26話 恩返し
「……え?」
俺の返答に対し、風見さんはさっきの俺のような気の抜けた声しか出せなかった。風見さんからしたら、確実に「イエス」としか返ってこないと思っていたのだろう。だが俺の気持ちは、風見さんが想像するよりも固いものだった。
「な、なんで……わ、私じゃ、不満なの?」
「そんなことない。風見さんは素敵な人だし、恋人にするならこれ以上にない逸材だよ」
「なら……!」
「でもダメなんだよ……俺は風見さんと付き合えない」
風見さんの言葉を遮る形で、俺は拒絶の言葉を吐き捨てる。出来れば風見さんにこんな言葉かけたくなかったが、気づいたらそんな言葉が出てしまっていた。
しかしこうなると、風見さんにも「あのこと」をしゃべらないといけないな。風見さんの秘密はほぼ余すことなく聞いたのに、俺だけしゃべらないのは不公平だしな。
「もちろん、風見さんが嫌いなわけじゃない。でも俺は……女性とそういう関係には、慣れないんだ」
「……ど、どういうこと?」
「ねぇ、風見さん。俺がなんで、最初風見さんのこと知らなかったと思う? 学校でも相当な人気を持っているにも関わらず」
「え……恋愛に、興味がなかったから?」
「それだと五十点くらいかな……答えはね、女性を好きになることが、怖いんだよ」
「……え?」
初めて口にする新事実に、風見さんは驚きを隠せないようだ。だがそんなのお構いなしに、俺は言葉を放っていく。
「俺には幼馴染がいたんだ。実家にいた時は、隣の家同士だったからよく一緒に遊んだものだ。ちょっと男勝りなところはあったけど、ずっと隣にいてくれた彼女のことを、俺はいつの間にか好きになっていた」
当時のことを思い出しながら、俺は「あのこと」を風見さんに話し続ける。そのたび胸が締め付けられるような思いに駆られるが、どうにか我慢している。自分の過去についてしゃべってくれた風見さんも、こんな心境だったのかな?
俺の話に、風見さんは黙って耳を傾けてくれた。驚いている様子はもうなく、真面目な表情で聞いてくれている。それだけで少しだけ気が楽になる。
「そんな気持ちを抱えたまま中三になったとき……俺はその幼馴染に告白したんだ。俺も初めてだったから、ガチガチに緊張したものさ。でも心のどこかで、絶対成功すると思っていた。なんてったって、相手は幼稚園のときからの付き合いがある幼馴染だったから……でも、そんな幼馴染から返ってきた言葉は……」
「言葉は……?」
「『フーマを男として見たことなんて、一度もないよ!』……だ」
その時の光景が頭によぎり、俺はつい頭を抱える。それくらい当時のことは、消し去りたい過去へと変わっているのだ。
「幼馴染の荒い口調のせいで、俺のメンタルは砕け散った。それからひと月くらい、家から出られなかったくらいにな」
「そんな……そんなことが……」
「それ以降、俺は恋愛を拒絶するようになった。それと同時に、極力女性と接することもめっきりなくなったな。しゃべる相手も芽衣……妹くらいだしな」
それこそが、俺が女性のことをまるで覚えていない理由になっている。だから壮馬に説明してもらうまで、風見さんのことも知らなかったのだ。
対する風見さんは、若干俺と距離を取り口元を抑えていた。そしてよくみると、涙目になっているようにも見える。自分のことでもないのに泣きそうになるくらい真剣に聞いてくれるなんて……風見さんは人格的にも優れた人なんだな。
「え、でも赤羽さんは……?」
「赤羽さんは別……というか、あまり女性としゃべっている感じじゃないんだよな。なんて言うか、先生と話してる感じって言えばわかりやすいかな?」
もちろん初めて対面した時は緊張感マックスだったが、赤羽さんも最初は事務的な会話をしていたから何とかなった。それ以降少しずつ口調を柔らかくしてくれたおかげで、相当いいリハビリにはなったと思う。そういう意味では、赤羽さんには感謝している。
「じゃあなんで……そんな状態だったのに、私にここまでしてくれたの?」
そして風見さんは、もっともらしい疑問を俺にぶつけてきた。確かに女性を避けてるようなヤツが、ここまでのことをするのだろうか? そう思ってもおかしくはない。
