121話
戦が始まって3時間。戦況は一進一退である。
が、兵力で優る宇喜多勢は松尾山を駆け下りてきた河野勢を弾き返し、南宮山の毛利軍も明石全登に足止めされており、秀家の元に長宗我部勢はたどり着けずにいた。
逆に長宗我部本軍は織田軍の猛攻撃に先鋒の本山勢が疲弊し始めていた。
本陣では信親が紅毛人から進上された懐中時計を眺めながら久武親信の方を向いてぽつりと呟く。
「あまりよい状況ではないな。真田も動かぬ腹積もりであろう」
「鼻から援軍には期待してはいけませぬ。それよりも河野勢に増援を回す方が良いでしょう」
「河野勢の増援ならもう長谷川がやっておろう。これ以上どうしろと言うのじゃ」
「南宮山の毛利勢を伊勢街道沿いに移動させ河野勢の後詰と致すのです」
「ああ、昔どこかで聞いたことのある話だな。毛利勢を迎え撃つ徳川・明石の軍勢は1万ほど。多少減ったとて毛利勢は困るまい」
「そういうことにございます。早速毛利輝元に指示を出しまする」
信親の命令を受けた毛利輝元は自軍二万のうち八千を叔父の末次元康に預け伊勢街道を通り南宮山の河野勢の後詰に回った。
これで佐竹義宣と結城秀康に苦戦していた河野・長谷川勢は一気に盛り返した。
さらにその北では島津義弘・豊久の両名が小西行長の軍勢を圧倒し、大谷吉継の軍勢も手が出せずにいた。
本来なら優れた指揮官である2人だが三河遠江の勇猛な兵士はほとんどが関ヶ原で殲滅され、新たに雇った兵はまだ完全には育ちきっておらず、長年各地を転戦してきた島津兵には手も足も出なかった。
「久武の策、上手くいったようだな」
一気に流れが変わった戦場を見て長宗我部秀親が感心したように言う。
「だがまだ宇喜多本軍には一切傷をつけておれませぬ。これは日を跨ぐやもしれませぬ」
と、 親信。
「宇喜多本軍はほっとば動くさ。時間が経てば経つほどに有利になるのは我ら。前田や備前の謀反など所詮は小粒。しかし秀家が倅を捨て駒にするとはのう」
「父上、感心している場合ではございませぬ。秀家が突っ込んでくれば数に劣る我らは……」
そう言う秀親の言葉を遮るように前に出たのは故黒田官兵衛の養子となっていた黒田親高である。
「ご安心なされませ兄上。我らはそもそもが防戦の陣地構築。さらに言えば織田勢と戦っているのは本山・香宗我部・比江山・戸波の4部隊合計一万五千にて残る一万五千は後方にて堀を掘っております」
「む、確かに……。ひたすら堀を掘ってその奥に柵を立てておる」
「これは古の設楽原と同じ戦法。秀家は若造ゆえにこのような陣地を見てもピンとは来ませんでしょうな」
「流石は如水の元でみっちりと学んできただけの事はあるな。つまりそういうことだ」
信親が言うと秀親も納得したように頷く。
しかし弟に出し抜かれたことで少しばかり焦りの表情も見える。
「頃合いじゃ、前衛の本山らを後退させよ。此度は織田が獲物じゃ」
長宗我部前衛隊が後退すると織田勢は追撃せんと攻勢を強める。
そしてその光景は宇喜多秀家の目にも止まった。
「織田勢が推し始めました!もう時間がございませぬ!我ら宇喜多勢も伊吹山に攻め掛かりましょうぞ!」
中村家正に言われ秀家は軍配を握る。
「うむ、宇喜多勢!一気に攻めかかるぞ!伊吹山さえ落とせば島津も毛利も恐るるに足らず!進めぇ!!」
秀家の号令とともに宇喜多本軍3万が地響きを立てながら動き出した。




