9
彼女を見つけたその日。
黒い鳥に変化して空を飛んでいた僕の耳に、聴き覚えのある旋律が届いた。
音がする方向へと舵をきったのは、ほぼ条件反射だったと言える。
どこかで聴いたことのある旋律だと首を傾げるけれど、はっきりとは思い出せなかった。
でも、上空で何度も旋回を繰り返しながら、ひたすらに耳を澄ましていると、やがて記憶が甦ってくる。
それと同時に、胸の奥がずしりと重くなった。
―――――エマの歌っていた子守唄に、よく似ている。
もう、随分長いこと耳にすることがなかった歌だ。
時代の流れというのは、ありとあらゆるものを変えていくけれど、その中で失われて行くものも多い。
エマの口ずさんでいた子守唄も、その一つだった。
長く生きていれば、どこかでもう一度、耳にする機会があるだろうと踏んでいたのだけれど、未だにその機会が訪れたことはない。
それゆえ、結局、どの辺りで受け継がれてきたものなのか知ることはできなかった。
僕自身が、積極的に彼女の故郷を探そうとしなかったのも関係しているかもしれない。
この世にいない人間を想い続けることが、ただただ虚しくて。だから、意識的に彼女のことを思い出さないようにしていたのだと思う。
そしてその内、彼女が口ずさんでいた子守唄のことも忘れていた。……そのはずだったのに。
こうして、あの優しい歌を耳にすれば、エマのことをはっきりと思い出す。
だからなのか。
ああ、僕を呼んでいる。
そんな気がした。
*
*
「貴方、変だわ」と、彼女は笑う。
僕からすれば、君の方がずっとずっと変わり者だよ。と鼻を鳴らした。半分冗談で、半分本気だ。
すると彼女―――――、イリアは、小さく息を呑む。そして、少し奇妙な形に唇を歪めた。
それは何とも言えない表情で、だから、彼女の気持ちを正確に表すことはできない。
やがてイリアは、反論することもなく「そうね」と呟く。「私は、やっぱり変なのね」と。
真夜中の室内は、窓も開けていないというのに寒々しい空気に包まれていた。季節の変わり目というのはいつだって肌が粟立つような感触を伴う。
気を抜くと、全身がぶるぶると震えそうだ。
最近、僕の体は、まるで「生き物」であるかのような反応を示す。五感が発達し、髪の毛が揺れるときには風を感じ取ることができるし、暑い、寒い、あるいは心地いいというような繊細な感覚さえ取り戻しつつあった。
僕の魔力と、エマの作り出した人形が完全に同化してしまったのかもしれない。
もはや、この「体」を脱ぐことはできないだろう。
「やっぱり、というのはどういうこと?」
黒い鳥から人型に姿を変えて、彼女が腰掛けているベッドの脇に立つ。
小さく明かりを灯しただけの室内はいつだって薄暗いけれど、それでも見えないということはない。
ぼんやりとした輪郭の彼女が僕を見上げて微笑んだ。薄い緑色の虹彩が、オレンジ色の光を含んで美しい。
瞬きをする度に、瞳の表面で淡い光が飛び散るようだ。
宝石というよりは鉱物に近いかもしれない。磨きぬかれる前のそれは、ただ置いてあるだけだとさして人の目を引かないのに、光を反射する角度によっては、とんでもない煌きを放つ。
「もう分かっているんでしょう? 私には、他の人が見えないものが見えているのよ」
「……それって、君が以前、腕に抱いていた赤ん坊のこと?」
訊けば、イリアはほんの少しだけ目を瞠って「それもあるわね」と、また一つ苦く笑う。
可笑しくもないのに微笑むなんて、それこそ可笑しなことだ。
僕はそれが気に入らなくて、ひっそりと眉を顰めた。彼女はそれに気付いているのかいないのか、薄い唇に微笑を貼り付けたまま「他にもあるのよ」と告げる。
「私には、未来が見えるの。―――――変わっているでしょう?」
冗談でも言っているのかと、真意を見極める為に彼女の顔を凝視するけれど。
ふと逸らされた眼差しからは、何も感じ取れなかった。
視線の先には、格子の嵌った窓がある。磨きぬかれたガラスの向こう側には、規則正しく並んだ鉄の棒と、そこから垣間見える四角い空があるだけだ。
他には何も、ない。
「……君は、妹を守って欲しいと言ったね。昔、妹に命を救われたからだと」
「ええ、そうね」
