第二百五十五話 僕の名は
「すッッッッッッッッッごいことになってるわねえェ……」
操舵輪を大きく回したところで、セルバンテスがため息交じりに言った。
ここは海上。ナグルファル号甲板は、波を受けて穏やかな揺らぎの中にある。
「リーンフィリア様がとうとうオゾマに行き着いちゃって? しかも一戦交える覚悟なんでしょう?」
「やりたくない?」
僕が聞くと、セルバンテスはモリモリの筋肉を一回り肥大させ、
「いいえ! やるわ! 超やるわよ! 今リーンフィリア様に協力しないヤツとかいるの? よく決めてくれたわ騎士様! いい加減、あの目の下にいるのにうんざりしていたのよ!」
セルバンテスたちはオゾマを知っていた。そして〈ダークグラウンド〉の外にいるから、当然オゾマの眼を見続けてきたのだ。
「可愛すぎるオレ様を四六時中ガン見しといて、何のリアクションもねえってのも許しがたいしなあ! ナイス判断だ騎士殿よォ! オレ様は支持するぜ!」
「ありがとうアーネスト」
甲板の段差に片足を乗せた、ドレス姿のナルシストに、僕は礼を述べた。
「それで、こっちの方角で本当にあってるの?」
セルバンテスが空のかなたを見やりながら言う。
「ああ。ディノソフィアがそうだって」
「変ねえ。こっちの方角に陸地なんかないんだけど」
「ま、そのへんは腐っても大地神様だからよ。ナグルファル号を飛ばさずにいるのも、上からは見つけにくいよう、隠れ家をカムフラージュしてあるかららしいぜ。……それより、ありゃ何だ? オレ様に一段階劣る女どもが、丸くなってじーっとこっちを見てるんだがよお」
「ああ、うん。あれね……」
僕が甲板の一角を占有する少女たちを見ると、こちらに集中線を描いていた目線が一斉に散っていった。
「僕を何て呼ぶか決めてるんだって……」
何なんですかね、これ……。
事の発端は、パスティスだった。
みんなでナグルファル号に乗り込む時に僕とスケアクロウを呼ぼうとして、ふと、呼び方に困ったらしい。
騎士様が二人いるので。
これまで通り僕が「騎士様」で、スケアクロウを「スケアクロウ」と呼べばいいんだけど、強固に反対された。
実はそれより前に、パスティスが僕を「騎士様」と呼んだ時に、スケアクロウも反応してしまったことがあったのだ。以前、条件反射的にアンシェルに謝っていたことがあったくらいだから、あいつも仲間たちとの付き合いは、長いだけは長い。
これでは紛らわしいので、今のうちに何とかしておきたい――という経緯だ。
曖昧な形のまま定着しちゃうと、後々まで不便を引きずることになるから、それはわかるとして……。
「やっぱり犬と案山子でいいんじゃないかしら」
「そんな呼び方……やだ……。もっと、ちゃんとした……のが、いい」
「爆友は爆友でいいだろう? 問題はスケアクロウだ。釘でいいかな。釘と呼ぼう」
「ボク、別に騎士殿と一緒に爆発してないもん。もっと妖しくて情熱的なのにしようよ。いちいち荒れそうなやつ」
「よ、弱りましたねえ。これまで騎士様って普通に呼んできましたからね……」
なーんか楽しそうですね……。
これから悪魔の本拠地に乗り込もうというのに、まったく別の方に集中力が向けられている。あまりよい傾向とは言えない。どうするべきか、と海に視界を投げた時、
「おう、何じゃ何じゃツジクロー? みなでおまえの話をしてるというのに、もっと嬉しそうな顔をせんか。兜があっても雰囲気でわかっとるからな」
ニタニタと笑うディノソフィアが、僕のわき腹に頭を預けるようにして寄りかかってきた。
「いや、だって、呼び方でしょ? 何だっていいよ……。普通にさ」
「つまらんのう、ツジクロー。可愛い女たちの話題の真ん中におるんじゃぞ。もっと喜べ――んのじゃあっ?」
ディノソフィアが素っ頓狂な声を上げた。彼女の背後を見ると、いつの間にか金属製の尻尾を捕まえているパスティスの姿があった。
パスティスは至って真面目な顔で、
「ディノソフィア、いつの間にか、騎士様を呼び捨てに、してる。……それはおかしい」
ぼそりと、しかし強い語調で言う。確かに、ディノソフィアは知らないうちに普通に僕の名前を呼んでる。今まで全然違和感なかったなあ。
「ほーお。おかしい、ねえ……」
それを聞いたディノソフィアの赤い目が、笑った猫みたいに細くなった。
「パスティス。おまえ、ちょっとツジクローと言ってみろ」
途端、パスティスの顔が、ぼんっ、と赤くなった。
ん……ん……? 何で……?
