56話
文禄3年、信親は宇喜多秀家と共に従三位中納言に任ぜられた。
更に信親嫡男の弥三郎秀親は正四位上参議、香川親和は侍従から正四位下左近衛少将、津野親忠と河野親通は従五位下侍従、吉良親実、香宗我部親氏、本山親茂、比江山親興、戸波親武、三好親長、桑名親光、中島重房、福留儀重、久武親信が諸大夫成するという長宗我部家全体の格上げに成功した。
史実を遥かに超える強固な一門衆と家臣団により長宗我部家は豊臣政権で徳川家康に次ぐ大勢力となっており、派閥の大名も含めれば西国全域にその影響力は広がっていた。
「いよいよ違う次元に来ましたな。清華家になるとは……」
任官式の後、秀家は声を震わせて言う。
「貴殿の父君もあの世で腰を抜かしておられよう。俺の親父なんぞ驚きのあまりに酒を落として足を怪我したわ」
「それはいけませんな。お大事にしてくだされ。それにしても拾様がお生まれになって以降、殿下は我らに大層期待しておられるようです。徳川殿は拾様の姑として、前田の義父上は拾様の後見として、私は拾様の兄として、貴殿は拾様の叔父として」
「まあ関白様と拾様にもしもの事あらば我らを頼みの綱にするのは当然だろう。とはいえ関白様に味方する大名など居るものか……」
秀次と親しい大名は実の所あまり多くない。
徳川家康も前田利家も秀吉の側近だし信親や秀家は関わりが薄い。
むしろ信親は秀勝(昨年失意のうちに病死した)処罰の件で不仲説すら流れていた。
「大崎(伊達政宗)侍従と出羽(最上義光)侍従……あとは室の実家の吉田(池田輝政)侍従辺りですかな」
「はて、堀宰相(同時期に昇進した)曰く吉田侍従は内心では関白様の事を快く思っていないらしいぞ。ほぼ右腕のような物だから近すぎて嫌なのかもしれん」
「確かに吉田侍従は昔から関白様に付きっきりでしたな。堀殿から当時の話はよく聞くのですか?」
「ああ。藤五郎殿からも……」
「そういえば長谷川殿は先月亡くなられましたな」
長谷川秀一は秀勝改易後は石田三成らと共に奉行として朝鮮と対馬、名護屋を行き来していたがそれが体にきたのか体調を崩し先月亡くなっていた。
初め、秀吉は長谷川家を減封にしようとしたが信親と堀秀政の強い要望で北ノ庄21万石はそのまま、長谷川秀成(秀政次男)が所領を引き継ぐことになった。
とはいえその家中には堀家の家臣が何人か入り、長谷川家はほぼ堀家のコントロール下に置かれてしまったのだが。
「貴殿も気をつけられよ。肉を食うと精がついて良いぞ」
「なるほど。ご助言忝ない」
それから暫く、堀秀政は長谷川家の事や長年の親友を失った事で1人になりたがっていたので信親は宇喜多秀家と飲むことが多くなった。
だがそれを快く思わない男が一人いたのだった。




