただただ心を砕いた。公平で客観的な内容になるよう書いたつもりだが、彼女がどう受け取るのかは未知数だった。

 キッチンは穏やかな明るさを保ち、暖炉のおかげで暖かかった。桃の香りがする紅茶に口をつける。いい香りだ。彼女に言われて紅茶の種類を変えてよかった。飲みながら、いつ話しかけようかと迷う。横目で窺うが、コーラルは俯いている。耳の後ろに生えた白い角が水色の髪の間から見え、青空と雲のような色合いだ。

「て、がみ、のこと」

 かすれた声で、緊張しているのがわかる。

「あ、そうだったね」

 私はカップを置いた。

「君のことは、手紙にも書いたように、うまく言えないというか、よくわからないんだ。全然話せなかった時はすこし苦手に思ってたけど、いまは苦手じゃないし、嫌いでもない。ただ、好意を持っているかと言われたら、よくわからなくて。守ってあげたいなとはよく思うよ」

 言っておいてなんだが、相手がどう反応したらいいのかわからないことを口にしてしまった。しかし正直に言わなくては意味がない。これも判断の材料になるのだから。

「確か前にも言ったことがあるよね。困っているひとを助けてあげたいと思うって。君に対する気持ちは、たぶんそれからはじまって、いまもそれの延長にあるんだと思う。好きかと言われればそうなんだろうけど、特定の相手に対する好意かと言われると、よくわからない」

 喜怒哀楽はあるのに、愛情に関してはいまいちぴんと来ない。面倒な性質だ。

「だからね、こんな私でもよければっていうのは、そういうことなんだ。女のひとは気持ちがあることをとても大事にするから、それを望まれると、努力はするけど、落胆させてしまうんじゃないかなって。それにここは借家で、私は人間じゃないし、もしかしたら他種排斥論の影響でここに住めなくなるかもしれない。私の身元にも問題が多いし」

 この場合に使う努力という言葉がとても不謹慎に思えたが、ほかに言いようがなかった。他種排斥論に関しては、いまは鎮まっているが、いつまた勢いを持つかわからなかった。それだけにいくら正体を知られていないとはいえ、私の立場は不安定だ。

「わたし、は」

 まだ緊張の抜けない声でコーラルは言った。

「ノアさん、の、お、お嫁さんにしてもらえるひとは、すごく、大事にされるから、いいなって、思った」

 さり気なく初めて名前を言われたことにも驚いたが、彼女がそういうふうに、しかもかなりいい印象を持ってくれていたとは考えもしなかった。

「やっぱり、わからない。責任っていっても、それでも、なんか、そんなことを言わなくても、見ないふりをすればいいんじゃなかったのかなって……」

「じゃあコーラルは、見て見ないふり、できる? それをされて、傷つかない?」

「それは……」

 心根の優しい彼女ははっきりとは言わないが、間違いなく傷つくだろう。

「あの……」

 コーラルは座ったまま、体を、膝をこちらに向けた。顔は俯かせたままで、しかし正面から見ると目元も口元もはっきりと見えた。その口元が動く。

「わたし、は、たぶん、好き、です」

 何かを踏み抜かれたような、蹴り開けられたような衝撃を受けた。

「だから……だから、なんて、どう言ったらいいのか、わからない」

 彼女は緊張のあまり、涙声になっていた。

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