第二百六十六話 ガイア幻想機
鋼の翼が僕の体を高く高く連れ去るにつれ、淡い空色が徐々に濃紺へと変わっていく。
高みへと昇っていっているはずなのに、まるで海の深みへと落ちていくような、そんな奇妙な感覚に囚われる。
底のない星の世界。
周囲の気温がぐんぐん下降する中、円錐形の魔力防御壁に守られながらすべての雲を突き抜け切ってしまった後で、僕は再び不可解な感触に包まれた。
自分は、空のど真ん中で停止している。
見えない壁に頭を押さえつけられ、それ以上登れないでいる――
焦った。これはオゾマの妨害なのか?
……いや。違う。
人の脳は、まわりの風景が動くことによって自分が動いていることを認識する。前方に広がるオゾマの眼。何もない周囲の空。すべてが微動だにしない空間でその感覚がマヒし、自分が止まっているかのような錯覚を覚えたのだ。
焦りを捨て、恐怖を忘れ、僕は一心に飛び続ける。
不意に、劇的な変化が僕とスケアクロウの前に現れた。
オゾマの眼が、突然赤く輝き、その数えきれない瞳をぎょろつかせ始めたのだ。これまで地上に何が起ころうと変わらなかった眼が、初めて動きを見せた。
部屋のどこかに隠れたネズミを探し出すような視線はやがて、ただ一点へと集中する。
空へと挑む二人の騎士へ。
ヤツは、僕たちを認識した。
高度、さらに上昇。気温はおよそマイナス七十度。
大気はほとんどなく、大地の丸みがわかる高さの条件はとっくに超えている。
ここがオゾマのいる世界。
静かで冷たく、混じりけのない空。
「〈アイアンイカロス〉パージ」
燃料と魔力の尽きた外部ユニットを排除し、僕とスケアクロウの背中から四枚の光の翼が持ち上がる。
「オゾマアアアアアアアッ!」
最後の上昇の中で僕は叫んだ。
通常なら音が伝わるような場所ではないけれど、僕たちは仲間との相互連絡のために声にさえ特別な魔力を通してある。聞こえるはずだ。
「いつまでそんな姿でいるつもりだ? おまえに挑戦する! 相手をしろッ!」
直後の変動は、さっきの変化をはるかに上回るものだった。
世界の空を取り巻いていたオゾマの眼が、音も風もなく、恐ろしい速度で一点に――僕たちの正面へと収束していく。
そして、現れる。
目の前にいるように見えて、まだ途方もなく遠いはず。しかし、僕の視界はオゾマのその体で覆い尽くされていた。
「――――……!!」
恐ろしく清冽で秩序だったにおいが鎧の中に忍び込んで、僕を漂白しようとする。
これが。こいつが、オゾマ。
何て……姿!
星々の光を背景に、そこに顕現したのは、液体とも気体ともつかない、常に変動し続ける巨大な物体だった。
大まかなシルエットは球形に近いようだが、その表面、いや、深部においても、ヒト、獣、魚、昆虫、鳥といった生物、木や草、果実、野菜、種子などの植物、ビルディングやモニュメントなど建造物、火、水、風、土、生誕、死去、ありとあらゆるものの片鱗が巨大な形をなしては崩れるを繰り返し、さらによく見れば、その大きな変化の内部でも同様の小さな生滅が繰り返されている。
神羅万象の再帰自己相似。
これが、世界へと至らなかった混沌の姿。
これがオゾマ!
唖然としてそれを見続けるうち、僕は自分の中から何かが遊離していくのを感じた。
そのまま手放せば、恐らく僕としての機能を一切合切失ってしまうだろう何か。ある種、解脱的な官能すら伴う情緒に慌てて活を入れ、僕は僕である証明の声を放った。
「オゾマ、おまえを倒しに来た!」
オゾマの体中からあらゆるものの口が一斉に叫んだ。
【――愚か/愚鈍/莫迦/無知/愚劣/無意味/醜悪/痴態/■■/■■/■■/!”#$%&’()=~|!!!!!!!!!】
「罵倒」でも「一喝」でもなく、大部分が言語シールドにシャットダウンされ、体内に響き渡る単なる衝撃へと変換されたオゾマの言葉を、思わず腕を持ち上げて防ぎながら、僕は相手を見据え続けた。突風が終わる。
【……おまえ、たちは、ますますもって……どこまでも愚かしく……不愉快、である……】
うってかわって静かで重い言語が、暗い空へと広がった。
【我/我々/は……はじめに……奇妙なおまえ……たちを……見た時に……驚愕/■■/■■/不可解/■■/疑問/した。なぜ、こうも不出来な……■■■■■■■■■■存在/連続/継続/成立/しているのか……。我/我々/の知らぬ……秘密/■■/理由/■■/があると考えた。ゆえに観察/干渉/検分/し……救済、のために、知恵/秘蹟/恩寵/作為/を与えた……が】
オゾマの声に苛立ちにも似た感情が混じる。
【おまえ……たちは、ことごとくに……失敗/無様/蹉跌/した。わずかなりとも……その愚かさを改善/改心/後悔/できなかった。いかなる時も争い……衝突し……あらゆるものを浪費し……一つの■■/極致/真理/にも到達できぬ……できそこないの世界。おまえ……たちに、秘密/■■/■■/■■/などない。ただただ、不出来/無策/無意味/悪質/無価値/悪/悪/なだけ……だった。もういい。我/我々/が理解する必要など……ない。やはり、なかった……】
「だから消し去るのか。おまえのお気に入りにならないから。勝手に寄って来といて、ずいぶん勝手な物言いじゃないか。ええ? それが高度な知性様のすることか?」