「でも、本当はそれだけではないってこと? これから何か起こる可能性があるって?」
「……、」
「まぁ、君の言っていることを信じるならって話だけど」
彼女は相変わらず、暗闇を見つめているだけで唇を開くことはなかった。
けれど、その横顔は、小さな部屋に閉じ込められている現状を憂いているわけでも、あるいは悲しんでいるわけでもないように見える。
むしろ、確固たる決意を秘めているような。そんな強い眼差しをしていた。
暗闇の中に、一体、何を見ているのか。僕には知る由もなかったけれど。
「まぁ、いいや。僕は君の望みを叶えるだけだしね。そういう約束だし」
―――――けれど、イリアを初めて見かけた日は、彼女とこれほど距離を縮めることになろうとは思ってもいなかった。
僕にだって警戒心くらいはある。
エマが歌っていたのと似ている子守唄を口ずさんでいたからと言って、迂闊に近づくことはしなかった。
彼女がどういう人間なのか見極めたかったからだ。そもそも、格子の嵌った窓から外を眺めているような人物が普通ではないことくらい、よく理解していた。
だから、彼女と言葉を交わすまでには数日を要した。
だけど、毎日毎日、彼女を見つめていると。
普通ではないのが、彼女自身ではなく、環境の方だということに気付く。
彼女は確かに、現実と空想を混同しているような部分がある。だけどそれは、あくまでも軽度なもので。周囲を混乱に陥れるほどではない。
それは、彼女自身がしっかりと自己管理をして、感情を抑制しているからかもしれなかった。
少し前は確かに、幻と思しき赤ん坊と会話をしているようなところがあったけれど、現在では落ち着いたものである。
昼間の彼女を見れば、彼女が自身に問題を抱えていると気付く人間はいないだろう。
イリアは、ただただひたむきに婚約者のことを想い続け、彼にふさわしい人間になれるように努力をしている。そのあまりに必死な様子は、胸を打つ。
理解に苦しむのは、そんな彼女が、いつも独りきりだということだ。他に、誰の手助けもない。
婚約者たるソレイルですら、イリアとは、どこか距離を置いているように見えるのだ。
「君はどうしてそんなに婚約者殿のことが好きなの?」
たまらずにそう問えば、彼女は小さな笑みを灯す。
そうだ。やっぱり、彼女はいつだって「笑う」という選択をする。どんなときだって、いつだって。
誰かに、そうしなさいと言われたかのように。
「幼い頃の私は、今よりもずっと、何もできない子だった。ソレイル様と出会った頃、普通の令嬢だったなら、ある程度の教養は身につけているものなのに、私は全然駄目だったの。だけどあの方は……ソレイル様は、それを責めなかった。それどころか、待っていてくださったのよ」
「いつだって、何も言わずに、ただ私を、待っていて下さるの」
一つ一つ言葉を置くようにそう語る彼女の顔は、一見、幸福そうで。何もかも満たされているかのような顔をしていた。
だというのに、なぜか、泣いているような気がして。
僕は、言葉を失った。
いつもそうだ。本当は、
彼はもう、君を待ってはいないと思うよ。
そう言ってあげるべきだと分かっているのに、それがどれほど残酷なことかを理解していたから、無慈悲なことを口にしないようにと奥歯を噛み締めるしかない。
そんな僕を見て彼女は首を傾げ「貴方、変だわ」と繰り返す。
含み笑いを隠すように、唇を抑えた細い指にはインクが染み付いていた。幼い頃から、毎日何時間もペンを握ってきた証である。
経済学の本は、もはや暗唱できるほど繰り返し読み込んでいるし、ページの端は千切れて表紙はぼろぼろだ。余白は、イリアが書き込んだ文字で埋まっている。そこに、彼女の努力の跡が見て取れた。
だけど、覚えるだけでは何の役にも立たないと息を吐いて、今度は政治学や諸外国の歴史の本を手に取る。
それだけではなく、ダンスの練習も欠かさない。いずれは高位貴族となる身なれば、他の女性よりも上手く踊れなければならないと。足の指に血が滲んだって、構いもしない。
他にも、ピアノだって歌だって、貴族の子女としてある程度はできなければならないと、何時間だって練習する。それこそ、一人きりで。
本を読みたくない日もあるだろう。ペンを握りたくない日も。踊りたくない日も、楽器なんて見たくもない日だってあるはずだ。時々は丸一日、休みを取りたいときだってあるはずなのに。