「……俺もあの時思っていたことなんて、ほとんど覚えていない。でも一つだけ言えるのなら……自分以上に不幸な人を見たくない、っていう自衛本能だったんじゃないかな?」
「自衛、本能……」
「うん……ようは我が儘。そんな自分勝手なことに、風見さんを巻き込んだんだよ」
確かにあのときの俺は、どうにかして風見さんを助けたかったという気持ちが大きかった。だがそんなのは綺麗な言葉に換えただけの、ただのエゴ。もし本当に彼女のことを全身全霊で助けたい、守りたいと思っていたなら……あんな危険な目にも合わせずに済んだはずなんだ。
「だから風見さん……こんな俺のことなんかッ……⁉」
最後に拒絶の言葉を放とうとしたが……その言葉が発せられることはなかった。
何故かって? 答えは簡単だ。物理的に防がれたのだ……風見さんの唇によって。
突然視界が暗くなったと思いきや、唇に熱い感触が伝わってきた。最初何が何だかわからなかったが、うっすらと見えた風見さんの必死な表情にやっと状況が飲み込めた。
数秒間のキスが終え、ゆっくりと風見さんは俺から離れる。たった数秒だが、軽く一分くらいは時が止まった気はした。
そして突発的なキスを決行した風見さんは、頬を赤く染めていた。おそらく風見さんにとっても、初めてのことなのだろう。
だが風見さんの表情から照れや恥ずかしさなどの感情はみられず、真っ直ぐと俺の方を見つめていた。
「自衛本能とか我が儘とか、そんなのどうでもいい! 増井君は私をあの境遇から助けてくれた。それだけは絶対に揺らぐことのない真実なんだから」
「でも俺は、風見さんを利用して……」
「利用? そんなこと言ったら、私の方が増井君を利用してるよ!」
それを言われると俺からは何も言い返せないな……相手を利用っていう点だけ見ると、圧倒的に風見さんの方が得してるしな。
「それにね、私……嬉しかったんだ。増井君が、苦しい過去を私にしゃべってくれて。それだけ私のことを信用してくれてるんだって、心の底から感じたの」
自分の胸に手を当てている風見さんの表情が、優しく暖かいものになっていた。嬉しかったという言葉に、嘘はないだろう。
そう言われれば……俺が自分からこのトラウマについてしゃべったのは、妹を除けば初めてかもしれない。壮馬に関しては事前に知っていただろうし……いつの間にか俺の中での風見さんの存在が大きいものに変わっていたんだな、ってしみじみと感じた。
「……確かにな。そう言われると風見さんは他の女性と比べて、ちょっと違うんだと思う。でもそれが恋愛感情に変わるのかって言われると……まだわからない」
捻りにひねって出た言葉がこれだった。深く刻み込まれたトラウマは、そう簡単に癒せるものではない。そしてその傷が癒えるまで、俺が誰かと恋愛関係に発展することはないだろう。
「それでいいよ……まだ増井君が私のことを嫌っていない。むしろ好意的に見てくれているなら、まだチャンスはいくらでもある!」
だが風見さんは非常に前向きであった。自信満々の様子の風見さんは、両手を俺の顔を掴み固定させる。逃がさないように、常に自分のことを見てもらうように……
「増井君は私のこといっぱい助けてくれた! だから今度は私が、増井君のことを助けてあげる! なんたって私は……増井君のメイドさんだから!」
すると風見さんは、寝転んでいた態勢から起き上がり自然と俺の視線も高くなる。手はそのまま俺の顔を掴んだままだから、俺は風見さんから視線をずらすことが出来ないのだ。
そして風見さんは高らかに宣言した。さしずめ……「恋の宣戦布告」だ。
「私は増井君……ううん、楓馬君のメイドとして! 楓馬君の何もかも癒してあげる! そして絶対、私だけしか見えないようにしてあげる!」
その宣言は、俺の心に深く刻まれる。一人のメイドさん……いや、風見さんの言葉はそれだけ響くものを感じたんだ。彼女が本気で俺のことが好きなのは、十分理解出来た。
そんな真摯な態度に対し、俺は否定することは出来ない。相手がメイドさんなんだ、容易に否定することなんてできない。
だがこれでもいい気はしたのだ……風見さんにトラウマを克服してもらう選択肢も、悪いものではないと感じていたからな。
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