僕は正面から言葉をぶつける。オゾマの言葉は危険だ。けれど、いきなり殴りかかったんじゃケンカにならない。すべて吐き出して、すべて叩き潰さなきゃ。
【愚かなおまえ……たちは……消えてなくなるのが、道理/正当/祝福/秩序/■■/だ。誤りを知らず……過ちに気づかず……。ゆえに消え去る以外の道は、ない。無駄な抵抗はやめ、受け入れなければ……ならない】
「抗う権利くらいはあるだろ」
【――ない】
オゾマはこともなげに突き返す。
【権利/■■/■■/は、強き者が弱き者を平らげる……その理の模造/■■。権利の源泉は……奪滅する力。我/我々/を/罰する/牙を立てる/すべのないおまえ……たちに、権利など、何一つない。ただ……受け入れて、消え去るのみ……】
僕は「ハッ」と吐き捨てるように笑い、兜に刻まれた牙の意匠を指でなぞった。
「ところが僕たちは、おまえに牙を立てに来たんだぜ」
オゾマの体表に数多の生物のものと思しき眼が浮き上がり、より強い憤懣を込めてこちらを見た。僕たちの物わかりの悪さに辟易した、といったところか。
【おまえ……たち/二個体/戦士階級/虚弱/に何が……できる……】
「二人だけじゃない」
僕は短く反論し、続けた。
「確かにおまえは強大だ。力、知性、生命力、あらゆる面において、僕たちの知る言葉では正確に表しきれないほどに大きく、強い。そんなおまえに対抗できる存在は、僕たちの世界にはなかった。それは認める」
視線は動かさず、意識だけを背後に向ける。
背後に広がる、僕たちの世界。みんなが立ち、今空を見上げているだろう僕たちの星。
「だから、作ってやったぜ」
【?】
「――オーディナルサーキット、全チャンネル起動」
僕はオゾマに聞こえる声ではっきりと、通信手に告げた。
「了解。オーディナルサーキット、全チャンネル起動――起動完了確認」
「アバランチシステム、受容感度最大で起動。後のことは考えるな。この戦いでもてばいい」
「了解。アバランチシステム、感度最大。メンテナンス部隊スタンバイ。――完了」
ゴ・ゴ・ゴ…………。
背中に伝わる重低音は、空気の揺れではなく、エネルギーの震動だ。
「大陸間偏移防御フィールド、決戦魔力へ移行」
「了解。――決戦状態へ移行完了」
「全フレーム〈コキュートス〉に連結。反物質ドライブの状況報せ」
「全フレーム、白亜王へ連結完了。ドライブの状況確認中……安定! エネルギー、フルランニング! ツジクロー、いけます!」
「よし、眠れる星を起こせ!」
僕の鎧にぶつかって音を為す共鳴は、世界の産声に等しい。
ゴ・オ・オ・オ・オ・オ・オォォォォォォ・ォォォォォ――――――ン。
【――――?】
オゾマの体表に浮かんだ眼が忙しなく動き回り、僕の背後を見つめる。
彼は見ていなかった。今日まで僕たちがしてきたことを。
この一年、僕たちが寝る間も惜しんで仕込み続けた、この戦いの流儀を。
「白亜王。好きなだけやってくれ」
僕の声に応えるように、星が震える。
――ダ――ダァァァァァァァ――――イイィィィ――――
星を覆う青い海の奥に、二つの輝きが宿る。
眼。
星の眼。
【――――?? ――! ――? ――!!】
――ダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイイイイイィィィィィィ……。
激しくまばたきを繰り返すオゾマの眼に向けて、僕は告げる。
「紹介する。絶滅決戦用超質量多重構造型絶対破界目的兵器――タイラニック・ジオだ」
――ダアアアアアアアアイラアアアアアアアアアアアアニイイイイイイイイイイイイィィィィィィ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
咆哮と共に広がる波動が、遠くの星の光すら揺らめかせる。
オゾマの眼が細まる中、しかし僕とスケアクロウは何の脅威も感じていない。ただただ心地よい痺れに身をゆだねる。
「ツジクロー、タイラニック・ジオ、無事起動したわ!」
アンシェルから通信が入る。
「“外”からも確認した! さすがのオゾマも驚いてる!」
すかさずそう返し、僕は躍る胸のままに次の指示を出す。
「さあ開戦だ。世界のみんな、聞こえてるか!!」
「全防御壕への通信クリア! すべて届いてるよ!」
今度はマルネリアの声。
「よしッ! みんな、拳を握れ! 心に力を込めろ! 受け取れ白亜王、この世界のすべての想いを!」
伝わる。世界中にいるすべての命が、同じ動作で繋がるのが。
僕も拳を振り上げ、大きく引き絞る。
「食らえオゾマアアアアアアアッッ! これが僕たちが立てる牙だ!! 北四半球ストレートォォォオオオオオオオオオオッッ!!!!」
【!!?】
タイラニック・ジオの北半球の一部がめくれ上がる。マントルの厚さおよそ七十キロメートル。その岩石層を折りたたみ式の鉄柱のように接合し、巨大な、あまりにも巨大な剛腕を形作る。
めくり上げた内部に超高温の星外殻を露出、輝かせながら、その腕は真っ直ぐに伸びてオゾマを――高度百キロメートルに存在するもう一つの世界を、
ドッゴオオオオォォォォォォッッッ!!!
殴りつけた!!!
ただいま宇宙の法則が乱れております。