彼女はそうしない。
その姿は、単純に、ひたすらに、苦しそうだった。
誰の目から見ても、やりすぎだと分かる。
それなのに、誰一人として彼女を止めない。休んでもいいとは、言ってあげない。
むしろ、もっと頑張らなければならないと叱咤するような素振りを見せる。
彼女の両親……、特に母親はそうだった。
激励の言葉をはっきり口にするわけではないけれど、さりげなく苦言を呈し、追い詰めるような真似をする。
「次代の侯爵夫人たるもの、甘えなど許されません。他の誰にも、追随を許してはなりません」
ただの一度も、親に甘えたこともないような少女に、あまりにも辛らつなことを言う。
だけど、イリアの周りに居る人間は、誰もが母親の言うことを肯定した。
唯一違っているのは、イリアの護衛騎士だけだろうか。しかし、彼には主であるイリアの行動を制限することはできない。ましてや雇い主である伯爵夫妻にものを申せるはずもなかった。
だから僕は、甘い言葉で彼女を誘惑する。助けてあげようか? と。
それなのに、彼女はいつだって肯かない。
ただ、「貴方にお願いしたいのは、ただ一つ。妹を守ることだけよ」と言う。
全く、質問の答えになっていない。
困惑する僕を置き去りに、イリアは何もかもを見通しているかのような双眸を向ける。
私のことなんか気にしなくてもいいのよと。
そして、何の脈絡もなく事あるごとにとある強盗団のことを口にした。とても危険な集団なのだと。
あまりにも何度もそう言うから、自分でも調べてみたけれど、名前も知られていないような極小の強盗団だった。街の治安を脅かすような影響力のある存在でもない。微罪を繰り返すことで小金を稼ぎ、大それたことは仕出かしそうにない。
そんな彼らの何が気になるのか、僕には全く理解できなかった。
それでも、彼女はそんな小物の強盗団を気にして、彼らが捕縛されることを願う。だから僕は、協力するしかなかった。
なぜなら、それくらいの時間はあったから。単純に暇だったのだ。
長い長い人生の、たった一瞬だけなら、彼女に捧げてもいいと思った。
きっと、イリアと過ごす日々だって、瞬きのように過ぎて行く。そのはずだったから。
彼女にとっての「僕」がどういう存在だったのかは分からない。
本当は、僕のことを疑っていたのかもしれない。いつ、裏切るか知れないと。
彼女は多分、心の奥底では誰のことも信用していなかったのだろう。
だけど、考える。もしも、僕がもっと心の機微に聡い人間だったなら。
これから先に起こる、全ての出来事を覆すことができたかもしれないと。
そう例えば、彼女が婚約者殿と予定通りに結婚したことも、その一つだ。
彼女の結婚式のことをよく覚えている。穏やかな日和の、柔らかい風が舞う日中に行われた。
その日の為に、彼女が自身で用意したドレスは眩いほどに美しく、直視するのが躊躇われるほどだった。
それほどに輝いて見えたのは、そのドレスの刺繍を施したのが彼女自身だったからかもしれない。
針を刺すたびに、思い描いていた通りの模様になっていく。その様は圧巻でもあり、時間がかかる分、もどかしくもあった。
それでも、彼女は唇を緩ませて。
この日の為に、生きてきたのだと言わんばかりだった。
存在を周囲に認知されていない僕は当然、式に参列することはなく。いつもと同じく、鳥の姿に化して式の行われている教会の上空を旋回していた。
教会の中で誓いの言葉を口にしただろう若い夫婦と、参列者が庭に出てくるのが見える。
懇親会でもするのだろうか。
遠い空から、そんな彼らを見下ろしていると、たった今「妻」という肩書きを与えられた女性が顔を上げた。何となく、僕を見ているのだろうと察する。
けれど、隣に並び立つ夫に何か言われたのか、すぐに視線を戻してしまった。
いずれ侯爵夫人になるのだからと、死ぬほどの努力を重ねていた彼女の横顔が、頭を過ぎる。
領地経営は領主である夫の仕事になるのだから、君は適度に手を抜けばいいと言った僕に、首を振ったイリア。それならば尚のこと、ソレイル様の助けになるように励まなければと、自分を追い込んだ。
