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第二百六十五話 星を見る人

 天界中心部。


 かつての白亜王の居城ではあるものの、権威の大部分は象徴的な意味合いが担っており、統治や政の機能はほとんどなかったという。


 まるで高層マンションように神殿が重ねられ、ややカオティックな外貌は、ついにそこに到達した悪魔たちをして、


「相変わらずわけわからん作りだぜ」

「あれ結局、偽の神々にもどうにもなんなかったんだな」


 と呆れ半分、なつかしさ半分で言わしめたものだった。


 とうとうここに来た。

 大地神たちからすれば念願の帰郷。

 これまで故郷を追われた地上の民が、生まれた街に戻ったような感慨があったに違いない。


 しかし、この勝利に浮かれる者はいなかった。

 天界の中身がそっくり入れ替わるという大事であっても、これから始まる決戦までの道が開けたというだけでしかなかったのだ。


 ――高層神殿最上段。


 蒼天を屋根として、白亜王が納まるべき巨大な玉座と、いくつも並ぶ柱のみで構成された、壁すらないひたすら開放的な場所だった。


 圧倒的な存在感を放つ権威の椅子は、主を欠いたまま静かに鎮座する。空座でありながら威厳も偉容も確かにあったが、壁も天井もないこの部屋では謁見者の首を絞めることもなく、天を覆うオゾマの眼さえなければ、とても気持ちのいい風が吹く聖域であったに違いない。


 ここが、僕たちにとって最終前線基地になる。

 仲間たちは今、その準備に入っていた。


「オゾマは、ここには来ないのかな」


 僕は空を見上げながら誰にともなく聞いた。


「あの眼の様子では、来ぬな」


 答えたのはディノソフィア。


「ヤツがものを注視しようとするときは、あの眼がより劇的に動く。わしらが天界を取り返したところで、もはや興味もない、といったところじゃろう」


 オゾマからの反応が鈍いのは、この一年間の僕たちの活動を通じてのことだった。もちろん手出しされたら一巻の終わりだから、その方がいいんだけど。


 しかし言い換えれば、僕たちが有史以来最大規模の作戦だと思っているこれも、オゾマからすれば、これまでの歴史と大差ないということなのかもしれない。


 この程度のこと何度もあった。しかし結局、何も起こらなかった。だからもういい。

 僕たちも、その繰り返しのうちの一つになるのだろうか?


 ディノソフィアも同じ気分を味わったのだろうか。声のトーンを明るくし、豆知識的にこんなことを付け加えた。


「もしヤツが降りてくるとしたら、においがする。前の時はそうじゃった」

「におい?」

「うむ。オゾマという名は、においという意味の“オゾン”という単語から取られている。ヤツが近づく時、恐ろしく清冽で、秩序だったにおいがするのじゃ」

「へえ……」

「そのにおいがしたら、その時こそ一切の雑念を捨てろ。わしらには、最初から退路などない。道化だろうと開拓者だろうと、そんなもの未来の者にしかわからん。ただ全力で戦う、そのためにここにいるのじゃ」


 僕はうなずいた。何となく、気持ちがすっきりした。


「ツジクロー」


 マルネリアから通信が入る。


「地上側の準備、整ってる。いつでも始められるよ。……決戦」


 声にはこれ以上ない緊張が込められていた。

 始めてしまえば、もう終わるしかない。

 勝っても。負けても。

 ラスボス戦というのは、そういうものだ。


「オゾマは、ボクたちに対応してくるかな」


 彼女は不安げに聞いてきた。


 マルネリアが今になって懸念しているのは、オゾマが僕たちをまったく相手にしない可能性だった。僕たちがいくら押しても、のらりくらりとかわし続ける。これをやられると、実は打つ手がなかった。組み立てた作戦も全部パアになる。


「してくるよ」


 しかし僕は確信を持って答える。


「オゾマは必ず反撃してくる。気に入らないことは、受け流したりできない。ヤツはそういう性格だ」

「子供みたい、だね……」


 すぐ隣で聞いていたパスティスが、ふと言った。


「そうだね。オゾマには、そういうところがある」


 僕が同意すると、横合いからディノソフィアが口を挟んだ。


「たとえそうでも、子供だましで一杯食わせてやろうという腹積もりなら、やめておけよ。そもそも、懐が深く、仁徳に厚く、道理に明るい者を“成熟した大人”と見るのは、群れの中で他者の思考と共存する他ない我々の習い性でしかない。単独で存在しているオゾマには、そういった要素を美徳とする理由がない。あっさり裏をかかれてこちらが壊滅するのがおちじゃ」

