第八十六話 A N S
降下に約一秒。
着地の衝撃を反動として、そのまま粉塵の中に突っ込んだ僕には、異様な感情しかなかった。
微動だにしない敵意。
それはこいつが、僕が心に根付かせた『リジェネシス』の敵役である帝国の姿を模しているからなのか、あるいは、物言わずに佇むその屈強な様子が、飛びかからずにはいられないある種の狂騒をかき立てるからなのか、痺れの中で加熱する頭では冷静に判別できない。
ただわかっているのは、今、持てる最高の動きで相手に躍りかかっていること。
第二のルーンバースト発動。かつ、カルバリアスでの全力強襲。
手段が完成してから、目的に思い至る。
今日こそ、ヤツの正体を掴む!
アディンたちの魔法によって舞い上がった木屑が、吹き飛んだ霧の代わりに視界を覆っている。けれど、僕はそいつのいた場所を、視界に焼き付けるように鮮明に覚えていた。
煙の奥に、帝国騎士の姿が見えた。
こちらに対し、左半身を前に、斜めの体勢。
以前所持していたあの大型の剣は持っていない。丸腰だ。
この間合い、とったぞ!
帝国騎士がこちらに気づいたように、わずかに顔を振り向ける。
相対する者を威嚇するような怒りの面。
膝を落とし、対処の姿勢に入ろうとする。遅い。どちらに跳んで逃げても、第二のルーンバーストが発揮する爆発的な加速の前では、結果が半瞬遅れるだけだ。
――?
股の横に下げられていた右手が動いた。腰、胸、肩の高さにまで上げられ、ついには背中へと回される。
何だ? そこには何も――
ヤツから、錆びた鉄が擦れ合うような声が聞こえた。
「An……s……er」
!!!?
針のように尖っていた意識に叩き込まれた衝撃が、頭の中を一瞬白く塗りつぶした。脳どころか心臓まで震わされたと思ったときには、僕はもう、最適の攻撃タイミングを手放してしまっていた。
地面を爆発させるかのような、帝国騎士の踏み込み。
防御どころか、あちらから一気に詰めてきた間合いは、準備に一瞬を要した僕にとって致命的な距離になる。
帝国騎士が背負った大型剣を、抜き付け気味に振り下ろす。
いわば上段の居合い。
攻撃の型と言われる上段の構えに加え、大型剣の重量を存分に活かそうとすれば、それは理想的すぎる一撃だった。
逆手に持ったカルバリアスを斜めに振り上げ、先手の必殺を防御に切り替えるので精一杯。
金属と金属が吠え合うような異様な接触音が世界を揺さぶり、衝撃と共に背中へ突き抜ける。
異変は一瞬後。
「ぐっ!?」
サブナクに噛まれた右手に刺すような痛みが走り、暴走したルーン文字に支えられていた体の芯が揺らいだ。
大型剣を支えきれず、背後に吹っ飛ばされる。
「や、野郎……」
水平にぶっ飛ぶ体を何とか空中で立て直し、靴底を滑らせて安全な間合いまで後退した僕には、しかし、第二のルーンバーストを押し返されたことよりも、はるかに信じられない事実に戸惑っていた。
こいつ、今、何て言った……?
背中に剣を出現させたとき、
“アンサラー”って言ったぞ……!?
「どういうことだ……?」
僕はうめいて、いまだ晴れない粉塵の薄布一枚奥にいる帝国騎士を見つめた。
前回、あの騎士が剣を背負っているのを見逃していたとばかり思っていたけど、あれがもしアンサラーなら辻褄は合う。攻撃の直前に物質化しただけのことだ。
しかし、もしそうなら、あれは本物ということになるぞ……!?
アンサラーを持つ、もう一人の騎士。
こいつは一体、何なんだ……!?
くそっ、主人公、何か知らないのか!?
《……………………》
ダメか。
これまで悪魔二匹の素性を言い当ててきた主人公も、こいつについては知らないらしい。
ちくしょう、動揺するな。
謎を抱えたまま死ぬぞ!
右手の痛みに体が勝手に反応し、左手も一緒にカルバリアスの柄を掴む。
やることは変わらない。ヤツの正体を暴く。その動機が一層強まっただけのこと。
おがくずの煙の奥で、帝国騎士が動いた。
来るか?
いいさ! 今度は逆にこっちが突進で迎撃してやる!
そのときだった。
「騎士様!」
木屑の煙を翼で吹き散らしながら、パスティスを乗せたアディンたちが降りてきた。
一度視線をそちらに奪われ、慌てて戻したときには、もう帝国騎士の姿はなかった。
また消えた……。
「騎士様、どう、したの……?」
パスティスが不安げに問いかける中、僕は、ヤツが消えた場所をただ見つめていた。
これは……みんなに相談しないといけないな。
※
あの巨大な肉塊が、瘴気を生み出す最大の元凶だったのは間違いなかった。
急速に霧散していく瘴気の中に、生き残りの雪豹を見つけては、上空から無慈悲な残党処理を行うと、〈神祖の樹〉から聞こえていた絶叫もやがて収まった。
空戦というよりは、敵の本拠を見つけるのが本義の戦いだったようだ。
帰り道で下の世界の住人に睨まれるがイヤだったので、僕らはそのまま〈ミストフォール〉の霧の流れを遡上。メディーナたちへの報告は後にして、まずはリーンフィリア様のところへ戻ることにした。
「おかえり! すごいよ騎士殿! 見てよ、ほら霧がどんどん晴れていってる」
竜たちの発着場にいち早く駆けてきたのは、〈オルター・ボード〉を片手に振り回すマルネリアだった。
そのまま僕に飛びついて、〈オルター・ボード〉の俯瞰図を顔の前に押しつけてくる。ついでに別の柔らかいものも猛烈に押しつけてるんだけど、当てているのですか!?
