第二百五十七話 リベンジ
「ペンギン……!?」
仔馬、ラクダ、ガチョウ……あるいは人によく似た、しかし確実に違う作りの顔貌の内側で、魔性を示す赤い瞳がまず示したのは、僕を押し潰し横倒しになっている大型ペンギンへの警戒心だった。
「女神様、しっかり!」
「大丈夫です。防寒着のおかげで痛くありませんでした。何も見えませんけど」
アンシェルがペンギンを支え起こすと、悪魔たちからさらに動揺の声が上がる。
「天使がいるぞ……!」
「あれが女神だと? バカな。ペンギンだぞ」
「あんなでかいペンギンがいるか。化けてやがるに違いないぜ」
手足を申し訳程度にぱたぱた動かすリーンフィリア様に何とかどいてもらい、僕が立ち上がった時、
「ぺやっ!? 女神の騎士はありえない! どうして貴殿がここに!?」
黒い人垣から素っ頓狂な声が挙がって、この混乱にトドメを刺した。
常に草を生やしながらしゃべっているふうでありながら、どこか慇懃な言葉選びをする手合いは、この世界では今のところ二グループしか存在しない。
アバドーンと、アバドーンを信奉する血統家。そしてこれは、本体の方だ。
「女神の騎士だと?」
仔馬の顔をした小柄な悪魔が反復する。他の面々と比較するとまるで子供のように小さく、見た目も燕尾服を着たぬいぐるみめいて愛らしいのだけど、声だけはえらく渋い。
「女神の騎士? 直接乗り込んできたのか?」
「見ろ。あの悪戯者と黒騎士も一緒だ!」
アバドーンの一声が小波のように他の悪魔たちを揺らし、思い思いの疑念をつぶやかせる。
この場から眺めるだけでも、悪魔の数はすでに両手の指が埋まるほどの勢いだ。いるところにはいるというか、僕が戦ったのは本当にごく一部にすぎなかったと実感させられる光景。
この混迷極まった状況からどう切り出すべきか逡巡していた僕は、ざわめく悪魔たちの中から浮き上がって聞こえた「誰かと思えば、オマエもいたのデスか」という嘲りの声に、その思考を断ち切られた。
耳障りな声の主は、野鳩の素朴な頭部に確かな侮蔑を浮かべながら、前へと出てくる。
シャックス。最初に戦った悪魔。
僕の背後で――パスティスの心が身じろぎするのが伝わった。
「ワタチの元を離れて、敵である女神の騎士に飼われているとは、とんだ恩知らずの尻軽デスね。もしや、いたぶられた時の鳴き声を気に入ったもらえたのデス? 良かったデスねェ。相手が無節操な元人間なら、醜いオマエでも奉仕の一つや二つできるデショウしね」
聞くだけで寒気がしてくる醜悪な言葉。こいつの趣味は最悪だった。初めて会った時も、命令に反抗したパスティスに折檻を加えていた。
思えば、パスティスが自身を苦しめる思索の多くは、こいつが原因とも言える。
そんな相手に対し、
「ツジクロー、様、は、そんなこと、しない……し、わたしは、醜く、なんて、ない……!」
怒気のみを孕んだ気配が、決然と僕の横をすり抜けていった。
「ほおん? かつての主に逆らうデスか? これは久しぶりにお仕置きが必要デスね」
前に出たパスティスに応え、シャックスもじりと歩み寄る。
周囲の悪魔たちは、多少の事情はわかっているのか静観の様子。言語よりも腕力が直裁となる、原始的かつシンプルな場ができあがる。
どうする。
自分の出方に迷った僕の腕を、ディノソフィアの小さい手が止めた。
「ケリをつけさせろ。あれにはそれが必要じゃ」