ソレイルに必要とされないことこそが、彼女の最も恐れていることなのだと知る。
彼女にとっての「人生」とは、ソレイルに全てを捧げることなのかもしれない。
だからこそ。
だからこそ、結婚式のために用意したドレスを手に取るときだけは、どこか嬉しそうな顔をしていた。
その彼女が。
今はもう「夫」だと言える人物の隣で、「いつもと変わらない」笑みを、浮かべている。
まさか、結婚式でその顔を見ることになるとは思っていなかった僕は、思わず呟いていた。
「何で、」と。
何で、こんなときまで笑っているのかと。
いや、違う。普通なら笑っていてもおかしくない場面だ。むしろ、笑っていないとおかしい。
今日は、そういう日なのだから。人生で最も輝かしい日のはずだ。
それなのに、彼女の笑みに違和感が伴うのは。
僕が、この結婚式を茶番だと感じているからもしれない。
この日を、心底待ち望んでいたイリアにとってはあまりに酷い言い草だと分かっているけど。これは茶番以外の何でもない。
僕の視線の先には、結婚の誓いを口にしたはずなのに、自分の妻ではなく、その妹を見つめる男がいて。
そんな男の横で、さも幸せそうな自分を演じているイリアがいて。
馬鹿みたいだと思った。あまりに馬鹿馬鹿しいと。
だけど、それを笑うだけの余裕は僕にもなかった。
胸が締め付けられるような痛みを、覚える。
微笑を浮かべてはいるものの、まるで凍り付いてしまったかのようにそのまま表情を動かさないイリア。
その小さな相貌にしっかりと張り付いた仮面は、よっぽどのことがなければ剥がれないだろう。
彼女は、人生の門出とも言える祝いの日に、その仮面を被ることを選んだのだ。
つまり、彼女は、諦めてしまった。
夫を愛すると誓った、その一方で。自分が「愛されること」を、諦めてしまった。
本当は、今日という日にかけていたはずだ。
幼少期からの婚約者であったソレイルという人間が、もしかしたら、今日くらいは自分を見てくれるのではないかと。多分、期待していただろう。
そんな、ほんの僅かな希望さえも打ち砕かれて。
イリアは、微笑んだまま、誰にも知られずにひっそりと絶望していた。
*
それでもソレイルの妻となった彼女は、何事もなかったかのように侯爵家の一員としての務めを果たす。
ソレイルの妻としての責務を果たすことだけが、生きている意味なのだと、言っているかのように。
侯爵家の一員として恥ずかしくないように。次代の侯爵夫人として一目置かれるために。騎士として忙しくしている夫の代わりに社交をこなし、人脈を広げ、時には一人きりで外交の場にも顔を出す。
かつて、心に何か問題があるのではないかと疑われたことがあるなんて、誰も思わなかっただろう。
学院に通っていた頃は、ソレイルに執心し、周囲の人間を困らせることもあったようだけれど。
そんな姿もなりを潜めて。貞淑で、高潔で、潔癖で、多才で。
社交界でも、彼女が侯爵家に相応しい人間だと認識されるまでに、それほど時間はかからなかった。
順調だと思っていた。何もかもが、上手くいっていると。
この頃にはもう、イリアの気にしていた強盗団は弱体化を極めていて、その内に消滅するだろうと思われていた。彼女が何かしたのか、それともただ単に自滅したのか。分からないけれど、そんなことはどうでもいい。
多分、その後に起こる出来事にはきっと、何の関係もないだろうから。
あの日は、夕空がとても綺麗で。
季節の変わり目にしか見ることのできない七色の空に感嘆の息を漏らしながら、僕は陽が落ちる間際まで、空を飛んでいた。
普通の人間だったなら、もっと遠い場所からこの空を眺めていたのだと思えば。
こんな体になったのも悪くないかもしれないと、どこか前向きな気分になっていた。
考えてみれば、そんな風に思えたのは、自身の体が消滅してから初めてのことだった。
いつも必死になって「今」を生き抜こうとしているイリアに触発されたのかもしれない。
これから先、どれほどの時間が続こうと、ただ「今」だけを見据えて生きることができたなら。もっと楽に息ができるかもしれないと。
彼女のように、ひたむきに生きるべきだと。
だからかもしれない。その日の夜、錯乱した様子のイリアを目の当たりにして、平静でいられなくなったのは。
