第六十五話 グレードアップ
「〈下位魔法〉の式って、〈上位魔法〉から分化するときに独特な変化をすることが多いんだよ。簡単に言うと、〈下位魔法〉から〈上位魔法〉を連想するのはとっても難しいんだ。何と何がくっつくのかもわからないし。でもこの石版には、とんでもない長さの式が書かれてる。これのおかげで、新たな変化の法則がわかった。これはルーン文字にも応用が利くんだ」
そう説明するマルネリアの手は、金箔のような液体が入った小瓶にペン先を沈め、手持ちのメモを何度も見やりながら、僕の鎧にルーン文字を書き込んでいく。
テーブルを片づけ、部屋の中央の椅子に座らされた僕は、仲間たちに見守られながら、簡易パワーアップを施されていた。
使う道具は、ペンと不思議なインク。後はマルネリア一人のみ。魔女の小屋にあったような機具は必要ないらしい。
と、そこまではよかったんだけど。
「んー。書きにくいなあ……。騎士殿、ちょっとボクのことお姫様だっこして」
言うが早いか、マルネリアがぬるっと僕の腕の中に滑り込んできた。
「な、何で、そんなことする、の」
パスティスが慌てて聞くと、
「横向きに字を書くのって得意じゃないんだよ。ボク、絵描きじゃないし。だから、こうしてしっかり密着して、腕が動かないようにして……」
へにゅー。
うわあ。絶対柔らかいなりい。
「あーもー、やっぱりペン先が震えるよー。騎士殿、ボクのことしっかり抱いててくれる? そこじゃないよ。もっとお尻のとこ。……そうそう。いい感じ。そのままそのまま……」
「役得ね。騎士」
「アンシェルさん、僕は何も悪くないので責めてはいけない」
「…………」
「…………」
うう、何か、リーンフィリア様もパスティスも、眼差しの温度がいつもと違う気がする。
「そうそう。騎士殿は悪くないよ。鎧が脱げないのが悪いんだよ。あ、首の隙間にホコリついてる。ふっ」
「ひゃあ」
「にゃははは……。ごめんね騎士殿。気になっちゃった」
ガリッ、ガリガリガリ……。
ヒッ!?
恐ろしい異音に顔だけ向けてみると、パスティスの尻尾の先端が、鳥が嘴を磨くみたいにして小屋の床を削っている。
なっ、何だこのムーブは!? 尻尾の手入れ? ですよね!?
「そ、そうだ、騎士様が横に寝転べば、マルネリアも作業がしやすいんじゃないでしょうか」
リーンフィリア様が、ぽんと手を打ち鳴らして言う。
「うん。いいよ~。ボクもこうしてるより、またがった方が楽」
「やっぱりやめましょう」
女神様は光の速さで撤回した。
結局、僕はマルネリアを抱いたまま――いや、体を支えたまま作業は続行された。
おかしい。
小屋の人口がいつもより増えたことで、室内の温度も上がるはずなのに、それがない。
むしろ低下している気がする。
ふと、マルネリアの手が止まった。
彼女は、僕の鎧に刻まれた傷を見ているようだった。
「そう言えば騎士殿さあ……。あの悪魔と戦ってるとき、ずいぶん攻めに前のめりだったよね。あれ、“いい”の?」
その問いかけは、かなり曖昧な言い方だったと思う。受け取り方によっては批判とも取れるような。仲間たちが少し不安そうに僕を見るのがわかる。
でも僕には、それが、鎧をチューンする技師からの純粋な問いかけだと、すぐに理解できた。
「うん。いいんだ。こんなこと他人に言いたくないけど、僕は戦うのがあまり上手くない。だからじっくり守るよりガンガン攻めて、突破口を見つける」
それが、女神様の加護頼みで戦う、トーシロの僕の基本戦法。
そしてそれは、守って守って、いつの間にか削れ死んでいた以前の僕へのアンチテーゼでもある。
マルネリアはニヤリと笑った。
「そっか。ちゃんと考えてるならいいんだ。攻撃は最大の防御だからね。防御は攻めに転じるための時間稼ぎで、その逆はない。常に攻撃して、相手の思考を防御と対処に縛りつけるのは、駆け引きの理想形だよね」
魔女はそこまで上機嫌に言ってから、
「あの悪魔をのぞいては」
「うん。そうだね」
攻撃を防ぐだけじゃなく、反射するという機能を持ったあの盾は、矛盾という言葉の盾にあたるものだろう。つまり、最強の盾。
だけど突破口がないわけじゃない。
未確定だけど、ミリオがそれを教えてくれた。
「騎士殿の戦いに合うよう、攻撃と機動に多めに文字を割り振っておくよ。元々防御は単純な筆記でいいしね。これが終われば騎士殿は一気にパワーアップするけど、相手に勝つための強さっていうのはもっと総合的なものだ。たとえば、攻撃の反射のみなら、あの悪魔はさほど脅威じゃなかったかもしれない。でも、枝の上という地形を利用されると一気に危険なものになる。そういうふうに使い方も重要。だから、しっかり考えて使ってね」