その一言で腹の中が定まり、僕が出しかけていた足を引っ込めると同時に、目の前から二つの影が掻き消えた。
先に仕掛けたのはパスティスだった。
右手の鉤爪が、虚空に五つの溝を穿ちながらシャックスの残像を切り散らす。
死角に回り込んだシャックスは、閉門を打ち破る大木じみた前蹴りを放つが、パスティスは風に揺れる霞のように前に出ながらそれをかわし、一瞬で、伸ばした悪魔の膝よりも近い位置に詰めてみせた。
右手の爪が凄絶に輝く。組み付いての必殺こそ彼女の独壇場。
蹴りを打って片足立ちのシャックスには、それから逃れるだけの速度は作れない。――はずだった。
「ィヒヒィ!」
どこか悲鳴のようにも聞こえる奇声を放ち、シャックスの左腕が閃いた。
まるでパスティスの爪を打ち返すような軌道を見せた直後、悪魔は体ごと大きく移動し、僕らのすぐ前にまで来ていた。
ヤツは黒い皮膚の上に小粒の血を膨らませる左手を見ながら、硬いくちばしを歪めて笑った。
「攻撃の“速度”を盗んでやったのデス……が、この手をもってしても盗みきれなかったとは、さすがは、ワタチが面倒を見てやっただけのことはありマスね……」
シャックスは、アンサラーの弾丸すら盗み取ってしまうほどの盗みの名手。
パスティスの攻撃から“速度”を盗んで、かわすだけの間を作ったと豪語してはいるものの、結果としてはそれを上回る彼女の力量こそ、より超常的で幻想的だと恐るべきものだろう。
必殺のチャンスを最低限のダメージに抑えられたパスティスは、焦りも動揺もなく半身に佇みながら、色違いの双眸をシャックスに向けた。
「おまえから、教わった力、なんかじゃ、ない」
「なに……?」
「ツジクロー様、と一緒に戦って、もらった、力」
悪魔は鼻をかむような盛大な音を立てて笑う。
「何を世迷言を。おまえのような醜い生き物が、他の誰かから何かを与えてもらえることなど――オブッ!?」
ドガッ! と台詞の途中で顔面を床に叩きつけられたシャックスは、その背後からの襲撃者を間違いなく予想していなかった悲鳴を放った。
「い、一体何者デ――」
――シャアアアアア……。
後頭部を押さえつけられたままわめくシャックスの頭のすぐ横で、怒気のこもった生暖かい息が、凍った床へと吐き出される。
角と一体化した、目のない頭部。その半分以上を上下に分ける大きな口。それの名は。
「ヒ!? サ、サベージ……い、いやケルビム!?」
シャックスを背後から押し倒した上、背中にのしかかって完全に動きを封じているのはアディンだった。耳元で吐かれた息は、裏世界の住人がやる脅しそのものだ。
「ケ、ケ、ケルビムがどうしてここに……!? すべてサベージブラックになったはずデス!?」
強く抵抗すれば自分の命がひっそりと幕を閉じることを認識しているのだろう。シャックスは鳥類特有の百八十度回る首を硬直させ、口だけを動かした。
「わたしと、ツジクロー様の子」
「な、なに……? こ、子供……?」
パスティスが見せた、珍しい暗黒の微笑にたじろくシャックス。
それは、彼女があらゆる面でこの悪魔を上回った瞬間にも思えた。
グルルル……。
グエー……。
さらに、ディバとトリアが、わざとそうしているみたいにのそのそと遅れてやってきて、シャックスの左右を固める。
カアアアアアア……。
シュー……。
二匹は、顔をのぞき込むような、そうでないような位置から呼気を吹きかけ、
――わたしたちのお母さんが何か?