―――――彼女は泣きながら、自分の妹が妊娠したと告げた。そして、子供の父親が自分の夫だということも。
その言葉を聞いたときは、何て励ませばいいのかと逡巡しつつ言葉を探した。
いつかこういうことになるのではないかと案じてはいたけれど、これほどに早いとは思わなかった。
まるで幼子のようにしゃくりあげて泣き続ける彼女は本当に哀れだった。これまで、必死に築き上げてきたものが無為に帰したのだから、当然だ。
けれど、思わず、その小さな背に手を伸ばしたとき。
彼女はとんでもないことを言い出した。
自分は、何度も、過去を繰り返しているのだと。
同じ時間を、何度も何度も、繰り返していると。だからこそ、上手く立ち回ってきたはずなのに、何の意味もなかったと声を上げて、一層激しく泣いた。
立っていられなかったのか、膝を付いたまま座り込み、ぼろぼろと涙を零す。よくもそんなに水分を溜め込んでいたものだと関心するほどだった。
僕は、上手く回らない思考で、支離滅裂な言葉を並べたてるイリアを見下ろす。
そんな僕を見つめる彼女。
こちらを見上げる瞳には、はっきりと焦燥が浮かんでいた。
どうか、分かって欲しいと。理解して欲しいと。疑わないで欲しいと。
だけど。
過去をやり直すなんて、有り得ない。
初めに抱いた感想はそれだ。
何せ「過去に戻ることのできる魔法」というものを、心の底から欲し、探し続けていたのは僕自身だったからだ。
今よりももっと昔。エマを失ったばかりの頃は、よく考えていた。
もしも過去に戻れたなら。
エマとの出逢いをやり直そうか。もしくは、もっと前まで戻って、息子に魔法をかけようとする父を止めようか。あるいは、エマとの結婚生活を飽きるまで何度も繰り返そうか。
時間を戻すことができたなら、どれ程いいかと、それこそ研究に研究を重ねて。
世界のどこにもそんな魔法が存在しないとしたなら、自分自身で、そういう魔法を作り出すことができやしないかと、昼夜を問わず考え抜いて。
それでもできなかった。
そして結局、時間を操ることができるのは神だけなのかもしれないという結論に至ったのである。
だからこそ、思う。
願いは叶わず、望まない人生を生きなければならないのは―――――、
「まるで地獄みたいだね」
そうだ。ここは地獄のようだ。
だとすれば、これは一体、何の罰なのか。僕が、一体、何をしたというのか。
忘れかけていた疑問が頭の中に渦を巻く。
「ねぇ、そうだと思わない?」
そう問うた僕の声に、イリアは素早く反応した。
まさか、そんなことを言われるとは微塵も考えていなかったのか、少し、間抜けな顔をしていたかもしれない。そんな顔をするなんて、滅多にないことだ。少し笑ってしまったのは不謹慎だったかもしれない。
「でも、ここが地獄なら。君が罰を受けているというのなら。君は一体どんな罪を犯したんだろうね?」
父に魔術をかけられた当初、僕は、ほんの小さな子供だった。
そんな僕が、一体どんな罪を犯せば、こんな地獄に堕とされるのか。もしくはこれが、生まれ持った因縁というやつならば。
どんな業を背負って、この世に生まれ堕ちたのか。
「なぜ、君だけにそんなことが起こるんだろうね?」
―――――なぜ、僕にだけ、こんなことが起こったのか。
イリアに問いかけながら、自分自身にも同じことを、問う。答えなどないと、知りながら。
僕だけがなぜ、こんな想いをしなければならないのかと。
この世界には、こんなにも大勢の人間がいるのに。他の誰でもなく、なぜ僕なのか。
彼女は半ば呆然とした顔をしたまま、
「……私、幸せに、幸せになりたかった……、」
ぽつりと言った。
「ただ、幸せに、なりたかった、だけ」
震える唇が、慎重に言葉を吐き出し。
そして、今まさに、何か重大な罪を犯したかのような顔を白くして。
「だからなのね」と続けた。
「だから、こうなってしまったのね」と。
僕には、その言葉の意味を、理解することはできなかった。
けれど、己がとんでもない過ちを犯したことに気付く。
僕は、助けを求めて手を伸ばしてきた一人の少女を、打ちのめしてしまったのだ。
初めて誰かの助けを求めただろう小さな手を、容赦なく叩いて。
防御することもできない無垢な心を、潰した。