「…………!」
落ち着こうパスティス。君は戦いの後で気が立っているんだよ。だから、尻尾をドリルにして木を傷つけるのはやめるんだ。
「ボク、早速みんなに知らせてくるよ。騎士殿たちは疲れてるだろうから、少し休んだらメディーナたちのところに来てね」
マルネリアが意気揚々と歩いていく。下の世界で知った母親ミルヒリンスについては、完全に存命としている様子だ。
「騎士様、パスティス、おかえりなさい」
「二人ともご苦労様。よくやったわ」
待機していた小屋から、リーンフィリア様とアンシェルが出てくる。
労いの言葉をかけ、室内で休むように招き入れてくれた二人に応じながら、僕はさっきのできごとを打ち明けた。
「アンサラー? 本当にその帝国騎士の格好をした何者かがそう言ったの?」
小屋の中で椅子に腰掛け、アンシェルは露骨に疑わしそうな顔をした。
「言ったよ。間違いない」
「ホントに? “あんたさあ……”って言われたのを聞き間違えたんじゃないの?」
「君は本当に夢がないな! アンサラーと言って剣を物質化したんだ。確定的に明らかだよ」
「何が夢よ」
アンシェルは呆れた吐息をもらす。僕はすぐに反論。
「だって、こっちと同じ武器を持ってるなんて、余計正体を暴きたくなるだろ。次は絶対に逃がさないよ。何としても兜をひっぺがして、素顔を拝んでやる……!」
「うわ、執念深……。何かあれね。瘴気の発生源を見つけたときは、あんたのことちょっと賢いと思っちゃったけど、実際、ただ執念深くて攻撃的なだけなのかもしれないわね」
二度も一方的に帝国騎士に襲いかかっている身としては、言い訳できない。
なんで僕はあいつを見ると、攻撃性を押さえられないんだ?
『リジェネシス』のやりすぎで、帝国兵を見たら襲えと潜在意識に刷り込まれているんだろうか。
「でさ、実際問題どうなの? あれがアンサラーである可能性っていうのは。そもそもアンサラーって、僕の一挺だけじゃないの?」
アンシェルは嘆息し、軽く肩をすくめるようにして、告げる。
「アンサラーって、天使の突撃隊が使う銃なのよ。突撃隊はエリート中のエリートで、悪魔とも勇敢に戦うわ。だから、あんたのアンサラーが唯一品ってわけじゃない」
「そうだったんだ……」
特注品ではないと知って、ほんの少しがっかりする気持ちもあるんだけど、逆に、量産品であるということに若干の興奮も覚える、複雑な心境。
だって、天使の一団が一斉にアンサラーを構える場面見たい、見たくない?
「だけど、強力な武器には違いないから、天界で厳重に保管されてる。厳密さで言えば、封印されたあんたの刀剣類より、ずっと高度な管理よ。あんたに一挺貸し出されたのだって、天使の間じゃ結構有名なんだから」
「そういえば、あのがめつい二人組もアンサラーを知ってたな……」
「誰それ? 知らない子ね」
アンシェルは不機嫌そうに言った。出会わなかったことにされてる……。まあ、あんな連中に屈した記憶なんぞ抹消したい気持ちはわかるよ。僕だって、アディンたちを仲間に加えてから、速攻で塗り直しに行ったからね。
「ってことは、こっそり誰かが持ち出したってことはないわけだ」
「そうね。公式に動かされても噂になるくらいだから、紛失なんてした日には、天使たちが全員、精神衛生上の理由で倒れてるはずよ」
大変そうだな、天使……。
神様に仕えてるわけだもんな。社会人どころのプレッシャーじゃないのかも。
「そうだ。ヤツのアンサラーは剣だっていうのも気になる。僕の銃より断然大きいサイズだった。それについてはどう思う?」
「あり得ないわね」
アンシェルはスパッと切った。
「アンサラーは銃よ。それ以外の形態はない。つまりそれは、あんたの銃とは別物ってこと。多分、たまたま同じ名前がつけられた武器だったんでしょうね。物質化うんぬんはアンサラーの特質ではあるけど、たとえば、極小サイズに縮めて持っておける武器みたいなものもないわけじゃない。あんたが見たのが、そのまま真実とは限らないわ」
「推理が妥当すぎるのはずるいよ!」
「何よ! 聞き分けのない犬ね!」
結局、アンシェルの淀みない反論によって、アンサラーの謎は発展せずに鎮火してしまった。
くそう。だけど、あの帝国騎士は絶対に怪しいんだ。僕の感覚がそう告げている。
サブナク戦のダメージがなくても、ヤツは第二のルーンバーストに匹敵していただろう。
単体でリミッター解除と渡り合うなんて、僕の何人分の戦闘能力だ?
技も鋭いけど、剣を打ち合わせたときに感じたあの圧力……。
こちらがリーンフィリア様の祝福+ルーン文字という支えを持っているのと同じように、あいつの剣からは何か強大な重みを感じた。
こちらの攻撃に揺らぎもしない、途方もない何か。
恐らくは、悪魔に関わる力なのだろうけど。
それを暴ける日は、いつか来るのだろうか……?
どうせコレジャナイ