「わかってる。僕もそんな間の抜けた最後はごめんだ」


 最終決戦前に余計な心配をさせないよう、はっきりとうなずき返した。


「オゾマが理解できないレベルの知性を持っていることは大前提。だから正面から激突する方法を選んだ。それが、僕たちに勝ち目の有る唯一の方法だ」


 こちらが力押しなら、オゾマも同じもので返してくる。

 それで勝てると思っているからだ。そしてそれは客観的に見て正しい。

 簡単に踏み潰せる相手に対し、あれこれ策を練るのは、迂遠すぎるというものだろう。


「こちら魔力観測班のメディーナ。騎士様、増幅器の設置はいかがです?」


 また別のところからの通信が入る。地上にいるメディーナだ。


「こちらツジクロー。ちょっと待って。今、アシャリスが準備中……オーケー、設置完了だって。起動を確認した」

「〈言語性シールド〉発動いたします」


 樹鉱石を採算度外視で使いまくった魔力増幅器が、入り組んだ機構内から琥珀色の輝きを放ち、震え始めた。


「シールド、全世界に展開確認。これでオゾマの言語に殺される心配はないでしょう」


 メディーナからの声を受け、僕は改めて、この魔法障壁作成に尽力してくれたアシャリスとドワーフたちに感謝と共に親指を立てた。


 この〈言語性シールド〉は、オゾマの言語からこちらの脳みそを保護するための、地味ながら重要な障壁だ。

 僕たちはオゾマの上位概念語とやらを正しく受け止めきれない。

 言うなれば、ヤツが全力で世間話をしただけで、僕たちの脳みそはパンクして廃人になってしまうのだ。


 シールドは、この致死性言語とも呼ぶべきオゾマの言葉を極限まで噛み砕いて翻訳し、大部分を「(∩ ゜д゜)アーアーきこえなーい」するための耳栓。

 厚さ十センチの大人向け啓発本を「前向きに生きよう!」の一言に要約するような暴挙ではあるけど、ただのおしゃべりなんかで殺されたら僕たちも立つ瀬がない。


 これの魔法式構築にあたっては、脳という器官を持たず、精神強度的にヒト種族を大きく突き放している超兵器アシャリスが大いに活躍してくれた。

 その彼女が、プロジェクトのさなかに、僕にこんなことを話している。


「あたしたちとオゾマは、表面上はともかく、根本的なところではまったく意思疎通ができてないかもしれない」


 僕たちは、頭の良さに関して、大は小を兼ねるだと思っているところが多々ある。

 つまり、頭の良いヤツは、頭の悪いヤツの考えることなんてまるっとすべてお見通しだ、という感覚がある。逆にそれができないと、じゃあ頭が良いって言えないんじゃね? とすら感じてしまう。


 しかし実際は、そうではないらしい。

 すごく頭の良いヤツとすごく頭の悪いヤツが会話した場合、両者の結論は「こいつが何を言ってるのかわからない」だ。


 知性というのは、対話に適した領域に収まらない相手には、まったく通用しない。同じくらい天才か、あるいは同じくらいバカでないとお互いが理解できないのだ。


 僕の元いた世界では、人間が動物や虫より頭が悪いと本気で思っている人はそういないはずだけど、人間が動物や虫と話ができないことを、人間の頭が悪いからだと思っているヤツもやはりいないと思う。


 知性は、異なる段階のものを正しく理解できないのだ。

 こうなると知性って何だよ(哲学)になりそうだけど、それは僕にもわからない。頭の良い人に任せる。


 偽神たちの脳みそが異様にでかかったのも、オゾマの造形センスがSAN値のピンチだからではなく、それが彼と最低限の意思疎通をするために必要な容量であるからというのが、アシャリスが示した仮説だった。