恐らくそう告げた。
すごい連携だ。ここでヤバイと感じないヤツは、本能的にかげろうタイプ。
「ケルビムだと……」
「残り二匹にも白い鱗があるぞ……」
「どうなっている? あのキメラの娘が何かしたのか?」
ざわめく悪魔たち。シャックスを心配する者が誰もいないのは結構だけど、警戒心は一際強まってしまったか。
「あー、そのへんでいいか?」
ケルビムの登場で硬直した空気を、間延びした声でやんわり掻き回したのは、太い獅子首に手をやって、いかにも「やれやれ」な気配を放つサブナクだった。
「襲撃が目的なら、とっくに全面対決が始まってるだろ。何か話があるみたいだぜ、俺たちに」
今更そんなことを言う。遅い。やはりやれやれ系よりやはりナイトだな。と僕は思った。
「話だと? 女神の騎士がか?」
「ヤツは敵だぞ……」
なおも不満な空気を滲ませる悪魔たちを、ディノソフィアとスケアクロウの両名が、身じろぎ一つで黙らせる。ケルビム同様、この二人も別格の扱いのようだ。
「ツジクロー、さっさと話してしまえ。ヤツらも耳までは塞げん」
ディノソフィアにうなずき返し、僕はこの場にいる悪魔たちへと、端的かつ直接的に要件を告げた。
「オゾマと一戦やる。付き合え」
『……!!』
ざわり、と悪魔たちの影が揺らめく。
「白亜王からの声は届いたはずだ。やる気はあるんだろ?」
「てめえ……」と声を絞り出したのは、直前までは余裕に構えていたサブナク。
「どこまでわかって言ってんだ?」
「オゾマと大地神とのだいたい。白亜王とは、もう話をつけてある」
再び仰天する悪魔たち。その中には、僕が白亜飢貌ノ王を白亜王という神の名で呼んだことに対する驚きも含まれていただろう。
「オゾマと戦うには、別個でやっても意味がない。この世界すべての力を結集する。神も、人も、悪魔も、全部だ」
「おい、騎士。だったらこれは知ってるのかよ。地上の民は、オゾマの支配を受け入れたんだぜ」
サブナクの声には、感情の最下層に広がる苦み走った過去が感じられた。
悪魔が悪魔になった理由。そのうちの一つが、地上の民が、天界を追い落とされた神々に味方しなかったこと。
元神様のくせに恨みがましい――と言いなじるのは簡単だけど、神様にだってつらいことや悲しいことがあり、それで心を壊してしまうこともある。
リーンフィリア様を見ていれば、心の面では僕らヒトと大差ないことくらい、すぐにわかるはずだ。
つまり、これを地上の人々が聞いたら一斉に首を傾げるだろうけど……悪魔は、ヒトが彼らを恐れる以上の度合いで、ヒトを信じていないのだ。
そういう点においても、ヒトと約束事をするディノソフィアは異端だったに違いない。約束は、互いの信用なしには、いかなるペナルティを設けようとも成立しないものだから。
僕はサブナクの赤い目を見て言い返した。
「その時代の地上の民は、グレッサをのぞいてもうとっくに滅んでしまったよ。今いるのは、みな滅亡の際からリーンフィリア様に助けられた種族ばかりだ。何もしなければ、何もしないまま滅びるということを知っている。必ず力を合わせられる」
「……。何だか、俺らが混じるとマッチポンプみてえな気がしねえでもねえが」
獅子の悪魔は、むずがゆそうに頬のあたりをかいた。
「女神と、地上の種族と手を組むだと?」
「今更か?」
話を聞いた悪魔たちの反応は悪かった。誰一人、素直に呼応してくる者はいない。が、これはまったく予想通りでもある。地上の人々に話しても、同じ反発は来るだろう。
「効果を知りたいですな。パーティーを組むだけの利を。それぞれが役割を持てなければ、群れる意味はないのですな」
悪魔の黒い人垣から、アバドーンのバッタ顔が浮き出てきた。いまだシャックスを組み敷いているアディンたちを見て、露骨に顔をしかめる。彼女たちの艦砲射撃によって敗退させられたことを思い出したのだろう。
「そうだ」
「弱い者たちと組んで何の意味がある」
「動きにくくなるだけだぜ」
アバドーンに同調する声が次々に挙がる中、僕は片手で彼らを制し、さらに数拍の沈黙をためてから、用意しておいた言葉を告げた。
「五分の勝負をさせてやる。オゾマと」
……!