「わかった」
力に期待しすぎるな、浮かれるな、ということなんだろう。
考えてみれば、僕が負けたあの時の状況は、樹上湖の怪魚と戦ったときと真逆だ。
偶然とは言わない。主人公曰く、サブナクは防御の達人。なら、あの足場も計算に入れての立ち回りだったはず。
でも、仮にそれに気づいていたとしても、僕はああ戦わざるを得なかったと思う。
魔女を助けるために、時間的猶予はなかった。
相手に万全の体勢を取らせないことは、防御の基本。
そして、万全ではないと知りつつも相手が攻めざるをえない状況を作るのも、戦術ないし戦略の原則だ……。
クソッ、完璧なシナリオじゃないか、あの野郎。
もっと賢くならないと。それこそ、猟犬のように……。
「んんー。ルーン文字を書き込むのは樹鉱石が一番いいんだけど、騎士殿の鎧もけっこう馴染むねえ。不思議な材質。天界の鉱物なの?」
「女神の騎士は戦うために選ばれた者。だから、最初から鎧姿で現れるそうです。その鎧も、神々の世界にある物質から作られてるんじゃないでしょうか」
リーンフィリア様が説明すると、マルネリアは感心したようにうなずき、
「そっか。じゃ、この機能にも意味あるのかな?」
マルネリアは突然僕の頭を捕まえると、ぐいと自身の顔を近づけた。
「な、何をしてるの……」
咎めるように声を発したのはまたもパスティス。けれど魔女はそちらに一瞥もせず、相変わらずとろんとした目で僕を見つめ、面当ての下部分を指先で撫でた。
ガギッ、と音がして、口元にあった牙のような意匠が開いたのがわかった。
仲間たちから驚きの声が上がる。
そういえば、何かそんな機能あったなあ……。
「ここからなら中見えるかな? ……ん~。見えないや」
おいおい。この距離で見えないとか、本格的に自分がわからなくなってくるんだけど。
「ま、そこにいるのなら、顔なんかあってもなくてもいいよ」
開いたアゴを押し込んではめ直し、マルネリアは作業に戻る。
しかし何だな……。
こうしてると、芸術品というより耳なし芳一かもな、僕。
それからマルネリアはあらゆる体勢で僕の体に密着し、作業を続けた。
作業が終わったのは、ゆうに半日くらいたってから。
気楽に頼んでいいものじゃなかったな……。
ルーン文字は鎧の随所に縁取りのように刻まれ、ぱっと見ではほとんど変化はない。
「騎士殿、外で剣の一つでも振ってみてよ」
マルネリアに促され、僕らは小屋を出た。
何事かと、近くにいたエルフたちがこちらを見つめる中、いつもやっている剣の型を試してみる。
虚空に刻まれた分厚い太刀筋が、聞いたことのない音を残した。
周囲から驚きの声が上がる。
「……!?」
いつも通りに、剣を振ったつもりだった。
だからこそ、その違いがはっきりわかる。
剣筋だけじゃない。
腕の振り、足腰の安定感、力の流れ方、どれもが以前とは別枠のレベルに到達している。
……強くなってる。リーンフィリア様の信仰や、〈祝福の残り香〉のように微強化ではなく、はっきり体感できるレベルで!
ニヤけてくる。
マルネリアはああ言ったけど、これは浮かれるなという方が無理じゃないか?
「はい。騎士殿、ちょっと止まって」
マルネリアが僕のそばにやってきて、体をぺたぺたとさわりだした。
「うーん。ちょっと防御の魔力反応が弱いかなあ。後で……いや、今直そ」
あぐらをかいて座り込むと、僕の脚防具に書かれた文字を修正していくマルネリア。
この角度から見下ろすと、とても問題があるのですが、僕は何も見てませんよ。
「…………」
「…………」
だからリーンフィリア様もパスティスも、僕をまばたきもせずにじーっと見つめるのはやめてくだしあ。
「騎士殿。調整が終わったら、次はルーン文字を扱う訓練だからね?」
「え。書いたら勝手に機能するんじゃないの、ルーン文字って」
ミリオたちはそんな感じだったのに。
マルネリアはぼんやりした目で僕を見て、
「ミリオたちは適正があるんだよ。生まれながらルーン文字を操る天才なの。ほとんど無意識で力を引き出せてる。騎士殿もある程度はできてるけど、まだまだだよ。たとえば、そうだなあ。次はあれやってみようか」
「あれ?」
マルネリアはにんまりと笑った。
「ルーンバースト。二つ仕込んだ」
女エルフにべたべたされてるだけで強くなる主人公のクズ