「そ、それ、は……」
「んー? 何をしどろもどろになっとるか? 名前じゃぞ名前。普通に名前で呼んでみろと言ってるのじゃ。それとも、呼びたくないほど嫌いなのか? あーん?」
「ち、違、う……!」
パスティスはぶんぶんと首を横に振り、何かを訴えかけるような目で僕をチラリと見る。
「わ、わたしは、騎士様の、従者だから、名前で呼んだりしたら、いけない……」
名前を呼んではいけないあの人みたいになってる。
「ホントかのう……? こいつのさらに上にいるリーンフィリアに対しては、名前で呼んどるようじゃがぁーん?」
「うっ、ううう……」
再び口ごもってしまうパスティス。でも、さっきも言いかけたけど、普通に名前で呼んでもらうのが一番シンプルなんだよなあ。ていうか、スケアクロウはスケアクロウって呼ばれてるじゃん。
「パスティス。僕も名前が手っ取り早いと思うんだ。クロウだとスケアクロウとまたかぶるからさ。ツジクローでいいんじゃないかな。僕も呼ばれ慣れてるし」
しかし果たして、辻が名字で九郎が名前だということを、誰か覚えていてくれてるだろうか。
「う、うん……わかっ、た」
パスティスは意外とすんなり受け入れた。
「では、言ってみるのじゃ」
「ツ……ツジ……うう……」
顔を赤くし、うっすら涙ぐみすらしながら、何とか声を絞り出そうとするパスティス。尻尾が曲がったハリガネみたいにガチガチ動き、先端で甲板を削り始めた。ちょっと待って。僕の名前って、そんなにいかがわしい発音してるの!?
「ツジ……クロー……様…………!」
必死に何とか言い切り、まるで激しい運動の後のように肩で息をする。何だか妙にエロ……いや、邪な目でみるのはやめとこう。
それより。
「うーん。様はいらないかな」
「へひ……?」
「今まで騎士様って呼ばれ方に抵抗なかったのはさ、女神の騎士っていう役職が偉いものだと思ってたからで、僕自身は偉くも何ともないんだよね。だから、ツジクローって呼ぶときは呼び捨てでいいよ。僕もパスティスのこと呼び捨てにしてるし」
「よ、呼び捨て……!?」
ぼぼん、ともう一段階パスティスの顔が赤くなる。
「ケケケケッ! そうじゃな。呼び捨てでよかろうぞ。それ、馴れ馴れしくツジクローと呼ばんか。図々しく遠慮せずに親しみを込めて!」
「何だそのテンション……」
うつむいて震えだしたパスティスの周囲を、ディノソフィアが単独でかごめかごめし始めたときだった。
「パスティスは照れてるんだよー」
マルネリアの声を先頭に、みんながぞろぞろとやって来た。
「照れる?」
「ほら、これまで騎士様としか呼んでこなかったから。いきなり名前で呼んだら、急に距離感が縮まっちゃった気がするでしょ?」
「それは、確かにそうだね。でも、僕は思いきり名前で呼んでたけど。ひょっとしてあまりよろしくなったりする?」
正直、西洋的な雰囲気のせいか、ファーストネームで呼び合うのが普通だと決めつけていた節はある。僕だってニポンでみんなと会っていたら、まずは名字で呼んでいた。
マルネリアは長袖に潜った両手を気楽に振り、
「それはいいんだよー。エルフなんか血縁の入り混じり激しいから、家名なんかで呼んだら誰が振り返るかわからないよ。下手すると、今の恋人と家名が……とかさあ」
やはりヤバい。
「パスティスは真面目で純情だから、騎士殿が近づいてきてくれるなら喜んで受け入れるけど、自分から近づくっていうのはちょっと恥ずかしいのさ。心の距離は、肉体的距離よりもデリケートだからね」
えぇ……。光のない目でガン見したり、尻尾で捕らえたり、地下室に閉じ込めたりするのはその範疇に入らないんですかね……。わからん……。
「じゃあ、パスティスは別の呼び方を考えるとして、マルネリアは僕のこと呼び捨てにしてくれていいよ」
「ツウッ……!!?」
へ?
マルネリアは露骨にそわそわし始める。
「い、いい…………よ? へ……えへへ……へへ……いいんじゃ、ないの? ツジ、クロー……殿でしょ? うん、へ、へいき……全然へいき……」
「殿いらないよ」
「そ、そう? だ、だねえ……。へへ、へへへ……ツジ…………えへ、へへへ……言えるからね、別に、ボクは。まあ今は? 言葉を濁すけどね、あえて。うん、あえてね?」
マルネリアが今まで見たことない反応を示している……。これが意味するものとは。
「わ、わたしは別に言えるからな! つ…………爆ツジ友クロー!」
「何者だよ!?」
「ゴホン、わたしは素直に、ツジクロー様と呼ばせていただきますね。問題なく落ち着きます」
歌手のように片手を胸に当て、珍しくドヤ顔のリーンフィリア様。
確かに女神様の場合、生まれの高貴さから相手に様付けをしているように受け取れるので、不相応な敬称に僕がむずがゆさを感じることもなかった。これが生まれ持ったオーラの違いなのか。
「イヌクロー」
「アンシェルがそう呼びたきゃそれでいいよ……」
「ウソよ。ツジクローでいいわ。騎士だと、あんたを呼ぶときにいちいち、ああこいつはリーンフィリア様に選ばれた騎士なんだって実感しないといけなかったから、呼び捨てにできてとても嬉しいわ」
「そんなこといちいち考えてたのかよ。それでこそ忌々しいほどに僕のライバルだ」
リーンフィリア様とアンシェルの二人とはあっさり解決した呼び方問題だったけれど、残り三人はどうも呼び捨てにしっくりこないらしく、やたらもじもじしている。
確かに、これまでの呼び方を変えるって、ちょっと気持ちに引っかかりがあるイベントではあるけど、ここまで悩む必要あるのかな。
などと気楽に考えていると。
「……ご主人様……」
「へ?」
「ご主人様って呼ぶ」
「ヘァッ!?」
それまでうつむいて黙りこくっていたパスティスが、強い口調で突然着火済みダイナマイトを僕に手渡してきた。
「い、いや、パスティス。それはやめよう。危険だ」
「危険じゃない。正しい」
うぐゥ!