静かに、しかし確実に、悪魔たちの間で感情が波打った。
「……そういうのは普通、“勝たせてやる”って言うんじゃねえのか?」
サブナクが横から口を挟んできた。僕は微笑み、
「僕がそれを言って、おまえ信じるか?」
「はっ、まず信じねえな。おまえ一人の台詞で勝ちを信じられるなら、氷塊の中にこもって兵器造りなんかしてねえ」
「だろ?」
僕は他の悪魔たちに向き直った。さらなる釣り針を投げる。
「それに、五分の方が大地神たちには嬉しいんじゃないか?」
再び波。しかし、さっきよりも大きく、強くうねる。
僕は拳を握り、彼らに示した。
「やられた分だけ、それがどれくらい痛かったかをはっきりと込めて、殴り返せる。わからせられる。それが、今一番やりたいことなんじゃないのか」
ぐう、という唸り声。
悪魔たちがすでに勝ちを目指してはいないことは明白だった。
王は力を失い始め、悪魔たちが戦力として頼む兵器たちは、僕にだって破壊されている。神の時代に持っていた力にすら及ばないだろう。
それでもやる、ということは。
玉砕。
座したまま、かつて大地神だった矜持すべてが悪意に呑まれるのを待つより、己が己でいられる間に蜂起して大暴れしてやろうという最後の意地。それが彼らの渇望だ。
だから、僕の誘いを断れるはずがない。
有利でも、不利でもいけない。
最大級の魅力なんだ。自分たちがどれだけ怒り、苦しみ、悲しみ、悔しい思いをしたかを、五分の状態で叩きつけられるってことは。その感情の深さを、余分な補正なく、己の純度百パーセントで相手に伝えられるってことは。
それが、復讐者ってヤツなんだ。
「みんなで力を合わせれば、五分まではいける。そこから一毛でも上回れるかどうかは、この世界の住人次第。どうだ?」
つまり、より強く意地を張り通せた方が勝つ。
今の彼らは復讐心と意地で動いている。そこで勝負できるのなら、むしろこれ以上の好条件はない。……ないはずだ。
沈黙は短かった。
「悪くねえ」
僕の肩に黒々とした大きな手が置かれる。
サブナク。
「絶対勝てないところを、勝てるかもしれねえってところまで引き上げてもらえるなら、賭けねえ手はねえ。嬉しいことに、負けても、全員が一回死ぬだけで済む。惨めな気持ちが残る心配すらいらねえ」
悪魔たちに逡巡の気配。まだ納得できないことがある。――それは当然。サブナクも追って口にする。
「しかしな、女神の騎士。精神論じゃ意味ねえんだ。プランがねえとな。五分にできるっていう、具体的なプランが。これからみんなで仲良く考えようっていうのなら、別にてめえに率いられる理由はねえぜ」
「もちろん、あるさ」
僕は肩を動かし、にわかに力のこもったサブナクの手を払う。
「計画は二段階だ」
悪魔たちの目がしばたき、僕の声に集中するのがわかった。
「第一段階、神、悪魔、ヒトの技術を統合して、新しい技術を作り出す」
指を立てて説明する。続いて二本目。
「第二段階、その技術を使って、オゾマと戦う兵器を生み出す」
停滞する空気が、室内を凝固させた。僕の言葉に生まれる賛同もなければ熱気も、まだない。
仔馬の悪魔が渋い声で言った。
「女神の騎士よ。尖兵づくりに明け暮れる我々が言うのも何だが、オゾマは強く、そして何よりもまず巨大だ。この世界と同等の体躯を持つ。それを相手に、兵器だと?」
「そうだ」
「大砲並みのアンサラーを造ったところで、オゾマには蚊の一刺しにもならんだろう。それで五分に持っていけるのか?」
「もっとでかいものを作る」
仔馬は鼻で笑った。
「でかいか。どれほどでかい? もう一度言う。オゾマは、この世界と同じ大きさなんだぞ」
「こっちもそれくらいでかい」
「やめろ。子供の言い争いのようなことは。世界と同じ大きさの兵器を、どうやって作り出す。材料はどこだ。別の世界からでも引っ張ってくるのか?」
僕は悪魔たちの足元を指さした。
『…………?』
悪魔たちは足回りを確認し、「氷か?」ともらした。
「違うだろ」
僕が首を横に振ると、悪魔たちは一様に困惑の表情を返してくる。
「大きすぎて見えないのか? まるで空にいるあいつだな」
「まさか……」
誰かが上擦った声を発した。
「何だ」
「誰かわかったのか」
「おい、待て、ひょっとして……」
「ウソだろう……?」
僕はもう一度はっきりと足元を指さし、彼らに突きつけた。
「世界には世界をぶつけるんだよ」
恥知らずな脳筋騎士がいた!