 そういう意味では、僕たち全員と同時に会話できる言語を作り出したオゾマは、やはり恐ろしく高度な知性を持った相手といえる。

 全員が同じ言葉をしゃべっていたというバベルの塔が、混沌という意味で読み解かれるのも何だか妙な気分だ。


 だがそれでも、僕たちに相互理解の道はない。

 アシャリスも結論として、オゾマは永遠に関わってはいけない相手だと断定してきた。


 僕たちは何となく「対話」が友好的で効果的なコミュニケーションだと思いがちだけど、それも常識的な範疇の中での話。

 僕たちの知能ができるのはごくごく薄っぺらい会話までで、ヤツの考えを改めさせたり、こちらの意志を明確に伝えたりすることはできない。


 その前にこの世界ごと消される。


 今日、この瞬間に至っても僕らが取れる道は二つ。

 わかり合えないまま言葉を喚き散らしつつ滅ぶか。

 相手を撃滅するか。

 それしかないのだ。


「ここで一旦お別れだな」


 渋みの有るバリトンに振り向けば、予想したよりずっと下の位置に、仔馬の顔があった。


「これより先は、別々の場所での決戦になる。ここまででも、すでに我らにとっては望外の戦果だ。しかし悪魔は欲深い。もっと先を見たい。頼めるな? 女神の騎士――いや、ツジクロー」

「もちろんだ。次に会う時は、勝利の祝いの席でね」


 僕はガミジンの蹄と握手をした。

 まわりにいる仲間たちとも、一人一人目を合わせ、うなずき合う。

 離れるといっても通信は常にオン。心なら真横にある。寂しくはない。

 アンシェルから声が入る。


「オゾマは上空約百キロメートル、星界と呼ばれる星々の住まいに存在するわ。〈メルクリウスの骨翼〉で弾ける空間のチリも激減するから〈ヘルメスの翼〉と併用でいく。空気抵抗がないから、鎧が持っている魔力が尽きるまでは無限に加速できるはず。ただ、星界は地上とは何もかもがけた外れに遠い場所と聞いているわ。移動は慎重に。魔力が尽きれば、地面まで真っ逆さまよ」

「わかってる。寄り道をするつもりはない」


 僕の背中に、アルルカたちによって重い鉄塊が取り付けられる。

 超兵器カイヤを髣髴とさせる飛行ユニット、〈アイアンイカロス〉。この使い捨て補助ブースターで、世界の重力をぶっちぎる。


 ディノソフィアたちに同じ装備を取り付けられるスケアクロウを見て、僕は言った。


「散々みんなを煽ってきたけど、本当のことを言うと、すべての力を集めてもオゾマと互角が限界だと思う。世界の力のすべてを絞り出して、ようやくヤツに匹敵できる」


 オゾマの内にあるエネルギーは、オゾマという一つの意志によって完全にコントロールされている。それに対し、僕たちはいくら目的を一つにしようと、決して一つの物体に合一することはない。


 周囲で作業する仲間たちが、手を止めずにこの話に耳を傾けていることを知りながら、僕は明るく続けた。


「けどこの世界には、人間二人分の余力がある。僕と、おまえだ。この世界とオゾマが互角なら、僕ら二人を上乗せしてヤツをほんの少し上回れる」


 あんまり頭のいい理論じゃない。が、


「同感だ」


 彼はうなずく。


「用意はいいか」

「いつでも」


 僕とスケアクロウは、親指を立てた拳同士を軽く打ち合わせた。


 オゾマとの決着はすぐにつく。達人同士の真剣勝負のように。

 応酬は、三、四度あればいい方だろう。


 僕たちにオゾマの攻撃を凌ぐ方法は極端に少なく、また、こちらの攻撃に使えるエネルギーにも限りがある。泥仕合はありえない。

 許された数度の攻撃手で、勝利までの道をすべて均す。

 通りきってみせる。


 ここに残る者、地上に戻る者など、それぞれが最後の行動を起こし、その時に備える。


 いよいよだ。

 これまで僕が――僕たちがやってきたことに答えが出る。

 さあ、終わりの始まりだ。そしてすべての始まりだ。


「みんな、行ってきます!!」


 仲間たちが一斉に柱の裏側に退避するのを見届け、僕とスケアクロウは、天の頂をさらに飛び越えて、星の世界へと飛翔する。


ここまで本当にNKT(長く苦しい戦いだった)……!

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