意固地になった顔――涙目継続――という可愛さの暴力で押されては、僕の中の悪魔がその呼び名を受け入れてしまえとそそのかしもする。
――よいではないか……従順なしもべを手に入れたと思えば……どんな要求にも応えてくれる……うら若く……愛らしい娘が……健全な男の願望だろう……のじゃ」
「実際ささやくな悪魔!」
僕が引っ掴んでぶん投げた悪魔は、近くに張られていたロープに尻尾で掴まってケタケタ笑った。
「その娘はおまえの手足になりたい願望が強すぎるんじゃ。慕ってくれるのはイヤではなかろう?」
「男のロマンであることは認める……だが!」
僕はむくれているパスティスの顔をのぞき込む。
「パスティスは女神の騎士の従者という関係になってるけど、それはあくまで契約上の問題。僕らに上下関係はないし、ほしくない。同じ場所に立つ仲間であってほしい。それに、僕らに上下関係があったら、アディンたちはどうなるの?」
「あっ……」
「僕とパスティスに距離があったら、アディンたちとはさらに離れることになる。それはいやだ。同じまとまりの中にいてほしい」
「うん……うん……!」
嬉しそうな顔で何度もうなずくパスティス。良かった。わかってもらえた。
「なるほどな。こうして言葉巧みに娘たちの運命を転がしてきたのか。やりおる」
「言いがかりはやめろと言っているロリ!」
僕は心からしゃべっているんだ!
悪魔の横槍を噴き散らし、パスティスに向き直る。
「だから、僕のことは呼び捨てにしてもらえると、ちょうどいいかな」
「…………あなた」
「え」
「あなたって呼ぶ、ね……」
「な!?」
「わたしが、あなたって呼んで、騎士様は、お、お、おまえ、って呼ぶ……それで……ちょうどいい……えへへ……ふえへへへ……」
「パ、パスティス!? 気を確かに!」
呼び方もアレだけど、顔がまずい顔が! 今まで一度も見せたことのないようなふにゃけた顔になってる! どこでそんな顔芸を覚えてしまったんだ!?
ガガシシッ!! と肩を掴まれ振り返ると、
<◎><◎> <〇><〇> <〇><〇> カッ!
ああ、案の定!
「ツジクロー様は、今がどういう時期かちゃんとわかってますよね?」
「もちろんわかってますが、それは全員に問題が!」
「ツジクロー殿を式の前に寝取っておくのも……悪くないかな……」
「エルフには他意のない素直な祝福が必要不可欠!」
「わたしが超兵器の母なら、爆友は父ということになる……つまり二人の関係は……」
「誤解のエンゲージを広めるのはやめろと言っているメカ!」
多面作戦を強要される僕の首に、しゅるりと何かが巻きつく。
強引に振り向かされた僕は、片手を真っ赤な頬に当て、ぐるぐる眼になったパスティスと強制的に向かい合わされた。
「おまえって、よ、呼んで、ほしい……。おまえって……ふ、ひ、ふひひ……」
「正気に戻っテ、パスティス!」
「わたし、正気、おかしく、ない、よ……」
「ぐるぐる眼で何言ってんの!?」
叫ぶ視界にちらちらと、白いものが舞い始める。
雪だった。
けれど〈ダークグラウンド〉でそれに見慣れすぎていた僕は、そんなもの気にもとめず、とめられず、
「恋人といる時の雪は、特別な気分に浸れるからわしは好きじゃな。どう思うツジクロー」
「おまえこの状況でよくそんなこと言えるな! みんなを元に戻すの手伝えよ!!」
ほらこんなもん。
何か、雪と恋人がセットになったら最強のイベントが年に一回、前の世界であった気がしたけど、今の僕にはそんなことを思い出そうとする余力もない。
「目的地はやくきてー! はやくきてえええええええ!!!」
広い海原には陸地の影も形もない。
逃げ場のない船旅での戦いは、まだ少し続きそうだった。
船上のメリークリスマス。クリスマス要素ないけど。
※お知らせ
年末年始につき、年内投稿分は今回がラストになります。
再開は、1月5日か6日あたりを予定しています。投稿の際は活動報告、ツイッターでお知らせしますので、よかったらそちらもご確認ください。
それでは、またお会いしましょう。よいお年を!




